本稿の対象範囲: 宮下さんの被害は確認された1戸の事例であり、八代い業全体の被害総数ではありません。熊本県は、いぐさ製織作業場の倒壊やい草専用機械の破損を確認しましたが、本号の情報確認時点でい草関係だけの全件数は公表していません。県が8月11日に示した農業用機械・施設約2,000件、約103.8億円の被害は、多数の作物、建物、機械を含む広い集計です。

屋根が落ちた瞬間、機械は織機ではなくなった。柱になった。

7月28日の地震が起きた時、八代市千丁町のい草農家、宮下優作さんは小屋の中で作業していた。建物が周囲で崩れた。地元局KABへの証言によれば、5台の畳表織機が倒壊部分を支え、逃げる空間を残したようだった。宮下さんは脱出できた。しかし、5台はすべて使えなくなった。命を守ったかもしれない機械は、その命を組み立ててきた仕事を続けられなくなった。

収穫物は中に残った。畳の見える表面をつくる細長い湿地植物、い草の束が、押し下げる屋根の下にある。宮下さんは救い出せるものを取り出したかったが、入れば二次倒壊の危険がある。作物には価値がある。それでも、育てた人の命より高くはない。

外では、別の破断が未来に達していた。用水路が壊れ、水を引けなくなった。い草は管理された水と切り離せない。8月に苗を水田苗床へ移し、11月下旬ごろに本田へ植え、翌年6月末から7月中旬の収穫へ育てる。織機の停止は今年の収入を止める。水路の停止は来年の作物を止め得る。

生産再開には1年以上かかる見込みだという。小屋、織機、安全に取り出せる原草、安定した水が必要になる。それでも宮下さんは、い草畳表への需要があるなら、産地として応えなければならないとKABに語った。その決意は、無傷の人の明るい楽観ではない。12か月で二つの災害を受けた後の言葉だった。


織機5台倒壊した宮下さんの作業小屋にあった全台が使用不能
2025年に500キロ廃棄豪雨で畳表約200枚分のい草を失った
再開まで1年以上地震後に見込む生産復帰への時間
農家223戸地震前の熊本県全体。1年で16%減少

水が育て、水が奪った

2025年8月、線状降水帯による記録的大雨が熊本を襲った。宮下さんの小屋一帯は冠水した。い草約500キロ、畳表およそ200枚分を廃棄せざるを得なかった。産地の広い範囲でも、専用機械、保管中の原草、完成した畳表、苗が浸水した。

公的支援は専用機械の復旧などを後押しし、産地は生産を戻してきた。宮下さんも豪雨被害から立ち直り、製織が軌道に乗り始めたところで地震を受けた。二つの災害が同じ作物の正反対の条件を攻撃した点に、特別な残酷さがある。2025年は制御できない水があふれた。2026年は水路が壊れ、必要な水が届かない。

ここでは「農場」と「工場」の境界も消える。多くの消費者が想像する以上に、い草農業は垂直統合されている。農家が苗を育て、収穫し、泥染めし、乾燥させ、長さで選別し、畳表に織る。検査・流通を経て畳店へ届き、そこで畳床に張られ、縁を縫い付けて初めて完成した畳になる。

だから崩れた屋根の下にある収穫物は、普通の意味での在庫ではない。数か月の生物的成長が、同じ農家で行う工業工程を待っている。そして5台の織機の破損は作業を遅くするだけではない。作物と現金をつなぐ橋を壊す。

い草農家は、加工業者であり、織り手でもある。刈った時にはまだ収入ではない。畳表になって、初めて売れる。

空白の月がない栽培暦

い草の仕事では、地震の日付そのものが重大だ。収穫は通常6月下旬から7月中旬。鮮度を保つため、夜明け前や涼しい夕方に刈ることが多い。刈ったい草は、天然の細かな粘土を溶いた水に浸す。伝統的な「泥染め」である。染土はい草特有の色、光沢、香りを整え、表面を覆って均一な乾燥を助ける。

乾燥後、長さと状態で選別する。畳表に見える中央部には根元と先端を使わないため、長く、まっすぐで、傷や変色の少ないい草ほど上級品をつくりやすい。農林水産省資料の品質区分は97センチ以上から始まり、最上級品用は140センチ以上に達する。良い製織は田んぼから始まる。織機は茎を長くできず、傷を消せない。

製織は年間を通して続く。その一方で次の周期が始まる。畑苗床で育てた苗を8月に水田苗床へ移し、11月下旬に掘り出して株分け・根切りし、本田に植える。水、機械、保管、労働は別々の系統ではなく、重なっている。

時期作業地震後の弱点
8月翌年用の苗を水田苗床へ移し、育てる用水路の損傷が直ちに次年度へ影響する
11月下旬苗を株分け・根切りし、本田へ植える狭い生物的期限までに圃場と水を戻す必要
6~7月網上げ、収穫、泥染め、乾燥集中期には電力、乾燥機、人手、安全な建物が不可欠
年間選別、製織、点検、仕上げ小屋や織機の損失が収穫と販売の間に価値を閉じ込める

地震は収穫直後、乾燥したい草が小屋へ入り、次の苗づくりが迫る時に起きた。「都合のよい農閑期」まで復旧を待つことはできない。い草に空白の月はない。


「お止草」から日本一へ

熊本県の公式史は、八代のい業の始まりを1505年に置く。現在の千丁町太牟田上土城主、岩崎主馬守忠久が、領内でい草を栽培させ、特別な保護のもとで奨励したと伝えられる。1750年代には、細川藩も栽培と製織を奨励した。

明治維新前、栽培は太牟田、新牟田、上土、新開、下村の五村だけに限定された。い草は「お止草」と呼ばれた。栽培知識と価値を外へ自由に広げない、管理された地域資源だった。制限で守られた作物が、やがて拡大によって生き残る。この名には逆説がある。

太牟田表、八代表、肥後表と呼び名を変えながら、製品は八代・宇城を中心とする地場産業へ育った。機械化、戦後の住宅建設、畳敷きの部屋の普及が需要を拡大した。農林水産省の地理的表示登録資料によれば、1970年に日本一の産地となった。

八代が入った市場は、畳の歴史そのものと結び付く。日本の古い文献には重ねたり畳んだりする敷物が登場する。平安時代には、後の形に近い畳が板敷きの上の座具・寝具となり、厚さや縁が身分を表した。鎌倉・室町時代に書院造が発展すると部屋全体を敷き詰めるようになり、江戸期には町人の家へ、近代には一般住宅へ広がった。

2016年2月、「くまもと県産い草」と「くまもと県産い草畳表」は、それぞれ国の地理的表示(GI)登録を受けた。前者は長茎の県優良指定品種と伝統的な泥染め、後者は栽培から製織までの一貫工程を保護する。二つの登録は、法律上も微妙な事実を示している。植物と織物はつながっている。しかし、それぞれに異なる知識が宿る。

1505年 現在の千丁町で保護された栽培が始まったと伝わる。

1750年代 細川藩が栽培と製織を奨励。

1868年以前 「お止草」の栽培を五村に限定。

1970年 日本一の畳表産地へ成長。

2016年 い草とい草畳表が別々にGI登録。

2025年8月 記録的大雨で専用機械、原草、畳表、苗が浸水。

2026年7月28日 地震で作業場、織機、用水路が被災。


国産文化を支える223戸

地震が襲ったのは、大きく成長する商品作物の産地ではない。驚くべき速さで縮小していた、農と工芸の集中システムだった。

農林水産省の2025年産概数によれば、熊本県のい草作付面積は242ヘクタールで前年比24%減。収穫量3,630トンは27%減、畳表103万枚は27%減、生産農家223戸は16%減だった。2022年以降、同省の国内生産統計表に載る産地は熊本だけである。実質的に、日本一の産地が記録上の国産作物のほぼ全体になった。

長期比較はさらに厳しい。2006年、日本は畳表688万枚を生産し、い草農家は1,030戸あった。2025年には103万枚、223戸。およそ85%、78%の減少である。国産畳表2,694万枚だった1996年と比べれば、落ち込みは96%を超える。

指標2024年2025年概数1年の変化
熊本の作付面積319 ha242 ha−24%
い草収穫量4,980 t3,630 t−27%
国内畳表生産141万枚103万枚−27%
い草農家266戸223戸−16%

これは地震前の数字であり、地震被害の推計ではない。災害が落ちた土台の小ささを示す。1戸の喪失と産業の喪失は統計上同じではない。しかし1戸が離れれば、設備、技能、苗、取引関係、後継可能性が、急速に狭まるシステムから消える。


足元の競争

日本住宅の変化は、数十年前から需要を減らしてきた。新築住宅の和室は減り、畳替えの頻度も下がり、フローリングが普通になった。主に中国からの輸入畳表、和紙や樹脂でつくる工業表は、低価格、均質な見た目、異なる手入れ特性を提供した。

2025年6月までの1年間、日本の供給は国産約103万枚、輸入推計約458万枚で、国産自給率は18%だった。国産畳表の平均価格は1枚2,176円、輸入品は951円で約2.3倍の差がある。これは等級を横断する産地・輸入側の平均指標であり、完成した畳の小売価格ではない。

価格だけでは品質を説明できない。熊本は「ひのみどり」「夕凪」「ひのはるか」「涼風」など、長さ、色、きめ、耐久性、製織効率に優れる品種で応えてきた。県優良指定品種は2024年産の97%を占めた。生産者名を表示し、QRコードで情報を伝え、GI制度で土地と工程を名称に結び付ける。

ただし高品質戦略には、独自の復旧条件がある。上級国産品を畳店が売るには、来年も産地から届くと信じられなければならない。農家が再建するには、復旧に1年かかっても注文が残ると信じられなければならない。災害支援は資産を置き換えられる。需要は、その資産を回す理由をつくる。

織機1台が意味するもの
  • 資本:交換・修理できる業者が限られる専用機械。
  • 農家収入:保管した原草を市場で売れる畳表に変える工程。
  • 品質管理:い草の長さ、密度、経糸、等級を合わせる技術。
  • 継続性:次の作物が育つ間も買い手との関係を保つ能力。

地震後の業界報道は、千丁町の別農家の例で新品の織機を1台約300万円としました。規模感を知る参考であり、機種、状態、必要仕様が公表されていない宮下さんの5台の見積額ではありません。


二度目の災害が支援制度を試す

2025年豪雨後、熊本県は農業機械への支援に加え、い草専用機械、被災した原草・畳表の処分などの対策を設けた。八代市は後に国への要望書で、各種復旧対策により生産現場の早期復旧が進み、水害を理由にした離農を防げたと説明した。

地震は、同じ農家を2度支えられる制度かどうかを試す。修理・更新したばかりの資産が再び損傷しているかもしれない。建物を撤去しないと織機を査定できない場合がある。豪雨の補助申請が継続中のまま、第二の被害記録が始まる。単一災害を前提にした制度は、証拠、保険、耐用年数、過去の公費支援が重なると難しくなる。

8月11日時点の熊本県の広い農業集計は、機械・施設約2,000件、約103.8億円の被害を計上した。そこにはトラクター、稲作用機械、ハウス、畜舎、い草専用機械が含まれ、い業の被害総額として示してはならない。県は8月3日、い草を含む品目別プロジェクトチームを設置し、課題を記録して営農再開策を検討した。幹線用水路の応急復旧、仮設ポンプによる水の確保も進められた。

長く効く支援には複数の時計が必要だ。がれき撤去と建物安全は直ちに。織機の修理・更新、共同製織は数か月。水と苗は生物的期限で動く。所得支援は販売までをつなぐ。そして需要づくりは、災害への世間の関心が薄れた後も続かなければならない。


小屋を建て直すのか、産業を残すのか

宮下さんの復旧は、建設工事の一覧で説明できる。倒壊した小屋を片付け、安全に回収し、建物と機械を更新し、水を戻し、製織を再開する。しかし、その一覧は内側の戦略判断を隠す。5台分の機能を以前と同じ形で戻すのか。より安全で効率的な配置をつくるのか。仮設・共同製織で注文を守れるか。買い手は1年の空白を待つか。支援は単なる「原状復旧」ではなく、強靱化に使えるか。

同じ問いは産地全体へ広がる。機械技術者は少ない。農家は高齢化している。国内市場は小さい。一つの復旧事業だけで逆流はできない。それでも、残る結節点を強くできる。小屋・機械の耐震固定、高い場所での保管、固定方法の記録、代替用水、相互に製織を助ける能力、事業承継、生産者と畳店を結ぶ明確な契約である。

消費者も答えの一部を持つ。生産者を表示した熊本県産畳表を選び、い草の産地を尋ね、農家へ価値が戻る等級に対価を払う。それは儀礼的な応援ではなく、市場の信号になる。一度の寄付はがれき撤去を助ける。繰り返す注文が、更新した織機に仕事を与える。

文化保存の責任を、被災した1人の農家に負わせてはならない。宮下さんには、家族にとって安全で成り立つ道を選ぶ権利がある。それでも続ける意思を示したことは重要だ。その意思に、制度と市場が現実的な条件で応えるかが問われる。


部屋は、湿った田んぼから始まる

完成した和室は、その起源を美しく隠す。表面は静かで、反復し、完結して見える。8月に移した苗も、冬の植え付けも、夜明け前の収穫も、染土の水も、乾燥機も、選別する手も、織機も見えない。倒壊した小屋の外で、次の部屋をまだ作れるか計算する農家も見えない。

500年にわたり、八代は水とい草を日常生活の建築へ変えてきた。かつて畳は身分を表し、後に普通の住宅を覆った。今は部屋と家計のより小さな場所を競う。それでも香りと触感は、日本の最も即時的な感覚記憶の一つであり続ける。

2025年豪雨は宮下さんの作物を水に沈めた。2026年地震は次の作物を屋根の下に閉じ込め、それを織る機械を壊した。宮下さんは損失を美化せず、誰かを責めもしなかった。まだあるかもしれない需要を見て、それに応えたいと語った。

止まった5台の織機は、一農家の身近な災害である。同時に、国産い草が数百戸に支えられる国にとって、全国的な問いでもある。部屋がもう一度始まる時、その床を織る人は残っているだろうか。


取材ノート・主な資料

本稿はKABが8月12日に報じた宮下優作さんの事例を中心に、確認された1戸の被害と産地全体の数字を区別しました。生産統計は農林水産省が2026年1月に公表した地震前の2025年産概数です。増減率は同省の2024年・2025年値から算出しました。県の機械・施設被害は農業全体の集計で、い業の被害額ではありません。今後のい草供給量や価格は予測していません。