量子コンピュータを大きくする方法は、一枚のチップに量子ビットを増やし続けることだけではない。いくつもの量子プロセッサを、量子情報を壊さずに結び、一台の巨大な計算機のように動かす——。現在のデータセンターが多数のサーバーをネットワークで束ねるのと似た発想だが、量子の世界では接続そのものが難しい。観測すれば状態が変わり、光を一つ取りこぼすだけでも通信成功率が落ちる。

2026年9月1日、大阪大学、科学技術振興機構(JST)、情報通信研究機構(NICT)は、この接続部分に関する新しい成果を発表した。大阪大学量子情報・量子生命研究センター(QIQB)/大学院基礎工学研究科の山本俊(やまもと・たかし)副センター長・教授らのチームは、10個の中性原子サイトから発生した光子を10チャンネルで並列に集め、集積光導波路、光ファイバー、多チャンネル超伝導ナノストリップ光子検出器へと送る一連の動作を実証した。

まず、何を「10」で達成したのか: 共同発表が「世界記録」と呼んでいるのは、10台の量子コンピュータを接続した記録ではない。10個の原子サイトから光子を並列に取り出す「10サイト空間多重」の量子光インターフェースである。実際に離れた2台以上の中性原子量子コンピュータを、論理量子ビットまで含めてネットワーク動作させた実験ではない。
10サイト原子10個から光子を10チャンネルへ同時配送した空間多重
32 ch用いた集積光導波路アレイと、国内最大と発表された検出器システムの規模
0.87原子状態と光子偏光の相関で得られた代表的なvisibility(可視度)

「10本の光の道」を一枚のガラス基板に寄せる

実験に使われたのは、ルビジウム87(87Rb)の中性原子アレイである。論文によると原子間隔は7.5マイクロメートル。光ピンセットで原子を並べ、各原子から発生した780ナノメートル帯の光子を集めた。ここで難しいのは、原子の並びと市販光ファイバーの並びの寸法が合わないことだ。

研究チームが使った集積光導波路アレイは32チャンネル。入力側では隣り合う導波路の間隔が25マイクロメートルで、光学系を使って7.5マイクロメートル間隔の原子アレイから来る光を対応させる。出力側は32本の光ファイバーへ接続される。今回の実験では、そのうち隣接する10チャンネルを使い、10個の原子から来る光子をそれぞれ別の道へ入れ、ファイバーを経て並列に検出した。

従来の方法は、原子の近くに複数の光ファイバーを直接並べる発想が中心だった。しかし通常のファイバー配列では寸法が大きく、数マイクロメートル間隔で原子を高密度に並べる中性原子プロセッサと合わせにくい。ガラス内部に光の通り道を立体的に形成する集積光導波路は、原子側の細かいピッチと、ファイバー側の扱いやすいピッチを「変換」する役目を持つ。

なぜ「原子」を光でつなぐのか

中性原子量子コンピュータでは、レーザー光で一個ずつ原子を捕まえる光ピンセットを多数並べ、原子の内部状態を量子ビットとして使う。原子は同じ元素なら本質的に同一であり、半導体素子のような製造ばらつきを持たない。さらに高励起のリュードベリ状態を利用すると、近接する原子間に強い相互作用を生じさせ、量子ゲートを実行できる。

一方、原子を一か所に増やし続ければ、レーザー制御、読み出し、光学視野、配線、誤り訂正など別の制約が現れる。JSTのムーンショット目標6の山本プロジェクトは、誤り耐性型汎用量子コンピュータには100万量子ビットを扱える規模が必要になるとの見積もりを置き、単一プロセッサだけでなく複数モジュールを量子接続する構成を研究している。

ここで光子が「ネットワークケーブル」に相当する。原子の量子状態と光子の偏光状態を量子もつれさせ、その光子を別の量子プロセッサへ運ぶ。適切な測定と古典通信を組み合わせれば、離れた場所の量子ビット同士に量子もつれを共有できる。量子テレポーテーションと呼ばれる仕組みも、この共有されたもつれを資源として使う。物質が瞬間移動するわけでも、光速を超えて情報を送るわけでもない。

量子コンピュータの大規模化で問われているのは、「量子ビットを何個作れるか」だけではない。
離れた量子ビット同士に、どれだけ速く、同時に、壊れない量子相関を配れるかである。

10チャンネルを増やしても、隣の光が混ざらない

多重化で最も基本的な懸念はクロストークだ。10本の光路を狭い間隔で並べたとき、一つの原子から出た光が隣の導波路へ漏れれば、「どの量子ビットから来た光なのか」という対応が崩れる。論文は、25マイクロメートルピッチの10チャンネルで有意なチャンネル間クロストークは確認されなかったとしている。

さらにチームは、原子のゼーマン副準位に符号化された状態と、放出光子の偏光との相関を測定した。干渉縞から得られたvisibilityは測定条件に応じて0.82と0.87。光を10本の経路へ通した後でも、原子側の状態と光子側の偏光に高い相関が残ることを示した。

ただし、この実験で原子—光子の量子もつれの全性質を完全に検証したわけではない。共同発表も「関係性の一部を確認」と慎重に表現している。論文は、z基底の相関や偏光状態などを観測したと述べ、将来の多重原子—光子もつれ生成に利用できる可能性を示している。ここは「10本の完全な量子ネットワークが完成した」と読み替えてはいけない。

最後に待つのは、超伝導ナノストリップ

一個の光子を見つける側も重要だ。今回の光子検出には、NICT未来ICT研究所 神戸フロンティア研究センター 超伝導ICT研究室の三木茂人(みき・しげひと)室長らが蓄積してきた超伝導ナノストリップ光子検出器(SNSPD)の技術が使われた。浜松ホトニクス電子管事業部の下井英樹(しもい・ひでき)グループ長らが、この研究向けの多チャンネル検出システムを開発した。

SNSPDは幅100ナノメートル以下の細い超伝導材料に光子が入った際の抵抗変化を利用する。極めて弱い光を高感度・低雑音で検出でき、量子通信や量子センシングの基盤装置になっている。共同発表によれば、今回のシステムは32チャンネルを備え、国内最大の多チャンネルSNSPDシステムである。実験ではそのうち10チャンネルを使った。

この成果が大学だけで完結していない点も重要だ。大阪大学が原子アレイと光学系を統括し、NICTがSNSPD技術と素子作製プロセスの一部を担い、浜松ホトニクスが検出器システムを開発・提供した。量子コンピュータを「装置」へ育てるには、原子物理、光集積、低温超伝導検出、電子回路、製造技術を一つの系にまとめる必要がある。

現在の光子回収効率は約1%——ここが次の壁

10サイトという数字だけを見ると大きな飛躍に見えるが、論文は弱点も明確にしている。現在のシステムで原子から光導波路へ光子を回収する効率は約1%。ネットワークで量子もつれを配る速度を上げるには、光子をもっと高い確率で捕まえ、失わずに検出器へ届けなければならない。

論文は、光学収差の補正やマイクロレンズ・光共振器アレイなどを組み合わせれば、回収効率を10倍以上改善できる可能性を論じている。また100空間モードと理想的な自由空間回収効率12%を仮定した理論見積もりでは、量子誤り訂正に使う40組のベル対を2ミリ秒以内に配れる可能性を引用している。だがこれは今回実証した性能ではなく、将来構成の見積もりである。

誤差要因も残る。論文では、状態準備と励起を繰り返す過程で約5%の原子損失が観測され、原子状態測定の不完全さがvisibilityを制限する主因の一つと考えられている。原子の量子化軸と光導波路の光軸のずれも偏光を変える可能性がある。一方、検出器の暗計数や迷光による影響は、今回のvisibilityの範囲では小さいと評価された。

今回できたこと/まだできていないこと

項目今回の実証次に必要なこと
空間多重10原子サイト → 10光路を並列化数十〜100以上への拡張と安定運転
光導波路32chアレイのうち10chを使用、25µmピッチ高い結合効率を保ったままさらに高密度化
量子相関原子状態と光子偏光の相関を確認、visibility最大0.87多チャンネルでの高忠実度もつれ生成・検証
検出SNSPDで10ch並列検出システム全体の効率、安定性、制御電子回路を拡張
量子計算機接続接続に必要なインターフェース要素を実証実際に離れた量子プロセッサ間で量子もつれを共有
誤り耐性未実証論理量子ビット同士のもつれ共有と誤り訂正

光ピンセットが変えた中性原子の20年

中性原子を量子計算へ使う発想は新しくないが、現在の急速な大規模化を可能にしたのは、原子を一個ずつ見て動かす光ピンセット技術の進歩だった。2016年、フランスの研究チームはランダムに捕獲された原子を移動させ、欠陥のない任意の二次元配列を最大約50個の原子で組み立てる方法を示した。原子を「置きたい場所へ並べ直す」ことが、プログラマブルな中性原子アレイの基礎になった。

その後、アレイ規模は数十から数百、さらに数千へ拡大した。2025年にはカリフォルニア工科大学のチームが約1万2,000個の光ピンセットサイトに6,100個を超える中性原子量子ビットを捕獲し、12.6秒のコヒーレンス時間や99.99%を超えるイメージング忠実度を報告した。これは「6,100量子ビットで任意のアルゴリズムを実行した」という意味ではないが、原子アレイの物理的なスケールが数年前とは違う段階へ入ったことを示した。

原子を増やせるなら、なぜネットワークが必要なのか。誤り訂正では、一つの「論理量子ビット」を守るために多数の物理量子ビットを使う。JSTの現行プロジェクトは、一つの論理量子ビットが1,000個を超える物理量子ビットから構成される可能性を念頭に、遠隔プロセッサの論理量子ビット間にもつれを作ることを最終的な接続目標に置いている。物理量子ビット数が増えるほど、接続帯域も同時に増やさなければならない。

2020年から始まった「量子コンピュータをネットワーク化する」日本の道

大阪大学の研究グループは2020年から、中性原子アレイを使ったネットワーク型量子コンピュータの研究開発を始めた。同年に採択されたJSTムーンショット目標6の「ネットワーク型量子コンピュータによる量子サイバースペース」は、光、原子、半導体など異なる量子ハードウェアを接続し、小中規模の量子計算機を束ねる構想を掲げた。

2025年度には後継の「誤り耐性ネットワーク型量子コンピュータ」(JPMJMS256K)が採択された。JSTが示すロードマップでは、2028年までに多数の物理量子ビットから構成される論理量子ビット間の「量子もつれ多重化通信技術」を実現し、2030年までに離れたプロセッサ間の「論理量子もつれ共有」を目指す。その先に2050年の100万量子ビット規模が置かれている。

今回の10サイト実証は、そのロードマップの中では一つの部品にすぎない。しかし、部品だからこそ重要でもある。量子コンピュータのネットワーク化は、概念図の上では「光ファイバーでつなぐ」と一行で済む。実験室では、数マイクロメートル間隔の原子から一個の光子を抜き出し、十数本、百本と並列に揃え、偏光を保ち、低雑音検出器で読み、次の原子へ量子相関を渡さなければならない。

1997年:光子を介して離れた量子系の状態を転送し、分散量子計算を行う代表的な理論提案が登場。

2016年:光ピンセットで原子を一個ずつ並べ替え、欠陥のない2次元原子配列を実証。

2020年:大阪大学チームが中性原子アレイを使うネットワーク型量子コンピュータ研究を開始。JSTムーンショット目標6の山本プロジェクトも始動。

2025年:6,100個超の高コヒーレンス中性原子量子ビットアレイが報告される。JSTは後継の「誤り耐性ネットワーク型量子コンピュータ」を採択。

2026年:大阪大学・NICT・浜松ホトニクスなどが10サイト空間多重の量子光インターフェースを実証し、Opticaに掲載。

「100多重」は射程に入ったのか

共同発表は、今回の方式が「100多重程度」へ拡張できる可能性を示したとしている。論文はさらに、7.5マイクロメートルの原子間隔と1.5ミリメートル級の光学視野を前提に、一次元では200モード程度の配置が幾何学的に可能だと論じる。ただし、空間に原子を200個置けることと、200チャンネルで高効率・高忠実度の量子もつれを毎回生成できることは同じではない。

100へ進むと、レーザーの波面補正、各サイトの結合効率差、ファイバーの偏光変動、検出器の読み出し回路、低温系、校正時間など、10では見えにくかった工学問題が増える。量子ネットワークの性能は「チャンネル数×各チャンネルの成功確率×繰り返し速度」で決まるため、多重度だけを増やしても、光子回収効率が低いままなら実効帯域は伸びない。

だから今回の成果を評価する最も適切な言い方は、「10という記録を作った」より、「原子アレイの高密度ピッチを、集積光学を介して多チャンネル検出系へ結ぶ構造が10サイトで動いた」だろう。これは将来の量子データセンターに必要なインターコネクト技術の、実験室レベルの試作である。

量子版データセンターは、一台の巨大装置ではないかもしれない

古典コンピュータの歴史でも、性能向上は一個のプロセッサを際限なく大きくする方向だけでは進まなかった。サーバーをラックへ、ラックをデータセンターへ束ね、光ファイバーや高速スイッチで結ぶことで、巨大な計算資源を作ってきた。量子コンピュータでも同じ「モジュール化」が勝つとはまだ決まっていない。超伝導、イオントラップ、光、シリコン、中性原子など、各方式が異なる拡張戦略を競っている。

中性原子方式の強みは、多数の同一原子を再配置できることと、原子—光子インターフェースを自然に持てることだ。弱みは、レーザーと光学系の複雑さ、光子回収損失、ゲート・読み出し・通信を同時に高忠実度で成立させる難しさにある。ネットワーク構成は、単一装置の壁を避ける一方で、今度は「接続」という新しい壁を作る。

今回、大阪で示されたのは、その壁に10本の細い穴を開ける方法だった。一本の光子を取り出す実験から、10本を同時に運ぶ実験へ。次は100へ、そして二つの量子プロセッサの間で論理量子ビットを本当に結ぶところまで行けるか。量子コンピュータの未来は、巨大な一台の機械ではなく、暗い光ファイバーの中を飛ぶ一個ずつの光子によって、何台もの小さな機械が一つになる姿かもしれない。

資料・出典

  1. 大阪大学 ResOU「大規模中性原子量子コンピュータ向けの多重量子光インターフェースを実現」 — 2026年9月1日。研究概要、山本俊教授の説明、専門用語。
  2. 科学技術振興機構(JST)共同発表 — 10サイト空間多重、100多重への拡張可能性、研究機関の役割。
  3. JST・大阪大学・NICT プレスリリース本文(PDF) — 実験構成、用語説明、32チャンネルSNSPD、量子テレポーテーションの位置づけ。
  4. 情報通信研究機構(NICT)「大規模中性原子量子コンピュータ向けの多重量子光インターフェースを実現」 — 山本俊(やまもと・たかし)、三木茂人(みき・しげひと)の読み、検出器技術を確認。
  5. Maeda et al., “Waveguide-array-based multiplexed photonic interface for atom array,” Optica 13(9), 1718–1725 (2026) — 査読論文。DOI 10.1364/OPTICA.588749。
  6. Maeda et al., arXiv version of the photonic-interface paper — 7.5µm原子間隔、25µm導波路ピッチ、87Rb、visibility、回収効率、拡張性の技術詳細。
  7. JSTムーンショット目標6「誤り耐性ネットワーク型量子コンピュータ」 — 2025年度採択プロジェクト、2028年・2030年・2050年のマイルストーン。
  8. JST「ネットワーク型量子コンピュータによる量子サイバースペース」 — 2020年度採択の前身プロジェクト。
  9. 大阪大学QIQB 山本俊教授プロフィール — 量子通信・量子ネットワーク研究の経歴。
  10. Cirac, Zoller, Kimble & Mabuchi, “Quantum State Transfer and Entanglement Distribution among Distant Nodes in a Quantum Network,” Physical Review Letters (1997) — 光子を介した遠隔量子ノード接続の代表的な初期理論。
  11. Barredo et al., “An atom-by-atom assembler of defect-free arbitrary two-dimensional atomic arrays,” Science (2016) — 光ピンセットによる欠陥のない原子配列の歴史的背景。
  12. Manetsch et al., “A tweezer array with 6,100 highly coherent atomic qubits,” Nature (2025) — 数千規模の中性原子アレイの到達点。

本稿は2026年9月4日未明(日本時間)までに確認できた公開資料を照合した。日本語の人物名・読み・肩書は大阪大学、JST、NICTの一次資料を優先し、山本俊は「やまもと・たかし」、三木茂人は「みき・しげひと」と確認した。下井英樹は日本学術振興会の公開資料にある「シモイ ヒデキ」を補助的に確認した。「世界記録」は大阪大学・JST・NICTの共同発表による表現であり、独立した記録認定機関の認証として扱っていない。10サイトは10台の量子コンピュータ接続を意味せず、10原子サイトの空間多重光インターフェースである。100多重、200モード、100万量子ビットは将来の拡張可能性・研究計画上の見積もりであり、今回実証された規模ではない。

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