愛媛県西予市は、海抜0メートルの宇和海沿岸から標高1,400メートル級の四国カルストまで、514.33平方キロメートルに広がる。愛媛県内で2番目に広い市域に集落が点在し、2026年8月末の人口は3万2,233人。市議会によると4月末時点の高齢化率は45.0%に達している。[3][4][5]

そんな街で、300年以上前から続く「置き薬」の仕組みを、薬を売るだけでなく、健康情報、防災、高齢者の見守りへ広げようとする協定が結ばれた。

西予市と株式会社富士薬品は9月14日、包括連携協定を締結した。富士薬品が配置薬販売を通じて自治体と結ぶ協定としては56例目で、愛媛県内では宇和島市に続く2例目。西予市内では家庭と企業を合わせ約2,000軒が富士薬品の配置薬を利用し、同社グループは市内にドラッグストア・調剤薬局2店舗、県内に20店舗を展開している。[1]

連携項目は、セルフメディケーション、健康情報の発信、高齢者等の見守り、防災・災害対策、その他の5分野。ただし、9月14日の発表は具体的な業務開始を意味しない。富士薬品は各項目について「今後、西予市と協議のうえ決定」としており、訪問頻度、情報共有の基準、対象人数、市の費用負担などは公表されていない。[1]

人口が減り、医療人材も限られる地域で、既に家々を回っている民間ネットワークを「健康情報の最後の一キロ」に使えるか――それが今回の協定の核心だ。

薬箱を置く人が、健康情報も届ける

配置薬は、家庭や事業所に救急箱を置き、使った医薬品だけを次回の訪問時に精算・補充する販売方式だ。富士薬品では、配置薬営業員は原則として一般用医薬品の販売に必要な登録販売者資格を持つとしている。[1][6]

今回の協定では、その定期訪問を、市の健康施策と接続する構想が示された。OTC医薬品の適正使用、生活習慣病や熱中症などの予防情報、健康診査の受診勧奨などを、訪問時に伝えることを検討する。[1]

ここでいうセルフメディケーションは、「病院へ行かず市販薬で済ませる」という意味ではない。厚生労働省はWHOの定義を紹介し、「自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」とし、その前提として健康への関心、正しい理解、予防・健康づくり、症状に応じた適切な行動を挙げる。[7]

配置薬の訪問員ができるのは、医師の診断や治療の代替ではない。市販薬の適正使用を支え、健診や医療機関につなぐ情報を届けることだ。

西予市と富士薬品の包括連携協定
連携項目9月14日時点の方向性
セルフメディケーションOTC医薬品の適正使用、生活習慣病・熱中症などの予防啓発を検討
健康情報健康チラシ、健診受診勧奨などを定期訪問の機会に届けることを検討
高齢者等の見守り声掛け、困りごとの相談、体調・生活の変化を把握した際の自治体・関係機関への情報共有を検討
防災・災害自治体施設への配置薬設置支援、災害時の活用、避難所への医薬品提供などを検討
具体化すべて今後、西予市と富士薬品が協議して決定。実施件数・頻度・予算等は未公表

「見守り」は、福祉職の代わりではない

協定で最も注目を集めやすいのが、高齢者等の見守りだ。富士薬品は、高齢者宅を訪問した際の声掛け、困りごとの相談対応、体調や生活状況の変化に気づいた場合の自治体・関係機関への情報共有を検討するとしている。[1]

同社は他自治体との協定でも、営業員の日常訪問を生かした高齢者の見守りを実施してきた。海南市との協定では、異変や異常を見つけた際の自治体・関係機関への情報共有や、地域ルールに基づく行方不明高齢者の捜索協力を例示している。[8]

ただし、配置薬営業員は地域包括支援センター職員、民生委員、訪問看護師ではない。日常的な接点から「いつもと違う」を拾う補助線にはなり得るが、専門的なアセスメントや支援計画、医療判断を担う制度ではない。

その境界が曖昧になれば、住民が「薬屋さんに伝えたから行政へ必ず届く」と誤解する危険もある。実装時には、何を異変とみなし、緊急時は119番・110番か、市の相談窓口か、本人同意をどう扱うかを明確にする必要がある。

西予市では「家まで来る」こと自体に価値がある

西予市は宇和海のリアス海岸から四国山地まで東西に長く、面積の75%を山林が占める。市の地域医療対策プランは、集落が点在し、受診が容易でない地域に住む人が多い一方、医療資源が豊富ではなく、往診や訪問歯科に対応する医療機関も限られると指摘してきた。[9][10]

市内の人口は、2004年の市発足時4万7,043人から、2026年8月末の3万2,233人へ約31%減少した。4月末時点の高齢化率45.0%は、住民のおよそ2人に1人が65歳以上に近づく水準だ。[3][4]

人口が薄く広がる地域では、窓口を増やすのも、専門職が全世帯を頻繁に訪問するのも難しい。既に商売として巡回しているネットワークがあれば、行政が新しくゼロから訪問網を作るより低い追加コストで情報を届けられる可能性がある。

一方で、約2,000軒という富士薬品の利用先は、市全体を覆うネットワークではない。しかも家庭だけでなく企業を含む。配置薬の契約者でない住民、別会社の置き薬を使う住民、訪問販売を望まない住民もいる。地域支援インフラとして評価するなら、「誰に届かないか」も同時に見る必要がある。

西予市の健康計画は「地域みんなで」を掲げてきた

西予市は2016年3月に「第2次西予市健康づくり計画2025“元気だ!せいよ”」を策定した。健康増進法に基づく市の健康計画で、家庭、地域、学校、企業などが一体となって市民の健康づくりを進める位置づけだ。計画期間は2026年度まで1年延長され、次期計画は2027年度からとされている。[11][12]

市は2026年度も、糖尿病、高血圧、がんなどの早期発見・治療を目的に健診・がん検診を実施し、「健診に、健康を見つけに行こう」と受診を呼び掛ける。[13]

行政の情報は、ホームページや広報誌に載せただけでは届かないことがある。とくに高齢者、デジタル機器を使わない人、医療機関へ行く習慣が少ない人に、対面で同じ情報を重ねて届けることには意味がある。

今回の協定が機能するかは、配置薬営業員が健康情報を「配る」だけで終わらず、必要な人が健診予約、相談、受診へ実際につながったかで測るべきだ。

置き薬の起源は「先に薬を置き、後で払う」

配置薬は近代のサブスクリプションサービスではない。富山県は、家庭薬配置業を江戸時代以来約300年続く伝統産業と位置づける。[14]

一般に語られる起源は、富山藩2代藩主・前田正甫(まえだ・まさとし)の時代にさかのぼる。富山県の2026年資料は、正甫が1683年に岡山の医師・万代常閑から「反魂丹」の処方を伝授されたとされ、1690年に江戸城で腹痛を起こした大名へ反魂丹を与えた出来事が配置薬業の起源として伝えられている、と説明する。[15]

歴史資料上、重要なのは逸話そのものだけではない。富山売薬が広がった最大の特徴は「先用後利(せんようこうり)」だった。薬をあらかじめ得意先へ預け、使った分だけ後から代金を受け取る。医療施設や現金が十分でない時代に、病気が起きる前から家庭の手元に薬がある仕組みは大きな価値を持った。[14][16]

売薬商人は毎年、あるいは定期的に顧客を訪れ、使った薬を確認し、補充し、代金を精算した。その商売には「人の信用」が不可欠で、顧客との会話そのものが関係維持の一部だった。[16]

江戸の信用商法が「ラストワンマイル」になる

現代の配置薬では、支払いの仕組みだけでなく「人が訪問する」ことが再び注目されている。

富士薬品は1930年に富山市で配置薬販売業を始めた。現在は配置薬に加え、ドラッグストア・調剤薬局、医薬品製造、医療用医薬品販売を展開する。会社によると全国の家庭・オフィスに約240万セットの配置薬を置き、2026年3月末時点でグループ全体1,285店を展開している。[1][17][18]

同社はこの配置網を「全国に広がるラストワンマイル」と表現する。インターネットではなく、営業員が直接ドアまで行く意味での最後の一キロだ。[1]

宅配やオンライン診療が広がる時代に、人が巡回する方式は非効率にも見える。しかし人口減少地域では、その非効率さが接点になる。商品補充のついでに顔を見る、会話をする、情報を渡す。それを行政が完全に別の人員で再現しようとすればコストがかかる。

医薬品販売としては、今も明確な規制の中にある

配置薬は伝統文化であると同時に、現在は薬機法上の「配置販売業」だ。薬機法25条は、店舗販売業、配置販売業、卸売販売業を医薬品販売業の許可区分として定め、配置販売業を一般用医薬品を配置により販売・授与する業務とする。許可は都道府県ごとに必要だ。[19]

また、配置できるのは一般用医薬品のうち、経年変化が起こりにくいなどの基準に適合する品目。第1類医薬品を扱う時間帯は薬剤師、第二類・第三類では薬剤師または登録販売者が勤務する体制が求められる。[19][20]

つまり「昔ながらの置き薬」は、無規制の民間慣行ではない。現代の医薬品流通制度の中に組み込まれている。

2018年豪雨を経験した西予で、防災と薬箱を結ぶ

西予市にとって、防災・災害対策は抽象的なテーマではない。2018年7月の西日本豪雨では、野村地区を中心に甚大な被害を受けた。

市の災害対応検証報告書によると、発災直後には避難所・保健活動で消毒液、目薬、洗口液などが若干不足したが、7月9日以降は愛媛県や愛媛大学などから支援が入り、必要な医療資機材を確保した。[21]

現在の地域防災計画も、避難者の慢性疾患用医薬品の服薬状況や健康状態、避難所の衛生状況を把握し、必要な対策を講じることを求める。大規模災害時には西予市民病院、西予市医師会、DMATなどと連携して医療救護所を開設する計画だ。[22][23]

今回の協定は、自治体施設への配置薬設置支援や、避難所開設時の一般用医薬品提供を検討項目に入れた。富士薬品は他自治体との協定で、災害時に配置薬契約者へ使用分を無償提供したり、自治体の要請で避難所へ医薬品を供給する仕組みを運用している。[1][24]

ただし、避難所での薬提供は、医師・薬剤師による災害医療や、慢性疾患の処方薬確保を代替するものではない。一般用医薬品で対応できる範囲と、医療救護が必要な範囲を分ける必要がある。

「薬がある安心」と「受診が遅れる危険」は表裏一体

配置薬の利点は、夜間や災害時、近くに店がないときでも家庭内に市販薬があることだ。特に広い地域では、軽い切り傷、発熱、胃腸症状などへの初期対応がしやすい。

一方で、自宅に薬があることで受診が遅れる可能性もある。胸痛、強い呼吸困難、脳卒中が疑われる症状、高熱の持続などを市販薬で様子見すれば危険だ。

だから今回の協定で重要なのは、「置き薬を使うこと」を増やすより、適正使用と受診判断の情報を一緒に伝えることだ。市販薬を売る企業と自治体が連携する場合、販売促進と公衆衛生情報の境界も明確にする必要がある。

営業員が行政情報を届けるとき、個人情報はどう扱うか

見守りを実際に始めるなら、情報共有の設計が最重要になる。

たとえば営業員が「最近姿を見ない」「食事が取れていないようだ」「認知症が疑われる言動がある」と感じた場合、どの条件で誰へ連絡するのか。本人の同意が必要なのか。生命に危険がある場合の例外はどうするのか。情報をどこまで記録し、いつ削除するのか。

こうしたルールが曖昧だと、見守りが過剰な監視になったり、逆に営業員が責任を恐れて連絡できなくなったりする。

9月14日の発表は、具体的な連絡基準や個人情報の運用を示していない。実施段階では、西予市の既存の地域包括支援センター、民生委員、警察、消防、医療機関などの制度とどう接続するかを明示する必要がある。

人口減少地域では「ついでの接点」が公共資源になる

日本の地方で今後重要になるのは、単一目的の訪問を増やすことではなく、一度の訪問で複数の社会的機能をどう重ねるかだ。

郵便、宅配、新聞、電気・ガス検針、移動販売、薬の配置。こうした民間サービスは、採算が合う限り、行政より頻繁に住民の生活圏へ入ることがある。

その接点を、本人の同意と明確なルールの下で、防災情報、健診、詐欺防止、認知症見守り、地域相談へつなげられれば、新しい公共インフラになり得る。

一方、民間サービスが撤退すれば接点も消える。配置薬ネットワークを行政サービスの代替として依存しすぎれば、契約者だけが支援を受けやすくなる格差も生じる。

成果は「薬箱の数」では測れない

Japan.co.jpの分析では、協定の成果を見る指標は配置薬の新規契約数であってはならない。

地域連携として見るべき指標
  • 健診接続:訪問で受診勧奨を受け、実際に健診へ行った人がどれだけいるか
  • 見守り接続:異変の発見から地域包括支援センター等へ適切につながった件数と、その後の支援
  • 健康情報:単にチラシを配った枚数ではなく、行動変容につながったか
  • 災害対応:避難所や家庭で必要な一般用医薬品をどれだけ迅速に供給できたか
  • 公平性:配置薬契約者以外の住民にも、市の健康・防災情報が別経路で同等に届いているか

そして協定の費用対効果も必要だ。既存の営業活動へ情報提供を重ねるだけなら行政コストは小さい可能性がある。一方、研修、専用システム、情報共有、フォローアップを増やせば、誰がその費用を負担するかが問題になる。

300年前の商法が、高齢社会で別の意味を持つ

江戸時代の「先用後利」は、医療アクセスと現金の制約を超えるための仕組みだった。現代日本では、国民皆保険、薬局、ドラッグストア、救急医療がある。配置薬の社会的役割は同じではない。

それでも、人口減少と高齢化が進む西予市では、別の不足がある。人と人が定期的に会う機会だ。

富士薬品が西予市の約2,000軒を訪問していることは、それだけで医療網になるわけではない。しかし、すでにある訪問を使って、健診情報を手渡し、熱中症を注意し、災害時の薬箱を確認し、いつもと違う様子に気づくことはできるかもしれない。

9月14日の協定は、まだその「かもしれない」を具体化する前の段階だ。

地域医療の担い手不足を、薬売りに背負わせることはできない。行政の見守り責任を、民間営業員へ移すこともできない。だが、行政、医療、福祉だけで全ての家を頻繁に訪ねることが難しくなるなら、昔から家の玄関をくぐってきた民間の仕組みを、地域の健康を支える補助線として使う価値はある。

富山で生まれた「薬を先に置く」発想は、300年後の西予で、「情報と安心も先に置く」仕組みに変わるのか。答えは、協定書ではなく、これから一軒一軒の訪問で積み上がる。

出典・参考資料

  1. 富士薬品「愛媛県西予市と包括連携協定を締結」2026年9月14日
  2. 西予市「西予市健康づくり計画」
  3. 西予市「トップ画面」2026年8月末人口
  4. 西予市議会「議長あいさつ」人口・高齢化率、2026年5月19日
  5. 西予市「西予市への視察のお申込み」市域面積・地勢
  6. 富士薬品「配置薬販売事業」
  7. 厚生労働省「セルフケア・セルフメディケーション推進に関する有識者検討会」セルフメディケーションの定義
  8. 富士薬品「和歌山県海南市と包括連携協定を締結」2026年7月2日
  9. 西予市「西予市基本データ」
  10. 西予市「地域医療対策プラン」
  11. 西予市「第2次西予市健康づくり計画2025“元気だ!せいよ”」
  12. 西予市「健康づくり計画・食育推進計画の期間延長」2024年4月10日
  13. 西予市「令和8年度各種健診・がん検診」
  14. 富山県「富山県薬業史」
  15. 富山県「くすりの富山県」2026年版
  16. 富山県「先用後利の商法と全国展開」富山売薬の歴史資料
  17. 富士薬品「沿革」
  18. 富士薬品「会社概要」
  19. 厚生労働省「医薬品医療機器等法」配置販売業(第25条、第30条、第31条等)
  20. 厚生労働省「薬局並びに店舗販売業及び配置販売業の業務を行う体制を定める省令」
  21. 西予市「平成30年7月豪雨 西予市による対応の検討報告書」
  22. 西予市「地域防災計画 地震災害対策編」
  23. 西予市「災害時には医療救護所を設置します」
  24. 富士薬品「埼玉県ふじみ野市と包括連携協定を締結」災害時の配置薬活用

資料確認の基準日:2026年9月14日。9月14日の包括連携協定は、5分野の具体的事業内容を今後協議する枠組みであり、市内全域を対象とする見守りサービスの開始、訪問回数、通報基準、専用予算、成果指標は公表されていない。富士薬品の約2,000軒という数字は家庭と企業を含む既存利用先であり、市内全世帯を意味しない。配置薬営業員を医療・福祉専門職の代替とは扱っていない。歴史上の1690年の反魂丹逸話は、富山県が『起源として伝えられている』と説明する伝承として記載した。分析部分はJapan.co.jpによる。