大西洋の海底に敷かれる一本のケーブルが、国際通信の設計思想をもう一段変えようとしている。Meta Platforms, Inc.、日本電気株式会社(NEC)、住友電気工業株式会社(住友電工)が構築を進める光海底ケーブルシステム「Petal(ペタル)」は、米国とフランスを約7,000kmで結び、2029年の運用開始を予定する。目標とする伝送容量は毎秒1ペタビット(1 Pbps、毎秒1,000テラビット)。NECはシステム全体の設計と構築を担う。[1]
ただし、Petalはまだ運用中の1ペタビット級ケーブルではない。各社が発表したのは構築に向けた協業であり、運用開始は2029年の予定だ。NECと住友電工の日本語発表は「世界初の商用ペタビット級」を目指すと表現している。Metaは完成後に1 Pbpsを提供する設計としているが、その性能は製造、敷設、試験、実運用を経て初めて確認される。[1][2]
「24ペア」から48コアペアへ
Petalの核心は、ケーブルを単純に太くして光ファイバを倍増させることではない。1本の光ファイバの中に、光信号が通る「コア」を2本持たせるマルチコアファイバを大洋横断システムに本格導入する。Petalは24ファイバペア、すなわち48本の光ファイバを収め、そのすべてを2コア化する。結果として48コアペア相当の空間チャネルを持つ。[1]
住友電工が供給するのは海底用マルチコア光ファイバ「2C Z-PLUS Fiber® ULL」。同社は2023年、2コア超低損失マルチコアファイバの量産化に世界で初めて成功したと発表している。一般的な光ファイバと同等の125μm級のガラス外径に2本の伝送路を収めることで、限られたケーブル断面を効率的に使う。[3]
難しいのはコアを二つ置くことそのものではない。7,000km規模で使うには信号損失を抑え、隣接コア間のクロストークを極小化し、海底で長期間動く中継器と組み合わせて信頼性を確保しなければならない。Metaは、高純度の合成石英、屈折率設計、光信号の逆方向伝送などでコア間干渉を抑えるとしている。[2]
海底で約100台の中継器を動かす
光は長距離を進むほど弱くなる。大洋横断ケーブルでは海底の中継器が信号を増幅しながら大陸間をつなぐ。Metaによれば、約7,000kmのシステムでは通常およそ100台の中継器が必要になる。Petalでは、2コアファイバを中継器の入口で単一コアの経路に分け、増幅後に再び2コアへ戻すFan-In/Fan-Out方式を採用する。単一筐体で96コア分を増幅する高密度構成で、日本語発表では48アンプペアとして説明されている。[1][2]
給電も制約になる。海底の中継器は陸揚げ局から数千kmにわたって電力を受けるため、容量を増やすたびに必要電力まで比例して増える設計には限界がある。Metaは、Petalが既存の18kV給電設備の範囲にとどまりながら容量を倍増できるとしている。NECも省電力と高密度実装により、片側の局舎から給電できる設計を掲げる。[1][2]
Anjanaの次へ――本数ではなく「コア」を増やす
海底ケーブル業界では、1本の光ファイバに載せる情報量だけを増やすのではなく、ケーブル内の伝送経路そのものを増やす空間分割多重(SDM)が広がってきた。Metaの大西洋横断投資は、Mareaの8ファイバペア、Amitiéの16、Anjanaの24へと段階的に増えてきた。MetaはAnjanaを約0.5 Pbps級と説明する。Petalは24ファイバペアのまま2コア化し、48コアペア相当の空間チャネルでその倍の容量を狙う。[2]
単一コアのファイバを48ペアまで増やす方法も考えられるが、ケーブル、接続部品、中継器、給電、製造工程は大型化する。2コア方式にも新たな難しさがある一方、同じ外径の光ファイバの中で伝送路を増やせる。Metaは、0.5 Pbps級を2本建設する場合より材料、資源、炭素負荷を抑えられる可能性を強調する。これは事業者側の評価であり、実際のライフサイクル負荷は製造、敷設、稼働率などでも左右される。[2]
NECの海底ケーブル事業は1964年から
PetalはNECにとって単なる部材受注ではない。同社によると海底ケーブル事業への最初の参画は1964年。日米を結んだ最初の太平洋横断ケーブルTPC-1で陸上端局装置を供給した。その後、同軸から光へ技術が移る中で、中継器、端局、ケーブル、ルート設計、敷設、試験まで手掛けるシステム供給者へ事業を広げた。[4]
NECは1964年以来の敷設実績を45万km超、地球約11周分としている。Petalではシステム全体の設計と構築を担当するため、日本の技術が部材供給だけでなく、7,000km級のシステム統合そのものに入る。住友電工も、約40年にわたり手掛けてきた超低損失海底光ファイバの技術を2コア化して供給する。[5][3]
1858年の電信から、2029年のペタビットへ
大西洋横断ケーブルの歴史は、通信技術の限界を何度も塗り替えてきた歴史でもある。1858年、欧州と北米を結ぶ最初の大西洋横断電信ケーブルが開通したが短期間で故障し、恒久的な電信線が成功したのは1866年だった。1988年にはTAT-8が世界初の大西洋横断光ファイバケーブルとして運用を開始し、280Mbpsで約4万回線分の電話容量を提供した。[6][7]
Petalが目指す1 Pbpsは100万Gbpsに相当する。TAT-8との単純な倍率比較は、符号化、冗長性、設計容量と実効容量が異なるため性能評価にはならない。それでも、海底に沈められた細いガラスが担う情報量が、40年足らずで桁違いに増えたことは明らかだ。
AI時代の「見えない設備投資」
各社はPetalの背景としてAI、クラウド、データセンターの拡大を挙げる。ただし「AI専用ケーブル」と呼ぶのは正確ではない。海底ケーブルは動画、メッセージ、企業通信、クラウドサービスなど幅広いトラフィックを運ぶ基盤だ。Metaは大陸間データ通信のおよそ99%が海底ケーブルを通るとの推計を引用している。[2]
それでもAIが投資判断を変えているのは確かだ。巨大モデルの学習や推論では、計算資源だけでなく地域間のデータ移動も制約になる。MetaはPetalのオーナーとして資金を拠出し運用する。NECがシステムをまとめ、住友電工が2コアファイバを供給し、フランス側の大西洋岸陸揚げではOrangeが協力する計画だ。[1][2]
- Meta:オーナーとして資金を拠出し、ケーブルシステムを運用
- NEC:2コア方式を含むシステム全体の設計・構築
- 住友電工:海底用2コア光ファイバを供給
- Orange:フランス大西洋岸での陸揚げと欧州陸上網への接続を支援
見るべきは「1ペタ」の数字だけではない
長期的な評価を決めるのは、2029年に予定通り運用を始められるか、2コアファイバを数千km規模で製造・接続し、中継器を含むシステムとして信頼性を確保できるか、障害時にどれだけ復旧できるか、そして容量当たりの電力、材料、運用コストが従来方式より本当に改善するかだ。
また、今回確認した公表資料には契約金額や総建設費、米国側の具体的な陸揚げ地点は示されていない。フランス側も「大西洋岸」とされ、具体地点は今回の一次資料では特定されていない。従って、現段階でPetalの商業性を金額ベースで評価することはできない。
それでも日本企業が担う範囲は明確だ。NECはシステム全体をまとめ、住友電工は伝送路そのものを供給する。海底ケーブルは普段ほとんど目に見えないが、国境を越えるデジタル経済の物理的な土台である。2029年、Petalが予定通りペタビット級で動き始めれば、それはMetaのネットワーク拡張であると同時に、日本の海底通信技術が次世代の標準づくりにどこまで食い込めるかを示す試験になる。
出典
- NEC、Meta、住友電工:世界初の商用ペタビット級光海底ケーブルシステム「Petal」の構築に向けて協業(2026年9月22日)
- Engineering at Meta:Inside Petal: Building the World’s First Petabit-Class Transoceanic Subsea Cable(2026年9月21日)
- 住友電工:Meta、NEC、住友電工「Petal」協業発表(2026年9月22日)
- NEC:企業史資料 — TPC-1と海底ケーブル事業への参入
- NEC:海底ケーブルシステム — 1964年以来45万km超の実績
- Smithsonian Institution Libraries:1858年大西洋横断電信ケーブルの歴史
- IEEE Communications Society:First Optical Transatlantic Cable TAT-8

