約140万枚アナログ観測記録の画像
121地点世界の観測所
100年以上資料が含む観測史
2026年10月30日京都大学の発表日
「140万」は観測値の件数ではなく記録画像の枚数。研究論文の掲載日は9月11日で、大学発表日は10月30日。

1957年9月、世界の観測所で刻まれた線

1957年9月13日、アルジェリアと南極の地磁気観測所では、地球を取り巻く磁場の変化がそれぞれの記録紙に描かれた。同じ磁気嵐を異なる緯度で捉えた記録には、現代の衛星観測だけでは遡れない情報がある。京都大学が10月30日に発表した「COMPASS」は、こうした古い記録約140万枚を、世界中の研究者が検索し、拡大し、比較できるようにした公開基盤だ。目玉は新たに磁気嵐が見つかったことではない。かつて散在し、読みにくかった観測の一次資料が、まとめて見渡せるようになった点にある。

121地点、百年以上の記録を一つの入口に

開発したのは京都大学、名古屋市立大学、名古屋大学の研究グループ。正式名称はComprehensive Magnetogram Portal and Archive Service System(COMPASS)で、地磁気世界資料センター京都が運用する。世界121か所の観測所に由来する約140万枚の画像には、地磁気の変化を描くマグネトグラムのほか、地中の電位差の変化を記録したテルリグラムも含まれる。「140万」は140万回の新しい測定結果ではなく、印画紙やマイクロフィルムなどからデジタル化した画像の枚数である。対象は百年以上にわたるが、すべての地点で同じ期間が連続しているわけではない。

磁気嵐はなぜ起きるのか

太陽活動によって放出されたプラズマや磁場の乱れが地球の磁気圏に作用すると、地磁気が大きく変化する場合がある。これが磁気嵐だ。オーロラの広がりを変えるだけでなく、地上の送電網に誘導電流を生じさせたり、衛星の運用や測位・通信に影響したりする可能性がある。ただし、すべての太陽フレアが地球で大きな磁気嵐を起こすわけではなく、被害の大きさは地磁気変動の速さ、送電網の構造、地盤の電気伝導度、運用状況などに左右される。研究者が過去の記録を求めるのは、現代の短い観測期間だけでは極端な事例を十分に評価しにくいからだ。

一本の線に、観測者の仕事が残っている

古い地磁気変化計は、小さな磁石を細い糸で吊り、その動きを鏡と光で増幅して回転する印画紙に線を描いた。方位の変化を示す偏角(D)、水平成分(H)、鉛直成分(Z)などが記録された。観測者は時刻標識を付け、感度や器械の状態を書き込む。磁場が激しく変化すると線が交差し、写真の歪みも起こる。画像を残すことには、数値化した時系列データだけでは見えない線の形や手書き注記を検証できるという意味がある。古い紙は単なる思い出ではない。測定の信頼性を確かめる科学的証拠でもある。

紙から画像へ――デジタル化だけでは終わらない

資料をスキャンしただけでは、研究者が欲しい記録にたどり着けない。観測所の表記、年、計測項目、記録方式が統一されていないからだ。研究チームが採用したのは、図書館や美術館で古文書や絵画の閲覧に使われるIIIF(International Image Interoperability Framework)。画像の高解像度表示に加え、資料の説明情報を標準的な形式で整理し、別の閲覧ソフトとも連携できる。地球物理の記録を文化遺産のデジタル公開技術で扱うところに、この成果の独創性がある。

従来の公開方式から何が変わったか

原著論文によれば、京都の旧サービスにはすでに画像閲覧機能があったものの、階調を落とした画像などでは薄い線が見えにくく、全体の約37%が未公開だった。新システムは元の解像度と階調を活用し、観測所、年、日付、記録種別での検索や複数画像の比較を可能にした。掲載された画像を全て新たに撮影したという意味ではない。長く蓄積されていた資料を、研究に使える形で広く公開したことが今回の進歩だ。

1957年の磁気嵐を、異なる土地で比べる

京都大学の発表に掲げられた例は、1957年9月13日のアルジェリアと南極における観測記録の比較である。同一日の線を並べると、緯度や位置によって磁場変動の特徴が異なることを考える入口になる。ただし、図を見ただけで両地点の磁気嵐の強さを単純に大小比較することはできない。器械の感度、成分、記録速度、時刻合わせを確認しなければならない。COMPASSが用意するのは、こうした検証の出発点だ。

磁気嵐研究と電力インフラの距離

大規模な地磁気変動は長い導体に電流を誘導しうる。送電網では変圧器への影響が懸念され、鉄道・パイプライン・通信などの分野でも関連する現象が研究されている。衛星の電子機器や電離圏を通る電波にも宇宙天気は影響し得る。だからといって、COMPASSが公開されたことで停電の日時や規模を予測できるようになったわけではない。過去の極端な乱れを定量的に再検討し、防災や機器設計の基礎となる事例を増やすための長期的な研究基盤と捉えるのが正確だ。

1859年をどう扱うか――史料と計測の違い

歴史上の大規模太陽嵐では、1859年のいわゆるキャリントン・イベントがよく知られる。世界各地でオーロラの目撃や電信への影響が記録された。ただし当時の観測網は限られ、現代の測定方式と同じ精度で全世界の地磁気変化を復元できるわけではない。今回のCOMPASSは世界の古い測器記録を比較する手段を広げるが、19世紀の全ての事象が網羅されたと考えるのも誤りだ。データの空白や記録形式の違いこそ、歴史研究に必要な注記となる。

検索画面から何ができるのか

利用者は公式サイトで観測所、データ種別、年、日付を絞り、画像の一覧から資料を選べる。IIIF対応のビューワーでは記録を拡大したり、別の画像と並べたり、元のスキャンを取得したりできる。利用可能な観測所と年の対応表もある。ただし観測所によって記録の有無や画質は異なる。現在の分類は暫定的で、整理に伴って変更される場合があると運営側は説明している。実際の科学利用では原資料の出典と各観測所の謝辞が求められる。

公開イコール自由な商用利用ではない

COMPASSの案内は科学利用を対象にし、データにはCC BY-NC 4.0の利用条件を示している。商業目的で個々の観測所の資料を使いたい場合、関連機関への確認が必要と明記されている。本記事の挿絵は資料画像の複製ではなく、歌川国貞の浮世絵に着想を得た編集イラストである。資料画像を利用する人は、画像が見られることと、無条件に再利用できることを混同しない方がよい。

古い記録が未来の備えになるまで

画像を数値に直すには、時間軸、感度、光学的な歪み、線の交差を丁寧に読み解く必要がある。観測所ごとの磁気緯度や機器更新も比較を難しくする。論文は情報基盤の構築を報告したもので、すでに特定の過去の嵐の最大値を確定した研究ではない。それでも、これまで人手と移動を要した調査の入口が開かれた意義は大きい。古い一枚の記録が、百年後の社会を支える判断材料になるかもしれない。その可能性は、資料を公開した先の慎重な検証にかかっている。

出典・取材方法

京都大学の一次発表、査読済み技術論文、運営センターの公開資料などを照合した文書取材。著者への直接取材は行っていない。

  1. 京都大学 2026年10月30日 研究成果発表
  2. 原著論文:今城峻ほか、Earth, Planets and Space(2026年9月11日)
  3. 地磁気世界資料センター京都:COMPASS 利用方法・データ利用規則
  4. COMPASS 英語公式ページ
  5. 京都大学 地磁気世界資料解析センター
  6. 情報通信研究機構 宇宙天気予報
  7. 国土地理院 地磁気連続観測データ