5ラインインド市場向けに本格稼働
約120人2026年11月時点の従業員数
10倍2028年までの生産能力拡大目標
17%WHO推計・30~79歳高血圧患者の管理率
「10倍」は2028年までの生産能力の目標。WHOの2億1020万人は30~79歳の推計で、オムロンの「約3億人」とは定義をそろえた比較ができない。

チェンナイ郊外で動き出した「毎日の測定」を支える工場

インド南部タミルナドゥ州。チェンナイ市の北方に位置する工業団地で、家庭用の上腕式血圧計を組み立てる生産ラインが本格稼働した。オムロン ヘルスケア株式会社(京都府向日市、代表取締役社長・岡田 歩)が10月30日に発表したのは、オムロングループとしてインド初の生産拠点である。新工場では国内販売に向けた製品を量産し、同日に報道関係者へ製造現場を初公開した。

出来事の中心は、工場を一つ増やしたことだけではない。高血圧は自覚症状に乏しく、健康診断の一度の数値だけでは日常の変動を捉えきれない。家庭で測定できる機器を、必要とする地域で安定供給できるか。京都で育った計測技術をインドの医療環境へどう根づかせるか。今回の立ち上げは、製造業と公衆衛生の接点を試す動きである。

5本の生産ライン、約2万4千平方メートル

操業を担うのは「OMRON HEALTHCARE MANUFACTURING INDIA Pvt. Ltd.」。会社の設立は2022年7月、血圧計の量産開始は2026年10月だ。発表によると敷地面積は約2万4千平方メートル、従業員は同年11月時点で約120人、資本金は19億インドルピー。所在地はチェンナイ中心部そのものではなく、ティルヴァッルール県ポンネリ周辺の「ORIGINS Mahindra World City」内と説明されている。

5本の生産ラインで製造するのは、初めて測る人にも使いやすい「HEM-7090」、血圧値の変化を知らせる機能を備えた「HEM-7181」、Bluetooth通信で健康管理アプリ「OMRON Connect」に記録できる「HEM-7183T」の各シリーズだ。手首式ではなく上腕式が中心で、価格や操作性、記録の方法を複数の製品で選べるようにしている。発表資料は個々の販売価格、工場の現時点での年間生産台数を明らかにしていない。

「2028年に10倍」の意味を取り違えない

会社が示した次の目標は、2028年までにインド工場の生産能力を現在の10倍に拡大することだ。これは2年後に実現したと確定した数値ではなく、将来計画である。現行の年間生産量も公表していないため、10倍を具体的な年産台数に置き換えることはできない。

中長期的にはインド国内向けだけでなく、海外市場への供給拠点に育てる構想を掲げる。また、喘息などの呼吸器疾患の治療に用いるネブライザの生産へ広げる計画も示した。新しい工程を動かすには製造設備だけでなく、部品の現地調達、技能者の教育、測定精度の管理、品質記録の整備が必要になる。

3億人という発表値と、WHOの2億1020万人

オムロンの日本語発表はインドの高血圧患者を「約3億人」と記す。一方、世界保健機関(WHO)の「Global report on hypertension 2025」国別資料は、2024年の30~79歳人口に限った推計を2億1020万人としている。WHOはこの年齢層で高血圧の有病率を30%と見積もり、そのうち血圧を管理できている人は17%、約3630万人にとどまるとする。

両者は対象年齢や推計方法が同一であると確認できない。したがって「3億人のうち17%」と掛け合わせるのは誤りである。WHOの同じ定義の範囲では、約1億7390万人が管理できていないと推定される。数字が示しているのは、機器需要の単純な大きさというより、発見、診療、継続治療という長い過程の難しさだ。

家庭で測れることと、病気を治せることは違う

血圧計は診断や治療を単独で完結させる装置ではない。家庭血圧は日々の傾向を把握し、医療機関での判断に役立つ可能性があるが、適切なサイズのカフ、正しい姿勢、複数回の記録などが重要となる。測定した値だけで薬の増減を自己判断するべきではない。機器の普及に加えて、相談先、診療への紹介、薬剤の継続供給までつながる仕組みが必要だ。

インド政府は非感染性疾患対策の一環として、高血圧・糖尿病患者への標準的な診療の拡大を掲げてきた。保健省の研修資料によれば、2023年に始まった「75 by 25」構想は2025年までに7500万人を標準的なケアにつなぐことを目標としていた。政策目標の存在は成果の達成を意味しない。血圧計メーカーが担える仕事と、公的医療制度が担う役割は区別して考える必要がある。

創業者・立石一真の発想は「計測」の先にあった

オムロンの歴史は1933年、大阪で立石一真(たていし・かずま)が立石電機製作所を始めたことにさかのぼる。最初期の事業にはレントゲン撮影用タイマなど、正確な時間を制御する機器があった。戦後は京都へ移り、リレー、近接スイッチ、自動制御へ技術領域を広げた。現在の「オムロン」という社名は、京都の御室(おむろ)に由来し、1990年に正式な社名となった。

人の健康を測る機器との接点も偶然ではない。中央研究所を設けた1960年代、オムロンは制御工学の知識を健康管理へ応用する「健康工学」の発想を追求した。工場で温度や動作を正確に制御する技術から、家庭で血圧の変化を読み取る技術へ。両者を同じものとするのは無理があるが、測定値を社会で役立てるという考え方はつながっている。

1973年の1号機から4億台まで

家庭での血圧測定が一般的でなかった1973年、オムロンは初号機となるマノメータ式の血圧計を発売した。1970年代末から80年代にかけて電子化や自動化が進み、1991年にはファジィ制御を取り入れた機種が登場した。より少ない操作で安定して測れるようにする進化は、医療者だけでなく一般家庭で使う道具としての条件を整えた。

販売規模も変わった。2009年に世界累計1億台、2016年に2億台、2021年に3億台、2025年9月には4億台を超えたと会社は発表している。累計は1973年以降の販売台数の総数であり、現在稼働している機器や使用者の人数、医療効果の実績を表すものではない。この半世紀の普及史を踏まえると、インドの新工場は次の数億台のための生産拠点という位置づけになる。

三重・松阪とベトナムで磨いた工程を移す

インド工場の品質管理には、三重県の松阪工場とベトナム工場で蓄積した生産技術を導入するという。測定器では、同じ型式でも製造ロットごとの差が大きければ信頼は生まれない。部品の品質確認、組立工程の標準化、出荷試験、現場作業者の訓練など、目立たない作業の再現性が重要になる。

現地生産には、輸送や在庫の面で利点が生まれる可能性がある一方、医療機器の品質を守り続ける費用もかかる。オムロンは「Make in India」への貢献を掲げ、現地部材の活用を進める方針だ。ただし現時点の現地調達率、部品ごとの調達先、輸入品との価格差、設備投資の回収計画は公表資料から判断できない。

インド市場での16年間が、新工場の土台になった

オムロン ヘルスケアがインドのヘルスケア事業を開始したのは2010年である。今回が初めての進出ではない。会社は家庭血圧を測る重要性を伝える啓発活動や、インド高血圧学会との連携を続け、現地の家庭血圧測定ガイドライン策定にも参加したと説明する。販売と啓発を先行させ、生産機能を後から設ける形になった。

計測器だけでは十分でないことは、同社の他地域での取り組みにも表れる。血圧の記録をアプリで管理し、医療者の判断につなげるサービスや、心房細動の兆候を捉える機器の開発にも取り組んできた。もっとも、インド工場から出荷する製品がすべて遠隔診療につながるわけではなく、通信機能のない標準モデルもある。利用者の環境に合わせた選択肢の多さが肝心となる。

「作れる」と「買える」の間にある距離

国内生産を始めたことが、ただちに全世帯へ機器を届けたことにはならない。小売価格、都市部と農村部の販売網、使用者の負担能力、電池や保守、故障時の対応、操作説明の言語など、購入後まで続く課題がある。安価なモデルを供給できても、誤った測り方が広がれば、医療につながる情報の質は高まらない。

オムロンはインドで家庭血圧測定の普及率が5%未満だと説明しているが、その数値の調査対象、時点、家庭の定義を示す一次資料は今回確認できなかった。記事では企業側の説明として扱う。医療への到達度の評価には、機器の販売台数だけでなく、診断や治療、長期的な血圧管理の変化を追う必要がある。

日本企業のインド生産をどう評価するか

製造業の視点からみれば、これは生産国を増やすだけの話ではない。現地市場に近い場所で、医療機器に求められる品質を保ちながら、調達や人材育成を組み立てる試みだ。会社が掲げる能力10倍化の目標が実現すれば、インドは一つの販売先から、国際供給網の一角へ変わる可能性がある。ただし輸出量も具体的な売上高も現段階で公表されていない。

公衆衛生の視点からみれば、成否を分けるのはモノの生産量と、健康状態の改善を混同しないことだ。家庭で測定し、適切な治療につなげ、血圧を管理できる人が増えたか。会社の製造実績とは別の指標を持って、長期的に確認する必要がある。

一台の血圧計が生活の一部になるまで

チェンナイ近郊で組み立てられる血圧計は、箱に入って出荷された段階では、まだ工業製品にすぎない。家庭の机に置かれ、毎日同じ時間に測る習慣が生まれ、その記録が医療者との対話に使われて初めて、健康管理の道具になる。京都で育った企業がインドで試しているのは、その入り口を広げる製造体制だ。

これから追うべき数字は明快である。2028年の生産能力、製品価格と現地調達率、輸出の有無、測定機器の利用継続、そして医療との接点。新しい工場の話を「医療の改善」として書くには、まだ足りない証拠がある。だからこそ、新工場の稼働を完成した成功談ではなく、始まったばかりの検証として見つめたい。

出典・調査方法

オムロン ヘルスケアの2026年10月30日付日英発表、同社およびオムロンの沿革、WHO国別統計、インド政府の公表資料に基づく文書取材。工場への現地訪問、関係者への独自インタビュー、製品検証は行っていない。未公表の生産台数や価格は推定しない。

  1. オムロン ヘルスケア「オムロングループ初のインド生産拠点で血圧計生産ラインが本格稼働」(2026年10月30日)
  2. オムロン ヘルスケア 英文発表「OMRON Healthcare Begins Full-Scale Production at First Factory in India」
  3. 世界保健機関「Global report on hypertension 2025」国別概況・インド、171頁
  4. オムロン株式会社「沿革」
  5. オムロン株式会社「オムロンのいわれ」
  6. オムロン ヘルスケア「血圧計の世界累計販売台数が4億台を突破」(2025年10月2日)
  7. オムロン ヘルスケア「家庭血圧計の歴史」
  8. オムロン ヘルスケア「循環器事業」
  9. インド保健家族福祉省・National Health Mission、非感染性疾患対策の医師向け研修資料
  10. オムロン ヘルスケア「History of Product Development」
  11. オムロン「Our Journey of Value Creation」(統合報告書2025)