確認した事実:第36回イグ・ノーベル賞の主催者は、医学賞を故・海野徳二氏に贈った。対象は海野氏と矢島洋氏による1977年の論文。授賞対象者、共著者、代理受領者は同一ではない。日本関係者を含む受賞は2007年から2026年まで20回の授賞年で続くが、主催者による国別順位ではない。

鼻をかむ。誰もが知る短い動作を、流量と時間と圧力に分解する。1970年代の和歌山で二人の耳鼻咽喉科医が向き合ったのは、巨大装置でも新薬でもなく、日常の中で説明されないまま繰り返される所作だった。

半世紀近く後、その研究がスイス・チューリヒの舞台に届いた。イグ・ノーベル賞を運営する『Annals of Improbable Research』は9月3日、2026年医学賞を故・海野徳二(うんの・とくじ)氏に授与した。英語の授賞理由は「How to Blow the Nose — An Aerodynamic Study of the Nose Blowing」。旭川医科大学の日本語発表は対象論文を「鼻のかみ方―擤鼻の気体動力学的研究―」としている。

受賞者は海野氏、論文は二人で書いた

ここは丁寧に区別したい。賞の公式記録が受賞者として挙げるのは海野氏である。一方、1977年1月20日発行の『日本耳鼻咽喉科学会会報』第80巻第1号に掲載された論文は、海野氏と矢島洋(やじま・ひろし)氏の共著だ。二人は当時、和歌山県立医科大学耳鼻咽喉科学教室に在籍していた。

海野氏は1933年生まれ。千葉大学医学部を卒業し、和歌山県立医科大学助教授などを経て、1976年10月に旭川医科大学耳鼻咽喉科学講座の初代教授となった。専門は呼吸生理学。1998年に退官し名誉教授となり、2022年8月に89歳で亡くなった。今回の賞は死後授与であり、旭川医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座の髙原幹(たかはら・みき)教授が代理で受け取った。

矢島氏の現在の所属や連絡先は、大学の発表でも確認できなかった。したがって本稿は、同氏について1977年当時の所属以上を推測しない。

15人の鼻を二台の流量計で測る

論文の被験者は14歳から48歳までの男性15人。研究者は二台のニューモタコメーター(呼吸流量計)を並列に用い、左右それぞれの鼻孔と両側から吐き出される空気について、速度、量、時間を測った。さらにバルーンカテーテルと圧トランスデューサーを使い、外耳道の圧変化も観察した。

抄録が報告する平均値では、鼻呼吸の最大呼気速度は毎秒1.87リットル。片側ずつ鼻をかんだときは毎秒1.81リットルだった。一回に吐き出す空気量は平均1.34リットル、持続時間は平均1.23秒。片側を閉じて行った60回の試行では、外耳道圧が陽性方向へ動いた例が31回、陰性方向が7回、変化なしが22回だった。

15人14~48歳の男性被験者
1.81 L/秒片側で鼻をかんだ際の平均最大呼気速度
1.34 L一回の平均呼気量
1.23秒一回の平均持続時間

これらは1977年の小規模な生理学的測定値である。現代日本人全体の標準値でも、治療効果を示す臨床試験でもない。数字の精密さと、結論を広げられる範囲は別問題だ。

「片側ずつ」の理由を数字にした

論文で研究者が注目したのは、左右の鼻腔の通りやすさが同じとは限らないことだった。通りやすい側を閉じると、通りにくい側を通る呼気速度が高まる。そこで著者らは、左右を一度にかむよりも片側ずつかむ方が分泌物を排出しやすく、強く速い呼気と、十分な量を時間をかけて出すことが有効だと結論した。

旭川医科大学は研究の要点を、片側ずつ行うこと、呼気速度を上げること、先に適度に息を吸い、時間をかけてかむことなどに整理している。ただし、それは今回の受賞を知らせる大学発表による1977年論文の説明である。49年後に新しい臨床試験が行われた、あるいは現行の診療指針が改定されたという発表ではない。

この研究の面白さは、鼻のかみ方を「常識」として終わらせず、左右の流れと耳の圧に変換して観察した点にある。

小さな実験を大きく言いすぎない

研究の魅力を伝えることと、健康上の助言に作り替えることは違う。対象は男性15人に限られ、年齢幅も狭い。比較対象、症状別の効果、再現性、長期的な安全性を、現在の大規模臨床研究の方法で検証したものではない。外耳道圧の変化について著者らは通常、急性中耳炎を起こすものではないと考察したが、すべての人、すべての病態に当てはまる保証ではない。

したがって本稿は、論文の結論を一般向けの医療指示として提示しない。受賞は研究史上の評価であって、個別患者への診断でも診療ガイドラインの更新でもない。痛み、出血、耳の症状がある場合、手術後、乳幼児などについては、賞の記事ではなく医療専門家の指示が優先される。

一次資料が示すことそこからは言えないこと
1977年に15人の男性で鼻をかむ際の気流と圧を測定した全国民に最適な方法が確定した
著者らが片側ずつ、速く、十分な量を長く出す方法を提案した2026年の臨床指針として承認された
イグ・ノーベル医学賞が研究を顕彰したノーベル賞または医療上の認証を受けた

49年後、チューリヒで届いた賞

第36回授賞式は、中央ヨーロッパ時間9月3日午後7時(日本時間4日午前2時)、チューリヒのコングレスハウスで開かれた。主催者によると、約1500人が参加し、エスター・デュフロ氏、アビジット・バナジー氏、ミシェル・マイヨール氏、ティム・ハント氏というノーベル賞受賞者が賞を手渡した。日本向けにはドワンゴと協力したニコニコ生放送も用意された。

1991年にMIT博物館で始まった式典は、ハーバード大学など米国の会場とオンライン開催を重ねてきた。2026年は、過去35回を経て初めて米国外、チューリヒで開催された。紙飛行機が飛ぶ舞台の主題は「FUNGI(菌類)」だった。厳粛さだけでは科学を語れない、という賞の姿勢を、開催地そのものも更新した。

海野氏はその場に立てなかった。しかし、研究室の系譜を継ぐ髙原教授が代理を務めたことで、一冊の古い学会誌に収まっていた実験が、世代を越えて公に読み直された。

2007年から続く二十年

日本関係者の連続受賞は、2007年に山本麻由氏が牛糞からバニラ香料バニリンを抽出する研究で化学賞を受けた年から数えて、2026年で20回目の授賞年となる。これは公式受賞者一覧を年ごとに確認した数え方であり、国家対抗の記録ではない。国際共同研究には複数国の研究者が含まれ、所属と国籍も単純には一致しないため、「日本が20連覇」といった表現は正確さを欠く。

1991年 最初のイグ・ノーベル賞授賞式

2007年 牛糞からバニリンを抽出した山本麻由氏。現在まで続く年次受賞の起点

2021年 西成活裕氏らが、歩行者が時に衝突する理由を調べ物理学賞

2022年 松崎元氏らが、円柱形のつまみを回す際の指の使い方を調べ工学賞

2023年 宮下芳明氏、中村裕美氏が電気刺激で味覚を変える研究で栄養学賞

2024年 武部貴則氏らが哺乳類の腸呼吸を検証し生理学賞

2025年 牛にシマウマ状の縞を描き吸血昆虫を避ける研究で生物学賞

2026年 故・海野徳二氏の鼻かみ研究が医学賞。20年目

近年の例を並べると、群衆、指、味覚、腸、牛、鼻と、研究対象に共通の巨大テーマは見えない。むしろ共通するのは、「そんなことをなぜ測るのか」と問われそうな対象を、測定可能な問いに変えた姿勢である。

笑いは結論ではなく入口

主催団体が掲げる基準は、まず人々を笑わせ、そして考えさせる業績を顕彰することだ。賞は1991年から毎年10件を選び、珍しいものを祝い、想像力に敬意を払い、科学・医学・技術への関心を促すとしている。典型的な年には約1万件の推薦が寄せられ、候補者には事前に連絡し、辞退の機会も与える。

ここでの笑いは、研究を無価値だと裁く笑いとは限らない。主催者自身、良い業績も悪い業績も、奇妙さゆえに考える材料になり得ると説明する。授賞式の仕掛けは戯画的でも、引用された研究が学術論文である事実は変わらない。同時に、受賞したから研究の質や社会的価値が自動的に保証されるわけでもない。

鼻をかむ研究は、この二重性をよく示す。題名を聞けば笑う。しかし、左右で気流が異なること、呼気が耳の圧に影響し得ること、身についた習慣にも測れる力学があることに気づけば、笑いの後に問いが残る。

「当たり前」を測る研究文化

Japan.co.jpの分析では、20年という数字の価値は、賞牌を積み上げたことではない。役に立つか分からない問いにも測定器を向け、結果を論文として残す文化が、時を経て別の読者を得たことにある。1977年の二人が2026年の受賞を想定して実験したはずはない。それでも、手順と数字が残っていたからこそ、49年後の検証と再評価が可能になった。

一方で、連続記録を日本人の生得的な「ユニークさ」の証明にするのは短絡的だ。選考の詳細は公開されず、推薦の偏り、国際的な知名度、科学広報の強さも結果に影響し得る。20年連続は確認できる出来事だが、その原因を一つの国民性で説明する資料はない。

この賞が科学にもたらす最良の効果は、完成した答えを権威化することではなく、忘れられた問いをもう一度開くことだろう。鼻をかむわずか一秒余り。その短さの中に、気流、圧力、左右差、習慣、健康、そして「研究に値する問いとは何か」が折り畳まれている。

用語と立場
  • イグ・ノーベル賞:『Annals of Improbable Research』が運営する賞。ノーベル賞とは別組織である。
  • 擤鼻(こうび):鼻をかむことを指す耳鼻咽喉科領域の用語。
  • 20年連続:2007~2026年の各授賞年に、日本人または日本に関係する受賞者が少なくとも一人含まれたという集計。国別ランキングではない。
  • 本稿の医療上の位置付け:歴史的研究の報道であり、個別の診療助言ではない。
取材・一次資料

編集方針:日本語の氏名、読み、肩書、論文名は日本語一次資料で照合した。主催者の授賞記録、大学の発表、論文の内容を区別し、1977年の結論を現代の医療助言へ拡張していない。連続受賞の意味に関する評価はJapan.co.jpの分析として記した。