群馬県長野原町の居家以岩陰遺跡では、岩壁が雨を遮る浅い空間の前に、人が火を焚き、食べ、道具を使い、死者を葬った層が重なる。現在までの年代研究は、この場所が約一万年前から少なくとも四千年にわたって繰り返し使われたことを示す。灰、土器、炭化した木の実、人骨が、同じ岩陰に異なる時間を積み上げた。
その一人がIY1である。二つの放射性炭素年代は約8300~8200年前を示す。2018年の形態研究によれば、死亡時はおよそ20~40歳、推定身長146センチの女性だった。歯は強く摩耗していたが、虫歯は確認されなかった。屈葬された身体は腰の位置で上下に分かれ、重ねるように置かれていた。私たちにはその儀礼の意味は分からない。ただ、偶然に骨が残ったのではなく、当時の人々が意図をもって彼女を葬ったことは分かる。
そこから約六千年後、本州西端の山口県下関市。響灘に面した土井ヶ浜では、海風が運んだ砂が緩い砂丘をつくり、弥生時代の人々はそこを墓地にした。約300体の人骨が出土した国指定史跡である。今回の男性DOは約2306~2238年前、概ね紀元前4~3世紀に生きた。山間の岩陰と海辺の砂丘。この二人を結んだのは、保存された骨だけではなく、一人分のゲノムを何十回も読み直せるほど残ったDNAだった。
「67倍読む」とは何を変えるのか
人のゲノムは一冊の本のように一続きで骨から出てくるわけではない。死後、DNAは短く切れ、化学的に変化し、土壌中の微生物DNAと混ざる。日本の温暖湿潤な気候と火山灰由来の酸性土壌は、古代DNAにとってとりわけ厳しい。国内には一万を超える旧石器・新石器時代の遺跡が知られる一方、人骨とDNAの保存は乏しいと、2021年の列島ミトコンドリア研究は説明した。
「カバレッジ」は、ゲノム上の各位置が平均して何回の読み取りデータで覆われたかを示す。1倍未満なら、ある位置で父方か母方のどちらか一方の文字しか拾えないことが多い。67倍なら、同じ場所を平均約67回確認できる。誤読や現代DNAの混入を見分け、父母から受け取った二つの配列を区別する二倍体遺伝子型を決め、ヘテロ接合性や遺伝子コピー数をより確かに推定できる。
研究チームは、IY1で67倍超、DOで46倍超という低混入の全ゲノムを構築した。日本本土の古代人として異例の品質である。これにより、集団間の似方を示す主成分分析や祖先成分のモデルだけでなく、一個人の二本の染色体に残る変異の間隔から、遠い祖先集団の規模変化をたどる解析が可能になった。多くの古代ゲノムが点の集合だとすれば、今回は文章の行間まで読める資料に近い。
- 二倍体遺伝子型:同じ位置で二つの異なる塩基を持つかを判定しやすい。
- 人口史:一人のゲノム内で二本の配列が共通祖先へ遡るパターンから、長期の有効集団サイズを推定できる。
- 構造多型:AMY1のように、遺伝子が何個並ぶかというコピー数を低カバレッジより安定して調べられる。
- 品質管理:死後損傷、短い断片、現代人由来の混入を複数の指標で検証しやすい。
ただし、何度読んでも標本数が二人から増えるわけではない。深さは一人の解像度を上げるが、地域差、男女差、家族差、時代差を測る「広さ」の代わりにはならない。この区別が、研究を過大解釈しないための第一歩になる。
IY1のゲノム――長い孤立と、拡大しない人口
主成分分析と祖先成分のクラスタリングで、IY1は既報の縄文人の近くに位置し、他の東アジア集団では少ない縄文系に特徴的な成分を持った。集団系統の解析は、縄文系統が東アジアの他集団から早い段階で分岐し、現代日本人へ遺伝的寄与を残したという従来の証拠を、高品質な本州早期縄文ゲノムで補強した。
さらに研究者は、二本の染色体の違いがゲノム上でどう移り変わるかを使い、祖先集団の有効集団サイズを時間に沿って推定した。IY1とDOにつながる双方の系統は、最終氷期最盛期の寒冷な時代に縮小を経験した。その後、IY1側の祖先系統には明瞭な人口増加が見えず、氷期後も比較的安定した小さな規模が続いた。
ここでいう有効集団サイズは、ある年の列島人口を数えたものではない。遺伝的多様性を次世代へ伝えた繁殖集団の大きさに関わる指標で、人口の分断や交流率の変化でも曲線は動く。したがって「縄文人口は何人だった」と直接換算はできない。それでも、長い孤立と大規模な拡大の欠如が縄文系統へ強い遺伝的浮動を残したという像には合う。
DOのゲノム――渡来の前に、すでに混ざっていた
DOはIY1とは異なる位置に現れた。縄文人よりも、現代日本人を含む東アジア集団へ近く、北東アジアで多い祖先成分も持つ。集団混合モデルでは、中国山東省、内モンゴル、アムール川流域の新石器時代集団を候補源にした複数の組み合わせが支持された。これはDOの祖先側が、日本列島へ到着する以前から大陸上の複数の集団間交流に形づくられていた可能性を示す。
地図上の候補名を、そのまま旅程へ変えてはいけない。混合モデルで使う古代集団は、現存する比較資料の中で遺伝的に近い「代理」である。直接の祖先集団がまだ未発見、未解析であれば、近縁な山東や内モンゴル、アムールの標本が最良の代役になる。論文も、支持された候補が直系の祖先であるとは限らないと明記する。
DOにつながる祖先人口は、最終氷期後にIY1側とは違う軌跡をたどり、段階的で持続的な増加を示した。その拡大は、列島への渡来より前、大陸側で始まった可能性がある。人口が増え、集落と農耕が広がり、人々が移動した世界の一部が、のちに海峡を越えたと考えれば、遺伝子と水田、金属器、技術の移動が単一の事件でなかった理由が見えてくる。
DOは現代本土日本人との明瞭な遺伝的連続性も示した。これは「現代日本人はDO一人の子孫」という意味ではない。DOのような中期弥生人が持っていた縄文系と大陸系の組み合わせが、その後の列島集団の形成へ受け継がれたという集団レベルの関係である。
| 研究が示したこと | 研究が示していないこと |
|---|---|
| IY1は既報縄文人に近く、縄文系に特徴的な祖先成分を持つ | 全時代・全地域の縄文人が遺伝的に一様だった |
| DOの背景には渡来前の複雑な大陸集団間交流が反映される | 候補に挙がった古代集団がDOの直接の祖先だった |
| 二系統は最終氷期後に異なる人口史をたどった | 有効集団サイズが実際の人口数と同じだった |
| DOと現代本土日本人の間に遺伝的連続性がある | 文化、言語、国籍が遺伝子だけで継承された |
| IY1にも比較的高いAMY1コピー数があった | IY1個人の献立や、縄文人全体のでんぷん摂取量が判明した |
縄文から弥生へ――一本の境界線ではなかった
教科書の時代区分は必要だが、現実の移行はページをめくるようには起きなかった。国立歴史民俗博物館の年代観では、水田稲作は紀元前10世紀ごろに九州北部で始まり、約600年をかけて各地へ広がった。その過程で、水田を受け入れた地域と受け入れない地域が並び、縄文的な生業と弥生的な技術、人々の移動と地域の継続が組み合わさった。
日本人形成の説明も変化してきた。文化だけが伝わったのか、在来集団が置き換えられたのか、それとも混合したのか。骨格研究から提唱された「二重構造モデル」は、縄文系集団と大陸からの渡来系集団の混合を基本像にした。2021年の古代ゲノム研究は、縄文、北東アジア、東アジアという三つの祖先成分が古墳期までに見えるとする「三重構造」を提示した。
その後の標本は、より地域的な物語を加えた。2024年に報告された別の土井ヶ浜女性の約2倍ゲノムは、縄文系と朝鮮半島に近い大陸系を組み合わせる二方向モデルで、弥生、古墳、現代日本人を説明できると論じた。2026年1月の長崎県北西九州の四個体では、縄文系をほぼ保つ二人と、すでに混合した二人が同時期に存在し、混合が一度の大量移住ではなく段階的に進んだことが示された。
「二つか三つか」という色の数だけを競わせると、本質を見失う。祖先成分は自然界にラベル付きで存在する物質ではなく、選んだ比較標本と統計モデルがデータを要約する方法である。朝鮮半島の集団自体が東アジアと北東アジアに関係する背景を持てば、二方向モデルと三成分の観察は両立しうる。重要なのは、列島形成が孤立、複数の移住、地域差、長い混合の積み重ねだったことだ。
約1万6000年前 縄文時代草創期。土器を伴う長い文化史が始まる。
約8300~8200年前 IY1が居家以岩陰遺跡に葬られる。
紀元前10世紀ごろ 九州北部で水田稲作が始まり、各地へ段階的に拡大。
約2306~2238年前 DOが土井ヶ浜の海辺の墓地に葬られる。
1953年 土井ヶ浜で最初の全身人骨が発掘され、その後約300体へ。
2018年 IY1の年代、形態、埋葬、同位体分析が公表される。
2021年 古代ゲノムから日本列島集団の三重構造モデルが提案される。
2026年 二人の高カバレッジ全ゲノムがPNASに掲載される。
米の前にあった、でんぷんの世界
この研究で最も身近で、最も誤解されやすい発見がAMY1である。AMY1は唾液アミラーゼをつくる遺伝子で、口の中からでんぷんを糖へ分解し始める。人によってゲノム内のコピー数が異なり、2007年の研究は、伝統的にでんぷんの多い食事をとる集団ほど平均コピー数が多く、コピー数と唾液中の酵素量が正に相関すると報告した。
弥生男性DOにコピー数の増加が見られたことは、水田稲作を含む高でんぷん植物の利用と整合する。意外だったのはIY1にも比較的高いコピー数があったことだ。彼女は水田稲作が列島へ広く伝わる数千年前に生きていた。高コピー型の遺伝的多様性は、農耕の到来と同時に突然生まれたのではなく、その前から存在したことになる。
居家以岩陰遺跡の土は、その可能性に具体的な食物名を与える。2026年の植物遺体研究は、縄文早期層からクリ・コナラ属やクルミ属の炭化果皮を多数確認した。クリやドングリは主要な炭水化物源、オニグルミは脂質源だったと考えられる。さらに、栽培植物の野生祖先にあたるヒエ属、アズキ亜属、ダイズ属の種子も見つかった。IY1の安定同位体は、タンパク質源が主にC3植物と陸上動物だった内陸縄文人の範囲に入る。
ただし、遺跡から出た木の実をIY1が食べたと個人単位で証明したわけではない。AMY1のコピー数だけで彼女の消化能力、健康、献立を復元することもできない。集団内のばらつきは大きく、一人の値は縄文人全体の平均ではない。遺伝子、炭化種実、歯の摩耗、同位体という独立した手掛かりが、同じ方向を指し始めたことが重要なのである。
近年の研究は、AMY1の歴史そのものも単純な「農業で増えた遺伝子」から変えた。2024年のScience論文は、最初の重複が約80万年前に遡る可能性と、狩猟採集民にも4万5000年前には大きなコピー数変異があったことを示した。同年のNature研究は、農耕集団でコピー数が多く、西ユーラシアでは重複型が過去1万2000年に急増した証拠を得た。つまり農耕は変異をゼロから発明したのではない。すでにあった多様性の頻度を、地域ごとの食文化が変えた可能性が高い。
二人の人生と、集団の曲線を混同しない
古代ゲノムは、個人と集団の間を行き来する科学である。IY1の身長、歯、埋葬姿勢、同位体は一人の身体史に近い。主成分分析や集団混合モデルは、その人を多数の古代・現代標本の中に置く。有効集団サイズの曲線は、さらに遠い祖先が残した遺伝的多様性を読む。三つの尺度は関係するが、同じではない。
最も危険な短絡は、考古学上の文化名を生物学的な箱に変えることだ。「縄文」と「弥生」は、土器、生業、年代、地域を整理するための名称であり、DNAで決まる国籍や人種ではない。縄文文化を営む人々にも地域差と移動があり、弥生社会にも縄文系を多く持つ人、混合した人、大陸系を多く持つ人がいた。2026年の北西九州研究が示すように、同じ時期と地域でも異なる祖先背景が並存した。
もう一つは、統計モデルの候補を確定した民族移動図に変えることだ。古代DNAデータベースには巨大な空白がある。保存しなかった土地、未発掘の墓、解析許可のない遺骨、まだ読まれていない時代がある。モデルは現時点で利用できる標本の中から最も合う組み合わせを選ぶ。新しい高品質ゲノムが一つ加われば、地図の矢印は変わりうる。
| 証拠 | 得意な問い | 主な限界 |
|---|---|---|
| 全ゲノムDNA | 近縁性、混合、人口史、遺伝的変異 | 文化・言語・自己認識を直接読めない |
| 骨格と歯 | 年齢、性、体格、健康、活動の痕跡 | 形態だけで祖先や移住を断定できない |
| 安定同位体 | 長期的なタンパク質源と環境 | 個々の料理や低タンパク植物を細かく識別しにくい |
| 植物・動物遺体 | 遺跡で利用された食料と環境 | 特定個人が食べたとは限らず、保存に偏りがある |
| 土器・水田・金属器 | 技術、年代、交換、社会変化 | 物の移動と人の移動は一対一ではない |
古代人を「データ」にしないために
IY1とDOは、便利な標本番号である前に、家族や共同体に葬られた人間だった。DNA抽出はしばしば骨や歯の一部を削る不可逆的な行為である。高カバレッジゲノムの価値が大きいほど、どの遺骨を、どれだけ使い、誰と相談し、データをどう保管するかという責任も大きくなる。
2021年に31カ国の研究者がまとめた古代人骨DNA研究の国際指針は、現地の規則を守ること、事前に詳細な計画を作ること、遺骨への損傷を最小化すること、再検証できるよう公開後にデータを利用可能にすること、研究開始時から関係者と対話し見解を尊重することを求めた。日本でも、博物館、発掘者、地域社会、遺跡管理者の協力なしに、骨の長期保存と再解析は成り立たない。
一度の高品質な読み取りは、将来の破壊的採取を減らす資産にもなる。だが公開データは、現代の集団を単純化したり、古代人を現代政治の祖先証明へ使ったりする危険も持つ。結果を「純粋な日本人」や「最初の日本人」という物語へ押し込まず、不確実性と地域差を同じ大きさで伝えることが、科学報道の倫理になる。
次に必要なのは、深い二人から、深い地図へ
今回の二人は、古代ゲノム研究の到達点であると同時に、標本の少なさを際立たせた。必要なのは、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州、琉球列島の異なる時代から、同じ品質基準で比較できるゲノムを増やすことだ。特に水田稲作が届く前後を連続して読めれば、移住と混合がいつ、どこで、どの速度で進んだかを地域ごとに検証できる。
AMY1については、短い読み取りで推定したコピー数を長鎖シーケンスや別手法で検証し、同じ個体の歯石、植物遺体、安定同位体と結び付ける必要がある。高コピー型がいつ、どの地域で増えたかを知るには、IY1とDOの間の六千年間から多数の個体を並べなければならない。二点は線を想像させるが、線そのものではない。
人口史も同様である。単一ゲノムから得る曲線を、複数個体、遺跡の規模、住居数、食料生産、気候史、移動モデルと突き合わせる。そうして初めて、遺伝的な有効集団サイズの変化を、人々が実際にどのように暮らし、移り、家族を作ったかという歴史へ近づけられる。
六千年を隔てた二人が残したもの
IY1のゲノムは、縄文系統の深い分岐と、氷期後に大きく拡大しなかった人口史を伝えた。DOのゲノムは、大陸で複数の祖先背景が交わり、増加した集団の一部が列島へ到達し、現代本土日本人につながる背景を形づくったことを示した。二人は、孤立と移住を対立させるのではなく、その両方が列島史を作ったことを教える。
そしてIY1のAMY1は、農業以前を空白とみなす考えを揺らす。田がなくても、人は植物を選び、加工し、でんぷんを利用した。弥生の稲作は大きな変革だったが、人と植物の関係の始まりではない。新しい生業は、すでに存在した文化的知識と遺伝的多様性の上へ重なった。
岩陰の灰層と海辺の砂丘は、どちらも人が死者を残した場所だった。8300年後、2300年後、その人々のDNAを読む私たちは、過去を所有したのではない。二人が残した断片を、骨、植物、土器、海路、人口モデルと慎重に結び、分からない部分を分からないまま残す権利を得ただけである。
主な資料と取材根拠
- Ishiyaほか:High-coverage ancient genomes reveal divergent population histories and prehistoric starch-related genetic variation in Japan(PNAS、2026年7月23日オンライン掲載)
- 総合研究大学院大学ほか:高精度な縄文人・弥生人ゲノムが明らかにする祖先集団の歴史と食への適応進化(2026年7月28日)
- Kondo, Yoneda & Taniguchi:居家以岩陰遺跡IY1の骨格、埋葬、年代、同位体(Anthropological Science、2018年)
- 工藤雄一郎・米田穣:居家以岩陰遺跡の年代的位置づけ(第四紀研究、2025年)
- 那須浩郎:居家以岩陰遺跡における縄文時代早期の植物利用(第四紀研究、2026年)
- 居家以岩陰遺跡研究プロジェクト:人骨の発掘、埋葬地、放射性炭素年代
- 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム:国指定史跡、砂丘墓地、約300体の人骨と交易資料
- 国立歴史民俗博物館:最終氷期、縄文時代、水田稲作の開始と地域的拡大
- Cookeほか:Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations(Science Advances、2021年)
- Kimほか:土井ヶ浜弥生人と渡来系集団の起源(Journal of Human Genetics、2024年)
- Kimほか:北西九州弥生人の初期混合と遺伝的多様性(Scientific Reports、2026年)
- Mizunoほか:旧石器時代以降の列島人口動態と古代ミトコンドリアゲノム(Scientific Reports、2021年)
- Perryほか:食生活とAMY1コピー数進化(Nature Genetics、2007年)
- Yilmazほか:アミラーゼ遺伝子座の古い重複と現代変異(Science、2024年)
- Bologniniほか:農耕とアミラーゼ構造多型への選択(Nature、2024年)
- Li & Durbin:単一二倍体ゲノムから人口史を推定するPSMC法(Nature、2011年)
- Alpaslan-Roodenbergほか:人骨DNA研究の五つの国際倫理指針(Nature、2021年)
編集注:年代の「年前」は各研究の較正年代表記に従い、弥生時代の開始年代には地域差と研究上の議論がある。IY1とDOは二人の個体であり、その遺伝的特徴を縄文人・弥生人全体へ一般化できない。祖先成分は統計モデル上の近縁性で、文化・言語・民族・国籍を表す固定的な生物分類ではない。AMY1の「比較的高いコピー数」はでんぷん利用に関係する可能性を示すが、IY1個人の食事や適応を単独で証明しない。本稿の統合解釈と今後の研究提案は、公開資料に基づくJapan.co.jpの分析である。調査は2026年8月15日午前3時14分(日本時間)まで。
