大阪の東横堀川(ひがしよこぼりがわ)は、観光名所として「水都大阪」を代表する道頓堀川とは少し違う。川の上を阪神高速道路が覆い、両岸には高い護岸が続き、沿川の建物の多くは長い間、川に背を向けてきた。だからこそ大阪市が10月9日から11月8日まで実施する「東横堀川ING2026秋」は、単なる水辺イベントではない。高麗橋から農人橋周辺までの川沿いを使い、将来の利活用と維持管理に向けた設計上の課題を検証する社会実験である。[1] [2]

大阪市が目指すのは、イベントの日だけ人が集まる水辺ではなく、「暮らしに根差した水辺」だ。市の基本方針は、東横堀川を中之島と道頓堀を結ぶ約2.45キロのネットワークとして捉え、市民に開かれた空間、陸上・水上で使える場所、公民連携で「育てる」水辺を掲げる。2026年秋の実験は、その大きな構想を実際の椅子、階段、出入口、日陰、店舗、清掃、運営の単位まで落とし込む試験になる。[3] [4]

1585年豊臣秀吉が外堀として開削
2.45km東横堀川の河川延長
1967年阪神高速大阪環状線が川上空へ
10/9–11/8ING2026秋の実施期間

大阪で最も古い堀川は、城の外堀として始まった

東横堀川の歴史は、大坂城築城期までさかのぼる。大阪市の基本方針によると、豊臣秀吉が天正13年(1585年)、城の西側を守る外堀として開削した。当初は「新堀」と呼ばれ、後に西横堀川ができると、それに対して東横堀川と呼ばれるようになった。市は現在、大阪市内で最古の堀川と位置づけている。[4] [5]

ただの防御施設では終わらなかった。東側には上町の武家地、西側には船場や島之内の商家地が広がり、川は両者の境界であると同時に物流路になった。江戸時代には荷役用の「東横十二浜」が設けられ、茶船や上荷船が物資を運んだ。大阪の「天下の台所」としての繁栄を、堀川網と舟運が支えていた。[4]

本町橋もその歴史を残す。初代の橋は東横堀川の開削直後に架けられたと推定され、大坂の陣では周辺が戦いの場になった。江戸時代には幕府直轄の「公儀橋」となり、東詰には油問屋、西詰には木綿問屋や呉服・古着商が集まった。現在の橋は1913年完成の鋼アーチ橋で、大阪市は現役の道路橋として市内最古としている。[5] [6]

川を便利にした都市が、川を遠ざけた

東横堀川がまちから切り離されたのは、衰退という一語では説明できない。戦後、物流の主役が船から自動車へ移った。大阪市の資料によると、1967年に川筋が阪神高速道路大阪環状線のルートとなり、高架橋が水面の上を覆った。1977年には高潮・洪水対策として鋼矢板式の高い特殊堤が整備された。安全性と交通効率を高めた二つのインフラが、結果として人と水面の距離を広げた。[4]

市の基本方針は、この変化を率直に記す。高い護岸で川とまちは隔てられ、建物は川に背を向けるようになり、閉鎖的な空間になった。一方で、高速道路と建物に囲まれた「囲まれ感」は、暗さや閉鎖性という弱点だけでなく、落ち着きや親しみやすさを生む可能性もあると評価している。問題は、高架を消すことではなく、その下にどんな日常を戻せるかだ。[4]

東横堀川の再生は「昔の川へ戻す」計画ではない。高速道路も防災護岸も残る21世紀の都心で、川とまちをどう再接続するかという設計問題である。

2001年の水門が「近づける水辺」の条件を変えた

水辺を人に近づけるには、景観以前に治水がある。大阪市は2001年、東横堀川と道頓堀川の両端に水門を整備した。高潮防御に加えて、水門で囲まれた区間の水位を一定範囲に制御できるため、治水上必要な護岸高を従来より低く設定しやすくなった。水門には閘門もあり、上下流に水位差がある場合でも船が航行できる。[4] [10]

この技術的条件が、水際に降りる階段やテラス、船着き、低い目線から水を眺める空間を考える余地を広げた。ただし南海トラフ巨大地震への備えは続く。市は耐震護岸への改修を水辺再生の前提に置いており、「親水」と「治水」を別々の事業にはしていない。[4]

β本町橋が「川沿いで過ごす」を先に試した

水辺利用の機運を大きく変えた拠点の一つが、2021年8月に開業した「β本町橋(ベータほんまちばし)」だった。大阪市の基本方針は、公募された民間事業者が運営するこの施設を、水辺利活用への機運が高まった転機として挙げる。飲食、イベント、舟運、地域活動などを通じて、「河川管理施設のそば」だった場所に日常的な目的地をつくった。[4]

「東横堀川ING」という名前も、完成した公園名ではない。プロジェクトの説明では、市民、企業、行政の想いや活動=“ING”を積み重ね、空間的にも社会的にも水辺をひらき、東横堀川の再編を現在進行形で進めるという意味を持たせている。完成形を先に決めるより、使ってみて問題を見つけ、次の設計に反映する考え方である。[11]

社会実験は「人気イベント」だけを測っていない

2025年秋の社会実験は、その考え方を数字にした。大阪市の振り返り資料によると、リバーテラスデッキは5日間で188人が利用し、カフェテラスを今後も「日常的に」または「たまに」利用したいと答えた人は合計88%。水辺に近く景観との一体感があるテラス席については、「良い」「どちらかといえば良い」が計92%だった。[7]

一方、弱点も具体的だった。日中は日陰が少なく、テラスを使おうとして店内へ移る人がいた。利用者の23%が不満点として会場へのアクセスの悪さを挙げ、入口が狭く分かりにくいという声もあった。緑道には「雰囲気が暗い」「ゴミが捨てられている」、喫煙者が目立つといった不満も記録されている。市は、橋や橋詰からのアクセス増設、誘導の改善、暑さ対策などを次の課題に挙げた。[7]

2025年秋の社会実験で見えた主な結果
項目結果
リバーテラスデッキ利用5日間で188人
カフェテラスを今後も利用したい88%
水辺と一体感のあるテラスを肯定92%
アクセスの悪さを不満点に挙げた利用者23%

ここに社会実験の意味がある。「人が来たから成功」で終わらず、どの椅子が選ばれ、どこから入れず、どこが暑く、何が汚く見えるかまで拾う。公共空間を使う人の行動を、次の構造設計と運営ルールへ戻すためのデータ集めだ。

2026年春は、イベントから不動産まで試した

今年5月の「東横堀川ING2026春」では、β本町橋周辺を中心に、マルシェ「おおきな木の下で」、子どもの仕事体験を含む「こどもの学校」、沿川の物件を歩いて見て回る「川沿いリノベミーティング」などが行われた。大阪市は民間企業の参画可能性も検証項目に挙げていた。[8] [9]

これは重要な広がりである。水辺の公共空間を行政が整備しても、周辺建物が壁のままなら「川に開くまち」にはならない。店舗の出入口、テラス、低層階の用途、空き物件の改修、イベントの運営者、清掃の担い手まで変わって初めて、川辺の日常は続く。春の実験が不動産とリノベーションをテーマに入れたのは、川の再生を河川区域の中だけで完結させない発想といえる。

2026年秋は高麗橋から農人橋へ、検証範囲を広げる

10月のING2026秋は、高麗橋から農人橋周辺までを対象にする。大阪市の9月10日の発表は、さまざまなプログラムを通じて「水辺の魅力空間づくりのための課題検証」を行い、将来の利活用と維持管理に向けて設計上の課題を確かめるとしている。主催は東横堀川水辺プラットフォーム。[1] [2]

9月12日時点で大阪市の公開本文から確認できるのは、期間、区間、主催、社会実験としての目的であり、個別プログラムの詳細は市が案内するリーフレットに委ねられている。したがってJapan.co.jpは、春の内容を秋の予定として流用しない。今回の焦点は、秋に何の催しがあるかよりも、これまでの検証を受けて空間の設計と持続的な管理のどこを改善できるかに置く。

「使える水辺」をつくるのは、椅子より運営

水辺を魅力的にする写真では、椅子、植栽、照明、階段が目立つ。しかし、それを毎日使える公共空間にするには、誰が鍵を開け、誰が掃除し、誰が壊れた設備を直し、イベント以外の日に誰が見守るかを決めなければならない。店舗がテラスを使う場合の占用、河川管理上の安全、夜間の騒音、ゴミ、喫煙、舟運との共存もある。

大阪市が「維持管理」を社会実験の目的に明記しているのは、このためだ。東横堀川は完成した観光施設ではなく、一級河川であり、防災インフラであり、沿川住民の生活環境でもある。使いやすさを上げるほど、管理の責任は増える。

秋の社会実験で注目したい5点
  • 高麗橋~農人橋の各区間で、川辺への入口が分かりやすくなるか。
  • 高速道路下の暗さと、日中の日陰不足という相反する環境をどう扱うか。
  • 飲食・休憩・遊び・舟運が同じ空間で衝突せず共存できるか。
  • 沿川店舗や民間事業者が、イベント後も維持管理に参加できる仕組みになるか。
  • 耐震護岸の整備と、低い目線で水に近づける空間づくりをどう両立するか。

道頓堀ではなく「暮らしの川」だからできること

東横堀川は道頓堀川のような大規模観光集客を目指す必要はない。大阪市自身が、この川の個性として、住宅と商業建物が混在する「生活の場」を挙げている。中之島と道頓堀の間にありながら、観光拠点に挟まれた日常の水辺であることが強みになる。[3]

朝に犬を散歩させる人、昼に弁当を食べる会社員、夕方に子どもと立ち寄る家族、川沿いの店、船で通る人。そのすべてが少しずつ共存するなら、「水都大阪」は大きなイベントの名称ではなく生活の習慣になる。

1585年、東横堀川は城とまちを分ける堀としてつくられた。20世紀には高速道路と防災護岸によって、再び川とまちの間に境界が生まれた。2026年の社会実験が試しているのは、その境界を完全になくすことではない。安全を保ったまま、扉、階段、椅子、店、活動を一つずつ増やし、人が川へ向く理由をつくり直せるかである。