一本の眼鏡は、一人の「見えにくさ」を補う道具である。だが、全国の店に二年間で蓄積された数百万件の処方値を年齢順に並べると、日本の目が成長し、変化し、老いていく輪郭が現れる。診察室では得にくい規模と、買い物の記録だから避けられない偏り。その両方が今回の研究の核心にある。

株式会社ジンズ(JINS)と大阪大学大学院医学系研究科・医学部の研究チームは、JINSの匿名化された眼鏡販売データを使った二つの査読論文を、アメリカ視覚眼科学会(ARVO)の機関誌『Investigative Ophthalmology & Visual Science』(IOVS)に発表した。近視論文の筆頭著者は大阪大学の川崎良教授、乱視論文は高静花寄附講座准教授。西田幸二教授、JINSメディカル戦略部の松岡秀仁氏、堀清貴氏が共同研究者に名を連ねる。

この研究の読み方: 「30歳まで進行」は、すべての人の近視が30歳で止まるという予言ではない。JINSで眼鏡を購入した6~35歳の集団で、等価球面度数の年齢分布と複数回購入者の変化から得た平均的な傾向である。診断、個人の予後予測、治療効果を示す研究ではない。
4,525,689人近視・屈折異常研究の解析対象
9,204,993件乱視研究で解析した処方記録
全国434店舗2021年9月~2023年8月のデータ
男性30歳・女性29歳近視方向への変化が安定した年齢の推定

一つではなく、二つの巨大研究

近視研究『Distribution and Time Trends of Refractive Errors in Japanese Spectacle Wearers』は、6~35歳の452万5689人を対象とした。女性53.0%、男性47.0%。球面度数に円柱度数の半分を加える「等価球面度数(spherical equivalent)」を用い、年齢、性別、地域別の分布を記述した。15歳未満については眼科医が発行した処方を用い、複数回購入した人では年間の屈折変化も推定した。

乱視研究『Epidemiology of Astigmatism in Japan: Analysis of More Than 9,000,000 Spectacle Prescriptions』は、6~89歳の920万4993件の処方記録を分析した後ろ向き横断研究である。円柱度数、乱視軸、年齢、性別、地域、左右眼の差を調べた。二つは対象年齢も解析目的も異なるため、単純に合算して「1370万人の研究」と呼ぶことはできない。

論文対象と方法答えようとした問い
屈折異常・近視6~35歳、452万5689人。横断分布に加え、複数回購入者の年間変化を混合モデル等で推定近視方向への変化は何歳で速く、いつ安定するか
乱視6~89歳、920万4993件。円柱度数・軸・左右差を年齢等で層別乱視の強さと向きは生涯でどう変わるか

「30歳頃まで」の中身

近視論文では、等価球面度数が年齢とともに近視方向へ移り、男性は約30歳、女性は約29歳で安定した。安定時の中央値は男性-3.3D、女性-3.5Dだった。変化が最も速かったのは7歳で、中央値は年間-1.1D。9歳から19歳にかけて進行速度は減速したが、若年成人でも変化が完全に消えるとは限らない姿が示された。

これは「18~21歳でおおむね安定する」という臨床上の単純な物語に修正を迫る。ただし、成人期の近視進行そのものは突然発見された現象ではない。国際近視学会(International Myopia Institute)は2023年、18~25歳の成人でも発症・進行が珍しくなく、年齢とともに進行可能性が低下すると整理している。今回の価値は、日本の眼鏡購入者を桁違いの規模で描いた点にある。

「30歳」は境界線ではなく、集団の曲線が平らになる付近だ。29歳の個人が進み、31歳の個人が安定することは、研究結果と矛盾しない。

10歳未満でも1.3%が強度近視(等価球面度数-6.0D以下)に分類された。近視度数が強いほど、将来の網膜・視神経疾患などに関連する絶対リスクが高まることが知られる。しかし、このデータだけで特定の子どもの発症原因や、どの介入を選ぶべきかは決められない。

乱視は強さだけでなく「向き」が変わる

乱視は、眼の屈折力が方向によって異なり、光が一点へ結ばれにくい状態である。眼鏡処方では、その差を円柱度数(D)、方向を乱視軸(度)で表す。研究では軽度・中等度の乱視が10歳から増え、20歳で約2割に達した。50歳以上では乱視を持つ割合と度数が大きく増えた。

年齢とともに、若い層に多い「直乱視(with-the-rule)」から、高齢層に増える「倒乱視(against-the-rule)」へ分布が移った。70歳では倒乱視が過半数となった。これは一人ひとりの軸が必ず同じ道筋で回転するという意味ではなく、年齢群ごとの構成が変わるという疫学的観察である。

少なくとも片眼に0.25D以上の乱視がある約506万人のうち、左右の円柱度数差が1.00D以上だった人は9.4%。多数派では両眼の対称性が高い一方、およそ10人に1人には無視できない左右差があった。左右同じ度数で済むという思い込みでは捉えられない。

なぜ「販売データ」が研究資源になるのか

従来の疫学調査は、選ばれた地域や学校で参加者を募り、統一された検査を行う。検査品質を揃えやすく、眼軸長や角膜形状、生活習慣も測れる一方、費用と時間がかかり、対象者は数千から数万人に限られやすい。

小売データは逆だ。日常業務の中ですでに測られ、全国に広がり、年齢の細かな曲線や少数のパターンを検出できる。47都道府県の434店舗という広がりは、地域限定研究にはない強みである。医療情報を新たに収集するのではなく、既存記録を匿名化して再利用する「リアルワールドデータ」研究の一例ともいえる。

規模は統計的なばらつきを小さくするが、系統的な偏りを自動的には消さない。百万件の偏った標本は、千件の偏った標本より精密に「偏った母集団」を描くことさえある。ビッグデータの信頼性は、件数だけでなく、誰がデータに入り、誰が入らなかったかで決まる。

1948年から続く学校統計との違い

日本には長い視力統計の歴史がある。文部科学省の学校保健統計調査は1948年度から報告を蓄積してきた。2025年度調査では裸眼視力1.0未満の割合が小学校で3割超、中学校で6割程度、高校で7割程度だった。児童生徒の目の変化を社会問題として捉える基礎資料である。

ただし「裸眼視力1.0未満」と「近視」は同義ではない。視力は見分けられる細かさを測り、屈折度数は光学的な焦点のずれをDで測る。視力低下には近視以外の原因もあり、同じ視力でも必要な度数は異なり得る。学校統計とJINS研究の数字を直接足したり、同じ比率として比較したりしてはいけない。

1948年度 ・ 学校保健統計の長期系列が始まる。

2021年 ・ JINSが医療・研究機関との連携を担う組織を発足。

2021年9月~2023年8月 ・ 今回解析した販売データの期間。

2024年 ・ JINSと大阪大学大学院医学系研究科が共同研究を開始。

2026年4月 ・ 乱視論文がIOVSに掲載。

2026年8月 ・ 近視・屈折異常論文がIOVSに掲載。

この巨大データが見ていないもの

解釈を狭める五つの限界
  • 選択:眼鏡を必要とし、JINSを選び、購入まで至った人のデータであり、日本全体の無作為標本ではない。
  • 測定:販売用の最終処方は、研究用の調節麻痺下屈折検査や眼軸長測定と同じではない。
  • 因果:画面時間、屋外活動、教育、遺伝、所得などを結びつけていないため、変化の原因は判定できない。
  • 時間:主なデータ期間は二年間。生まれた世代の違いと個人の加齢変化が重なる。
  • 一般化:眼鏡を使わない人、他社顧客、コンタクトのみの人、未矯正者は十分に表さない。

特に「30歳で安定」という結論には、横断的な年齢分布と、複数回購入者の縦断的変化の両方が使われる。だが購入間隔は診療研究の予約間隔ではなく、眼鏡の破損、買い替え、ファッション、価格、店舗アクセスにも左右される。処方変更が眼球そのものの伸長だけを示すわけでもない。

乱視研究も処方データの分布を強く描く一方、角膜と水晶体のどちらが変化を生んだかは直接測っていない。年齢と乱視軸の関連から個人の将来の軸を予測することもできない。研究は地図であり、診察ではない。

産学共同研究の価値と利益相反

研究はJINSの支援を受け、二人の著者はJINS社員である。近視論文では川崎教授へのJINSからの研究資金、高准教授へのJINSとの関係も論文の開示欄に記載された。乱視論文もJINSの支援と社員著者を明示している。これは研究を無効にする情報ではないが、読者が設計、解析、発表の独立性を判断するために欠かせない。

同時に、企業だけが持つ全国規模の均質な業務データを大学の疫学・眼科学が検証する意義は大きい。重要なのは「企業データだから退ける」ことでも「査読誌に載ったから無条件に信じる」ことでもない。方法、除外基準、資金、著者関係、再現可能性を一緒に見ることである。

大阪大学とJINSは、メガネ販売ビッグデータを用いた臨床研究を「日本初」としているが、これはJINSの自社調べに基づく表現である。本稿は独立に網羅性を確認できないため、「日本初」を確定事実としては扱わない。

次に必要なのは、より良い「つなぎ方」

今回の研究が臨床と公衆衛生を変えるには、販売処方の曲線を、眼科検査、眼軸長、角膜形状、生活環境、学校統計とつなぐ必要がある。匿名化を保ちながら同一人物を長期追跡できれば、世代差と加齢変化を分けやすくなる。別の眼鏡チェーンや人口ベース調査で同じパターンが再現するかも重要だ。

医療現場にとっての即時的な示唆は控えめだが明確である。若年成人だから度数が固定したと決めつけないこと、子どもの急速な変化を早く捉えること、50歳以降は球面度数だけでなく乱視の強さと軸、左右差にも注意すること。ただし、検査頻度や治療法はこの観察研究だけでは決められず、眼科医による個別評価が必要になる。

眼鏡店のレジに残るのは、一見すると商取引の数字でしかない。だが、慎重に匿名化し、限界を明示し、医療研究の方法で問い直せば、数百万人の目の変化を映す観測網になる。今回の二論文の本当の成果は「30歳」という一つの年齢ではない。日常の処方記録が、日本の視覚疫学を更新し得る研究基盤になったことである。

取材・参考資料

編集注: 本稿は2026年9月5日までに確認できた公表資料と査読論文に基づく。個人の診断・治療助言ではない。処方データを日本人口全体の近視・乱視有病率として扱わず、因果関係や個人の進行停止年齢を推定していない。