半導体工場のエッチング装置、ジェットエンジンの耐熱コーティング、発光材料、レーザー。こうした先端産業の裏側に、一般にはほとんど知られていない元素がある。イットリウム(Y)だ。日本ではこれまで「レアアース問題」といえば、電気自動車や産業用モーターに使うネオジム、ジスプロシウム、テルビウムなど永久磁石向け材料が注目されてきた。だが2026年、企業の現場でより切迫した名前の一つになっているのがイットリウムである。
中国は2025年4月4日、サマリウム、ガドリニウム、テルビウム、ジスプロシウム、ルテチウム、スカンジウム、イットリウムの7種類について、金属、合金、酸化物、化合物、ターゲット材などを輸出許可制の対象にした。中国商務部と海関総署の公告は、イットリウムについて金属イットリウム、イットリウム・アルミニウムなどの合金、ターゲット材、酸化イットリウム、イットリウム化合物を具体的に列挙している。
半導体に必要なのは「チップの材料」だけではない
イットリウムが半導体産業で重要なのは、完成した半導体の中に大量に入っているからではない。製造装置を止めずに動かすための材料だからだ。
経済産業省の技術調査によると、半導体のエッチング装置内部では、反応性の高いハロゲン系ガスを使ったプラズマに部材がさらされる。部材が腐食・損傷すると微粒子が発生し、ウェハー上の微細配線に欠陥をつくり、歩留まりや装置稼働率を下げる。このためチャンバー内壁やチャックなどに、耐プラズマ性と耐食性の高い酸化イットリウム(イットリア、Y₂O₃)の保護膜が使われる。
つまり供給が止まれば、問題は「イットリウム製品を売れなくなる」ことにとどまらない。代替材への切り替え、コーティング材の再認定、装置条件の再調整、顧客側の品質保証まで連鎖し得る。半導体のように工程認定が厳格な産業では、化学的に似た材料が存在することと、明日から同じ工程で置き換えられることは別問題である。
航空機では、数グラムの不足が巨大なシステムを止める
イットリウムは航空機エンジンの高温部でも重要だ。イットリア安定化ジルコニアなどの耐熱遮熱コーティングは、タービン部材を高温から守る。ロイターは2026年、供給不安を受けて北米や欧州の航空宇宙サプライヤーが、1970~80年代に使われた希土類を含まない古いコーティング処方まで再検討していると報じた。
ここで重要なのは使用量の少なさと重要度が反比例し得ることだ。イットリウム市場は鉄鉱石や銅のような巨大市場ではない。しかし代替認証に時間がかかる高性能部材では、必要量が少なくても、その小さな材料がボトルネックになれば航空機、発電設備、半導体製造装置の生産が止まり得る。
中国の制度は「輸出禁止」ではなく、許可が必要な仕組み
中国の2025年第18号公告は、対象品目を全面的に輸出禁止したものではない。輸出事業者が商務主管部門に許可を申請し、税関で対象品目かどうかを申告する制度である。中国商務部は導入時、国家安全保障と利益の保護、不拡散などの国際義務の履行を目的とし、軍民両用物資への輸出管理は国際的に一般的だと説明した。
一方で、許可の速度と相手先によって実際の物流は大きく変わる。米国向けについてロイターは、中国税関データを基に2026年1月、5月、6月にイットリウムの対米輸出がゼロだったと報じている。日本についても、2026年初めから中国による対日デュアルユース品目の輸出管理が強化され、経済産業省は許可の遅延や税関検査の長期化により日本企業へ影響が出ていると認めている。
規制の政治的な位置付けについては見方が分かれる。中国政府は国家安全保障と不拡散を公式理由としている。ロイターは、米中関税摩擦や日中関係の緊張と輸出の流れの変化を関連付けて報じている。本稿は動機を断定せず、制度上の規制と、実際に観測された輸送・許可の停滞を分けて扱う。
2026年9月10日、日米は「小さな元素」を議題にした
ロイターによると、米国エネルギー省が主催した9月10日の会合は、永久磁石とイットリウムの供給網に焦点を当て、「現在および新たに生じる戦略的サプライチェーンのボトルネック」を率直に議論する場として設定された。日本からは経済産業省が参加した。
米エネルギー省は会合そのものへのコメントを控えつつ、日本との連携を歓迎し、両国企業に重要鉱物プロジェクトを立ち上げるよう促しているとロイターに説明した。日本側から会合の成果文書は公表されていない。したがって、「日米が共同備蓄を決めた」「特定鉱山への投資を決めた」といった具体策は現時点では確認できない。
ただし、会合は突然始まったものではない。日米は2023年3月に「重要鉱物のサプライチェーンの強化に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」を発効させた。2026年3月には「重要鉱物サプライチェーン強靱性のための日米アクションプラン」をまとめ、価格下支えを含む政策、採掘・加工・製造プロジェクトの特定、資金・政策面の優先支援、地質情報の共有などを協議対象にした。
日本には2010年の記憶がある
日本にとって、レアアース供給の政治リスクは新しい話ではない。2010年、中国は輸出枠を大幅に削減し、東シナ海の尖閣諸島をめぐる日中対立の時期には中国から日本への輸出が一時停滞した。価格が急騰し、日本の製造業は調達リスクを突き付けられた。
その後、日本政府と企業は三つの方向で動いた。中国以外の鉱山への投資、レアアース使用量を減らす技術や代替材料の開発、そして国際貿易ルールを通じた対応である。経産省によれば、日本のレアアース輸入に占める中国の割合は2009年の85%から2020年には58%まで低下した。
象徴的なのが豪州のLynas Rare Earthsである。2011年、双日とJOGMECは共同会社の日豪レアアース(JARE)を通じてLynasに総額2億5,000万米ドルを出融資した。2023年にはさらに2億豪ドル相当を追加出資し、Lynasが生産する重希土類のジスプロシウムとテルビウムの最大65%を日本向けに供給する契約を結んだ。
2010: 中国の輸出枠削減と対日輸出停滞で「レアアース・ショック」。
2011: 双日・JOGMECが豪Lynasへ大型出融資。中国外の供給源を育成。
2023: 日米重要鉱物サプライチェーン強化協定が発効。Lynasへ追加出資。
2025年4月: 中国がイットリウムを含む7種の中・重レアアース関連品目を輸出管理対象に。
2026年2月: 南鳥島周辺の水深約6,000mからレアアース泥の揚泥に成功。
2026年9月10日: 米エネルギー省主催の日米会合でイットリウムと永久磁石の供給網を協議。
それでも、イットリウムは別の弱点を残している
日本の多角化は成功した部分がある。しかし「レアアース全体の中国依存度が下がった」ことと、「すべての元素で代替供給が確立した」ことは同じではない。元素ごとに鉱石の組成、分離設備、精製能力、品質規格、需要先が違う。
USGSの2026年版鉱物統計によれば、2025年の中国のイットリウム化合物・金属の輸出は酸化イットリウム換算で推定約1,600トン。主要な輸出先は量の順に日本、韓国、米国、ドイツだった。つまり日本は、世界のイットリウム市場で単なる一需要国ではなく、中国からの供給に大きく依存する主要顧客でもある。
同じUSGS資料は、2025年4月の規制後に酸化イットリウムの平均価格が前年より42%上昇、金属イットリウムが22%上昇したとする。量の小さな市場では、わずかな物流変化でも価格と在庫の振れが大きくなりやすい。
南鳥島の「海底資源」は希望だが、明日の答えではない
日本にはもう一つの選択肢がある。南鳥島周辺の排他的経済水域に存在するレアアース泥だ。2026年2月、政府の実証試験で地球深部探査船「ちきゅう」が水深約6,000メートルからレアアース泥を船上へ引き上げることに初めて成功した。
経済産業省はこの成果を経済安全保障上「意義のある成果」と評価する一方、産業化には採鉱から分離・精製までの一連の工程実証と経済性の検証が必要だと明言している。深海から泥を上げられることと、競争力ある価格で高純度イットリウムを安定生産できることの間には、大きな技術・投資・環境評価の距離がある。
したがって、南鳥島は長期的な戦略資産になり得るが、2026年の供給逼迫を解消する即効薬ではない。
備蓄だけでは工場を守れない
重要鉱物政策では備蓄が注目される。しかしイットリウムのような材料では、備蓄の「量」だけでなく「品質」と「形態」が重要になる。半導体装置用の高純度酸化物、溶射粉末、航空エンジン用の認定済み原料では、同じ元素名でも要求仕様が異なる。
企業側に必要なのは、①用途別の在庫日数を把握する、②二次供給者を認定しておく、③回収・再資源化を設計する、④代替材料の認証を平時から進める、⑤供給途絶時にどの製品を優先するか決める、といった地味な作業だ。政府間会合や鉱山投資は重要だが、最後に工場を止めるかどうかを決めるのは、部材表の一行と倉庫の残量である。
イットリウム供給リスクを読む5つの視点
- 採掘より分離・精製: 鉱床が存在しても、元素を高純度で分離する設備と技術がなければ供給網にはならない。
- 用途別品質: 半導体、航空宇宙、発光材料では同じイットリウムでも必要な純度・粒径・化合物が違う。
- 許可の時間: 法的には輸出可能でも、許可審査が遅れれば実務上の供給制約になる。
- 代替認証: 技術的な代替材があっても、認証と工程変更には時間がかかる。
- 同盟国連携: 日米協力は鉱山だけでなく、分離、加工、リサイクル、在庫情報、需要保証まで設計できるかが焦点になる。
次のレアアース危機は、2010年と同じ形では来ない
2010年の教訓は、日本が中国依存を減らせることを示した。同時に2026年のイットリウム問題は、依存度という一つの数字だけでは脆弱性を測れないことを示している。
世界の工業サプライチェーンは、最終製品から見れば小さすぎて見えない材料に支えられている。イットリウムはその典型だ。半導体装置の保護膜やジェットエンジンの耐熱層のように、製品価格に占める比率は小さくても、なければ工程を動かせない。
9月10日の日米会合は、こうした「見えない依存」を政策レベルの議題に押し上げた。今後の焦点は、会議を重ねることではない。中国以外で採掘し、分離し、高純度化し、用途別に加工し、顧客が認定できる供給網を何年で作れるか。その間を、備蓄、リサイクル、代替材、そして透明な輸出許可でどうつなぐかである。
イットリウムは周期表の39番。だが2026年の日本の製造業にとって、その番号以上に重要なのは、たった一つの材料がどこで止まり、どの工場まで止めるのかを見えるようにすることだ。
資料・取材メモ
- 中国商務部・海関総署 公告2025年第18号 — 2025年4月4日の中・重レアアース輸出管理。イットリウムの対象形態と許可要件。
- 中国商務部 報道官説明 — 国家安全保障、不拡散などの公式説明。
- Reuters, Sept. 24, 2026 — 9月10日の日米会合、イットリウム供給停滞、企業影響。
- 経済産業省・赤澤経済産業大臣記者会見(2026年6月30日) — 許可遅延、税関検査長期化など日本企業への影響。
- 経済産業省調査:エレクトロニクス分野の材料・アプリケーション — 半導体エッチング装置の酸化イットリウム保護膜。
- U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries 2026 — イットリウム生産、価格、中国からの輸出先。
- 経済産業省『通商白書2025』 — 2010年以降の供給源多角化と対中依存度の変化。
- JOGMEC・双日:豪州Lynasへの追加出資(2023年3月7日) — 重希土類の日本向け供給契約。
- 経済産業省:日米重要鉱物サプライチェーン強化協定 — 2023年3月28日発効。
- 経済産業省:重要鉱物サプライチェーン強靱性のための日米アクションプラン — 2026年3月の日米協力枠組み。
- 内閣府:南鳥島周辺レアアース泥の揚泥成功 — 水深約6,000mからの実証。
- Reuters, Sept. 21, 2026 — 航空宇宙向け耐熱コーティングの代替材探索。
本稿は2026年9月30日午前11時06分(日本時間)までに確認できた公開情報を基に、2026年10月2日版向けに作成した。日本語の官庁名、制度名、専門用語は経済産業省、内閣府、JOGMECなどの一次資料を優先して確認した。9月10日の日米会合についてはロイターが確認した招待文書に基づき、会合の具体的成果は未公表として扱った。中国の輸出管理の公式理由は中国商務部の説明に基づき、報道で指摘される通商・外交上の背景とは区別した。
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