午前0時30分を過ぎたころ、太平洋の暗い海底から送られてきた灰色の泥が、地球深部探査船「ちきゅう」の甲板に現れた。2026年2月1日。東京都心から南東へ約1,950キロ、日本最東端の南鳥島近海で、日本は一つの技術的な境界を越えた。
「六キロ掘った」という表現は正確ではない。六キロ近いのは岩盤の深さではなく、船と海底を隔てる水柱だ。海底面近くの泥層へ採鉱機を差し込み、長さ5,569メートルの揚泥管を通して、海水と微粒子が混ざったスラリーを船上へ連続的に押し上げた。地上なら東京駅から品川駅近くまで届く長さの管を、波に揺れる船からほぼ垂直に吊るしたことになる。
3日間、3カ所のレアアース層から回収した泥は、解泥に加えた海水を除いて約50トン。JAMSTECは採鉱システムの安定稼働を確認し、5,569メートルの海底下からの連続揚泥を世界初と位置づけた。これは「泥がある」ことを示す地質調査から、「泥を上げる機械が動く」ことを示す工学実証へ進んだ瞬間だった。
七メートルの波の下で
成功の数字だけを見ると、作業は直線的に進んだように見える。実際の海は違った。1月12日に清水港を出た「ちきゅう」は17日に試験海域へ到着。現場では波高7メートル近く、風速約20メートルの荒天に何度も遭遇した。採鉱機と揚泥管を降ろす工程は予定7日間に対し12日間を要した。
1月30日に解泥機が着底し、翌31日から2月2日まで採鉱。機器の回収だけで2月9日までかかり、船は14日に清水へ戻った。50トンの泥は、1カ月を超える航海、巨大な掘削船、数千メートルの管、遠隔操作機、船位保持、気象判断、海底観測を組み合わせて初めて得られた。
| 2026年試験が証明したこと | まだ証明していないこと |
|---|---|
| 全水深で機器を接続し、海底へ安全に降下させられる | 年間を通じた稼働率と、荒天時を含む長期の信頼性 |
| 海底下の泥をほぐし、船上へ連続揚泥できる | 商業規模での単位コストと必要な専用船・設備投資 |
| 3層から約50トンを回収し、中重希土類の比率を分析できた | 鉱床全体の平均品位、可採量、回収率、製品としての売上価値 |
| 海底・船上の同時環境モニタリングを運用できる | 大規模・長期採鉱の累積影響と、深海生態系の回復時間 |
| 採鉱機と揚泥管が3日間安定して動いた | 採鉱から分離・精製・製錬、磁石材料までの一貫供給網 |
魚の骨がつくった、3,450万年前の鉱床
レアアースは「希土類」と呼ばれるが、地殻中に極端に少ない元素ばかりではない。難しいのは、採算が合う濃度に集まった鉱床を見つけ、性質のよく似た17元素を分離することだ。
南鳥島の泥が特別なのは、その成り立ちにある。海水中のレアアースは鉄酸化物などに吸着して沈み、長い時間の中で魚の骨や歯を構成するアパタイトへ取り込まれた。JAMSTECと東京大学の研究は、超高濃度の泥が約3,450万年前、地球規模の寒冷化が始まった時代に形成されたとみる。海洋大循環が強まり、海山に当たった底層流が栄養塩を押し上げ、魚類が増え、その骨が深海底に沈んだ。今日のEVモーターやMRI装置の材料が、古代の魚の微細な遺骸に濃縮されたのである。
2011年、加藤泰浩・東京大学教授らは太平洋78地点、2,000点超の堆積物を分析し、レアアースとイットリウムに富む深海泥が広く分布することを『Nature Geoscience』で報告した。2013年の「かいれい」航海では、南鳥島周辺の水深5,600~5,800メートルでコアを採取し、海底下約3メートルに最大6,500~6,600ppm級の高濃度層を見つけた。
2010年 中国からのレアアース供給が急に滞り、日本は一国依存の危険を認識。海外権益、備蓄、リサイクル、代替材料へ投資を拡大。
2011年 太平洋の広範な深海泥にレアアースが濃集することを学術誌で報告。
2013年 南鳥島EEZで超高濃度レアアース泥を確認。JOGMECの広域調査が始まる。
2018年 大学研究チームが2,500平方キロに酸化物換算1,600万トン超との初期推計を公表。
2022年 茨城沖、水深2,470メートルで海底堆積物の揚泥と環境モニタリングに成功。
2026年2月 南鳥島沖5,569メートルから約50トンを連続回収。
2026年3月 日米が深海鉱物資源開発の協力覚書に署名。
2027年2月予定 約1カ月、日量350トン級の本格採鉱・輸送・脱水・製錬工程試験。
2028年3月まで 経済性を含む国産レアアース産業化の総合評価。
「1,600万トン」は埋蔵量ではなく、出発点
南鳥島を語るとき、しばしば「世界需要の数百年分」「1,600万トン」という数字が現れる。根拠は2018年の査読論文で、研究海域2,500平方キロに存在するレアアース酸化物量を推定したものだ。科学的に重要な研究だが、現在の政府プロジェクトはこの数字を商業埋蔵量として採用していない。
JAMSTECは2025年の解説で、初期推計にはサンプル間隔の粗さ、泥層の横方向の不均一さ、当時未確立だった採鉱技術という限界があり、USGSの世界資源量評価にも含まれていないと明記した。その後の高解像度音響探査では、泥層は平らで均一な毛布ではなく、厚さも深さも変化し、侵食された場所もあると分かった。現在はAUVと多数のコアを用いた三次元地質モデルで精度を高めているが、具体的な位置、品位、資源量は経済安全保障上の理由から非公開だ。
- 資源量:地質学的に存在すると推定される量。
- 埋蔵量:品位、技術、価格、法規制などを踏まえ、経済的に採れると評価された量。
- 生産量:設備が実際に一定期間、回収・処理できる量。
大きな地質資源があっても、海況、設備、回収率、精製費、価格、環境条件が合わなければ鉱山にはならない。
2027年、50トンから「毎日350トン」へ
次の試験は、2027年2月から同じ海域で約1カ月。計画上の揚泥能力は日量350トンで、連続30日なら約1万500トン、2026年に回収した総量の200倍超に相当する。ただし、これは単純計算であり、実際の稼働日数と回収量は海況や設備に左右される。
試験は海底から船へ上げて終わらない。スラリーを運搬船で南鳥島へ送り、陸揚げして脱水し、体積を減らした「マッドケーキ」にする。それを本土へ運び、元素の分離、精製、製錬まで試す。人員は飛行機やヘリコプターで輸送する。採鉱システムだけでなく、島の港湾・荷役、電力、水、脱水設備、輸送、化学処理、安全管理を一本の鎖として動かす実験だ。
この工程にこそ、経済性の難所がある。泥の大半は目的元素ではない。水を運べば輸送費が膨らむ。レアアース元素は化学的に似ており、個別分離には薬品、設備、エネルギー、廃液管理が必要だ。最終製品が酸化物なのか金属なのか、磁石材料まで国内で作るのかによって、必要投資と価値は大きく変わる。
日米協力は、鉱山の共同経営ではない
日本と米国の協力は二段階で具体化した。2025年10月の重要鉱物枠組みは、採掘から分離・加工までの投資、融資、保証、引き取り契約、備蓄、地質情報、価格メカニズムを協力対象にした。2026年3月19日、経済産業省と米商務省は深海鉱物資源開発に特化した協力覚書へ署名した。
覚書は、経産省と米海洋大気庁(NOAA)が主導する作業部会を設け、南鳥島のレアアース泥とマンガン団塊を含むプロジェクト情報を共有し、専門家・産業界の交流、規制上のベストプラクティス、関連設備の相互利用を検討すると定める。米国が持つ海洋観測、地質調査、深海機器、民間資本、規制設計と、日本の全水深揚泥技術を接続し得る枠組みである。
同時に、覚書の限界も明確だ。法的拘束力はなく、財政支出を約束せず、会合は必要に応じて開く。米国企業が2027年試験を共同操業することも、米国が資金を負担することも文書には書かれていない。「日米共同開発」は方向性としては正しいが、現段階では共同鉱山より、情報・技術・制度・将来の産業連携をつくる入口と表現する方が正確だ。
中国依存を減らしても、市場からは離れられない
日本は2010年の供給混乱後、豪州Lynasへの出資、調達先の多角化、備蓄、リサイクル、使用量削減を進めた。だが、とりわけジスプロシウムやテルビウムなど重希土類の分離・精製は中国への依存がなお高い。JOGMECによれば、中国が2025年4月に7種類の重希土類と関連磁石などへ輸出許可制を導入すると、輸出量が一時急減し、一部の自動車工場の停止につながった。
米国地質調査所は、サマリウム、ルテチウム、テルビウム、ジスプロシウム、ガドリニウム、イットリウムなどを、供給網リスクが最も高い鉱物群に挙げている。南鳥島の2026年試料にイットリウム、ガドリニウム、ジスプロシウムが多かった事実が戦略的に重いのは、このためだ。
しかし、新規供給源は中国市場の価格影響から自由にならない。高い環境基準と遠距離輸送を負担する国産品が、政策支援のない価格競争で勝てるとは限らない。2026年の日米アクションプランが、選定鉱物のプライス・フロア、引き取り、融資、貿易措置を議論するのは、技術だけでは供給網を作れないからである。
「閉鎖型」は環境問題を閉じ込められるか
南鳥島の採鉱方式は、広い海底面を走る車両でマンガン団塊を集める方式とは異なる。海洋石油・ガス掘削の泥水循環技術を応用し、海底下で泥をほぐし、閉鎖された管の中を船まで送る。目的は、濁りを作る懸濁物の漏洩と拡散を抑えることだ。
2026年試験では、「江戸っ子1号COEDO」、環境DNA自動採取装置、ハイドロフォン、ROVカメラを海底に置き、懸濁物、音、生物を観測した。船上ではISO 23730、23731、23734に沿って表層海水とスラリーの生物群集を調べた。JAMSTECは、船上バイオアッセイから「鉱物由来の環境汚染リスクは低い」と暫定判断した一方、観測データと試料の分析は継続中としている。
ここでも、証明した範囲を越えてはいけない。3日間、50トンの試験で鉱物毒性が低かったことは、1カ月の350トン/日試験、まして長年の商業採鉱の影響が小さいことを意味しない。採泥孔の底生生物、濁りの微細な漏洩、騒音と光、事故時の放出、累積的な海底改変、南鳥島での脱水残渣と排水は、別々に評価する必要がある。
ペルー海盆で海底を耕したDISCOL実験では、26年後も深海底動物群の炭素循環が低下していた。ただし、これはマンガン団塊採鉱を模した表層攪乱であり、南鳥島の閉鎖型・海底下採泥と直接同じではない。比較から言えるのは一つだけだ。深海は変化が遅く、短期試験で長期回復を推定するのは危険だということだ。
誰の海で、誰が決めるのか
南鳥島の有望海域は日本の排他的経済水域内にある。国連海洋法条約56条は、沿岸国にEEZの海底・海底下の非生物資源を探査、開発、保全、管理する主権的権利を認める。したがって、公海の「人類の共同財産」を管理する国際海底機構の鉱業規則が直接統治する案件とは法的な位置づけが異なる。
権利があることと、社会的な正当性が自動的に得られることは同じではない。基礎データ、試験前・中・後の観測、事故シナリオ、残渣処理、独立した評価、情報公開をどこまで制度化するかが問われる。日米覚書も、協力は両国それぞれの法令に従うと明記している。
2028年に答えるべき七つの問い
- 品位:有望海域で、回収可能なレアアースは泥1トン当たり何キロか。
- 回収率:海底にある元素のうち、採泥、脱水、分離、精製を経て製品になる割合は何%か。
- 稼働率:荒天と保守を含め、年間何日、350トン/日を維持できるか。
- 総費用:船、管、島内施設、輸送、薬品、電力、廃棄物、環境監視を含む製品1キロ当たりの費用はいくらか。
- 市場:価格下落時にも供給を維持するため、政府調達、価格下限、長期引き取り契約が必要か。
- 環境:試験前・中・後の生物多様性と堆積物の変化を、どの期間、誰が独立して追跡するか。
- 供給網:分離・精製・金属化・磁石製造までを日本、米国、同盟国のどこで担うか。
南鳥島は、一般人が立ち入れず、政府関係者が交代で暮らす小さな島だ。日本で唯一、太平洋プレートの上に乗り、海図の端にある。その周辺の泥が、いま日本の産業政策の中心へ移動している。
50トンの回収は本物の成果である。54%という中重希土類の構成も重要だ。だが、期待を守る最良の方法は、期待を誇張しないことだろう。2027年の試験は「宝の山」を確認する儀式ではない。荒天の海で設備を動かし、泥を島へ運び、水を抜き、元素を分け、環境を測り、全費用を足し上げた末に、国産レアアースが産業になり得るかを初めて問う実験である。
海底まで5,569メートル。日本は泥を上げた。次に上げなければならないのは、採算と透明性と、深海を壊さないという証拠である。
主な資料・取材根拠
- JAMSTEC「南鳥島EEZ海域でのレアアース泥採鉱システム接続試験の結果」(2026年7月24日)
- JAMSTEC「レアアース泥採鉱システム接続試験の実施」(2025年12月23日)
- JAMSTEC「水深2,470m海域からの海底堆積物揚泥試験の成功」(2022年10月18日)
- JAMSTEC/SIP「海底レアアース資源はどこにある?」(2025年12月12日)
- JAMSTEC「日本近海に高濃度のレアアース泥が存在する理由」(2026年7月8日)
- 内閣府「SIP海洋プログラムの進捗について」(2026年2月)
- 外務省「日米首脳会談及び夕食会」(2026年3月19日)
- 経済産業省・米商務省「深海鉱物資源開発に関する協力覚書」仮訳(2026年3月19日)
- 「重要鉱物サプライチェーン強靱性のための日米アクションプラン」仮訳(2026年3月19日)
- White House, U.S.–Japan Critical Minerals and Rare Earths Framework(2025年10月28日)
- Kato et al., “Deep-sea mud in the Pacific Ocean as a potential resource for rare-earth elements,” Nature Geoscience(2011年)
- Takaya et al., “The tremendous potential of deep-sea mud as a source of rare-earth elements,” Scientific Reports(2018年)
- JOGMEC「2025年 金属鉱物資源をめぐる動向」(2026年1月)
- 米国地質調査所「2025 List of Critical Minerals」
- 国連海洋法条約 第5部・排他的経済水域
- Stratmann et al., “Abyssal plain faunal carbon flows remain depressed 26 years after a disturbance,” Biogeosciences(2018年)
- Reuters, “Japan identifies large share of rare earths in deep-sea mud”(2026年7月24日)
注:2027年の回収量と2028年の産業化評価は計画であり、試験結果により変更される可能性がある。本稿は2026年8月15日午前3時14分(日本時間)までに公表された資料を基にした。
