根津神社の祭りに出かけるなら、今年は日付を二度確かめたい。例祭式は9月21日、境内のにぎわいは26、27日。そして4年に一度の宮神輿渡御は27日だ。東京・文京区の根津神社は、2026年の神幸祭を午前9時出御、午後4時還御の予定で告知している。9月12日のいま、町が迎えようとしているのは、年ごとの祭礼に重なる特別な一日である。[1]

年に一度の祭礼、4年に一度の渡御

神社の年間行事表でも、9月21日の例祭式と26、27日の神賑行事は区別されている。「4年に一度」は、例大祭そのものが4年間休むという意味ではない。今年の案内でその周期が示されているのは、神社の宮神輿が巡行する神幸祭だ。祭典、境内の催し、街路での行列を一つの日時にまとめると、祭りの仕組みも見どころも分かりにくくなる。[1][2]

出御から還御までの時間は、神社を出て戻るまでの予定であって、沿道のどこにいても同じ時刻に行列が見られるということではない。参拝を中心にするか、境内の芸能を見るか、巡行を待つか。目的によって、訪問の組み立て方は変わる。

1706年の造営と、将軍家のつながり

根津神社(ねづじんじゃ)の現在地は、徳川綱重の屋敷があり、後の6代将軍家宣が生まれた場所だと文京区は説明する。5代将軍綱吉による社殿の造営は宝永3年(1706)。町の神社に見える場所の成り立ちには、将軍家の継承と、その出生地をめぐる信仰が深く関わっている。[4]

一方、神社は創祀を日本武尊に結び付ける古い伝承を伝える。これは由緒として受け継がれた説明であり、同じ精度で年代を確かめられる近世の造営記録とは分けて読む必要がある。由緒が語る長い時間と、建造物が残す具体的な時間。その両方が、この場所に重なっている。[3]

文京区は正徳4年(1714)の壮大な祭礼を天下祭として紹介している。今日の神幸祭を見るとき、江戸の祭礼の記憶が背景にあることは重要だ。ただし、現在の行列の編成や運営を、そのまま18世紀の再現と考えることはできない。継承されるものと、その都度組み直されるものを分けて考えたい。[4]

建物の中に残る、信仰のかたち

文京区の国指定文化財一覧には、根津神社の建造物7棟が重要文化財として記載されている。神社の境内案内によれば、参拝者が向き合う拝殿、その奥の本殿、両者をつなぐ幣殿が一続きとなる構成が権現造りだ。門をくぐって正面を見るだけでも、建物の配置に意味があることが分かる。[5][7]

神社は7棟すべてを漆塗りと説明する。楼門や唐門、透塀も含めて眺めると、社殿の印象は色だけで作られているのではない。門の構え、建物の高低、内外を隔てながら視線を通す塀。それぞれが、近づき方や見え方を形づくっている。祭りの行列だけを追っていると通り過ぎてしまうが、これも根津で見たい工芸と建築の仕事だ。[7]

神社の由緒は、かつて根津権現社と呼ばれた神仏習合の時代と、明治の神仏分離に伴う改称を記す。現在の神社の姿を、時代を超えて変わらない一つの信仰形式と捉えるのは適切ではない。場所は続いていても、その呼び方や制度、宗教的な位置付けには変化があった。[3]

保存される神輿、使われる道具

区指定文化財の一覧には、根津神社所有の神輿3基と付属する獅子2頭が工芸品として載る。また、神楽面16面は彫刻の部に記載されている。祭りに関わる道具は、にぎわいを演出するものというだけでなく、地域が保存すべき文化財でもある。[6]

神社は、宮神輿を通常は公開せず、4年に一度の神幸祭で1基ずつ公開すると説明している。3基所蔵という数字を、その年に3基とも巡行する意味に読み替えてはいけない。今年の告知も宮神輿渡御の実施を伝えるもので、すべての社宝が一斉に公開されるとの案内ではない。[3]

こうした道具を見るとき、目を向けたいのは豪華さだけではない。保管され、必要な機会に取り出され、扱う知識とともに受け継がれることに意味がある。文化財を守る仕事と、祭礼の中で使う仕事をどう両立させるか。根津の祭りは、その問いを考える身近な入口になる。

行列を待つ間にも、祭りはある

今年の奉納演芸では、26日に権現太鼓が正午と午後3時、浦安舞が午後7時、27日には三座舞が午後2時に予定される。露店も両日に出店予定だが、営業時間は各出店者に委ねられる。行列の時間と境内の催しは重なるため、一日の全場面を見ようとするより、どこで何を見るかを決めておくとよい。[1]

神輿が境内を離れている間も、参拝や奉納の時間は続く。街路へ目を向ける人と、舞殿の前にとどまる人が、同じ祭りに別の角度から関わる。にぎわいを一つの「見せ場」に縮めないことが、祭礼を理解する助けになる。

町は、祭りの日も暮らしの場所

文京区観光協会は、根津神社を中心に門前町として栄えた根津と、夏目漱石や森鷗外が暮らした千駄木を結ぶ散策コースを紹介している。寺社や文学ゆかりの場所を訪ねる楽しさは、この界隈の魅力の一つだ。ただし、その散策コースは神幸祭の巡行経路ではない。[11]

普段の町歩きと祭礼当日の移動では、同じ道でも使い方が変わる。神社は巡行に伴い、表参道前、日医大つつじ通り、よみせ通り商店街の一部で車両通行が難しくなる時間帯を告知している。これは沿道が一日中閉鎖されるという意味ではなく、行列と日常の交通を調整するための案内だ。詳しい時間帯は公式告知を確認したい。[1]

見る側にもできることはある。通行の余地を残し、住宅や店の出入口をふさがず、現場の案内に従うことだ。行列の近くで長く立ち止まりたい気持ちと、町を使う人の移動は、同時に成り立たなければならない。祭りを支える地域への敬意は、そうした小さな判断に表れる。

訪問前に確かめたいこと

所在地は文京区根津1丁目28番9号。神社の案内では、東京メトロ千代田線の根津駅、千駄木駅、南北線の東大前駅からそれぞれ徒歩約5分。祭礼当日は混雑で所要時間が変わるため、通常の徒歩時間を余裕のある計画の目安にしたい。[8]

境内での撮影には注意が必要だ。神社は社殿前の石畳の参道上での撮影を禁止し、建物や塀に寄り掛かったり腰掛けたりしないよう求めている。写真に収めることだけを目的に場所を占有せず、参拝する人の動きを尊重したい。商用の撮影には別途申請が必要とされている。[9][10]

9月27日の出御は午前9時、還御は午後4時の予定。4年という間隔は、見る機会の少なさを際立たせる。しかし、祭りの価値は珍しさだけではない。社殿の前から町へ出て、また戻る一日の動きの中に、道具を守る人、場所を整える人、祈る人の関係が見えてくる。根津が迎えるのは、過去を眺める催しであると同時に、これからも続けるための現在の営みだ。