安倍晴明の世界を映像で見せるだけなら、現代の劇場は簡単にできる。難しいのは、その世界を「聴かせる」ことだ。

東京・高輪の文化施設MoN Takanawa: The Museum of Narrativesは2026年11月27、28日、岡野玲子の漫画『陰陽師』を雅楽、電子音楽、映像、空間演出で再構築する公演「漫画『陰陽師』を聴く―天地をむすぶ雅楽の宇宙―」をBox1000で開催する。岡野自身が監修・出演し、雅楽演奏団体伶楽舎(れいがくしゃ)、音楽家橋本一子(はしもと・いちこ)が出演。演出はBruce Ikeda、イマーシブオーディオ技術協力はヤマハサウンドシステムが担う。

会期に注意: Japan.co.jp October 8 editionの時点では公演はまだ開催前。11月27日18時30分、28日14時の2公演で、上演時間は約140分予定。岡野玲子の漫画『陰陽師』そのものを歴史資料として扱うのではなく、史実の陰陽道・雅楽と、作品内の創作世界を区別して本稿は記述する。

漫画の『陰陽師』は、夢枕獏の小説から始まった

岡野玲子版『陰陽師』の原作は夢枕獏の小説シリーズ。漫画は1993年に発表され、単行本全13巻として白泉社から刊行された。安倍晴明と源博雅を中心に、平安京の目に見える世界と見えない世界が交差する物語を描く。2001年に第5回手塚治虫文化賞マンガ大賞、2006年に第37回星雲賞コミック部門を受賞した。

重要なのは、岡野版が単に「妖怪退治」の物語ではないことだ。公演主催者は、晴明と博雅が感じる平安時代の美意識や宇宙観を公演の核に置く。岡野自身も今回のコメントで、漫画を「陰陽道」と「雅楽」に通じた二人が、見える世界と見えない世界の心のすれ違いや悲運を、歌舞、音楽、言祝ぎによって結び、魂鎮める物語だったと振り返っている。

安倍晴明は実在した。しかし「伝説の晴明」は後世に作られた

安倍晴明(あべのせいめい)は実在の平安時代の陰陽師だった。国立歴史民俗博物館は、陰陽道が古代に成立し、中世・近世へ役割を広げながら展開したと説明する。陰陽師は陰陽寮に出仕し、暦、占い、祭祀などを担い、貴族や武家の私的な儀礼にも関わった。

一方、「母が狐だった」「烏の声の意味を理解した」といった超自然的な晴明像は後世の説話によって膨らんだものだ。歴博は、実在人物の事績が安倍家の祖先としてクローズアップされ、陰陽道の広がりとともに晴明が象徴的存在へ変化したとする。

岡野の漫画が面白いのは、その史実と伝承の間に入る。史料の晴明を再現する歴史漫画ではないが、平安の制度、時間、方位、儀礼、音、身体感覚を使って、「人は世界をどう意味づけていたか」を物語化している。

1993年岡野玲子の漫画『陰陽師』発表
全13巻白泉社刊の本編
1985年芝祐靖が伶楽舎を創立
2000年アルバム『music for 陰陽師』発売

もう一人の主人公・源博雅と「音」

漫画で晴明と対をなすのが源博雅(みなもとのひろまさ)だ。主催者は博雅を後世に「雅楽の神様」と称された王子として紹介し、笛の名手として描かれる人物像を今回の音楽構成へつなげる。

ここでも、史実と文学的造形は分けて考える必要がある。平安期の宮廷音楽家として語られる博雅像には説話的要素が重なっている。今回の公演が再現しようとするのは、「10世紀の博雅が実際にこの順番で聴いたコンサート」ではない。漫画を入口に、現存する雅楽曲、復曲された曲、現代音楽を組み合わせて、岡野作品が想像する平安の音響宇宙を現代の劇場へ立ち上げる試みだ。

雅楽は「日本古来」だけではない

宮内庁によると、日本には神楽歌、倭舞、久米舞などの在来の歌舞があった一方、5世紀頃から中国大陸や朝鮮半島などから音楽と舞が伝来した。それらが融合し、雅楽はおおむね10世紀に完成したとされる。

雅楽には、日本固有の国風歌舞(くにぶりのうたまい)、大陸系の唐楽(とうがく)、朝鮮半島系の高麗楽(こまがく)、それらの影響を受け平安時代に生まれた催馬楽(さいばら)、朗詠(ろうえい)がある。演奏形式は、器楽中心の管絃(かんげん)、舞を伴う舞楽(ぶがく)、声楽中心の歌謡に分けられる。

1955年には宮内庁楽部の雅楽が重要無形文化財に指定され、2009年にはユネスコの無形文化遺産代表一覧表へ記載された。つまり『陰陽師』が借りる「古代の音」は、博物館的に保存されただけではなく、いまも演奏技法が継承される生きた芸能である。

この公演の面白さは、現代の漫画に雅楽を“付ける”ことではない。千年前から続く音楽を通じて、漫画のコマの中にすでに描かれていた「時間」「方位」「季節」「見えないもの」を耳から読み直すことにある。

伶楽舎は「古典を保存するだけ」の団体ではない

雅楽を演奏する伶楽舎は1985年、宮内庁楽部出身の芝祐靖(しば・すけやす)によって創立された。古典曲の演奏だけでなく、失われた曲の復曲、正倉院楽器の復元演奏、現代作曲家への委嘱を続けてきた。現在の音楽監督は宮田まゆみ。

創立の背景には、武満徹の雅楽作品《秋庭歌一具》をよりよく演奏したいという芝の意志があった。伶楽舎は古典と現代を二分せず、古楽器を現代の創作へ開く活動を40年以上続けている。

だから、漫画、電子音楽、映像と雅楽を組み合わせる今回の企画は、伝統から逸脱した突然の試みではない。伶楽舎自身の歴史が、古典の演奏と現代表現の往復でできている。

2000年の『music for 陰陽師』が土台にある

今回の公演には前史がある。2000年に発売されたCDアルバム『music for 陰陽師』では、岡野玲子自身がプロデュースと和琴演奏を担当し、芝祐靖率いる伶楽舎の雅楽と、ブライアン・イーノのアンビエント音楽が漫画世界を彩った。

26年後の公演は、その関係を劇場空間へ拡張する。伶楽舎の雅楽に加え、橋本一子がキーボードによるアンビエント音楽と新曲《雲珠(うず)》を演奏。漫画の場面や平安京を想起させる映像を、Box1000の音響・空間へ配置する。

プログラムは「雰囲気雅楽」ではない

公開された演目は具体的だ。双調調子、春庭花、黄鐘調調子、拾翠楽、琵琶秘曲「楊真操」、舞楽「陵王一具」、平調調子、和琴独奏「菅掻」、催馬楽「飛鳥井」、盤渉調調子、蘇合香 序一帖、舞楽「青海波」、太食調調子、長慶子、朗詠「二星」、そして橋本一子作曲《雲珠》。

「陵王一具」の囀(さえずり)や催馬楽「飛鳥井」などには芝祐靖による復元・復曲が含まれる。古典曲、歴史資料から再構成した音、現代作曲を同じ公演へ置くことで、千年前の「本物の音」をそのまま再現したと装うのではなく、伝承と復元と創作を重ねる構成になっている。

要素内容
公演漫画『陰陽師』を聴く―天地をむすぶ雅楽の宇宙―
日程2026年11月27日 18:30/11月28日 14:00
会場MoN Takanawa Box1000、東京都港区三田3丁目16-1
監修・出演岡野玲子
演出Bruce Ikeda
出演伶楽舎、橋本一子、岡野玲子
音響協力ヤマハサウンドシステム株式会社
予定時間約140分

笙・篳篥・龍笛――音の役割まで知る

雅楽の管絃では、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)という三つの管楽器が中心になる。笙は複数の音を重ねる持続的な響きを作り、篳篥は強い旋律線を担い、龍笛は広い音域を動く。琵琶と楽箏、鞨鼓・太鼓・鉦鼓が加わる。

今回、先着50人限定の「雅楽器体験付きチケット」では、笙、篳篥、龍笛、鞨鼓、楽太鼓、鉦鼓に実際に触れる約40分の体験が設定されている。文化体験としては小規模だが、音を「古いBGM」として消費するのではなく、息、指、打撃で作られる物理的な音として理解させる設計だ。

「青海波」は『源氏物語』にも響く

演目の一つ「青海波(せいがいは)」は、現代の観客にも文学を通じて知られる舞楽だ。『源氏物語』「紅葉賀」では、光源氏と頭中将が青海波を舞う場面が描かれ、美貌と舞が宮廷社会の視線を集める。

今回の『陰陽師』公演で青海波が置かれることは、平安文化を「陰陽術」だけへ狭めない。雅楽、季節、衣装、身体、詩歌、宮廷儀礼が同じ世界観の中にあったことを、漫画の物語と音楽の双方から示せる。

陰陽道は「魔法」だけではなかった

現代のフィクションでは陰陽師は呪術師として描かれやすい。しかし国立歴史民俗博物館の研究展示が示すように、歴史上の陰陽師は暦の作成、天体観測、占い、祭祀、方位の吉凶など、国家と貴族社会の時間・空間管理に関わった専門家でもあった。

平安貴族にとって、日取りや方位は抽象的な迷信ではなく、移動や儀礼、生活判断へ影響する制度的知識だった。岡野作品の「宇宙観」を読むときも、妖異の物語だけではなく、時間と空間に意味を与える知識体系として陰陽道を見る必要がある。

イマーシブ音響は、古代を「再現」するものではない

Box1000ではヤマハサウンドシステムがイマーシブオーディオ技術協力を行う。現代の空間音響技術を使えば、音の位置や広がりを設計し、観客を包み込むことができる。

しかし、10世紀の平安京の音響環境を科学的に復元する公演ではない。建築、聴衆配置、楽器、演奏慣行、都市の環境音について完全な記録が残っているわけではないからだ。主催者自身も「音楽・映像・空間演出によって再構築」と表現している。

だから評価すべきなのは「本物の平安時代を聞けるか」ではなく、古典雅楽、復曲、漫画、アンビエント音楽、最新音響をどう組み合わせれば、現代の聴衆が別の時間感覚へ入れるのかという演出の方法だ。

公演で注目したい点
  • 漫画のどの場面がどの雅楽曲と結び付けられるか
  • 伶楽舎の古典演奏と橋本一子の電子音楽の境界
  • 芝祐靖が復元・復曲した音楽が物語の中でどう扱われるか
  • 岡野玲子自身のトークと和琴がどこまで公演の軸になるか
  • イマーシブ音響が生演奏の空間性を強めるか、それとも演出過多になるか
  • 平安史の事実と漫画独自の宇宙観を、公演がどう区別しながら接続するか

漫画が古典へ戻る、珍しい循環

通常、古典芸能を現代化するときは、古い作品を漫画やアニメへ置き換える方向を想像しやすい。今回の『陰陽師』は逆だ。現代漫画が、物語の奥にあった古典音楽へ戻っていく。

夢枕獏の小説から岡野玲子の漫画へ。漫画から2000年の音楽アルバムへ。そして26年後、雅楽、和琴、電子音楽、映像、空間音響を伴うライブへ。メディアを移るたびに『陰陽師』は「平安時代」を別の感覚で作り直してきた。

安倍晴明が実際に何を聴いたのかを、この公演が証明するわけではない。むしろ面白いのは、現代人が千年前の世界を想像するとき、何を「聞こえるようにする」のかだ。漫画のコマから音を取り出し、古典の響きへ戻す。その往復運動こそ、この企画のいちばん現代的な部分かもしれない。

出典・参考資料

  1. MoN Takanawa「漫画『陰陽師』を聴く―天地をむすぶ雅楽の宇宙―」公式公演ページ。
  2. 一般財団法人JR東日本文化創造財団「漫画『陰陽師』を聴く―天地をむすぶ雅楽の宇宙― 開催決定」2026年10月2日。
  3. 伶楽舎「漫画『陰陽師』を聴く―天地をむすぶ雅楽の宇宙―」—演目、出演者、雅楽器体験。
  4. 岡野玲子公式サイト「漫画『陰陽師』を聴く」—詳細演目。
  5. 白泉社「陰陽師 1」—岡野玲子/原作 夢枕獏、作品情報。
  6. 岡野玲子公式サイト「BOOK / E-BOOK」—『陰陽師』全13巻、『陰陽師 玉手匣』全7巻。
  7. 宮内庁「雅楽」—歴史、分類、楽器、重要無形文化財・ユネスコ登録。
  8. 国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か―うらない、まじない、こよみをつくる―」—安倍晴明の実像と説話化。
  9. 伶楽舎「伶楽舎について」—1985年創立、芝祐靖、古典・復曲・現代作品。
  10. 岡野玲子関連公式情報—公演監修、2026年11月27・28日開催。

取材・確認期限:2026年10月6日午後1時21分(日本時間)。公演は11月開催前のため、漫画の具体的な使用場面、映像構成、各曲の演奏順・編成、イマーシブ音響の詳細なスピーカー配置、当日の追加・変更演出は最終確認できない。また、歴史上の安倍晴明・源博雅が今回の演目を同一の公演形式で聴いたことを示す史料はなく、本公演は史実の音響再現ではなく現代的再構築として扱った。