ブラックホールをもっと鮮明に見る。そのために必要なのは、地上に大きな望遠鏡を建てることだけではない。宇宙に一台を加え、地上の観測網と組み合わせれば、地球の大きさで制約されてきた観測の限界を押し広げられる。

その構想が、ブラックホール エクスプローラー(BHEX、ベックス)だ。日本の研究者は、極低温で働く受信機や冷凍機、地上望遠鏡を通じて計画を支えようとしている。目標は、すでに知られた黒い影の周囲から、さらに細い「光子リング」を捉えることにある。[5][9]

日本チームの2026年の進捗報告によると、JAXA宇宙科学研究所でのワーキンググループ設置を経て、構想初期の検討が進んでいる。米国の小型宇宙科学ミッションへの提案に向けた段階であり、打ち上げが決まった衛星ではない。2031年は研究チームが掲げる目標だ。[1]

見えた「影」の先に、何を見るのか

2019年4月10日、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)の国際チームは、銀河M87の中心にある巨大ブラックホールの画像を発表した。2022年5月12日には、天の川銀河の中心にある「いて座A*」の画像が続いた。暗い中心を明るい輪が囲む姿は、ブラックホールを数式の世界から観測の対象へ近づけた。[2][3]

ただし、明るい輪はブラックホールの内部から出てきた光ではない。周辺の高温のガスが放つ電波を捉え、その分布を画像にしたものだ。中心の暗い領域であるブラックホールシャドウと、光が外へ脱出できなくなる境界である事象の地平面も、同じものではない。[2]

BHEXが狙う光子リングは、この広がった明るい輪と区別する必要がある。ブラックホールの近くで強く曲げられ、周囲を回ってから観測者に届く光がつくる細い構造で、時空の性質を調べる手掛かりになると考えられている。既存画像の輪を、そのまま光子リングの精密な測定結果と呼ぶことはできない。[5][6]

周辺のガスは動き、明るさも変わる。その複雑さの中から、重力が光の道筋に刻む特徴を取り出せるか。より鮮明な画像を求める理由は、見栄えのためではなく、この物理的な問いに答えるためにある。

地球より大きな望遠鏡を、どうつくる

EHTが使うのは、超長基線電波干渉計(VLBI)という手法だ。離れた望遠鏡で同じ天体を観測し、記録した電波を組み合わせる。「基線」は望遠鏡同士を結ぶ距離に関わる。観測波長が同じなら、より長い基線によって、空の上でより小さな構造を見分けられる。[4]

ただし、仮想的な望遠鏡の直径が大きくなることと、その面積いっぱいに電波を集められることは違う。細部を分ける能力に加え、弱い信号を捉える感度、観測方向の組み合わせ、データの較正が必要になる。一台を遠くへ置くだけでは、信頼できる画像は完成しない。

BHEXの構想では、地球を回る衛星と地上局で観測する。ブラックホールまで探査機を飛ばす計画ではない。日本語資料には口径3.4メートルのアンテナが示され、2025年のアンテナ技術論文もこの大きさを採用している。宇宙に運べる小型の観測装置を、地上の大型施設と一体で働かせる発想だ。[5][17]

「はるか」が残した経験

日本には、宇宙と地上の望遠鏡を結んだ実績がある。電波天文観測衛星「はるか」は1997年2月12日に打ち上げられ、国際共同のVSOP計画で観測を行った。宇宙でアンテナを展開し、離れた地上局と組み合わせる技術を実際の観測につなげた。[10]

一方、JAXAの記録は、打ち上げ後に22GHz帯の感度低下が判明し、観測を主に1.6GHzと5GHzで行ったことも伝える。宇宙で機器を動かす難しさは、成功の歴史と切り離せない。BHEXはさらに高い周波数を使う構想であり、「はるか」の経験を継ぐことと、同じ装置を再び飛ばすことは別である。[10][7]

この歴史から読み取れるのは、技術の継承には試験の継承も必要だということだ。地上で良い性能を示した受信機が、打ち上げ時の振動や軌道上の熱環境を経ても、同じように働くか。科学の期待を支えるのは、そうした地道な確認になる。

日本が担う、弱い電波の入り口

日本側の構想で重要なのが、300GHz帯のSISミキサーと、4.5ケルビンまで冷やす宇宙用冷凍機だ。2024年の日本側計画論文は、国立天文台の受信機技術と、日本の科学衛星で培った冷却技術を候補として挙げている。[9]

SISは、超伝導体で薄い絶縁層を挟む構造を指す。ミキサーは、天体からの高い周波数の信号を、後段の回路が扱える周波数へ変換する受信機の要だ。電波が弱いほど、装置自身が加える雑音を抑えることが効いてくる。BHEXの受信機論文は、この超伝導素子を用いる方式を中心に据える。[7]

国立天文台の先端技術センターは、超伝導受信機を製作できるクリーンルームなどを備え、アルマ望遠鏡の受信機開発も担ってきた。宇宙の極限を調べる観測は、地上の薄膜加工や精密製作の蓄積ともつながっている。[15]

2026年の日本チーム報告は、試作ミキサーの製作と評価、住友重機械工業との冷凍機の概念設計が進んだとする。試作品、設計、宇宙で動く完成機は段階が異なるが、構想が具体的な機器開発へ進んでいることを示す。[1][16]

宇宙でも、冷やすには電力が要る

4.5ケルビンは、摂氏に直すと約マイナス269度だ。絶対零度に近い温度を維持するには、単に宇宙へ出せばよいわけではない。受信機につながる部品から熱が入り、電気回路も熱を出す。冷凍機が熱をくみ出し、その熱を衛星側で処理しなければならない。

冷却系の研究論文は、低温側の性能だけでなく、質量、消費電力、放熱との兼ね合いを設計課題に挙げる。高感度を求めるほど大きな装置を積めるとは限らない。小型衛星の制約の中で観測性能を成立させる点に、冷却技術の価値がある。[8]

宇宙へ広げても、地上は欠かせない

長野県の野辺山宇宙電波観測所にある45メートル電波望遠鏡は、1982年に完成した。長年使われてきた大きなアンテナを、新しい受信機や観測方式で生かす余地がある。[14]

日本チームの最新報告は、野辺山での高周波観測への拡張や、VERAの86GHz帯への対応を進めていると説明する。地上側も将来の宇宙VLBIを支える準備の一部であり、すべてがすでに運用を始めたという意味ではない。[1]

受信機の設計では、高い周波数と低い周波数を同時に観測し、低周波側から得た情報を使って高周波側の位相の乱れを補正する手法も重視されている。衛星が大気の外にあっても、地上局へ届く電波は大気を通る。宇宙と地上のどちらか一方だけを改良すればよい、という観測ではない。[7]

観測することと、画像をつくること

宇宙で記録した大量のデータを地上へ送る通信も、観測装置の一部になる。BHEXの通信研究は、高速のレーザー通信を検討している。天体から届く電波を受け取る機能と、衛星から地上へ観測データを送る機能は別だが、後者が不足すれば前者の能力を生かしきれない。[11]

画像化にも、日本の経験がある。いて座A*の2022年の成果では、日本提案のSMILIを含む複数の手法で画像を検証した。天体の時間変動や、星間物質による電波の散乱への対応も必要だった。[3]

観測データから画像を再構成する作業では、違う手法でも同じ特徴が現れるかを確かめることが重要になる。BHEXでも、鮮明に見える一枚を得ることと、そこから物理量を信頼して測れることを、分けて評価する必要がある。

回転を測り、ほかのブラックホールと比べる

2026年に公開されたスピン推定のプレプリントは、仮定した放射モデルと観測条件の下で、BHEXが回転の測定精度を高められる可能性を検討した。これは将来観測の予測であり、すでに回転を測定した成果ではない。[12]

別のプレプリントは、近傍の多数の巨大ブラックホールについて模擬観測を行い、画像化や大きさの測定をどこまで広げられるかを調べている。二つの代表例を詳しく見る段階から、異なる天体を比較する段階へ進むという科学的な狙いがある。ただし、対象数はモデルや観測条件によって変わる見積もりだ。[13]

本誌の分析では、日本の役割は、衛星に国産部品を載せるという一言では捉えきれない。受信機が信号を拾い、冷凍機が感度を守り、地上局が観測を支え、解析が結果を確かめる。その一続きの仕事を国際チームの中で担うことが、光子リングへ近づく力になる。打ち上げの先に期待する一枚は、すでに地上で始まっている多くの仕事の延長にある。