誰かが手を差し伸べた場面を見たとき、私たちは助けた人だけを評価しているだろうか。助けられた人についても、「周囲から信頼されているのだろう」と判断してはいないか。反対に、冷遇されている人を、その扱いだけを理由に遠ざけてはいないか。新しい数理研究は、この二つ目の評判更新を協力の仕組みへ組み込んだ。
神戸大学大学院人文学研究科のターン有加里ジェシカ講師、Interdisciplinary Transformation UniversityのChristian Hilbe教授、理化学研究所数理創造研究センター(iTHEMS)数理社会科学チームの村瀬洋介チームディレクターによる国際共同研究チームは、「二重評判更新」と呼ぶ仕組みを理論的に検討した。村瀬氏は、理研計算科学研究センター離散事象シミュレーション研究チームの上級研究員も兼務する。
論文は「Indirect reciprocity with dual private assessment」の題で、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)』に2026年8月28日付で掲載された。DOIは10.1073/pnas.2624656123。研究チームは数理解析とコンピュータシミュレーションを組み合わせ、理研のスーパーコンピュータ「富岳」で100万種類を超える社会規範を調べた。
「間接互恵性」は、第三者を経由する
研究の土台にあるのは「間接互恵性」である。Aさんが負担を引き受けてBさんを助ける。行動を知ったCさんはAさんを好意的に評価し、後でAさんへ協力する。AさんはBさん本人から直接返してもらうのではなく、評判を通じて第三者から協力を受ける。
この仕組みには、誰に協力するか、どの行動を良いとみなすかを決める社会規範が必要になる。協力的な人を助けた行為は良い。悪い評判の人への協力拒否は正当か。観察者は同じ行動を同じように評価するか。数理モデルは、こうした判断規則を明示して協力が長期的に残る条件を調べる。
初期の研究では、ある人への評判が集団内で一致していると仮定することが多かった。しかし、現実には情報の見落としや判断の誤りがあり、同じ人を「良い」と見る人と「悪い」と見る人が生まれる。評価が食い違うと、ある人には協力し、別の人には協力しないという行動の差が次の評判の差を生み、不一致が集団へ広がる。
従来は「した人」だけを見ていた
標準的なモデルには、協力するか拒むかを選ぶ「行為者」、その選択を受ける「被行為者」、場面を見る「観察者」がいる。従来は、相互作用の後に観察者が更新するのは主に行為者の評判だった。Bさんを助けたAさんをどう評価するか、という方向である。
二重評判更新では、同じ一場面から被行為者の評判も更新する。AさんがBさんを助けたなら、観察者はAさんの行動を評価すると同時に、Bさんがどのように扱われたかを材料にBさんへの評価も見直す。一度の観察から二人分の評判が動く。
研究チームが重点的に調べた規則を、論文はRecipient Image Scoring(RIS)と呼ぶ。協力を受けた被行為者を良いと評価し、協力を受けなかった被行為者を悪いと評価する単純な規則だ。本人の過去の行動を直接知っていなくても、他者からの扱いを観察情報として使う。
- 行為者が、被行為者へ協力するか拒むかを選ぶ。
- 観察者は、行為者の選択と相手の評判を基に行為者を評価する。
- 二重評判更新では、被行為者が協力されたかどうかも評価材料にする。
- RISでは、協力された被行為者を良い、協力されなかった被行為者を悪いと評価する。
- 各観察者が同じ直接観察を使うため、私的な評価の食い違いが縮まりやすくなる。
なぜ二つ目の更新で意見がそろうのか
鍵は、行為者の選択が被行為者についての情報も含むと解釈する点にある。ある人が助けられたなら、観察者は「助けた側が、その人を協力に値すると判断した」と推測できる。ゴシップで評判を交換したり、公的な名簿を参照したりしなくても、目の前の行動が他者の評価を伝える。
この情報は、観察者ごとにずれていた被行為者への評価を同じ方向へ動かす。被行為者の評判がそろえば、その人に協力するかどうかの判断もそろいやすい。行動がそろうと、行為者への評価も再びそろう。研究では、この循環が評判の同期を促し、集団内の協力率と進化的安定性を高めた。
「進化的安定性」は、規範が道徳的に正しいという意味ではない。協力的な規則を採る集団へ、別の行動戦略を持つ少数者が入っても、その戦略に置き換えられにくいかを表す数理上の性質だ。高い協力率と安定性はモデル内の結果であり、現実社会の幸福や公正を直接測ったものではない。
「富岳」で100万種類を超える規範を調べた
特定の一規則だけが偶然うまく働いたのかを確かめるため、研究チームは社会規範の広い組み合わせを調べた。理研が運用する「富岳」を用い、100万種類を超える規範について、協力率と進化的安定性を計算した。
神戸大学の公式発表によると、高い協力率と進化的安定性の両方を示した規範は61種類あり、その全てが何らかの二重評判更新を含んでいた。被行為者を評価する仕組みが、RISだけの特殊な成功ではなく、安定した協力を生む規範に共通する要素となり得ることを示す。
一方、この網羅性にも境界がある。「100万種類を超える」とは、研究者が定義したモデルの規則空間を調べたという意味で、現実社会に存在し得る全ての文化、制度、関係性を数え上げたわけではない。シミュレーションの広さと、現実への一般化は別の問題である。
| 論点 | 研究で示されたこと | まだ示されていないこと |
|---|---|---|
| 評判の不一致 | モデル内で二重更新が私的評価の同期を促した。 | 現実の職場、学校、地域でも同じ大きさの効果が出るか。 |
| 協力 | 高い協力率を維持しやすい規範が増えた。 | 実際の人間がRISに沿って判断し、協力するか。 |
| 安定性 | 異なる戦略の侵入に対する進化的安定性を数理的に評価した。 | 制度として長期運用した場合の公正、権利、心理的影響。 |
| 情報 | 直接観察できる相互作用だけで意見をそろえられる可能性を示した。 | 観察できない行為、虚偽情報、権力差がある場合の頑健性。 |
| 適用 | 間接互恵性を説明する理論的な仕組みを提示した。 | 社会信用制度や評価アルゴリズムとして安全に利用できるか。 |
協力を支える規則は、排斥も連鎖させる
二重評判更新には明るい面だけでなく、危うい面がある。協力されている人を良いと評価するなら、すでに人気のある人や支援を受けやすい人へ、さらに協力が集まる。評判がそろうこと自体は、評価が正しいことを保証しない。
逆方向では、本人が悪い行動をしていなくても、誰かから冷遇された事実だけで悪い評判を付けられ、別の人からも冷遇される可能性がある。最初の拒絶が次の拒絶を正当化し、排斥、いじめ、傍観者効果を強める循環になり得る。
研究チームは、この現実社会での作用を実証したとはしていない。神戸大学の日本語発表も、実社会で二重評判更新に似た現象を検討することを今後の課題に挙げる。誰が助けられたかを手がかりにする傾向が実際にどの程度あるのか、状況や文化でどう変わるのかは、人を対象にした別の研究が必要だ。
ゴシップや公的制度を不要にする研究ではない
評判の食い違いを抑える仕組みとして、これまでも他者の視点を推測すること、ゴシップによる情報交換、公的な評判制度などが研究されてきた。二重評判更新の特徴は、追加の情報交換をせず、観察した一つの相互作用から二人の評価を更新できる点にある。
だが、直接観察できる場面は限られる。助けなかった理由が資源不足、危険回避、過去の事情のどれなのかは、外から見ただけでは分からない。権力の強い人が誰かを冷遇したとき、その行動を無批判に評判へ写せば、偏見を同期させる。
研究の価値は、単純な観察規則だけでも協力の進化を支え得るという理論上の空白を埋めたことにある。実社会の制度設計へ進むなら、説明責任、異議申し立て、誤りの訂正、少数者の保護といった別の条件が要る。
従来モデル 相互作用の後、主に行為者の評判を更新。
二重評判更新 行為者と被行為者の評判を同時に更新。
数理解析 私的評価の同期と協力が生じる条件を検討。
「富岳」 100万種類を超える社会規範を網羅的に探索。
2026年8月28日 論文をPNASに掲載。
次の課題 人間が実際に同じ評判更新をするかを実証。
数理モデルが残した、二つの問い
この研究は、協力について一つの簡潔な答えを出した。人は、誰が善い行いをしたかだけでなく、誰が善く扱われたかも見る。その追加情報がばらばらな評判をそろえ、協力を安定させる可能性がある。
同時に、より厄介な問いも残した。周囲からの扱いを評判へ写すなら、最初の扱いを決める人が大きな力を持つ。尊敬が尊敬を呼ぶ一方、排斥も排斥を呼ぶ。協力を増やす仕組みと不公正を増幅する仕組みが、同じ数理構造の表裏になり得る。
今後必要なのは、モデルの成功をそのまま社会へ持ち込むことではない。人間がいつ他者の扱いを評判へ反映し、どのような情報や制度が誤った連鎖を止めるのかを測ることだ。二重評判更新は、協力の答えというより、社会が誰を信頼し、誰を遠ざけるのかを調べる新しい観察窓である。
- 神戸大学 — 評判に基づいた協力を支える仕組みを新たに発見(2026年8月25日)
- 理化学研究所 — 評判に基づいた協力を支える仕組みを新たに発見(2026年8月25日)
- 理化学研究所計算科学研究センター — 評判に基づいた協力を支える仕組みを新たに発見
- 理化学研究所数理創造研究センター — 村瀬洋介 公式プロフィール
- Tham, Hilbe and Murase — “Indirect reciprocity with dual private assessment,” PNAS
- 理化学研究所計算科学研究センター — 評判に基づく協力行動における意見同調の重要性(2024年11月27日)
本稿は2026年8月29日までに公開された日本語の一次・公式資料と原論文情報を確認した。研究者名、所属、役職、論文名、掲載誌、DOI、間接互恵性、二重評判更新、被行為者、進化的安定性、「富岳」などの表記は公式資料に基づく。日本語で公表されていない研究者発言を英語から再構成して引用していない。実社会への適用可能性、人間の判断傾向、制度としての安全性は確認されておらず、記事中の倫理的・制度的評価はJapan.co.jpによる論点整理である。
