最初の会話は、号砲かもしれない。日本の短距離選手が、韓国と中国の選手の隣でスターティングブロックへ足を置く。佐賀県のバスケットボール選手は、三つの言語が交じるベンチの声を聞く。ラグビーでは、名前も知らなかった相手の強さをタックルで知り、試合後に初めて言葉を交わす。

8月23日から29日まで、佐賀県で第34回日・韓・中ジュニア交流競技会が開かれる予定だ。日本、韓国、中国、佐賀県選手団には各247人、計988人が計画されている。競技は陸上、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ウエイトリフティング、ハンドボール、ソフトテニス、卓球、バドミントン、ラグビーフットボールの11種目である。

この数字には注意が必要だ。公式の988人は「選手団」の人数であり、全員が競技者という意味ではない。選手団には選手、指導者、審判・役員、本部スタッフなどが含まれる。競技者は主として高校生世代で、事業の基本規定では原則18歳以下。「約1000人の若いアスリート」という表現は規模感を伝えるが、正確には「選手・役員を含む計画上の選手団988人」である。

計画988人4選手団各247人。選手だけでなく指導者・役員などを含む
11競技陸上、球技、ラケット競技、重量挙げ、ラグビーまで
1993年福島県で最初の日・韓・中三か国大会を開催
延べ2万5664人スポーツ庁が示す2024年大会までの累計参加者

佐賀で何が行われるのか

7日間は競技だけの期間ではない。23日に韓国・中国の選手団が来県し、日本と佐賀県のサッカー、ラグビー関係者も集合する。24日にサッカーとラグビーが先行して競技を始め、午後6時からSAGAアリーナで開会式。25日は8競技、26日は陸上を除く10競技、27日は11競技すべてが行われる計画だ。同日夜のフレンドシップ交流は、国別・競技別に固まった集団をいったん崩し、人として接するための時間になる。

項目8月19日時点の公表計画必要な留保
日程2026年8月23~29日各競技の実施日は7日間より短い
参加選手団日本、韓国、中国、佐賀県佐賀県は開催地選抜であり「第4の国」ではない
計画人数各247人、合計988人選手と帯同者を含み、最終参加実績は変わり得る
年齢層主に18歳以下の高校生世代トップ選手年齢区分・選考方法は競技ごとに異なる
開会式8月24日午後6時、SAGAアリーナ開場は午後5時30分の予定。変更の可能性あり
事業日本スポーツ協会主催、スポーツ庁国庫補助事業友好交流であると同時に高水準の競技会

28日には日本・佐賀県の選手団が解散し、韓国・中国の選手団は視察研修へ向かう予定だ。三か国代表者会議と歓送夕食会を行い、29日に訪日選手団が出発する。競技日程の外側にある研修、会議、食事までが、この事業の一部である。

記事公開時点の状況:大会はまだ始まっていない。988人、日程、会場、ロスターは計画であり、実績ではない。日本ラグビーフットボール協会は8月19日、コンディション不良による2選手の不参加と1選手の追加招集を発表した。名簿の整然さより、ジュニア選手の健康を優先することが大会運営の前提である。

なぜ開催県が「第四の選手団」になるのか

この競技会には、ジュニア国際大会として珍しい仕組みがある。三か国代表に加わるのは日本の第二代表ではなく、開催地選抜だ。佐賀大会では、計画上の参加者の約4分の1を県選手団が占める。

そのため、開催の意味は施設提供だけではない。国代表に届かなかった地元選手にも、海外遠征をせず国際水準の同世代と戦う機会が生まれる。家族、指導者、後輩も近い場所で試合を見られる。建物を大会後も使う「ハードのレガシー」と、地元選手が新しい基準に触れる「競技のレガシー」が同じ場で試される。

各選手団247人という同数配分は、形式上の対等性を見える形にする。国の人口や経済規模、外交上の重みにかかわらず、競技場では同じルールへ入る。ただし、遠征負担、選考環境、強化予算まで同じになるわけではない。重要なのは、開催県を歓迎役だけにせず、競い、支え、学ぶ当事者にしたことである。

佐賀は会場と宿泊を用意するだけではない。同じ247人枠を持つ第四の選手団として、県の若者が競技と交流の責任を引き受ける。

二つの橋が一本になった歴史

2026年大会は「第34回」だが、制度の祖先はさらに古い。日本スポーツ協会の歴史資料によると、最初の橋は1968年から1976年まで東京とソウルで交互に開かれた日・韓高校交歓競技会だった。1977年以降は各競技団体間の交流へ引き継がれ、1981年、東京と神奈川で日・韓ジュニア交流競技会として再編。1992年まで続いた。

もう一本は日中間にあった。1982年、千葉県で第1回日・中ジュニア交流競技会が開かれ、その後は日本と中国が交互に開催し、1992年までに11回を数えた。日本は10年以上にわたり、韓国、中国との間に別々の青少年スポーツ回廊を維持していた。

二つの回廊を一本にする政治的条件が整ったのは1992年8月、韓国と中国が正式に国交を樹立した時だった。同年12月、日本体育協会、大韓体育会、中華全国体育総会の代表が東京で会議を開いた。日本側が従来の二国間交流を発展的に統合し、三か国持ち回りの大会を設けるよう提案し、合意した。

翌1993年8月25~30日、福島県で第1回日・韓・中ジュニア交流競技会が実現した。日本、韓国、中国、福島県の4選手団は計647人。当時の中国選手団は79人で、全競技に参加していなかった。今日の同数4選手団は最初から完成していたのではなく、交流を繰り返すなかで育った制度である。

1968年 東京とソウルで日・韓高校交歓競技会が始まる。

1981年 東京・神奈川で日・韓ジュニア交流競技会を開始。

1982年 千葉県で第1回日・中ジュニア交流競技会。

1992年8月 韓国と中国が国交を樹立。

1992年12月 三か国のスポーツ団体が東京で持ち回り大会に合意。

1993年 福島県で第1回三か国大会を開催。

2026年 佐賀県で第34回。佐賀での開催は初めて。

9競技から11競技へ――「交流」と「強化」の両立

最初の6大会は9競技だった。1999年の第7回広島大会でバレーボールが加わり10競技。2002年、「日中韓国民交流年」記念事業として開かれた第10回熊本大会でウエイトリフティングが加わり、現在の11競技になった。

時期競技数変化
1993~1998年9競技陸上、サッカー、テニス、バスケットボール、ハンドボール、ソフトテニス、卓球、バドミントン、ラグビー
1999年10競技第7回広島大会からバレーボールを追加
2002年以降11競技第10回熊本大会からウエイトリフティングを追加
2026年11競技三か国代表と開催県に各247人の同数枠

この大会は気軽な青少年祭ではない。日本選手団は国内大会で好成績を収めたトップ層を中心に編成される。ラグビーはU17日本代表であり、他競技も各中央競技団体が有力ジュニアを選ぶ。日本スポーツ協会は、過去の参加者からオリンピックや国際大会で活躍する選手が出たと説明するが、現行の大会ページには検証可能な卒業生名簿までは掲載されていない。

競技の真剣さは交流の妨げではない。礼儀だけで組まれた交流は儀式になりやすい。スポーツでは、双方が本気で勝とうとする「正直な対立」を共通ルールの中へ置く。疲労、接戦、判定、敗北の後にも相手を尊重できるか。激しい試合後の握手は、台本通りのあいさつより多くを伝えることがある。

公式記録に残る「失われた3大会」

継続は当然ではなかった。第28回は2020年8月に秋田県で行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染症の拡大で中止。2021年の韓国大会、2022年の中国大会も実施できなかった。大会番号は残り、公式史には3年分の空白が刻まれた。

2023年、和歌山県で第31回を開き、4年ぶりに再開した。2024年は韓国、2025年は中国・内モンゴル自治区、2026年は佐賀へつながる。再開したのは移動だけではない。通訳、共通ルール、選手保護、輸送、食事、宿泊、競技団体間の信頼という反復型交流の運営基盤が組み直された。

スポーツ庁によれば、2024年大会までの累計参加者は延べ2万5664人。2025年の実績は日本257人、韓国229人、中国256人、内モンゴル224人で計966人だった。長期的な価値は一枚の集合写真ではなく、三つのスポーツ制度が毎年連絡し、別の地域が開催を引き受ける「関係のインフラ」にある。

2020年秋田大会をコロナ禍で中止
2021年予定された韓国大会を中止
2022年予定された中国大会を中止
2023年和歌山大会で4年ぶりに再開
2024年韓国で開催。この大会までの累計参加者は延べ2万5664人
2025年内モンゴルで選手団966人が参加
2026年佐賀で選手団988人を計画

佐賀が3年前に開催を受けた理由

佐賀県が2026年大会を受け入れると発表したのは2023年。県は翌2024年に国民スポーツ大会と全国障害者スポーツ大会を控え、施設整備を進めていた。山口祥義知事は、日本スポーツ協会から打診を受け、国スポ・全障スポ後も施設を使えることから受諾したと説明した。単発の建設を、継続するスポーツ日程へ変える狙いだった。

中心はSAGAサンライズパークである。2023年に開業したSAGAアリーナは約8400席を持ち、開会式の会場になる。周辺にはSAGAスタジアム、水泳場、体育館、球技場が集まる。全競技が一カ所で完結するわけではなく、ソフトテニスは県立森林公園テニスコートなどで行われるが、多競技大会の拠点を近接させられる。

施設の背後にある政策がSAGAスポーツピラミッド(SSP)構想だ。2018年に基本方針を定め、人材育成、就職支援、練習環境の充実を柱に、スポーツを「する」「育てる」「観る」「支える」循環を県内へ広げようとしてきた。佐賀県選手団247人の参加は、この構想を測る実地試験になる。施設をトップ選手だけが通過するなら裾野は広がらない。地元選手、指導者、ボランティア、観客の機会として残るなら、2024年後のレガシーに実体が生まれる。

本物の「開催レガシー」を測る五つの視点
  • 競技機会:佐賀の選手が海外遠征費なしに国際水準の同世代と戦える。
  • 運営力:地元競技団体が多言語の日程、審判、選手支援を経験する。
  • 施設利用:2024年のために整備した施設が、単発の大型行事待ちにならない。
  • 育成経路:後輩が学校競技から県選抜、国代表へ至る現実的な道を見られる。
  • 事後検証:経済効果や参加増を事前に決めつけず、終了後に測る。

「おもてなし」は感情になる前に、物流である

地域のおもてなしは、自然に生まれる笑顔だけではない。11競技、約1000人の選手団を受け入れるには、輸送表、配宿、食事制限、通訳、競技用具、医療、暑熱対策、未成年者保護、急な変更を処理する連絡網が必要だ。

また、若者を象徴として使う前に、一人の選手として守らなければならない。名誉ある国際大会は、けがを抱えたまま出場する圧力や、慣れない言語で不調を言い出せない危険を生む。ラグビーの8月19日変更は失敗ではない。コンディションを理由に辞退し、追加招集できる仕組みこそ健全さの証拠である。

全体日程には食事、練習、監督・審判会議、フレンドシップ交流、視察研修、歓送会が組み込まれている。こうした「競技以外」が交流の成否を分ける。試合をして国別にホテルへ戻るだけなら、結果は残っても相手の生活や言葉は残りにくい。4選手団が四つの島のまま終わらないよう、混ざる時間を意図的につくる必要がある。

接触研究が示す可能性と、示さないこと

集団間接触の研究は、「会わせさえすれば理解が進む」という楽観論に警告を与える。異なる集団の接触は態度を改善し得るが、同じ会場に置くだけで保証されるわけではない。より良い条件として、場の中での対等性、共通目標、協力、制度的支援、関係をつくる時間が挙げられてきた。

佐賀大会には一部がある。4選手団の公表枠は同数で、三か国のスポーツ団体と開催地が制度的に支える。競技には共通ルールがある。一方、競争はそのまま協力ではなく、7日間で長期的変化を証明することもできない。フレンドシップ交流は機会をつくるが、偏見が減った、外交政策が変わると認定するものではない。

中国と米国のサッカー指導者を往来させた小規模交流の研究では、参加者の文化理解に前向きな変化が報告されたが、研究者は設計と評価の重要性も指摘した。佐賀への教訓は控えめである。人数だけでなく、国を越えて混ざったか、帰国後に連絡が続いたか、指導者が学びを実際に使ったかを尋ねることだ。

スポーツは政治を消さない。できるのは、政治が語る「隣国」の中に、匿名ではない人を少し増やすことだ。

外交的に難しい一週間に開かれる大会

大会は、三か国が定めた「2025-2026日中韓文化交流年」の期間中に開かれる。交流への政府間の意思を示す枠組みだが、関係が穏やかという意味ではない。佐賀大会の直前、8月15日に日本の閣僚らが靖国神社を参拝・奉納したことへ、中国と韓国が抗議した。両国は靖国神社を、日本の戦時侵略と歴史認識に結びつけて見ている。

若い選手に、歴史問題、安全保障、領土、貿易を解決する責任はない。笑顔の集合写真を「政府間に問題はない」証拠として使うのも公平ではない。バドミントンの一試合が、社会と国家が何世代も議論してきた問題を修復すると装うべきでもない。

それでも、この時期だから人的交流の制度が重要になる。政府間関係は首脳会談と抗議の間を揺れる。定期的な交流は別の層で接点を残す。この大会そのものも、1992年の韓中国交樹立という外交変化から生まれたが、三か国の競技団体、指導者、開催地域が毎年仕事を繰り返したから続いた。条約を交渉する外交ではなく、人間同士が互いを忘れないための小文字の外交である。

競技も交流も、本物でなければならない

この事業の中心には緊張関係がある。友好を優先しすぎて勝敗を軽くすれば、トップジュニアが集まる競技会としての価値を失う。メダルとスコアだけを追えば、相手国についてスカウティング情報以上のことを知らずに帰る。

競技会としての成功交流事業としての成功
公平な規則、適切な審判、挑戦しがいのある相手自国選手団の外で人と会えるだけの混合時間
名簿の完成や大会の体面より選手の健康を優先実際に会話できる通訳と交流プログラム
結果を正確に公表し、敗戦も育成の一部として扱う帰国後も接点が続いたかを見る事後調査
佐賀県選抜も国代表と同じ真剣さで扱う訪問者が会場だけでなく佐賀の地域と出会う
一大会から五輪選手になると短絡しない一大会で歴史・外交問題を解決したと短絡しない

二つは両立できる。苦しい試合は、相手を記憶する理由になる。食事や交流会は、「対戦相手」を人として読み直す時間になる。三つの国の制度が30年以上繰り返してきたこと自体、競技と交流の順序に一定の価値があると判断されてきた証しだ。

8月29日の後に、何が残るべきか

数えやすい成果は、試合結果、参加人数、宿泊数だ。難しい成果は、後で現れる。佐賀の選手が中国選手との試合で学んだ動きを練習へ戻す。韓国の指導者と日本の指導者が連絡を続ける。地元競技団体が次の国際大会をより安全に運営できる。国同士が緊張した時、かつて戦った相手の顔を思い出す。

どれも自動的には起こらない。だからこそ、後から尋ねる必要がある。2024年までの累計2万5664人は規模を示すが、効果そのものではない。長期事業なら、交流後の物語と変化を記録しつつ、多くの出会いが楽しい一週間で終わるだけかもしれないことも認めるべきだ。

フレンドシップ交流の翌朝、日本と佐賀県選手団が先に解散する。韓国・中国の選手は県内を視察し、三か国の役員が会議を開き、29日に最後のバスが出る。施設は再び静かになる。その時から佐賀の本当の試験が始まる。建物が使われ続けるか。連絡が生き続けるか。そして「日本」「韓国」「中国」「佐賀」という札を付けて到着した4集団が、少なくともいくつかの名前と顔を持って帰れるかである。

取材資料・出典

編集注:記事は2026年8月19日までの公開情報に基づき、大会開始前に執筆した。4選手団の計画人数には選手と帯同者が含まれるため、988人を「確定した選手数」または「最終参加者数」とは表現できない。日程、会場、ロスターは変更される可能性がある。歴史的参加者数は資料の集計期間を分けて記載し、2万5664人は2024年大会まで、2025年は別途実績を示した。スポーツを構造化された接触機会として論じるが、競技が自動的に偏見を減らし、政府の政策を変えるとはみなさない。大会は文化交流年の期間中に行われるが、同年の認定記念事業であるとは確認していない。為替表示は編集部提供値。