「つくること」は、技法を残すだけでなく、人と人の関係を未来へつなぐことだ。
「つくる」とは何か――京都の庭園で始まった問い
庭園の小径を進み、茶や詩歌の記憶が残る建物へ足を踏み入れる。そこに並ぶのは、過去の手わざを忠実に再現した品ばかりではない。素材を組み替え、技法の意味を問い、国境を越えて手仕事の現在地を示そうとする表現だ。京都で初めて開かれた国際企画「Kyōto YouMe Triennale(キョウト・ユメ・トリエンナーレ)」は、工芸、デザイン、アートを隔てる境界そのものを問い直した。
第0回「MANIFESTO Edition」の一般公開は2026年10月9日から18日まで。主会場は東本願寺の飛地境内にある渉成園と、その西側の重信会館だった。10月20日付の本稿は、公表された企画内容をもとに背景と課題を読み解く。会期後の来場者数や実際の討論内容を現地取材で確認した記事ではない。
なぜ渉成園なのか――370年余りの文化の場所
渉成園(しょうせいえん)は東本願寺ゆかりの庭園で、枳殻邸(きこくてい)の別称でも知られる。1936年には国の名勝に指定された。茶の湯や詩、能などが育まれてきた場所で「ものをつくる意味」を論じることは、過去を展示の背景として借りるだけではない。制作が暮らし、信仰、交流と結びついてきた時間を現代の作品と向き合わせる試みだ。
府の公開資料によれば、渉成園の閬風亭では「Adaptive Radiation(適応放散)」を、臨池亭や滴翠軒と庭園では「I Am. We Are. Liberty」を展開する構成が発表された。展示は史跡空間を利用するが、その解釈や評価が文化財の公的見解という意味ではない。歴史的な場を現代表現にひらくには、保存上の配慮と鑑賞体験の両立が欠かせない。
「適応放散」は生き物の進化から借りた言葉
10組の新世代作家が参加する「Adaptive Radiation」を府の資料は、工藝や伝統技法を根にしながら新しい表現へ枝分かれする試みにたとえる。企画に関わるキュレーターとして金澤韻(かなざわ・こだま)が記されている。生物学の「適応放散」は、一つの系統が異なる環境へ適応して多様化する現象を指す。工芸に適用すれば、古い技法を絶対の型として守るだけでなく、材料や用途を変えながら息を長くしていく発想になる。
京都府の紹介には宮田彩加、國政サトシ、増本景子、野田版画、横山修らの名前が並ぶ。ただし、各作品の制作意図や観客の反応を主催者の短い説明だけで断定することはできない。重要なのは、何が工芸で何が現代美術かを決めることより、作品を前にその区別が必要なのか考え直す余地をつくった点にある。
海を越えたデザインの対話――英国、インド、カタール、イタリア
重信会館での国際展示には、インドのエシャ・グプタ、カタールのシェイカ・アル・スライティ、イタリアのマリア・ヴィットリア・バラヴェッリ、英国のハリー・ピアースらがキュレーターとして参加すると京都府は案内した。国ごとに異なる技術や文化資源を持ち寄ることで、京都の伝統を世界へ一方的に紹介するだけの構図から離れられる。
国際交流は出展国の数だけでは評価できない。作品制作に携わる人へ公正な報酬が届くか、実務的な共同研究や製造の協業が育つか、海外から来た作家が京都の現場と対等に関われるか。きらびやかな国際展覧会の裏側で、継続性を支える条件にも目を向ける必要がある。
二つの1875年が出会った――丹後ちりめんとリバティ
この国際企画の成立を説明する主催者の物語には、意外な接点がある。1875年創業の英国リバティと、同じ1875年に始まった京都府与謝野町の丹後ちりめん企業・丸仙。DESIGN WEEK KYOTOを通じた工房見学などの交流を契機に、ウィリアム・モリスの意匠と丹後ちりめんを結ぶ風呂敷の共同企画が生まれたと主催者は説明する。
ここにあるのは、伝統工芸を「過去の日本らしさ」だけに閉じ込めない可能性だ。丹後ちりめんのしぼを生む撚糸技術と、英国の繊維デザイン史という異なる系譜が一つの製品に出会う。もっとも、その商品が産地の受注や職人の所得にどれほど寄与したかについて、公開資料だけで結論は出せない。
AIが考える時代、人が手でつくる意味
10月11日には京都リサーチパークで国際カンファレンス「つくることの意味」が予定された。主催者の説明によると、AIが思考や制作の過程へ入る時代に、人間が何かを形にする行為の意味をアート、デザイン、クラフトの実践者が議論する構成だった。
AIは下絵や設計案を素早く作り、工房の工程管理も助け得る。しかし素材の手触りを知ること、道具を扱い失敗を修正すること、作品を使う相手の暮らしを考えることまで、単純な処理速度で測れるだろうか。逆に手仕事だけを神聖視すれば、障害のある制作者を支える道具や省力化技術を見落とす。「手か機械か」の二者択一を超える議論こそ求められる。
街と産地を歩く――YouMe Open、YouMe Journey
企画を大きな展示室の中だけで終わらせない仕組みが「YouMe Open」と「YouMe Journey」だ。前者は京都市内のスタジオ、企業、作り手によるサテライト展示。後者は素材、風景、技術に出会う小規模な訪問・交流プログラムで、京都市、亀岡市、向日市、長岡京市などが訪問地域として挙げられた。
作品に値札が付くまでの労働や、材料の調達、技術を次世代に伝える時間は、都市中心部の展示だけでは見えにくい。工房を訪ねることは、作家を観光資源として眺めることと異なる。来訪者の満足だけでなく、受け入れる事業者に時間と費用に見合う利益が残る設計かが問われる。
三年に一度の祭典は文化の基盤になれるか
「トリエンナーレ」という名には3年ごとの開催構想が含まれる。だが初回を開いたことと、継続的な国際文化の基盤を築いたことは同じではない。運営資金、企画の独立性、地元企業の参加、人材育成、会期外の研究や発信が積み重なって初めて、祭典は地域へ根を下ろす。京都府は地域創生の取り組みとして本企画を紹介している。
文化を支える投資には、短期の来場者数とは別のものさしが必要だ。参加した作家が次の協業へ進めたか、工房に新しい取引が生まれたか、展示を見た若者が学びの機会を得たか。公費や協賛の効果を語るなら、比較できる数値と具体的事例を後から確かめたい。
京都の強さは、完成品より「つくり続ける力」にある
京都には、変わらない古都というイメージがある。しかし伝統は、幾世代もの職人や表現者が素材、技術、需要と向き合い、形を変えてきた歴史でもある。新しいトリエンナーレは、その「変わりながら受け継ぐ」営みを国内外の目で見直そうとした。
人の手の価値を掲げる催しは、そこで働く人の生活を語らずには完成しない。技術を受け継ぐ自由、表現を変える自由、文化の現場で生きていける収入。京都の未来を左右するのは、展覧会の余韻よりも、つくり手が明日も制作を続けられる条件なのかもしれない。
取材注記:2026年10月17日までに公開された京都府、主催者、協力機関の資料に基づく。会期最終日18日の結果、独自の会場取材、来場者数および議論の実際の発言内容は検証できていない。
