原田マハは、小説を書くより前に美術館で働いていた。絵を見る人、展示をつくる人、言葉で美術を伝える人として長い時間を過ごし、その後、物語を書く人になった。2026年、その視線が初めて長編映画の監督席へ移った。
初監督作『無用の人 / In My Father’s Room』は、第74回サン・セバスチャン国際映画祭の公式コンペティション部門に選出され、国際映画批評家連盟(FIPRESCI)のFIPRESCI賞を受賞した。映画祭公式記録では、さらにアテネオ・ギプスコアノ賞も獲得している。FIPRESCI自身も2026年の映画祭賞一覧で、『In My Father’s Room』をサン・セバスチャンの受賞作として掲載した。[1][2]
父の死後に届いた、一つの鍵
映画の主人公・羽島聡美を演じるのは蒼井優。美術館で働く聡美のもとへ、父が亡くなって1か月後、一通の封筒が届く。中には見覚えのない鍵。その鍵は、生前の父・羽島唯一が使っていた、娘の知らない部屋へつながっていた。[3]
父を演じるのはイッセー尾形。永山瑛太、渡辺えりらが共演する。映画祭公式あらすじは、社会から取り残されたように見えた父が、言葉、茶、微細な美へ静かな愛情を注いでいたことを、娘が残された痕跡から知っていく物語として紹介する。上映時間は109分。原作、脚本、監督はいずれも原田マハ。[3]
小説から映画へ――きっかけは高校生の手紙
『無用の人』の原作は、講談社文庫『あなたは、誰かの大切な人』に収録された短編。原田は公式サイトのインタビューで、この作品が高校の現代国語教科書に一部採用され、ある女子高校生から「最後まで読むと、まるで映像を見ているようだった」という趣旨の手紙を受け取ったことが、監督挑戦の起点になったと語っている。[4]
原田は、小説を書くときから「頭の中の映像を追いかけて言葉を紡ぐ」感覚があったという。これまでは映像化の際、監督や脚本家のイメージが重なることを楽しんできた。しかし『無用の人』では、自分が原作者、脚本家、監督を兼ねることで、物語を書いていた時に見えていた映像を初めて直接提示できる。
原田マハは、もともと「展示をつくる人」だった
1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科を卒業。伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での勤務を経て、2002年にフリーのキュレーター、カルチャーライターとなった。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、翌年作家デビュー。[5]
2012年『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞、2017年『リーチ先生』で新田次郎文学賞、2024年『板上に咲く』で泉鏡花文学賞。ピカソ、ルソー、ゴッホ、モネ、棟方志功など、美術と人間の関係を小説で描く作品を多く書いてきた。[6]
映画監督という職業は初めてでも、原田は長年、空間に作品を配置し、観客の視線を設計するキュレーターの仕事を経験している。映画もまた、何をどの順序で見せるかを決める芸術である。
「映画は一人では始められない」
原田は監督インタビューで、小説と映画の決定的な違いを語っている。小説は「一人きりの時間」がなければ始められない。一方、映画は「一人じゃなにも始められない」。そして撮影現場に立ったことで、キュレーター時代に展覧会を一から立ち上げた空気へ20年ぶりに戻った感覚があったという。[4]
この言葉は、『無用の人』という作品と奇妙に重なる。父の孤独を、一人の娘が外から想像するだけでは物語は進まない。鍵、部屋、他人の記憶、茶、絵、残された物が集まって初めて、父の人生が別の形で見えてくる。
蒼井優とイッセー尾形――「父娘」を距離から作る
蒼井優は聡美を、イッセー尾形は唯一を演じる。父はすでに亡くなっているため、物語の中心にあるのは生前の父との直接的な対決ではなく、死後に娘が父を「再編集」する行為だ。
映画祭のデイリー紙は、本作を「記憶に満ちた部屋」と表現し、父の部屋を芸術、詩、茶の儀礼、残された物が静かに語り始める場所として評した。作品はVictor Erice監督『ミツバチのささやき』から部分的に着想を得たとも紹介されている。[7]
美術館で働く娘という設定は偶然ではない
主人公・聡美が美術館勤務という設定は、原田の作品世界と強くつながる。美術館は、物そのものと、それをどう説明し、どこに置き、どう見るかを分けて考える場所だ。
父が残した部屋も、一種の私設展示室として機能する。娘は鍵を使って入り、残された品々を見て、父の人生へ解説文をつけ直していく。父が生前に説明しなかったことを、物が代わりに語る。
「無用」の意味を反転させる
「無用の人」という日本語タイトルには、社会から役に立たないと見なされる人、組織や家族の役割から外れた人という冷たい響きがある。英題はより直接的にIn My Father’s Roomとし、場所へ焦点を移す。
物語が問い直すのは、「役に立つ」ことだけで人の価値を測れるのかという問題だ。仕事や家族の中で目立つ役割を失っても、一人で茶を点て、言葉を読み、美しいものに反応する生活がある。それを娘が知ったとき、父は「無用」ではなく、ただ自分の世界を生きていた人へ変わる。
サン・セバスチャンの公式コンペへ
『無用の人』は、映画祭のOfficial Selectionで世界初上映された。San Sebastiánはカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアなどと並び、国際映画製作者連盟(FIAPF)が認定する競争映画祭の一つとして長い歴史を持つ。原田にとって初監督作がいきなり公式コンペティションへ入ったこと自体が大きな出来事だった。[3]
公式記者会見にも原田本人と複数のプロデューサーが登壇。映画祭の現地紙は、60代を超えて監督することを「自然な一歩」として紹介し、原田自身も「いつも映像から書いている」という趣旨を語った。[8]
FIPRESCI賞とは何か
FIPRESCIは国際映画批評家連盟。世界の映画批評家・ジャーナリストによる組織で、主要映画祭ごとに独自の審査員団を送り、批評家の視点から賞を選ぶ。
2026年のサン・セバスチャンでは、『無用の人』がFIPRESCI賞を獲得した。これは映画祭本体の最高賞ゴールデン・シェルとは別の「並行賞」だが、批評家が公式選出作品から評価したという意味を持つ。映画祭公式受賞一覧でも、Parallel AwardsのFIPRESCI Awardとして本作が記録されている。[1]
同じ名称が混同されやすいが、FIPRESCI Grand Prixは年間を通じた最優秀映画を批評家会員が選ぶ別制度で、2026年はPaul Thomas Andersonの『One Battle After Another』が受賞している。[9]
もう一つの賞――Ateneo Guipuzcoano
『無用の人』はFIPRESCI賞だけでなく、Ateneo Guipuzcoano Awardも受賞した。映画祭の公式受賞一覧に二つの賞が同じ作品へ並ぶ。[1]
初監督作にとって、この二重の評価は興味深い。専門批評家からだけでなく、地域の文化団体からも支持されたことになる。国際映画祭で日本の小説家が監督した静かな父娘の物語が受け入れられた理由は、テーマが非常に日本的だからではなく、むしろ親を理解するのが遅すぎたという経験が国境を越えて共有されるからだろう。
父を知るのは、いつも遅い
親子の関係は、子どもから見れば「父」や「母」という役割が先に立つ。その人が若い頃に何を考え、何を諦め、どんな美しさを好み、どこで孤独だったのかを知るのは、多くの場合、ずっと後になる。
『無用の人』は、その遅れそのものを物語にする。父が死んだ後で鍵が届く。理解するための扉が開いた時には、もう本人へ質問できない。
茶と美術が「説明しすぎない」映画を作る
茶の湯や美術は、本作で装飾的な日本文化として置かれているのではない。どちらも、言葉だけでは伝えきれない価値を扱う。
一碗の茶を点てる所作、絵を見る時間、物を選んで置くこと。映画祭の紹介が「small gestures and unanswered questions」を強調したように、本作は大きな告白より、小さな痕跡を読む映画である。[7]
作家が自分の原作を撮る危険
原作者が監督することには利点がある。物語の内側を誰より知っている。一方、原作への距離を失う危険もある。小説で成立した説明を削れない、好きな場面を捨てられない、自分のイメージを俳優へ押しつける可能性もある。
原田はそのリスクを理解した上で、「自分が書いている時に見ていた映像」を映画化することを選んだ。FIPRESCI賞は、その個人的な視覚イメージが少なくとも国際批評家の審査に耐えたという結果でもある。
文学と映画を往復する日本文化
日本映画は長く文学作品と深い関係を持ってきた。小説を監督が翻案する形は珍しくない。しかし作家本人が60代で初監督し、自作を脚本化して国際A級映画祭のコンペへ持ち込む例は多くない。
原田自身の作家活動には『キネマの神様』など映画をめぐる作品もある。映画は突然現れた新しい関心というより、文章、美術、展示、映像が長く一つの中で動いてきた結果に見える。
2027年、日本の観客が初めて見る
映画.comによれば、日本公開は2027年1月29日。配給はビターズ・エンド。サン・セバスチャンで先に世界へ出た映画を、日本の観客は翌年に見ることになる。[10]
海外映画祭で賞を取ったという情報は、公開前の大きな宣伝材料になる。ただし賞は作品の見方を固定するものではない。「国際的に評価された感動作」として見るより、作家が自分の文章をどう映画へ変えたのか、蒼井優とイッセー尾形の間にどんな距離を作ったのかを見る方が、本作の挑戦はよく見えるだろう。
原田マハは映画監督になったのか
一作撮ったからといって、今後も映画監督を続けるかは分からない。原田自身は監督になることを長年の夢としていたわけではなく、読者からの一通の手紙がきっかけだったと語る。
それでも、『無用の人』がサン・セバスチャンでFIPRESCI賞を得たことで、この試みは「有名作家が一度映画を撮った」という余技では終わらなかった。
美術館で作品を並べ、小説で場面を作り、映画で時間と俳優を動かす。原田マハの仕事は媒体を変えても、見る人に「ここに何が残っているのか」を考えさせる点でつながっている。
父の部屋を開ける鍵は、映画の中では聡美へ届く。現実では、原田に届いた高校生の手紙が、作家自身に別の部屋を開けた。その扉の先で最初に得たものが、国際批評家賞だった。
出典・参考資料
- サン・セバスチャン国際映画祭「2026 Awards」—FIPRESCI賞、Ateneo Guipuzcoano賞。
- 国際映画批評家連盟(FIPRESCI)「Festival Awards 2026」—In My Father’s Room / Muyou no hito。
- サン・セバスチャン国際映画祭「Muyou no hito / In My Father’s Room」公式作品ページ—109分、キャスト、スタッフ、あらすじ。
- 原田マハ公式ウェブサイト「映画『無用の人』原田マハ監督インタビュー」2025年3月12日。
- 原田マハ公式ウェブサイト「PROFILE」。
- 新潮社「原田マハ 著者プロフィール」。
- サン・セバスチャン映画祭デイリー「A room full of memories」2026年9月22日。
- サン・セバスチャン映画祭デイリー「Querido papá」2026年9月22日。
- サン・セバスチャン国際映画祭「One Battle After Another, winner of the 2026 FIPRESCI Grand Prix」2026年9月3日。
- 映画.com「無用の人」—2027年1月29日公開、キャスト・スタッフ。
取材・確認期限:2026年10月4日。FIPRESCI賞の受賞自体は映画祭およびFIPRESCI双方で確認済み。公開後の日本国内評価や興行成績はまだ存在しません。批評的解釈はJapan.co.jpによるものです。
