8月28日論文オンライン掲載
28→60日病変の経過を観察
37.5%患者由来EHTの60日目ペーシング応答
87.5%対照EHTの60日目ペーシング応答
注意:この研究はヒト由来の培養心臓組織による疾患モデルであり、患者への移植や治療成功を示すものではない。

28日目には見えず、60日目に現れた異変

患者の細胞からつくった小さな心臓組織を、時間をかけて育ててみる。28日目には確認できなかった異常タンパク質が、60日目には蓄積していた。しかも、電気刺激に応じて収縮する組織の割合が低下し、拍動の間隔も長くなった。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)などの研究グループが報告したのは、希少疾患の心臓で起きる異変を、ヒト由来の立体組織の中で追跡する技術である。これは新しい治療法ができたというニュースではない。治療法を探すための観察窓が一つ増えたという成果だ。

研究発表は10月、原著論文は8月

CiRAの日本語発表は2026年10月26日、京都大学の研究成果一覧への掲載は10月27日。一方、査読付き学術誌『Biofabrication』に論文がオンライン掲載されたのは8月28日である。論文の英題は「Engineering epicardium-integrated human iPSC-derived heart tissue for modelling Hutchinson-Gilford progeria syndrome」。今回の記事は、秋の大学発表を契機に、既に公表された論文の内容と意味を検証した解説だ。

病気の中心にある「プロジェリン」

ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群(HGPS)は、LMNA遺伝子の異常によって、細胞核に関係するタンパク質の異常型「プロジェリン」が生じる稀な疾患である。身体に早期から老化に似た変化が現れ、心臓・血管の障害が生命を脅かす。暦年齢が速く進むという意味ではない。「早老症」という名称から、通常の加齢と病態をそのまま同一視するのも適切ではない。

iPS細胞研究が20年を迎える年に

2006年、山中伸弥氏らがマウスの体細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作製し、2007年にはヒトでも報告した。2026年は、この研究の出発点から20年となる。iPS細胞は移植用細胞の話題で注目されるが、患者由来の細胞から病気の仕組みを再現し、薬の候補を調べる「疾患モデル」という使い道も重要だ。今回の研究はその系譜に位置づけられる。

心筋だけでは心臓を説明できない

心臓は拍動する心筋細胞だけでできていない。心臓線維芽細胞は組織の支持構造に、血管平滑筋細胞は血管の機能に関わる。細胞同士の相互作用や細胞外マトリックスも病態を左右する。従来の平面培養や心筋細胞だけのモデルでは、こうした組み合わせを十分に扱えない場合があった。研究者が心外膜細胞に着目したのは、発生過程で複数の重要な細胞系譜を生む役割があるためだ。

心外膜細胞を加えた「工学的心臓組織」

研究チームは患者と健康な両親に由来するiPS細胞から心筋細胞と心外膜細胞をつくり、細胞外マトリックスのゲル中で立体的な工学的心臓組織(EHT)を組み立てた。組織内の心外膜細胞は心臓線維芽細胞や血管平滑筋細胞へと分化した。心筋細胞だけのEHTと比較すると、心外膜細胞入りの組織はよりまとまり、単位断面積当たりの収縮力も高かった。

比較実験が示した組織づくりの効果

CiRAの発表によると、心筋細胞だけのEHTの収縮応力は46±8 µN/mm²(6組織)で、心外膜を組み込んだEHTでは138±90 µN/mm²(27組織)だった。ばらつきも大きく、数字だけで生体の心臓と同等だとは言えない。それでも、多種類の細胞を組み合わせることがモデルの機能に影響する点を、比較して示した。

28日目と60日目を分けるもの

患者由来EHTでは、培養28日目には検出できなかったプロジェリンが60日目に確認された。酸化ストレス、動脈硬化、線維化、細胞死に関連する遺伝子群の発現が増え、ミトコンドリアや洞房結節の機能に関わる遺伝子群は減った。コラーゲンの蓄積など、組織の変化も認められた。単なる写真の再現ではなく、時間経過とともに複数の指標が変化する様子を追えることに価値がある。

電気刺激への応答、87.5%と37.5%

培養25日目に1ヘルツの電気刺激に反応したEHTのうち、60日目にも応答したものは、対照群で87.5%、HGPS患者由来群で37.5%だった。患者由来組織では自発拍動の間隔も延びた。一方、電気刺激下で測った収縮応力や収縮時間などには有意差が認められなかった指標もある。すべての心機能が一様に悪化した、と要約するのは誤りだ。

治療薬を「試せる場」は治療薬そのものではない

研究で使ったポリスチレン膜の装置は、薬剤が吸着しにくい設計とされ、今後の薬効評価への利用が期待される。ただし今回の報告は、特定の薬が患者の心臓病変を改善したという試験ではない。薬の候補を組織で評価する段階と、人で安全性や有効性を確かめる臨床試験は明確に区別しなければならない。

研究チームを支えた国際的な連携

研究を率いたのはマルタ・ハックリ研究員、アントニオ・ルセナカカセ准教授、京都大学CiRAの吉田善紀准教授ら。論文にはAmanda Putri Elvandari氏、松村靖子氏、船越俊介氏も名を連ねる。京都大学に加え、フィンランドのタンペレ大学、大阪大学の研究拠点が所属機関として記載されている。資金面ではプロジェリア研究財団やiPS細胞研究基金などが挙げられる。

患者と家族にとっての意味、そして限界

稀な疾患では患者数が限られ、心臓の病状が進む過程を直接採取した組織で調べることは難しい。患者の細胞から長期間育つモデルは、病態の手掛かりを得る一つの方法となる。しかし試験管内の組織は心臓全体でも血管網を備えた人体でもない。個人差、免疫・内分泌の影響、薬剤代謝、長期経過などは別途検証を要する。

次に必要なのは、再現性と機序の解明

今後は培養期間の延長、単一細胞レベルの解析、独立した患者由来細胞での再現、薬剤反応の比較が重要になる。どの細胞種がどの病変に寄与するのかを切り分けられれば、HGPSだけでなく他の心血管疾患のモデルにもつながる可能性がある。研究の価値は「小さな心臓をつくった」ことだけではない。生きた患者の臓器で確かめにくい時間の変化を、慎重に調べる方法を広げたことにある。

出典・確認資料

京都大学CiRAの日本語研究成果発表・原著論文書誌を照合。論文掲載は8月28日、CiRA発表は10月26日。研究者への独自取材は実施していない。

  1. 京都大学iPS細胞研究所・研究成果/CiRA original Japanese report
  2. 京都大学iPS細胞研究所・2026年10月26日発表/CiRA news release
  3. Biofabrication・原著論文/Peer-reviewed article
  4. 京都大学・2026年10月27日の研究成果一覧/Kyoto University research index
  5. 京都大学iPS細胞研究所・研究成果一覧/CiRA research archive