番付の上では、横綱が頂点に立つ。だが、七月場所の星取表を開けば、秋の主役を簡単には決められない。優勝した安青錦は大関に戻り、関脇の熱海富士も、大関の霧島も12勝を挙げて東京へ向かう。9月13日に両国国技館で始まる大相撲秋場所は、上位の序列と直近の勢いがどこまで重なるかを問う15日間になる。[1][4][5][6]

千秋楽は27日。8月31日に発表された九月場所の番付には、再大関、新関脇、新小結、新入幕と、それぞれ違う出発点が並ぶ。優勝争いだけを追っていては見落としてしまう節目が、今場所には多い。[1][2]

安青錦、戻った地位を足場に

安青錦(あおにしき)は七月場所を西関脇で迎え、12勝3敗で幕内優勝を果たした。五月場所は大関で全休。その前の三月場所は7勝8敗だった。公式記録をたどると、今回の再大関は、一直線の昇進を続けた先にあるものではなく、地位を失った後の立て直しであることが分かる。[4]

昨年十一月、今年一月に続く3度目の優勝を手にしての復帰だ。再び大関として臨む秋は、七月の結果を一度きりの反発で終わらせない相撲が問われる。序盤から自分の形をつくり、対戦相手が変わっても取り口を崩さずに積み重ねられるか。肩書が戻ったことと、15日間を安定して戦えることは同じではない。[4]

協会のプロフィールは得意技を右四つ、寄りと記す。まわしを取るまでの位置取り、相手の圧力を受けたときの足の運びに注目すると、勝敗だけでは伝わらない攻防が見えてくる。これは今場所の勝ち方を予言する材料ではなく、観戦の際に確かめたい点である。[4]

熱海富士と霧島、12勝の先にあるもの

東関脇の熱海富士(あたみふじ)は、五月の9勝6敗から七月は12勝3敗へ伸ばした。関脇は3場所連続となる。二桁の白星を積んだ直後の場所で、上位相手にどれだけ同じ強さを続けられるか。番付を上がる力と、その位置で勝ち続ける力の両方が問われる。[2][5]

五月と七月で計21勝。さらに白星を重ねれば、その先の地位への期待は高まるだろう。ただし、ここで特定の勝ち数を昇進の確約に読み替えるべきではない。九月の取組そのものを見ずに、数字だけで結論を先取りすることはできない。[5]

霧島(きりしま)は三月、五月、七月と3場所続けて12勝3敗。三月には幕内優勝も果たしている。秋の上位陣を比べるうえで、この継続性は重い。安青錦の復帰や新三役の登場に視線が集まる中でも、同じ高水準を保ってきた大関を外して優勝争いは考えにくい。[6]

左四つ、寄り、投げを得意とする霧島と、右四つ、寄りを得意とする熱海富士。組み止めた後の力だけでなく、どちらが先に望む位置へ手を入れられるかが、相撲を見る手がかりになる。二人を同じ「12勝の力士」とまとめず、その白星を支える形の違いも見たい。[5][6]

横綱の番付と、土俵上の説得力

東横綱は大の里(おおのさと)、西横綱は豊昇龍(ほうしょうりゅう)。大の里の七月場所は9勝6敗だった。豊昇龍は7勝7敗1休。五月には大の里が全休、豊昇龍も0勝2敗13休で終えており、二人とも直近の東京場所では十分に白星を積めていない。[7][8]

だからこそ、秋に確かめたいのは名前の大きさより、一番ごとの内容だ。立ち合いで主導権を取れるか、攻めを途中で止めずに運べるか、相手に形をつくられた後にどう対応するか。横綱同士の終盤の対戦ばかりを思い描く前に、序盤の土俵を見ておく必要がある。

もう一人の大関、琴櫻(ことざくら)は七月場所を8勝7敗で終えた。五月の3勝9敗3休から勝ち越しに戻したが、12勝を挙げた力士たちとは星の差がある。上位陣の競争を厚くするには、その差を今場所どう縮めるかが焦点となる。[9]

番付は場所前の地位を示すもので、当日の出場や状態を保証するものではない。出場状況は協会の休場力士情報、対戦は日々の取組表で確認したい。過去の休場記録から、現在の診断や回復の程度を推測することは避ける必要がある。[18]

藤ノ川と伯乃富士、新三役の二つの道

西関脇に上がった藤ノ川(ふじのかわ)は、伊勢ノ海部屋の21歳。七月は東前頭筆頭で8勝7敗、殊勲賞を受けた。2日目に大の里、3日目に豊昇龍を破った星取表は、勝ち越しの数字だけでは見えない中身を伝える。初めて三役に名を連ねる秋は、その上位との競争を続ける場所になる。[10]

日本相撲協会によると、京都府出身力士の新関脇・新三役は1828年10月場所の緋縅以来。長い空白を埋めた昇進としての意味もある。ただ、その歴史的な見出しが次の白星を与えてくれるわけではない。初土俵から積んできた相撲を、新しい地位で通用させる仕事が始まる。[2]

東小結の伯乃富士(はくのふじ)は、以前のしこ名、伯桜鵬で記憶している人もいるだろう。伊勢ヶ濱部屋に所属し、五月の11勝4敗に続いて、七月は西前頭3枚目で9勝6敗。新小結は、幕内に上がって以来初めての三役である。[11]

協会が公開した場所前インタビューで、伯乃富士は幕内優勝と、さらに上の地位を目標に挙げた。昇進を終着点ではなく次の出発点と捉える言葉だ。藤ノ川と伯乃富士が、上位の常連にどこまで食い込めるかは、優勝争いの組み合わせにも関わってくる。[12]

新入幕の目標は、一人ずつ違う

幕内の下位にも初めての景色がある。高砂部屋の朝翠龍(あさすいりゅう)は東前頭15枚目、伊勢ヶ濱部屋の寿之富士(としのふじ)は西前頭16枚目で新入幕。公式インタビューでは、朝翠龍は自分の相撲を取り切って勝ち越すこと、寿之富士は二桁以上の白星を目標にした。[12]

同じ「新入幕」でも、掲げる数字と課題は異なる。優勝候補の勝敗とともに、こうした力士が一番ごとに何をつかんでいくかを追うと、15日間の見え方が広がる。上位の一敗だけが、その日の相撲の価値を決めるわけではない。

9月12日、勝負の前に土俵を清める

初日前日の12日には、国技館の本土俵で土俵祭が予定される。立行司が祭主を務め、場所中の安全や興行の成功などを祈る儀式だ。相撲の競技としての厳しさと、儀礼を守り続ける営みが、同じ土俵の上にある。[13]

協会の案内では入場無料、先着順。入場できるのは9時20分から9時50分までで、9時50分以降は入れない。力士は出席しないため、力士との交流行事と取り違えないようにしたい。取組のある初日とは別の日程、別の催しである。[13]

変わりながら受け継がれてきた両国の相撲

相撲の由来には神話や伝説が含まれる。日本相撲協会の歴史解説も、それらと、江戸時代に職業力士が登場し定期的な興行が広がった歴史を分けて記している。庶民の娯楽として人気を集めた相撲は、勝負を見に来る観客とともに発展してきた。[14]

現在の形も、ずっと不変だったわけではない。協会の年表では、1927年に東京と大阪の相撲協会が合併。1931年には土俵の直径が15尺、約4.55メートルへ広がり、1952年には四本柱が撤去されて吊り屋根と房に替わった。伝統を残すことと、競技や観戦の形を改めることは、同じ歴史の中にある。[15]

蔵前国技館の開館は1954年、現在の両国国技館は1985年1月。相撲博物館も蔵前で開館し、両国へ移った。番付や錦絵、化粧廻しを収集・保存する同館の仕事は、今日の勝負が、やがて振り返られる歴史になることを思わせる。[15][16]

観戦の準備も、最新情報から

9月11日に確認した九月場所の公式入場券ページは完売を案内し、定価リセールへのリンクを掲載している。リセールに出品があることや、希望日に入手できることを保証する案内ではない。国技館へ向かう前に、入場券の確保と日付を確認する必要がある。[1]

開場は初日から12日目まで8時45分、13、14日目は10時30分、千秋楽は10時。これは開場時刻であり、幕内の取組開始時刻ではない。相撲博物館も東京本場所中は観覧券が必要で、博物館の無料入館を使って本場所に入ることはできない。[1][16]

自宅で見る場合、協会の案内はNHK BSを13時、NHK総合を15時からの目安としている。放送時間は日によって確認が必要だ。安青錦の再出発、熱海富士と霧島の継続性、横綱の巻き返し、新三役の挑戦。どこから見始めても、秋場所には次の日も確かめたくなる問いがある。[17]