きょう午前、三重県の若いアスリートたちは、決勝戦ではなく練習から一日を始める。言葉を全部は理解できない相手からパスが届く。卓球のラリーが続く数秒間、通訳はいらない。鈴鹿、津、四日市の体育館やフィールドで、日本と韓国の子どもたちは、違う色のユニホームを着た相手もミスを恐れ、同じ失敗に笑い、もう一度挑戦したがっていると知る。

第30回日韓青少年夏季スポーツ交流の実施計画は、韓国選手団218人と日本選手団218人を同じ規模で組み合わせる。双方とも選手184人、指導者26人、本部役員8人。選手は主に11〜15歳の小学校高学年と中学生で、競技はサッカー、バレーボール、バスケットボール、卓球、バドミントンの5種目だ。

韓国選手団を受け入れる三重での6日間は、8月16日から21日まで。準備段階で公表された基本日程では、18日に合同練習、19日に公式試合と合同レクリエーション・教育プログラム、20日に文化探訪と歓送行事を行い、21日に帰国する。その順番自体が、この交流の考え方を表している。まず一緒に練習し、競い、スコアが決まった後も同じ時間を過ごす。

国の補助を受けるスポーツ外交だが、実際の仕事の単位は小さい。返ってくるサーブ、一緒の食事、両手で動きを示すコーチ、相手の名前の音を覚える子ども。政府と競技団体は枠組みをつくった。その枠の中で関係が生まれるかは、現場の一つ一つの接触にかかっている。

第30回夏季青少年交流は1997年に始まった
218人+218人三重で組まれる日韓両選手団の計画規模
選手184人ずつ両国の小学生・中学生アスリート
累計10,632人日本からの派遣と韓国からの受け入れの合計

ワールドカップ前に交わされた約束

この交流は2002年FIFAワールドカップの「後日談」として始まったのではない。大会を共同で開くという難しい準備の最中に生まれた。1996年、FIFAは韓国と日本をワールドカップ史上初の共同開催国に決定し、大会を初めてアジアへ運んだ。青少年夏季交流は開幕の5年前、1997年に始まった。

共同開催が歴史を消したわけではない。日本は1910年から1945年まで朝鮮半島を植民地支配した。1965年に国交が正常化した後も、法的・歴史的・領土をめぐる問題が人々の信頼に影響し続けた。1998年に小渕恵三首相と金大中大統領が署名した日韓共同宣言の重要性は、交流を記憶の代わりに置かなかった点にある。

小渕首相は、植民地支配によって韓国国民に「多大の損害と苦痛」を与えた歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびを表明した。金大統領はこれを真摯に受け止め、和解と善隣友好協力に基づく未来志向の関係を呼びかけた。宣言は同時に、とりわけ若い世代が歴史への理解を深める重要性を明記した。そのうえで、ワールドカップ、文化・スポーツ交流、青少年事業の拡大へ進んだ。

この順序は大切だ。「未来志向」とは、過去を空白にした未来ではない。共同宣言では、歴史認識と人的交流が同じ構造の中に置かれた。起きたことと向き合い、人が互いを知る条件をつくり、公式文書だけで信頼が生まれるとは考えない。

ワールドカップは2002年5月31日にソウルで開幕し、6月30日に横浜で閉幕した。アジア初、そして史上初の共同開催だった。翌7月の首脳会談で、両政府は大会の協力精神を引き継ぐ「日韓共同未来プロジェクト」を決定した。2003年1月に始動し、青少年・スポーツ交流を年間1万人以上の規模で支援する、より大きな枠組みへ発展した。

1965年 日本と大韓民国が国交を正常化。

1996年 FIFAが日韓による2002年ワールドカップ共同開催を決定。

1997年 日韓青少年夏季スポーツ交流が始まる。

1998年 小渕・金共同宣言が歴史理解、青少年交流、ワールドカップ協力を結ぶ。

2002〜03年 共同開催後、「日韓共同未来プロジェクト」が始動。

2020〜22年 対面交流が停止。オンライン事業で接点を保つ。

2023年 光州と徳島で往来を伴う交流が再開。

2026年 夏季交流第30回、日韓スポーツ交流30周年を大田と三重で迎える。

30回と、「累計10,632人」の読み方

日本スポーツ協会(JSPO)は、夏季青少年交流の累計参加者を10,632人としている。注記が重要だ。この数字は、韓国へ派遣された日本選手団と、日本で受け入れた韓国選手団の人数を足したもの。交流に加わった日本側の受け入れ選手、韓国側の受け入れ選手、コーチ、ボランティア、家族をすべて数えた社会的な接触人口ではなく、国境を越えた選手団の行政的な累計である。

それでも、続いてきた事実は軽くない。政権交代や日韓関係が厳しく冷え込んだ時期を越えた。2020年は新型コロナで計画が中止された。2021年には香川の青少年84人と大田の93人が、トレーニング、栄養、クイズ、文化交流を含む1日のオンライン事業に参加。2022年は日本と韓国の体育館を映像でつなぎ、367人が交流した。実際の往来は2023年に戻った。

過去の参加者には、サッカー元日本代表の清武弘嗣選手(第5回)と、バスケットボール日本代表の富樫勇樹選手(第9回)がいる。ただし、代表選手を生み出すことだけで事業を正当化するべきではない。大多数はプロにならない。その普通の未来でも残る価値が必要だ。

韓国体育大学校のキム・ヨンス、チョ・ジュノ両氏は2023年、文献と関係者への聞き取りから1997〜2022年の歴史を検証した。友好、相互理解、信頼、競技力、開催地域への効果を整理し、青少年の目線に合うデジタル交流と記録保存を提言した。有用な歴史研究だが、無作為比較や長期追跡による効果測定ではない。結論は、問いを終わらせるものではなく、次の評価を設計する手掛かりと読むべきだ。

青少年交流の最も強い遺産は、将来の代表選手ではない。隣国を一つの抽象的な言葉に戻せなくなった、普通の参加者である。

三重は単なる「会場」ではない

三重県は巡回してきた行事を受け取っただけではない。2025年には、岐阜県と組む日本選手団のうち、バスケットボール、卓球、バドミントンの111人を三重が担い、韓国・全北特別自治道へ派遣した。2026年8月の大田への派遣では、三重がサッカーとバレーボール、兵庫が残る3競技を担当した。今回の受け入れでは、5競技すべての日本選手を三重が推薦する。

交流の仕事は鈴鹿、津、四日市に分かれる。JSPO、三重県・兵庫県スポーツ協会、5つの中央競技団体、日本中学校体育連盟、県内競技団体、県、3市と教育委員会が支える。三重交通Gスポーツの杜鈴鹿に拠点を置く県スポーツ協会の周囲には、子どもが会う前から必要なものが見える。競技場と体育館、バス、宿泊、食事、通訳、医療計画、保険、安全管理だ。

三重が国際スポーツの6日間を迎えることには、地域特有の重みもある。県は2021年の三重とこわか国体・三重とこわか大会に向け長年準備したが、コロナ禍で両大会は中止された。後の県スポーツ推進計画は、一度失われた式典を取り戻すのではなく、施設、競技、参加を地域に残すことを課題にした。2026年の交流は規模こそ小さいが、同じ地域の運営力を、別の目的に生かしている。

地域選考は218人の集団に顔を与える。伊賀地域からもサッカーとバレーボールの小中学生が選ばれた。中学2年のバレーボール選手は、日本代表として責任を持ち、全員が主役として挑戦したいと地元メディアに語った。それは「代表」の言葉だ。一週間のさらに深い学びは、いつなら国の代表をいったん降り、ただのチームメート、対戦相手、友人になれるかを知ることかもしれない。

スローガンより、接触の設計

スポーツは自動的に平和を生まない。連帯を育てる一方で、国籍の線を濃くし、判定への不満を拡大し、目の前の子どもを国全体の象徴に変えることもある。握手の写真一枚では、試合後に会話があったかは分からない。

集団間接触の研究を通すと、三重の日程が単なるトーナメント表より慎重に組まれている理由が見える。38カ国、25万人超、515研究を扱った大規模研究では、肯定的な接触は一般に偏見を弱めることが示された。スポーツ研究者のニコ・シューレンコルフ、エマ・シェリー両氏は、接触を有効にする古典的な4条件を強調する。場の中での対等な地位、集団を越えた協力、共通の目標、制度と権威ある大人の支援である。同時に、スポーツではこの条件は自然にはそろわず、管理されない競争は効果が小さいか、緊張を悪化させ得ると警告する。

合同練習は配置を変える。二つの国別集団が向かい合うのではなく、同じドリルに取り組み、同じ問題を解き、同じ空間で指導を受ける。レクリエーションは、勝敗に還元できない目標をつくる。食事と文化探訪は、個人の細部が現れる時間になる。6日間の反復が「韓国の選手」「日本の選手」を、特定のサーブ、冗談、好きな歌を持つ人へ変えていく。

プログラム生み得るもの失敗する時
合同練習協力、共通の指導、互いの技術への敬意受け入れ側が支配し、言語や競技力が序列になる
公式試合努力と共通ルールを通じた尊重国別のスコアが個人の出会いを覆い隠す
レクリエーション混合した役割、笑い、どちらか一方が所有しない目標集団が分かれたままで接触が儀礼に終わる
文化探訪競技会場を越えた質問、文脈、記憶対話ではなく一方通行の観光展示になる
終了後の交流公式日程の後も友情を育てられる安全な連絡手段、翻訳、継続支援がない

設計には目に見える限界もある。サッカーの選手枠40人は男子だけで、残る4競技は小学生・中学生とも男女の枠がある。国家間で対等であることと、その内部で参加機会が等しいことは同じではない。未来を語る30周年事業なら、この差の理由と、どう縮めるかを説明できるはずだ。

参加経路も選択的である。選手は原則としてスポーツ少年団の登録団員、または都道府県スポーツ協会の推薦を受ける。日本選手の参加料は韓国への派遣が2万円、三重での受け入れ交流が1万5,000円。集合場所までの交通、派遣時の旅券、個人的支出などは家庭負担になる。公費が主要経費を支えていても、すべての子どもに開かれた無料の交流ではない。

調査が示すこと、示せないこと

JSPOが公表した2025年参加者アンケートの要約では、交流後、「韓国に親しみを感じる」「日韓のスポーツ交流は大切だ」とする回答が増え、「再び参加したい」への同意が9割を超えた。励みになる結果だ。ただし公表された概要だけでは全国的な効果を証明できない。全回答者数、回答率、離脱、質問順、長期追跡などの方法が十分に示されていない。

参加者は、国際交流を選んだ選抜選手であり、手厚く支えられた事業を完了した人たちだ。好意が増えたとしても、6日間が長く続く変化を引き起こしたと断定はできず、家庭、学校、社会へ広がったとも言えない。終了直後の笑顔も一種類のデータだが、1年後も関係が続いているかは別のデータである。

時間が必要なことは、国際文化会館と韓国・東アジア研究院が2026年に行ったオンライン共同世論調査にも表れる。日本の回答者1,552人のうち、韓国への印象が「良い・やや良い」は35.3%で、前年より10.5ポイント上昇した。一方、「良くない・あまり良くない」は44.1%。「信頼できる相手」は24.5%にとどまり、「信頼できない」は50.2%だった。今後の優先課題として「若い世代を中心とする人的交流と相互理解の拡大」を選んだ人は26.4%だった。

一つの青少年事業が、国全体の信頼の差を埋めることはできない。現実的な貢献はもっと小さく、だからこそ持続し得る。次に隣国を判断する時、ニュース見出し、歴史問題、娯楽のイメージ、SNS上の対立だけでなく、自分が会った一人から考え始められる人を増やすことだ。

「競技を越える」は、「歴史を越えて忘れる」という意味ではない。 スポーツは出会いの空間をつくれるが、条約を交渉せず、請求や領土問題を裁かず、植民地支配の被害を消すこともない。歴史理解と現在の友情を同時に持てる時、交流は最も強くなる。大人と政府が解決していない問題を、子どもに解かせてはならない。

最も難しい言葉は「友情」

制度文書では、友情はしばしば成果として書かれる。青少年を集めれば友好が深まる、という形だ。現実の友情はそれほど従順ではない。始まることも、始まらないこともある。子どもは恥ずかしがり、同じ言語の仲間で固まり、対戦相手を好きになれず、試合の記憶だけを持ち帰るかもしれない。外交的な感情を義務にすれば、交流も演技になる。

より良い基準は「機会」だ。対等で、繰り返し、安全な接触が用意されたか。写真のために並べるだけでなく、意味のある活動で混ざれたか。率直な質問ができたか。公式あいさつ以外の時間にも通訳が機能したか。コーチは一試合を国家の優劣の証明に変えなかったか。子どもが連絡先を交換するかどうかを、安全管理と保護者同意のもとで自分で選べたか。

評価も旅行者の満足度票を越える必要がある。参加前、終了直後、6か月後、12か月後に、知識、不安、信頼、次の接触への意欲を調べる。子どもの身元を公表せず、新しい友情の継続を記録する。渡航者だけでなく、受け入れ選手と家庭にも聞く。応募、推薦、選考、参加、回答の人数を示す。否定的な経験も含める。信頼できる事業は、不都合な感想を消すのではなく、そこから学ぶ。

次の30回に向けた5つの問い
  • 継続:6か月後、12か月後にも、安全で自発的な交流を続ける参加者は何人いるか。
  • 包摂:性別、障害、選考経路、費用、家庭事情によって参加できないのは誰か。
  • 対等:両国が教え、迎え、質問し、選べるか。決められた国別役割を演じるだけになっていないか。
  • 歴史:文化学習は、子どもを外交官にせず、難しい歴史を理解する助けになっているか。
  • 証拠:祝賀の物語を複雑にする結果も含め、方法、回答数、調査結果を公表するか。

試合終了後に、本当の検証が始まる

金曜日、韓国選手団は三重を離れる。用具は倉庫に戻り、指導者は名簿と写真を持ち帰る。公式試合の結果は記録に残るかもしれない。しかし6日間の公共的な価値は別の場所で決まる。名前を覚えているか。メッセージに返事が来るか。ある固定観念を以前ほど簡単に口にできなくなるか。もう一度訪ねたいと思うか。

30回続いた事業には、ある種の謙虚さがある。日韓関係が完全になるまで、子どもの出会いを待たない。一方で、子どもの善意によって関係が完全になったとも主張してはならない。この交流は、歴史が残り、政治が変わり、信頼が不完全で、それでも接触を用意する価値があるという、難しい中間地点に立つ。

フィールドのセンターラインは、試合に二つの側が必要だから引かれている。笛の前、両主将はその線を越えてあいさつする。笛が鳴れば、同じボールを追い、同じ境界を試し、動きによって同じ人を知りながら、何度も線を越える。

今週、三重が差し出すのはそこまでだ。得点で測る和解ではない。式典が命じる友情でもない。日本と韓国の子どもが競技を越えて出会い、その一つの現実の経験を、次に来るものへ持っていくための、構造ある機会である。

主な出典と取材上の注記
  1. 日本スポーツ協会:第30回日韓青少年夏季スポーツ交流(2026年7月30日)。日程、人数、競技、30周年。
  2. 日本スポーツ協会:日韓交流の歴史。事業の起点、各年の記録、コロナ期の中断とオンライン化。
  3. 第30回交流実施要項。参加資格、選手団構成、男女別人数、参加料、経費。
  4. 三重県スポーツ協会:受け入れ基本日程。合同練習、試合、レクリエーション、文化事業。準備段階の案。
  5. 三重県スポーツ協会:令和8年度事業計画。開催市、競技、選手団計画。
  6. 三重県スポーツ協会:令和7年度事業報告。第29回交流での三重県の役割。
  7. 伊賀タウン情報YOU:伊賀地域の小中学生が選出(2026年8月1日)。地域参加と選手の抱負。
  8. 韓国文化体育観光部の検索記録。韓国選手団の日程、年齢、構成。
  9. 日本スポーツ協会:第29回交流と参加者アンケート概要(2025年7月29日)。前回人数と調査結果。
  10. キム・ヨンス、チョ・ジュノ「韓日青少年スポーツ交流事業の歴史と発展方案」『Sport Science』41巻1号、2023年、187〜200頁、DOI 10.46394/ISS.41.1.22。
  11. 日韓共同宣言(1998年10月8日)。歴史認識、青少年交流、ワールドカップ協力。
  12. 外務省『外交青書2004』。ワールドカップ後の日韓共同未来プロジェクトの成立と規模。
  13. FIFA:2002年韓国・日本ワールドカップ公式史。アジア初、史上初の共同開催。
  14. 外務省:日韓国交正常化60周年(2025年6月19日)。1965年以後の交流。
  15. 国際文化会館・東アジア研究院:2026年日韓共同世論調査速報。標本、印象、信頼、青少年交流への評価。
  16. Schulenkorf and Sherry, “Applying intergroup contact theory to sport-for-development”, Sport Management Review 24(2), 2021。スポーツ接触の条件とリスク。
  17. 三重県「第3次三重県スポーツ推進計画」。コロナ禍による大会中止と、その後の地域スポーツ戦略。
  18. 日本スポーツ協会概要。協会の歴史と国民スポーツ大会の位置付け。

編集部注:記事中の三重受け入れ日程は、旅行業務の調達時に基本日程案として公表されたもので、個別会場や時刻は変更される可能性がある。「218人+218人」は計画上の選手団構成であり、独立監査済みの実参加者数ではない。JSPOの累計10,632人は、日本から韓国への派遣人数と韓国から日本への受け入れ人数の合計で、双方の受け入れ側参加者をすべて数えたものではない。2025年参加者調査の公表概要は、因果関係や全国代表性を判断するのに十分な方法を示していない。2026年の国際文化会館・EAI調査はオンライン調査で、ここでは日本側速報を用いた。公開情報は2026年8月17日午前4時29分まで確認。為替表示は編集用に指定された値。