アジア競技大会で初めて正式競技になったパデル。その女子ダブルス最初の金メダルは、日本に残った。2026年10月3日、名古屋市東スポーツセンターで行われた決勝で、徳本佳恵(とくもと・かえ)、塚本早紀(つかもと・さき)組が、インドネシアのファドナ・クスマワティ/フィトリアーニ・サバティーニ組を6-3、6-4で破った。
これは単なる開催国の金メダルではない。1969年にメキシコで生まれ、スペインとアルゼンチンを経て世界へ広がったスポーツが、2026年にアジア最大の総合競技大会へ正式参入し、その最初の女子王者が、国内でまだ50面しかない日本から出た。
選考会で「金を取る」と言い、本当に取った
2人の代表入りは自動的ではなかった。5月30、31日、兵庫県尼崎市のPADEL DOJOで行われた「Road to Nagoya PADEL日本代表選考大会」で、徳本・塚本組は女子の部を優勝。JPAはその結果を踏まえ、アジア大会の女子代表として2人を選出した。
そのとき徳本は「金メダル取れるように頑張ります」とコメントし、塚本も「アジア競技大会では金メダルを取れるよう頑張ります」と話していた。4か月後、その目標は結果になった。
決勝後、徳本は自国開催で「第一回目の王者」になれた喜びを語り、塚本は「初代チャンピオン」になれたことを光栄とし、パデルの魅力が伝わって競技人口が増えてほしいとコメントした。言葉の中心にあるのは個人の勝利だけでなく、競技を日本に広げたいという意識だ。
そもそもパデルとは何か
パデルはテニスに似たラケット競技だが、コートは20メートル×10メートルと小さく、周囲を強化ガラスや金網で囲む。基本はダブルスで、ボールはバウンド後に壁へ当たってもプレーを続けられる。ラケットはストリングではなく穴の開いた板状で、サーブは下から打つ。
壁を使えるためラリーが続きやすく、テニス経験者には似て見えても、ポジショニングと壁から返るボールの読みには独特の技術が要る。スペイン語圏を中心に急速に発展し、近年はヨーロッパ、中東、アジアでもコートが増えている。
始まりは1969年、メキシコの住宅だった
国際パデル連盟(FIP)によれば、競技の起源は1969年、メキシコ・アカプルコ。エンリケ・コルクエラが自宅の限られた敷地にテニスコートを造れず、20×10メートルの小さなコートを壁で囲んだことが始まりとされる。その後、アルフォンソ・デ・オーエンローエ公がスペインへ持ち込み、アルゼンチンにも広がった。
世界的な拡大は近年さらに加速した。FIPの2025年版世界報告によると、アクティブプレーヤーは3,500万人を超え、世界のコートは7万7,300面超、クラブは2万4,600超。150カ国と20の地域にコートが存在する。アジアだけでも2025年時点で約220万人のアマチュア選手、4,600面、1,700クラブがあるとFIPは推計した。
日本のパデルはまだ10年余り
一般社団法人日本パデル協会は2016年6月に設立され、2017年7月に国際パデル連盟へ正式加盟した。JPAは2030年までに競技人口100万人を目標に掲げている。
協会の現在の案内では、日本国内でプレーできるのは25施設、計50面。埼玉県の「パデルワンところざわ」を「日本初のパデルコート」と紹介している。テニスコートやフットサル施設と比べれば、競技環境はまだ非常に小さい。
一方、制度面では2026年に大きな節目を迎えた。JPAは公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)の承認団体として加盟。協会自身も、競技の普及性、継続性、全国的な統轄体制を備えたスポーツとして新しい段階に進んだと説明している。
徳本佳恵――銀行員からアジア王者へ
JOCの公式プロフィールでは、徳本佳恵は1991年4月20日生まれ、聖心女子大学出身、所属はTactical。本人の公式サイトによると、銀行員として働きながら競技を続け、2025年に退職してプロパデルプレーヤーとして活動を本格化した。
「銀行員から、アジアの頂点へ」という経歴は、日本のパデルがまだ選手層・職業基盤とも成長途上であることを象徴している。巨大なプロリーグから育った選手ではなく、競技を続けながら生活基盤を作り、国際舞台へ上がった。
塚本早紀――東京ガス勤務と代表競技を両立
塚本早紀は1991年6月4日生まれ。JOCプロフィールは早稲田大学卒、勤務先・所属先を「東京ガス株式会社/Tactical」と記載する。徳本と同じく1991年生まれで、ペアとして国内選考会を勝ち、地元開催のアジア大会へ進んだ。
パデルはダブルスが基本で、二人の距離、前後の役割、壁を使った守備、ロブからネットを取り返す判断が重要になる。決勝の6-3、6-4というスコアはストレート勝ちだが、一人のスターだけでは成立しない競技だ。
他の日本代表3組もベスト8
JPAによれば、徳本・塚本組以外に出場した日本の男女3ペアもすべてベスト8へ進んだ。金メダルは女子代表の突出した成果である一方、大会全体として日本が一定の競争力を示したことになる。
ただし、アジアのパデル地図は急速に変化している。FIPによれば、2025年のアジアはコートと競技人口が前年比約20%成長し、中東を中心に大規模投資が続く。サウジアラビアだけでも2024年時点で1,097面、推計40万人のアマチュア選手がいた。日本が今回の金を長期的な競争力へ変えるには、国内の50面という基盤を増やす必要がある。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 女子金メダル | 徳本佳恵/塚本早紀 |
| 決勝 | 日本 2-0 インドネシア(6-3、6-4) |
| 会場 | 名古屋市東スポーツセンター |
| 競技期間 | 2026年9月28日~10月3日 |
| 日本代表選考 | 2026年5月30・31日、PADEL DOJO(兵庫県尼崎市) |
| JPA設立 | 2016年6月、2017年7月FIP加盟 |
| 国内施設 | JPA案内で25施設・50面 |
「金メダル効果」を競技人口へ変えられるか
新興競技にとって、自国開催の国際大会で勝つ意味は大きい。普段なら競技名を知らない人がテレビやネットで見る。自治体や学校が導入を検討する。企業スポンサーが選手や大会へ関心を持つ。施設事業者にとっても需要を説明しやすくなる。
ただし、金メダルだけでは競技は広がらない。専用コートが必要なパデルは、サッカーやランニングのように空いている場所ですぐ始められる競技ではない。施設建設には土地、投資、運営ノウハウが要る。初心者がアクセスできる料金、スクール、指導者、ジュニア育成も必要になる。
JPAが2030年までに競技人口100万人を目指すなら、50面からの拡大速度は大きな課題だ。協会がJSPOの承認団体となったことは制度基盤を強くするが、実際の競技人口を増やすには、身近な場所で「一度やってみる」機会を作る必要がある。
- アジア大会後の国内体験者数・競技登録者数の増加
- 25施設・50面からのコート増設ペース
- 徳本・塚本組のFIPツアーでの今後の成績と世界ランキング
- ジュニア育成と指導者資格制度の拡充
- 企業スポンサーとプロ選手の収入基盤
- 2030年「競技人口100万人」目標の定義と進捗指標
初代王者という、二度と取れない肩書
スポーツには、あとからどれだけ強い選手が出ても更新できない記録がある。「最初」はその一つだ。
愛知・名古屋大会でパデルが正式競技として初めて行われた日、女子ダブルスの表彰台の最上段に立ったのは徳本佳恵と塚本早紀だった。6-3、6-4という数字は大会記録に残る。しかし日本のパデルにとってより重要なのは、その結果を見て初めてラケットを握る人が何人出るかだ。
世界では3,500万人以上がプレーし、日本にはまだ50面。金メダルは、その大きな差を一気に埋めるものではない。だが、日本の新興スポーツにとってこれ以上ない入口にはなった。
出典・参考資料
- 一般社団法人日本パデル協会「【第20回アジア競技大会】パデル女子日本代表、金メダル獲得!」2026年10月3日。
- 日本パデル協会「Road to Nagoya PADEL日本代表選考大会 開催結果及び第20回アジア競技大会 日本代表選手選出のお知らせ」2026年。
- 日本オリンピック委員会「徳本 佳恵」選手プロフィール。
- 日本オリンピック委員会「塚本 早紀」選手プロフィール。
- 日本パデル協会「JPAについて」—2016年設立、2017年FIP加盟、2030年100万人目標。
- 日本パデル協会—国内25施設・50面の案内。
- 日本パデル協会「公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)承認団体加盟のお知らせ」2026年。
- International Padel Federation「History」—1969年メキシコ発祥、スペイン・アルゼンチンへの展開。
- International Padel Federation「FIP World Padel Report 2025」発表—世界3,500万人超、7万7,300面超。
- International Padel Federation「Passion for padel in Asia」2025年11月7日—アジア約220万人、4,600面、1,700クラブ。
- 徳本佳恵公式サイト—銀行員からプロ選手への経歴。
取材・確認期限:2026年10月6日午後1時21分(日本時間)。大会全ラウンドの詳細スコア、選手の賞金・代表活動費、金メダル後の国内競技登録者増、2030年100万人目標における「競技人口」の厳密な定義と年次KPIは、確認できた公開資料では確定していない。
