9人八代工場で犠牲となった人々
1924年八代工場の創業
151億円中間期の地震関連特別損失
3~4年主要設備の復旧に必要とする概算期間
取材方法:日本製紙の適時開示・IR・過去の発表、気象庁の観測記録、地元報道を照合した文書取材。亡くなった人々の氏名や原因調査の結論を推測せず、個別の従業員への独自取材は行っていない。

百年の工場が、紙をつくることをやめる

八代市に根を下ろして一世紀を超える製紙工場が、同じ場所で紙をつくるという仕事に終止符を打つ。日本製紙は2026年11月6日、熊本県八代市の八代工場で、新聞用紙、印刷・情報用紙などのグラフィック用紙とパルプの生産を終了すると決めた。発端は7月28日の「令和8年熊本地震」だった。工場の煙突が倒壊し、従業員と協力会社の関係者9人が亡くなった。その重みを、単なる経営再編の記事の一節として扱うことはできない。

一方で、決定は「八代から撤退する」という発表でもない。会社は事業拠点を維持し、地域の森林資源などを生かす事業や他社との協業を探る。約400人規模の従業員にはグループ内での配置転換などによる雇用確保に努めるという。製品を失った工場が、地域の仕事をどう残すか。11月6日の決定が投げかける問いは、復旧か閉鎖かという二者択一よりも深い。

11月6日の取締役会決議で何が決まったか

日本製紙の開示文書の正式名称は「八代工場におけるグラフィック用紙・パルプ事業の終了ならびに今後の事業方針について」。対象は4号、6号、N1の各抄紙機とパルプ生産設備などだ。地震で停止した生産設備の再稼働を見送る。損傷は機械だけでなく工場建屋にも広がり、主要設備を補修・更新するには概算で3~4年と相当の費用が必要だと会社は説明する。

家庭紙事業も、直ちに新しい工場として立ち上がるわけではない。計画中の家庭紙設備の建設をいったん止め、工事時期と事業性を再検討する。方針を今年度中をめどに定めるとしているが、再開日も投資額も今回の決議で確定していない。紙づくりの終了、施設全体の閉鎖、別事業への転換は異なる出来事である。

7月28日午後4時27分――地震が変えた工場

気象庁によれば、2026年7月28日午後4時27分、熊本県熊本地方でマグニチュード7.1、深さ16キロの地震が発生した。宇城市と氷川町では震度7を観測した。気象庁が定めた正式名称は「令和8年熊本地震」であり、2016年の「平成28年熊本地震」とは別の災害である。八代工場では3本の煙突が損傷し、そのうち1本が倒壊した。

日本製紙は7月29日の発表時点で、工場建屋内に11人が閉じ込められ、5人の死亡を確認したと説明していた。その後、死者は9人と報じられた。災害に関する初期発表は時間の経過とともに変わる。11月時点の死亡者数を記す際、7月29日の暫定情報と混同してはならない。9月10日には煙突損傷・倒壊のメカニズムを究明する被害調査委員会が設置された。原因に関する最終的な調査結果を今回の事業終了決定から推測することもできない。

大正時代に始まった八代の製紙史

八代工場の起点は1924年。日本の製紙業が新聞、出版、官公庁や企業の記録など、大量の情報を紙に載せて届ける時代の中で発展した。製紙工場には大量の水とエネルギー、原料の物流、機械を整備する技術者が欠かせない。長年操業する拠点は、工場内の仕事だけでなく輸送、設備保守、資材供給といった周辺の仕事ともつながっていく。

八代が果たしてきた役割は地域にとどまらなかった。地元報道によれば、同工場は九州で新聞用紙を生産する重要な拠点だった。新聞が翌朝、駅や店頭、家庭に届くまでには印刷機だけでなく安定した用紙供給が必要になる。工場の停止は、情報を紙で届けるインフラの地理が変わることでもある。ただし、代替供給が続いていることから直ちに新聞の発行停止が起きると結び付けるのは正確ではない。

地震以前から進んでいた「紙から次の事業へ」

今回の決定には、災害よりも前から進んできた産業構造の変化がある。デジタル化で新聞用紙、印刷・情報用紙などの需要が減る中、日本製紙は生産設備の集約を経営課題に据えていた。2024年8月には八代工場のN2抄紙機を2025年6月末をめどに止める方針を公表し、家庭紙事業への転換も視野に入れていた。

2026年5月公表の「中期経営計画2030」も、グラフィック用紙の生産拠点集約、森林・木材関連事業の拡大、生活関連分野の収益力強化を掲げた。大地震がなければ八代の将来が現状のまま続いた、とは言い切れない。震災が設備の損傷をもたらし、すでに必要だった再編の判断を一段と厳しいものにした、という二つの要因を分けて考える必要がある。

151億円の損失と、400億円の赤字見通し

会社は2026年4~9月期の連結決算で、地震に関連した損失151億円を特別損失に計上した。2027年3月期通期の震災関連損失は約200億円を見込む。さらに他の災害による損失などを織り込み、通期の連結最終損益を400億円の赤字と予想した。前期は117億円の黒字だった。

この三つの数字を足し算して被害額とみなすのは誤りだ。151億円は中間期の計上額で、約200億円は通期の震災関連の見込みであり、400億円はグループ全体の最終損益予想だ。また、特別損失の計上と、現金が同額直ちに流出したという意味も同じではない。固定資産の減損など会計上の損失と、今後の実際の再建・転換費用は分けて追う必要がある。

約400人の働く場をどう守るか

八代工場の従業員規模について、地元報道は約400人、地震前の2026年3月末の在籍人数を約370人と伝えている。基準日や集計対象が違うため、単一の確定した現在人数として扱うべきではない。会社は従業員の希望などを確認し、他工場・グループ拠点への異動を含めて雇用の維持に努める方針を示す。

しかし、雇用の継続と同じ地域で働き続けられることは同義ではない。転居を伴う異動がどの程度必要か、地元に残れる職種がいくつ生まれるか、協力会社の仕事をどうするかについては、現時点で十分な公表数字がない。正社員の異動だけではなく、設備工事、輸送、清掃、部品などの取引先にも目を向けることが、地域の産業を追う報道に欠かせない。

九州の新聞用紙はどこから届くのか

八代でつくられていた新聞用紙や上質紙、PPC用紙について、会社は他工場への「移抄」(製品の製造先を別の抄紙機に移すこと)を進め、一部を他社へ生産委託するか、生産終了とする方針だ。共同通信によれば、被災後は宮城県の岩沼工場から九州へ新聞用紙を配送するなど代替供給が行われていた。

供給を維持できたとしても、輸送距離の変更は物流費、在庫、納入までの時間、災害時の代替性を変える可能性がある。逆に生産を集約すれば設備の稼働率やエネルギー効率が改善する場合もある。どちらの影響が大きいかを判断するには実際の物流と取引先のデータが必要だ。今回の公表内容だけから、紙の不足や価格上昇を断定することはできない。

森の資源を使う新事業は実現するか

日本製紙が新たな選択肢として挙げるのは、木質資源のサプライチェーンや既存の敷地・インフラを生かし、九州の森林資源、国産材を活用する事業である。他社との協業も模索する。同社の中期計画に示された森林・木材関連事業への重点化とも重なる構想だ。

ただし「国産材活用」は新工場の完成を意味しない。どんな製品を、誰が、どこに売るのか。設備投資、採算、調達する木材の持続可能性、従業員の技能の転用、地域の受け入れなど、答えを要する問いは多い。再出発の可能性を伝えるときこそ、検討中の事業を既定路線として描くべきではない。

復興という言葉を、現場の安全と切り離さない

熊本県の木村敬知事は11月6日、会社が八代から撤退しないと説明した点を歓迎し、県として支援する意向を示したと地元テレビ局が報じた。支援の表明は重要だが、県が具体的な補助金や事業計画を確定したことまでは示さない。県、市、会社、働く人が何を合意するかはこれからの課題である。

さらに、煙突倒壊の被害調査が続く中で、次の設備をどこにつくるか、どの安全基準を採るかは極めて重要になる。震災からの再生を語る際、9人が亡くなった事実を過去の出来事として片付けてはならない。原因調査、教訓、安全対策と雇用の将来を同じ重さで追うことが、地域に根ざす企業の再建を検証する意味となる。

八代の次の百年に必要な答え

残された具体的な期限の一つは、家庭紙事業の見直しについて今年度中をめどに方針を示すという会社の説明だ。それまでに従業員の配置、既存製品の代替生産、新事業の候補、安全調査の進捗がどこまで示されるか。地域住民にとって重要なのは「拠点を残す」という言葉の先に、どれだけの仕事と技能と暮らしが残るかである。

八代の紙は百年にわたり日本の情報流通を支えてきた。その製造工程は戻らないかもしれない。それでも、工場が育てた技能と土地のつながりまで失うと決まったわけではない。復興の成否は、大きな構想の発表より、誰が安全に働き、地域の事業が何を生み出せるようになるかという、これからの具体的な事実によって問われる。

出典と取材方法

11月6日の会社開示の要旨、企業の過去の説明、気象庁の一次資料を照合した。死亡者数は初期発表ではなく、その後の確認された報道に基づく。

  1. 日本製紙:八代工場事業終了に関する適時開示(会社公表資料の要約・原文確認先)
  2. 日本製紙:IR資料・2026年11月6日の決算発表
  3. 日本製紙:令和8年熊本地震による影響(2026年7月29日)
  4. 日本製紙:煙突損傷・倒壊の被害調査委員会(9月10日)
  5. 気象庁:令和8年熊本地震の初期観測・正式名称
  6. 気象庁:震源・規模・観測震度
  7. 日本製紙:2024年の生産体制再編成
  8. 日本製紙:中期経営計画2030
  9. 共同通信/熊本日日新聞:11月6日決定と雇用
  10. 熊本朝日放送:瀬邊社長の会見と工場史
  11. 熊本朝日放送:県知事の説明
  12. 日本製紙:印刷・情報用紙の需要と価格改定