炭素を「固定する」ことと、気候変動対策として「長く隔離する」ことは違う。
光のない海で見つかった「もう一つの炭素固定」
海洋の炭素循環を説明するとき、まず登場するのは太陽光である。海面近くの植物プランクトンが光合成で無機炭素を有機物に変え、その一部は食物網を通り、やがて深海へ沈んでいく。ところが、太陽光が届かない場所でも微生物は水に溶けた無機炭素を自分の体に取り込んでいる。その担い手を「自らエネルギーを得て炭素固定する微生物」だけで説明してよいのか。北海道大学などの国際研究チームが、これまで目立たなかった細菌の働きを数値で示した。
発表は10月、論文は6月
北海道大学が10月14日に発表した研究の中心人物は、同大学大学院地球環境科学研究院の天野千恵准教授。研究当時はウィーン大学の博士研究員で、ウィーン大学、上海海洋大学などの研究者と協力した。論文「Major contribution of anaplerosis to inorganic carbon fixation in the dark ocean」は6月15日にNature Geoscienceでオンライン公開されている。したがって10月に初めて発見された研究ではなく、日本語で改めて公表された成果だ。
「17%」は何を意味するか
研究チームが見積もったのは、海洋細菌Alteromonas属(アルテロモナス属)が深海の暗所で観測される溶存無機炭素固定に占める寄与である。報告された中心値は17%(中央値)、推定の95%信頼区間は10~28%。全球規模の潜在的なフラックスとして年間約0.2ペタグラム炭素(約2億トン炭素)に相当するとの試算を示した。ただし、これは海が年間に吸収・貯留する二酸化炭素の17%という意味ではない。炭素固定という反応の測定値と、長期的に炭素が隔離される量は別物だ。
従属栄養なのに無機炭素も取り込む
アルテロモナス属は一般に、周囲の有機物を利用する従属栄養細菌に分類される。光合成生物や典型的な化学合成独立栄養微生物とは異なり、細胞の炭素を全面的に無機炭素から作るわけではない。それでも生化学反応の途中で二酸化炭素や重炭酸イオンを有機物へ組み込める。その鍵が補充反応(アナプレロティック反応)である。クエン酸回路などの代謝経路から使われた中間体を補充する仕組みで、細胞の材料づくりとエネルギー代謝を結びつける。
1960年代から知られた反応が、なぜ新しいのか
従属栄養細菌の補充反応は突然現れた新しい代謝ではない。論文が参照する1960年代の培養研究でも、細菌の体を構成する炭素の一部が無機炭素由来となることが示されていた。未解決だったのは、広大な実際の海で、どの細菌が、どの程度の量を固定しているかという点だ。試験管の中の反応と、海盆をまたぐ物質循環との間には大きな距離がある。今回の意義は、その距離を埋めるため遺伝子発現、培養、生きた細胞の観察を組み合わせたことにある。
遺伝子を探し、反応を確かめ、細胞を数える
まず研究チームは全球海洋のメタトランスクリプトーム・メタプロテオームなどのデータを解析し、補充反応に関わる酵素の働きを調べた。とくに注目したのはホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ(PEPカルボキシラーゼ)。アルテロモナス属で関連する遺伝子の発現やタンパク質が比較的強く検出された。さらに培養したAlteromonas mediterraneaに標識した重炭酸を与え、細胞内への取り込みを確認した。
大西洋と太平洋の海水を一細胞ずつ
実際の海洋試料は太平洋と大西洋の複数の観測航海で採取された。研究では放射性炭素で標識した重炭酸の取り込みを微小な細胞単位で調べ、特定の細菌を識別する蛍光法を組み合わせた。こうして「無機炭素を取り込んだ細胞」のうち、どれほどがアルテロモナス属かを推定した。観測点や海盆で値には差があり、北大西洋の試料では太平洋より高めだった。単一の海域で得た率を、何の条件もなく世界の深海に当てはめられるわけではない。
少数派が大きな役割を担う
論文によれば、解析した海洋微生物群集に占めるアルテロモナス属の個体数割合は平均で約1%だった。それでも無機炭素取り込みに関係する細胞の中では存在感を示した。微生物の「多さ」と「仕事量」は必ずしも一致しない。有機物がまとまって流入した際に素早く活動する性質や、周囲の環境に応じて代謝を切り替える能力が、海の物質循環での重要性につながる可能性がある。
温度と餌に左右される代謝
培養実験では温度と利用できる有機物の種類・量を変え、無機炭素の取り込みがどのように変化するかを観察した。実験で測定された無機炭素固定は、従属栄養による菌体生産に対して4.6~10.2%だった。これは深海全体への17%という寄与率とは分母の異なる数字である。研究は温度による応答も示したが、暖まる海で世界全体の炭素隔離が増減するとまで結論づけたものではない。
気候変動の「解決策」と呼べない理由
水中の炭素が細菌の体に組み込まれたからといって、大気から二酸化炭素を永続的に取り除いたことにはならない。細胞は呼吸し、食べられ、分解され、炭素は再び海水に戻る。論文の培養実験でも、無機炭素固定量は呼吸による炭素損失より小さかった。今回の研究を新しい「海洋炭素回収技術」と紹介するのは誤りだ。むしろ海の炭素収支を計算するとき、従来まとめて扱われた反応の中身を細かく見直す必要が生じた、と理解したい。
北の大学から世界の海へ
北海道大学には、海水中の溶存有機物や海洋細菌を研究してきた蓄積がある。過去にはAlteromonas macleodiiを用い、微生物が利用しにくい溶存有機物の形成を調べた研究も報告された。こうした研究と今回の補充反応の定量研究は同一の実験ではないが、「微生物が海の炭素をどこへ運び、どう変えるか」という長年の問いでつながっている。海の表面だけを眺めていては、炭素循環の全体像はつかめない。
数字をこれからどう確かめるか
最大の課題は地域差と時間変動だ。17%という中央値の基礎となる単細胞解析の対象試料は限られ、測定可能な取り込みを示す細胞も少ない。試験条件、細胞ごとの取り込み速度の仮定、温度や餌の違いは推定に影響する。他の従属栄養細菌の寄与も十分には定量されていない。季節をまたぎ、異なる水深・海域で観測を重ね、代謝経路別の寄与を精密化する必要がある。
深海を「何も起きない場所」にしない
海の暗闇には光合成がない。それでも、生物の化学反応は止まらない。今回の研究が示すのは、よく知られた従属栄養細菌が、これまで別の微生物の仕事と考えられがちだった無機炭素固定の測定値に相当な割合で関わる可能性である。数値が精密化されるほど、地球の炭素収支を描く地図も変わる。大切なのは壮大な宣伝文句ではなく、暗い海の中で起きている小さな反応を正確に数えることだ。
