南には朱雀、北には玄武、東には青龍。7世紀末から8世紀初頭ごろ、奈良・飛鳥の小さな石室には、死者を囲むように三方の守護神が描かれた。9月19日、その三面がキトラ古墳壁画保存管理施設で同時に一般公開される。[1] [2]

今回の第41回公開は10月18日まで。キトラ古墳壁画体験館「四神の館」1階で、南壁「朱雀」、北壁「玄武」、東壁「青龍」を一度に見る構成だ。見学料は無料。文化庁と奈良文化財研究所が主催し、1日約420人を定員としている。第一次応募で定員に達したため、文化庁は一般的な第二次応募を行っていないと案内している。キャンセルで空きが出た場合に限り、電話予約を受ける可能性がある。[1] [2] [3]

公開開始は9月19日。本稿は9月18日時点のプレビューである。今回公開されるのは四神すべてではなく、朱雀・玄武・青龍の3面。西壁の白虎は8月1日〜30日の第40回公開で公開された。[1]

石室の中に「方位」を描いた墓

キトラ古墳は奈良県高市郡明日香村阿部山、藤原京の南に広がる古代の墓域に位置する小さな円墳だ。墳丘は2段で、下段直径13.8メートル、上段直径9.4メートル。中央には二上山産とされる凝灰岩18個の切石を組み上げた石室があり、内部は奥行約2.4メートル、幅約1.0メートル、高さ約1.2メートルしかない。[4] [5]

その狭い空間の全面に漆喰が塗られ、東西南北と天井が宇宙の縮図として構成された。

東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武。天井には天文図。さらに東に金箔の太陽、西に銀箔の月。四神の下には、獣の頭と人の身体を持つ十二支像が方位に対応して配置された。[4]

7世紀末〜8世紀初頭キトラ古墳の築造時期と考えられる年代
18個石室を組む凝灰岩の切石
5面東西南北4壁+天井、国宝指定された壁画面
2019年キトラ古墳壁画が国宝に指定

四神は古代中国に由来する方位の神獣で、それぞれ方角、季節、色、星宿と結びつく。東の青龍は春と青、南の朱雀は夏と赤、西の白虎は秋と白、北の玄武は冬と黒に対応する。墓室を四神で囲むことは、単なる装飾ではなく、死者のいる空間を宇宙秩序の中へ置く行為だったと考えられている。[6] [7] [8]

朱雀――飛び立つ瞬間が南壁に残った

今回もっとも視覚的に鮮明なのが南壁の朱雀(すざく)だ。

奈良文化財研究所の詳細解説によると、キトラの朱雀は見る者から向かって右、西の方向を向き、両翼を広げて地を蹴り、まさに飛び立とうとする姿で描かれている。尾羽と脚には下描きと考えられる刻線が残るが、完成した筆線は刻線から大きく外れる部分があり、最終段階では筆勢を優先した可能性がある。[6]

南壁は石室入口を塞ぐ「閉塞石」にあたり、研究所は朱雀が石室外で描かれた可能性を指摘する。そのためか、羽や瞳には繊細な表現が残る。[6]

国内での価値をさらに高めているのが、高松塚古墳との違いだ。高松塚では南壁が盗掘で破壊され、朱雀が失われた。キトラの朱雀も左翼の一部を盗掘で失ったが、全体像を読み取れる。文化庁・奈良文化財研究所は、日本で四神すべての図像がそろう古墳壁画はキトラだけだとしている。[4] [6]

キトラの価値は「古い絵が残った」ことだけではない。東西南北の四神、頭上の星空、太陽と月が、一つの墓室世界として組み合わされて残ったことにある。

玄武――蛇と亀がつくる北の守護神

玄武(げんぶ)は北を守る神獣で、一般に亀と蛇が絡み合う姿で表される。キトラ古墳の存在が世に知られるきっかけも、この玄武だった。

1983年11月、石室へ差し込んだファイバースコープによる調査で、奥壁の玄武が確認された。これによってキトラが、高松塚古墳に次ぐ日本で2例目の本格的な極彩色壁画古墳であることが明らかになった。[4] [9]

つまり今回の三面公開で玄武を見ることは、キトラ壁画研究の「最初に見えたもの」に戻ることでもある。

青龍――見えにくさそのものが、壁画の歴史を語る

東壁の青龍(せいりゅう)は、朱雀ほど全体像が明瞭ではない。後世に石室内へ入り込んだ泥土に覆われ、主要部は判然としない。奈良文化財研究所が確認できるとしているのは、赤い舌、くちばし状の先端、両前脚の先など。白虎や高松塚古墳の青龍との比較から、長い首をS字状に曲げ、大きく口を開けた姿だったと考えられている。[7]

これは「保存状態が悪いから価値が低い」という話ではない。壁画古墳では、水分、微生物、土砂、盗掘、漆喰の剥離など、古墳が埋没していた千年以上の時間そのものが絵に刻まれる。見えない部分もまた、保存の歴史を示す資料になる。

発見は一度ではなかった

キトラ壁画は、1983年にすべて一度に発見されたわけではない。

最初はファイバースコープで玄武。1998年の超小型カメラ調査、2001年のデジタルカメラ調査へと技術を変えながら、青龍、朱雀、白虎、天文図、日像、月像、十二支像の存在が次第に確認された。その後の発掘や壁画取り外しの過程でも、十二支像など新たな図像が見つかった。[9]

「一つの発見」ではなく、20年近くかけて墓室の全体像を読めるようになっていった。その過程自体が、日本の文化財調査技術の進歩史でもある。

天井には世界でも古い本格的な中国式星図

四神だけを見ると、キトラ壁画の半分しか見たことにならない。

天井には星々が描かれ、赤道や黄道を示す円を備えた天文図がある。奈良文化財研究所と文化庁は、これを「本格的な中国式星図として現存する世界最古の例」と説明している。[4]

死者は四方を神獣に囲まれ、その頭上には天体秩序が広がる。東には金箔の太陽、西には銀箔の月。壁画全体は、地上の方角だけではなく、天と時間まで含めた世界像を石室内へ写したものとして読むことができる。

それは、中国大陸や朝鮮半島を経由して共有された東アジアの知識体系が、飛鳥時代の日本でどのように受容されたかを考える手掛かりでもある。

誰が埋葬されたのかは、まだ分からない

これほど精密な壁画と副葬品を持つ古墳だが、被葬者の名は確定していない。

古墳は藤原京南方の皇族・貴族墓域にあり、築造年代や石室構造、副葬品から高位の人物が想定されてきた。しかし、特定の人物名を確実に結びつける墓誌などは見つかっていない。

石室内からは漆塗り木棺片、金銅製の飾金具、刀装具、琥珀玉、ガラス小玉などが出土し、主要品は2018年に重要文化財に指定された。銀装の大刀は、研究所が正倉院の大刀に匹敵する優美さだったと考えるほどの品だった。[4] [11]

ただし「豪華だから皇族」といった断定はできない。Japan.co.jpでは、被葬者を未確定のまま扱う。

壁画を石室から「外す」という保存

キトラ壁画の現在の姿は、古墳内部をそのまま公開しているものではない。

壁画は漆喰の劣化と剥離が進み、現地保存だけでは失われる危険が高まった。保存修理のため、2010年までに石室からすべて取り外され、仮設修理施設で2016年まで修理が続けられた。[4]

難しかったのは、凝灰岩そのものを運び出すのではなく、石の表面に塗られた絵のある漆喰層をできる限り損傷させずに分離することだった。文化庁は、この事業で新しい修理技術が開発され、その一部が現在の文化財修理でも使われていると説明している。[2]

通常、「遺跡を守る」と聞けばその場所に残すことを想像する。しかしキトラでは、場所から切り離すことが絵を残すための選択になった。現在の公開は、その保存判断の結果である。

2018年重要文化財、2019年国宝

キトラ古墳壁画の東壁、西壁、南壁、北壁、天井の5面は2018年10月31日に重要文化財に指定され、翌2019年7月23日に国宝となった。文化庁データベースでは、材質・技法を「漆喰下地著色・石室壁画」、時代を「飛鳥」、年代を7〜8世紀としている。[10] [11] [12]

奈良文化財研究所は国宝指定時、現存する飛鳥時代の壁画自体が少なく、大陸風図像を持つ古墳壁画はキトラと高松塚の2例しかないこと、そして高松塚で失われた朱雀がキトラに残ること、天文図の希少性を価値の中心に挙げた。[12]

2026年は「四神の館」10周年

今回の三面同時公開には、もう一つの時間軸がある。

国営飛鳥歴史公園のキトラ古墳周辺地区は2016年9月24日に開園した。壁画を保存・公開する「四神の館」もこの整備とともに10年を迎える。公園は2026年を開園10周年として記念事業を実施している。[13]

だから第41回公開は、壁画そのものだけでなく、「壁画を保存しながら人に見せる」現在の仕組みが10年続いた節目でもある。

そして今年、キトラは世界遺産の構成資産になった

2026年7月26日、韓国・釜山で開かれた第48回世界遺産委員会で、「飛鳥・藤原の宮都」の世界文化遺産登録が決定した。キトラ古墳はその構成資産の一つである。[14]

世界遺産登録の直後に、四神の館10周年と三面同時公開が重なる。キトラを「一つの有名な壁画古墳」としてではなく、飛鳥・藤原の政治、宗教、技術、国際交流を形づくった地域全体の中で見る機会でもある。

第41回公開
  • 期間:2026年9月19日(土)〜10月18日(日)
  • 閉室:9月30日、10月14日
  • 公開:南壁「朱雀」・北壁「玄武」・東壁「青龍」
  • 場所:キトラ古墳壁画体験館 四神の館1階、キトラ古墳壁画保存管理施設
  • 料金:無料
  • 予約:第一次応募で満員。キャンセル枠が出た場合のみ電話予約の可能性あり
  • 交通:近鉄壺阪山駅から徒歩約15分。土日祝は飛鳥駅〜キトラ〜高松塚間の臨時バスあり

「三面を見る」ことの意味

壁画は一枚ずつでも作品として成立する。しかしキトラでは、方位関係そのものが意味を持つ。

朱雀だけを見ると、飛翔する赤い鳥の絵。玄武だけなら、北を守る神獣。青龍だけなら、泥土の下に残る龍の断片。だが三面を同じ機会に見ると、それらが本来、同じ人物の墓を囲み、同じ天井の星空の下で互いに位置を持っていたことが理解しやすくなる。

古代の絵師は、壁に好きな動物を並べたのではない。東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武を置くという知識体系を、石室という三次元空間へ実装した。

約1300年前の墓室は、宇宙を小さく畳んだ部屋だった。

9月19日、そのうち三方が同時に人の前へ戻ってくる。