日本酒、味噌、醤油、みりん、甘酒。日本の発酵食品を支えてきた麹菌のゲノムには、まるで貨物船のように遺伝子を積み込み、移動する巨大なDNA領域が存在していた。

東京大学大学院農学生命科学研究科の丸山潤一(まるやま・じゅんいち)教授と、自然科学研究機構基礎生物学研究所の重信秀治教授らの研究グループは、麹菌 Aspergillus oryzae のゲノムから、真菌に特有の巨大転移因子「Starship」を複数発見した。比較ゲノム解析の結果、これらは麹菌が近縁種から分化し、人間によって家畜化され、用途別の実用株へ多様化する過程で、獲得・喪失・水平伝播を繰り返してきた可能性があるという。[1]

確認できた事実: 今回の研究はiScienceに掲載され、Starshipは麹菌株間で存在場所や遺伝子構成が異なり、10クラスに分類された。各Starshipには2~57個の遺伝子が含まれていた。酒・味噌用株ではα-アミラーゼ遺伝子を含む例、醤油用株ではセルラーゼやキシラナーゼ遺伝子を含む例が確認された。[1]

Starshipとは何か

通常のトランスポゾンは、ゲノムの中を移動できるDNA配列である。東京大学の解説では、多くは100~10,000塩基対ほどの大きさだが、Starshipは15~700kbpにも及ぶ。桁違いに大きく、内部に多数の遺伝子を積み込める点が特徴だ。[1]

末端には転移に関わると考えられるチロシンリコンビナーゼ遺伝子があり、内部にはさまざまな「貨物遺伝子」が含まれる。これまで真菌のStarshipには、重金属耐性、ホルムアルデヒド耐性、病原性などに関係する遺伝子を運ぶ例が報告されてきた。今回の研究は、それが食品発酵に使われる麹菌の株内多様性にも深く関わっている可能性を示した。[1]

麹菌は「野生」ではなく、人間と一緒に変わってきた

Aspergillus oryzae は、近縁の Aspergillus flavus の一系統から分化・家畜化されたと考えられている。A. flavus には強い発がん性を持つアフラトキシンを産生する株がある一方、麹菌は長い食品利用の過程で安全な発酵微生物として選抜されてきた。酒類総合研究所も、麹菌がアフラトキシンを生産せず、長年にわたり食品産業で利用されてきたことを安全性の重要な特徴として説明している。[2]

「家畜化」と聞くと犬や牛を思い浮かべるが、微生物でも同じことが起こる。人間が望ましい性質を持つ株を繰り返し選び、増やし、使い続ければ、野生集団とは異なる遺伝的特徴が蓄積していく。

15~700 kbpStarshipの大きさ
10クラス麹菌で分類されたStarship
2~57遺伝子各Starshipに含まれた遺伝子数
2006年日本醸造学会が麹菌を「国菌」に認定

酒と味噌のStarshipにはα-アミラーゼ

今回の研究で特に目を引くのが、用途別の実用株とStarship内部の遺伝子との対応である。

日本酒や味噌の醸造用株では、デンプン分解酵素であるα-アミラーゼの遺伝子を含むStarshipが確認された。研究グループは、Starshipがこの遺伝子のコピー数増加に寄与した可能性を示している。[1]

米のデンプンを糖へ分解することは、日本酒醸造の根幹にある。酵母はデンプンそのものを十分に利用できないため、麹菌がアミラーゼを分泌して糖を作り、その糖を酵母がアルコールへ変える。麹菌の高い酵素生産能力は、長く日本の醸造技術の中心にあった。

醤油用株には、植物細胞壁を壊す遺伝子

一方、醤油製造用の株が持つStarshipには、セルラーゼやキシラナーゼの遺伝子が特徴的に含まれていた。これらは植物細胞壁の主要成分を分解する酵素だ。[1]

醤油は大豆と小麦を原料とする。デンプンだけでなく、植物細胞壁やタンパク質など複雑な構造を分解する能力が発酵の効率や風味形成に影響する。研究は、Starshipがこうした用途別の性質を形成する遺伝的材料を運んできた可能性を示す。

人間が「酒に向く麹」「味噌に向く麹」「醤油に向く麹」を選び続けた裏側で、巨大なDNAの乗り物が、必要な遺伝子を積み替えながら菌の性質を変えてきた可能性がある。

株の中だけでなく、種の壁も越えた可能性

研究チームは、Starshipが単に同じゲノムの中を移動しただけではないとみている。

麹菌と近縁の A. flavus を比較すると、祖先から垂直伝播してきたと考えられるStarshipがある一方、麹菌の家畜化過程で新たに獲得または喪失した可能性のあるものも見つかった。さらに、麹菌の株どうしの間で水平伝播したことを示唆する配列パターンも得られた。[1]

驚くべきことに、系統的に遠い紅麹菌 Monascus purpureus にも麹菌と似たStarshipが確認され、種を越えた水平伝播の可能性まで示された。研究者はこれを、Starshipが「株や種の境界を越えて」遺伝子を運ぶ証拠の一つとしている。

水平伝播とは何か

遺伝子は通常、親から子へ受け継がれる。これが垂直伝播だ。これに対し、系統の異なる個体や種の間で遺伝情報が移ることを水平伝播という。

細菌では薬剤耐性遺伝子の水平伝播がよく知られるが、真菌でも巨大可動遺伝因子を介した遺伝子移動が注目されている。2026年のNature Communications論文でも、複数の真菌属でStarshipと他の転移因子の水平移動を示唆するゲノム証拠が報告された。[3]

「移動するDNA」は、昔はゲノムの厄介者と見られた

トランスポゾンは、かつては遺伝子の働きを邪魔する「ジャンクDNA」に近い存在として扱われることも多かった。しかし現在では、ゲノムの再編成、遺伝子発現の変化、新しい遺伝子組み合わせの形成を通じ、進化を加速する役割があることが分かっている。

Starshipはその概念をさらに大きなスケールへ広げる。単一のDNA断片ではなく、数十の遺伝子をひとまとまりで運べるため、生物の性質を一度に大きく変える可能性がある。

2005年、麹菌ゲノムが読まれた

この研究の背景には、日本で長年続けられてきた麹菌ゲノム研究がある。

2005年、日本の研究グループは A. oryzae RIB40株の全ゲノム配列をNatureに発表した。酒類総合研究所によると、ゲノムサイズは約37Mb、予測遺伝子数は12,074。近縁の A. nidulans や A. fumigatus よりゲノムが7~9Mb大きく、分泌型加水分解酵素、アミノ酸代謝、糖・アミノ酸輸送関連遺伝子が増えていることが示された。[4]

当時は「なぜ麹菌はこれほど発酵に向くのか」をゲノム全体から理解する時代が始まった。今回のStarship研究は、その問いをさらに進め、「用途の違う株が、どのように異なる遺伝子セットを獲得したのか」へ踏み込んでいる。

麹菌は日本の「国菌」

日本醸造学会は2006年、麹菌を日本の「国菌」と認定した。酒類総合研究所も、黄麹菌が古くから日本の醸造と食品製造に利用され、食文化を支えてきたと説明している。[5]

この「国菌」は象徴的な称号だが、産業的な意味も大きい。麹菌は日本酒、味噌、醤油、甘酒、みりんなどの製造だけでなく、酵素や有用タンパク質の生産にも使われる。農研機構は、麹菌が高いアミラーゼ、プロテアーゼなどの分泌能力を持つことを、産業利用上の重要な特徴としている。[6]

毒を作る近縁種から、食を作る菌へ

A. oryzae の進化で興味深いのは、近縁にアフラトキシン産生能力を持つ A. flavus が存在することだ。

酒類総合研究所の過去の研究では、一部の麹菌株でアフラトキシン生合成遺伝子クラスターに大規模な欠失が存在することが示されている。麹菌では長期の利用と選抜の中で、有害な二次代謝経路が失われたり働かなくなったりした系統が保持されたと考えられている。[7]

今回のStarship研究は、その「失う」進化だけでなく、「獲得する」進化にも焦点を当てる。家畜化とは単なる不要遺伝子の削減ではなく、有用遺伝子を増やし、組み替え、適した用途へ分化する過程でもあった可能性がある。

人間が選んだのか、Starshipが作ったのか

ここで因果関係には注意が必要だ。Starshipに醸造関連遺伝子があるからといって、それだけでStarshipが酒、味噌、醤油用株の違いを「生み出した」と断定することはできない。

人間が偶然、有用な性質を持つ株を選抜し、その株に特定のStarshipが存在していた可能性もある。あるいはStarshipが遺伝子コピー数や酵素組成を変え、それが選抜されやすい性質を生んだ可能性もある。実際には、遺伝子移動と人為選択が互いに作用したと考えるのが自然だ。

次は「どの遺伝子が味を変えたか」へ

研究チームは今後、Starshipに含まれる遺伝子を網羅的に解析し、醸造特性に結びつく有用遺伝子を探索したいとしている。[1]

これは育種にも直結する。発酵速度を高める、特定の香味を作る、原料を効率よく分解する、あるいは新しい食品用途へ適応する麹菌株を開発する際、Starshipは「自然界が作った遺伝子セット」として利用できる可能性がある。

ゲノム編集時代の麹菌育種

丸山教授の研究室は、麹菌のゲノム編集、合成生物学的な大規模遺伝子改変、有用物質生産などを進めている。東京大学は、麹菌の機能開発が「ゲノム全体を大規模に作り変える合成生物学的育種」が可能な段階に達していると紹介する。[8]

Starship研究はそこに新しい視点を加える。人間がCRISPRなどで遺伝子を編集するはるか以前から、麹菌自身のゲノムには、大きな遺伝子群を運び、交換し、組み替える仕組みが存在していた可能性があるからだ。

発酵文化を「文化」だけでなく「進化」として見る

日本の発酵文化は、職人技、蔵の微生物、気候、原料、地域の食文化から説明されることが多い。しかし、そこにはもう一つ、目に見えない進化の歴史がある。

人間が何世代にもわたり麹を採り、良い香り、良い糖化力、良い味を生む菌を残してきた。その選択が麹菌のゲノムに痕跡を刻んだ。そしてStarshipは、その変化を速める「遺伝子の乗り物」だった可能性がある。

酒や味噌の味わいを作ったのは、人間だけでも菌だけでもない。人間が菌を選び、菌のゲノムが変わり、その新しい性質をまた人間が選ぶ。その長い共同進化の中で、日本の発酵文化は形づくられてきた。

出典・参考資料

  1. 東京大学大学院農学生命科学研究科「巨大転移因子『Starship』がもたらす麹菌のゲノム進化」2026年9月30日。
  2. 酒類総合研究所「平成17年度研究成果―麹菌ゲノム解析」。
  3. Nature Communications, “Transposable elements hitchhike on Starships across fungal genomes,” 2026.
  4. 酒類総合研究所「麹菌Aspergillus oryzaeのゲノムシークエンス」。
  5. 酒類総合研究所「麴菌(黄麴菌及び黒麴菌)の受託分析について」。
  6. 農研機構「麹菌のゲノム解析とポストゲノム手法を用いた醸造技術への応用」。
  7. 酒類総合研究所「アフラトキシン生合成遺伝子ホモログクラスタに大規模欠失を含む麹菌」2006年。
  8. 東京大学大学院農学生命科学研究科「丸山 潤一 教員紹介」。

取材・確認期限:2026年10月7日。本研究はStarshipと醸造用途別の遺伝子構成との関連を示したものですが、個々のStarshipが特定の風味や製品特性を直接生み出した因果関係までは確定していません。水平伝播についても、ゲノム比較にもとづく強い示唆として扱っています。