取材時点: 本稿は2026年9月5日の準決勝終了後、同日午後11時59分(日本時間)までに確認できた公式記録を基にした「決勝進出」の記事である。西濃運輸との決勝は9月6日午後2時に予定されていたが、試合結果は本稿の取材対象に含めない。公開日との時間差があるため、決勝の勝敗は日本野球連盟の公式記録で確認されたい。

四回表、2―2、2死一塁。NTT西日本の9番・吉川育真(よしかわ・いくま)が放った打球は、左中間スタンドへ届いた。第1打席は見逃し三振。一回の二塁守備では失点につながる失策。それでも、次の打席で試合を動かした。

9月5日夜、東京ドームで行われた第97回都市対抗野球大会の準決勝。大阪市代表のNTT西日本は、横浜市代表の三菱重工Eastを5―2で破った。現在の名称になってから初めて、系譜をたどれば電電近畿が優勝した1965年以来61年ぶりとなる決勝進出だった。

決勝点は吉川の2点本塁打だったが、勝利の形を完成させたのは濵﨑浩大(はまさき・こうだい)だった。36歳、入社15年目の右腕は9回125球、被安打4、5奪三振、無四球、1死球。2失点のうち自責点は1で、三菱重工Eastに二回以降の得点を許さなかった。

5―2準決勝、三菱重工East戦
125球濵﨑が4安打2失点で完投
61年電電近畿の1965年以来
4連勝大阪市代表の本大会勝ち上がり

先制、失策、同点――一回に詰まった揺れ

NTT西日本は一回から仕掛けた。2者連続の死球のあと、4番・水島滉陽(みずしま・こうよう)の内野安打で1死満塁。ミキハウスからの補強選手、田中秀政(たなか・ひでまさ)が初球を左前へ運び、2人を迎え入れた。

都市対抗らしい先制だった。田中はNTT西日本の社員選手ではない。地区予選で敗れたチームから、本大会出場チームが最大3人を加えられる補強選手制度によって、大阪市代表の一員になった。2026年大会では32チーム中30チームが計86人を補強した。企業の境界を越えて「都市として最強のチーム」を編成する制度は、プロ野球にはない。

しかし、2点のリードは一回裏に消えた。三菱重工Eastが連打と吉川の失策を絡めて同点にした。短期決戦なら、守備の一つの乱れがそのまま試合を傾けても不思議ではない。濵﨑はそこで崩れず、二回以降を無失点に抑えた。守備陣も二つの併殺で支えた。

四回、吉川の一打がその失策の意味を書き換えた。七回には1死二塁から串畑勇誠(くしはた・ゆうせい)が適時二塁打を放ち、5点目。NTT西日本の7安打は大量ではないが、先制、勝ち越し、追加点という三つの局面で得点へつながった。

失策を消すことはできない。だが、その後の一打と九つの守備機会が、失策を試合の結末ではなく途中経過に変えた。

36歳の完投が持つ重さ

濵﨑は北海道栄高校、東日本国際大学を経てNTT西日本へ入った右投手で、背番号20。会社の公式選手紹介と大会記録が示すのは、プロ契約とは別の時間を歩んできた社会人選手の蓄積だ。日々の所属はNTT西日本総務人事部。競技の看板を背負うと同時に、企業の一員でもある。

準決勝の投球内容は制球に表れた。30打者に対し四球はゼロ。初回の2失点後、相手に大きな回を作らせなかった。二回から九回まで許した安打は2本で、最後の六つのアウトも自ら取り切った。大会終盤、翌日に決勝を控える日程で救援投手を使わずに済んだ価値も小さくない。

ただし完投は、一人の英雄譚だけでは説明できない。二つの併殺、捕手・辻本勇樹(つじもと・ゆうき)の配球、初回以降に立て直した内野守備があって、125球は勝利になった。社会人野球の一発勝負では、投手の経験と、同じ職場名を胸にする守備の同期が同時に問われる。

延長十回から始まった四つの勝利

大阪市代表の道は平坦ではなかった。8月31日の1回戦、日本通運(さいたま市)戦は九回を1―1で終えた。無死一、二塁から始まる延長十回のタイブレークで2点を奪い、3―1。初戦から、敗れれば終わる大会の薄い縁を渡った。

9月3日の2回戦はNTT東日本(東京都)との「東西対決」。1999年のNTT再編後、都市対抗本大会では初のNTTグループ対決となり、NTT西日本が7―3で勝った。通信会社の企業史が、東京対大阪という大会の都市性と重なった一戦でもあった。

翌4日の準々決勝ではJFE西日本(福山市・倉敷市)を7―0で退けた。そして5日の準決勝は、前年までの実績を持つ三菱重工Eastの打線を4安打に抑えた。接戦、同系統企業、完封、逆転の物語を含む準決勝。勝ち方の異なる四試合が、61年ぶりの舞台へつながった。

日付・ラウンド相手(代表都市)結果
8月31日・1回戦日本通運(さいたま市)3―1、延長10回
9月3日・2回戦NTT東日本(東京都)7―3
9月4日・準々決勝JFE西日本(福山市・倉敷市)7―0
9月5日・準決勝三菱重工East(横浜市)5―2

なぜ企業名なのに「大阪市代表」なのか

都市対抗野球は1927年、神宮球場に12チームを集めて始まった。第97回大会は日本野球連盟と毎日新聞社が主催し、全国の地区予選を勝ち抜いた32チームが東京ドームで黒獅子旗を争う。チーム名の多くは企業だが、スコアボードには本拠地の都市名が併記される。

この二重性が大会の核心である。選手は会社員として働きながら競技を続ける場合が多く、応援席には同僚、家族、地域の人々、吹奏楽団や応援団が集まる。企業の福利厚生や広報だけでなく、地域代表という物語が観客席をつくる。NTT西日本は大阪市、三菱重工Eastは横浜市、西濃運輸は大垣市として戦う。

補強制度は1950年に導入された。予選で敗れた選手にも本大会への道を残し、代表都市の戦力を厚くする。準決勝で先制打を放った田中は、その制度が試合の中心に現れた例だ。NTT西日本の2点は、NTT西日本だけで作った2点ではなく、近畿地区の社会人野球が持ち寄った2点でもあった。

「NTT西日本の61年」ではない

ここは正確に分けておく必要がある。西日本電信電話株式会社、すなわち現在のNTT西日本の設立は1999年7月1日である。野球部の系譜はそれより古く、1952年創部の電電近畿、1985年からのNTT関西、1999年以降のNTT西日本へと続く。

NTT西日本自身も過去の成績を「電電近畿」「NTT関西」時代を含むものとして記載してきた。したがって「61年ぶり」は、現在の法人が61年前にも同じ名で存在したという意味ではない。野球部が公式に継承する系譜の前回決勝が1965年だった、という意味だ。

1965年、第36回大会の電電近畿は決勝で住友金属を4―0で破り、初優勝した。補強選手として加わった日本生命の小弓場保が最高殊勲選手の橋戸賞を受けた。ここにも補強制度がある。2026年の田中の先制打と、1965年の小弓場の投球は、異なる時代の同じ大会構造でつながる。

その後の最高成績には、1971年の4強、2005年の日本選手権準優勝などがある。それでも黒獅子旗を争う最後の一試合には戻れなかった。現在の選手が背負うのは、額縁に入った一枚の優勝歴だけではない。公社、民営化、地域会社への再編を越えて、チーム名の下に残った競技の記憶である。

1952年 — 電電近畿として創部。

1959年 — 都市対抗に初出場、3位。

1965年 — 住友金属を4―0で破り初優勝。

1985年 — NTT関西へ改称。

1999年 — NTT西日本として再編。現在の会社も7月1日設立。

2026年 — 三菱重工Eastを破り、系譜上61年ぶりの決勝進出。

大垣市との決勝、その先にある問い

決勝の相手に決まった西濃運輸は、準決勝でエイジェック(小山市)を3―2で破った大垣市代表。2014年以来の優勝を狙うチームと、1965年以来の黒獅子旗を目指すチームの対戦が、9月6日午後2時に組まれた。

準決勝翌日の決勝は、投手運用と回復力を問う。濵﨑は125球を投げたばかりで、NTT西日本は別の先発と救援陣をどう組み合わせるかが焦点になる。一方、西濃運輸も5試合目。大会を通じて積み上がった疲労と、都市・企業を背負う応援の熱が、最後の九回へ集まる。

決勝進出だけで1965年の再現とはいえない。時代も法人も選手の働き方も異なる。だが、同じ大会の同じ旗を目指し、企業名と都市名を二つ並べて戦う仕組みが、61年という距離を測れるようにしている。

吉川の失策から本塁打まで三イニング。濵﨑の初回2失点から最後のアウトまで125球。NTT西日本の現在は、その短い回復の連続によって過去へ届いた。決勝とは、歴史が自動的に戻ってくる場所ではない。新しい一試合によって、継承が本物かどうかを問い直す場所である。

取材・一次資料