日本の北極観測が、海氷の「手前」から「中」へ進む。海洋研究開発機構(JAMSTEC)は9月29日、建造中の北極域研究船「みらいⅡ」の引渡日が2026年12月18日に決まったと発表した。引き渡し後は日本近海、マリアナ海域、オホーツク海流氷域で3回の慣熟航海を実施し、砕氷航行と観測機器の訓練を重ねる。
「みらいⅡ」は、日本の研究船として初めて本格的な砕氷能力を持つ。全長128メートル、幅23メートル、国際総トン数1万3,000トン。ポーラークラス4(PC4)を満たし、平坦な一年氷なら厚さ1.2メートルを船速3ノットで連続砕氷できる設計だ。
12月18日に引き渡し、まずは「船を使いこなす」
引き渡し後すぐ北極へ向かうわけではない。JAMSTECが示した最初の仕事は、船と観測機器を現場で確実に運用できるようにすることだ。
第1回の慣熟航海は12月28日から2027年1月6日までの10日間。相模湾や駿河湾など日本近海で各種機器の作動確認と観測訓練を行う。第2回は1月10日から2月3日までの25日間で、マリアナ海域を舞台に連続採水観測、ドップラー気象レーダー観測などを訓練する。
そして第3回が2月11日から3月9日まで。オホーツク海の流氷域で砕氷航行試験を行う。北極航海の前に、日本に近い実氷海で船体、操船、観測の組み合わせを確認する重要な段階になる。
PC4は「どんな氷でも進める」の意味ではない
「砕氷船」という言葉は万能な印象を与えやすい。実際には能力には等級と限界がある。
ポーラークラスは国際船級協会連合(IACS)が定める極海航行能力の区分で、PC1からPC7まである。JAMSTECによるとPC4は「多年氷が一部混在した厚い一年氷がある海域を通年航行可能」とされる。
ただし、公式に示された連続砕氷性能は「平坦一年氷1.2メートルを3ノット」である。巨大な多年氷塊、氷丘脈、氷の圧力が高い海域では条件が異なる。観測航海では衛星海氷情報、気象、船の構造限界を組み合わせた慎重な航路選定が不可欠になる。
旧「みらい」は北極の縁から28年間を記録した
「みらいⅡ」の名前には、明確な継承の意思がある。旧・海洋地球研究船「みらい」は1997年10月に就航し、2025年12月まで28年間運用された。北極から熱帯、南半球まで250回を超える航海を実施し、総航走距離は約230万キロメートル。地球約58周分に当たる。延べ8,100人以上が乗船した。
北極航海は1998年に始まり、2025年までに23回。2012年からは毎年夏から秋に北極航海を行った。海洋の温暖化、海氷減少、淡水化、酸性化、海洋循環、物質循環、生態系、大気との相互作用など、長期の観測データを積み重ねた。
しかし旧船は砕氷船ではない。海氷が少ない太平洋側北極海や氷縁域で多くの研究を実施できても、氷が厚く残る場所へ観測船として自由に入ることはできなかった。
さらに歴史をさかのぼると、前身は原子力船「むつ」
旧「みらい」の船体には、日本の科学技術史が重なっていた。その前身は、日本初の原子力船「むつ」である。
「むつ」は1969年に進水したが、1974年の初臨界航海で放射線漏れが問題となり、その後長い改修と実験航海を経た。原子力船としての役割を終えた後、1995年に船体を切断し、原子炉区画を一括撤去。船首部と船尾部を改造・再結合して海洋研究船へ生まれ変わった。
1996年に「みらい」として進水、1997年に竣工・就航した。原子力船として議論を呼んだ船体が、最終的には四半世紀以上にわたり地球環境観測の基盤となったことは、日本の大型科学インフラの中でも異例の経歴だ。
なぜ今、砕氷能力が必要なのか
理由は単純な「北極の氷が減っているから」だけではない。氷が減る過程そのものを理解するには、氷が残っている場所で観測しなければならないからだ。
海氷は大気と海洋の間の熱交換を遮る。氷が薄くなり、割れ、消えると、海から大気へ熱と水蒸気が出やすくなる。逆に積雪や海氷の状態は太陽光の反射率を変え、海洋が吸収するエネルギーを左右する。
その変化は生態系にも及ぶ。海氷下面の藻類、植物プランクトン、動物プランクトン、魚類、海鳥、海洋哺乳類まで、氷の季節と分布が食物網に影響する。
さらに、北極の大気・海洋変動が中緯度の気象や気候へどう結びつくかは、日本にとって直接的な研究テーマである。JAMSTECと文部科学省は、北極の変化が日本を含む全球の気候・気象へ及ぶことを研究船建造と北極研究政策の主要理由の一つに挙げている。
船は「観測点」ではなく、動く研究所になる
「みらいⅡ」は単に厚い船体と強いプロペラを持つ船ではない。北極域で長期間、多分野の観測を同時に行う「洋上研究所」として設計されている。
研究計画では、海洋内部の熱・水・物質循環、大気―海氷―海洋相互作用、生物生産・生態系、気象・気候・大気物質輸送、海氷下観測技術、北極の古環境復元と構造史が主要テーマに挙げられる。
乗員97人のうち研究者・技術者枠は63人。旧「みらい」の研究者枠46人から増える。複数の研究グループを同じ航海に乗せ、大気、海水、海氷、生物、海底を同時に測れることは、北極の複雑な相互作用を研究するうえで大きな利点になる。
海氷の下を見る技術も育てる
砕氷して入れるだけでは、氷の下が直接見えるわけではない。JAMSTECは「みらいⅡ」で使う海氷下ドローンCOMAIなどの開発を進めている。2027年北極航海で現場試験を行い、2028年航海からの本格運用を目指す計画が示されている。
海氷下は、衛星からも船上からも観測が難しい。氷の厚さ、海氷下面の形状、海水温、塩分、生物活動などを自律・遠隔機器で測れれば、「船が氷を割って進む」だけでは得られない三次元の情報が増える。
旧「みらい」と「みらいⅡ」の違い
| 項目 | 「みらい」 | 「みらいⅡ」 |
|---|---|---|
| 運用 | 1997〜2025年 | 2026年12月引渡予定 |
| 全長 | 128.5 m | 128.0 m |
| 幅 | 19.0 m | 23.0 m |
| 国際総トン数 | 8,706 t | 13,000 t |
| 研究者等 | 46名 | 63名 |
| 氷海能力 | 耐氷性あり、連続砕氷船ではない | PC4、平坦一年氷1.2mを3ktで連続砕氷 |
| 主目的 | 外洋域の海洋環境変化 | 海氷域を含む海洋環境変化 |
2015年の「我が国の北極政策」から11年
新船の構想は一隻の船舶更新から始まったわけではない。日本政府は2015年10月、初の包括的な「我が国の北極政策」を策定し、その中で北極域研究船建造に向けた検討を明記した。
背景には三つの軸があった。科学研究、国際協力、そして海氷減少によって変化する経済・航路・資源利用への対応である。日本は北極圏国ではないが、北太平洋を通じて北極に近く、気候影響を受ける非北極圏国として研究基盤を持つ必要があると判断した。
JAMSTECは産学の関係機関と設計・評価を進め、2021年8月に建造を開始。2025年3月に命名・進水し、2026年6月以降は海上公試を行ってきた。
船名7,075件から「みらいⅡ」へ
名称は2023年に一般公募され、7,075件の応募が集まった。外部有識者を含む委員会で候補を検討し、JAMSTEC理事会が「みらいⅡ」を決めた。
新しい船に旧船とほぼ同じ名を付けたのは、観測データと研究文化を継承する意思の表れでもある。英語表記は Arctic Research Vessel (ARV) "Mirai II"。船籍港も旧船を引き継ぎ、青森県むつ市となる。
母港むつと、北極へ続く日本の北端ネットワーク
JAMSTECむつ研究所は、旧「みらい」の母港として観測支援を続けてきた。新船でも、観測設備の保守、研究機器の準備、試料分析などを支える拠点になる。
新船は2027年4月3日にむつ研究所、4月18日に函館港で一般公開を予定している。大型研究船を「国の科学施設」として市民に見せることも、人材育成とアウトリーチの一部だ。
2027〜2029年を最初の北極観測期に
国立極地研究所とJAMSTECがまとめた第1期北極海観測中期計画は、2027年度から2029年度を最初の観測期と位置づける。
テーマには、海洋温暖化が海氷減少へ与える影響、「Polar Morning」「Polar Evening」と呼ばれる季節移行期の急変、大気の川による水・熱・物質輸送、海洋資源の保全と利用、堆積物から復元する過去の北極、未踏域を含む海底地質などが並ぶ。
つまり、この船の価値は一年の航海では測れない。長期観測を積み重ね、衛星、陸上観測、数値モデル、他国の砕氷船と組み合わせて初めて、北極の変化を時系列で捉えられる。
国際研究プラットフォームというもう一つの役割
北極海の科学は一国では完結しない。観測海域は広大で、季節差が大きく、船を運用するコストも高い。JAMSTECは「みらいⅡ」を日本だけの船ではなく、外国研究者も参加する国際研究プラットフォームとして位置づける。
2023年、2025年の国際ワークショップでは科学だけでなく、船舶運航、技術、政策、先住民との連携、若手研究者育成まで議論された。科学データの共有と国際協力は、新船の「観測装置」の一部と考えた方が近い。
北極航路と資源の時代だからこそ、科学が必要になる
海氷減少は航路利用や資源開発への関心を高める。だが「氷が減ったから船が通れる」という一方向の物語だけでは、北極の現実を捉えられない。
氷が薄くなれば季節航行の可能性は増える一方、流氷の移動、極端気象、視界、海図情報、救難インフラの不足などの危険は残る。生態系への影響や汚染事故のリスクもある。
研究船が果たす役割は、経済活動を推進することでも止めることでもない。どのような変化が起きているかを測り、その不確実性を小さくし、政策と産業が判断できる科学的基盤をつくることである。
1969年: 日本初の原子力船「むつ」進水。
1995年: 原子炉区画を撤去し、海洋研究船への大改造開始。
1997年: 海洋地球研究船「みらい」就航。
1998年: 初の北極海研究航海。
2015年: 政府が「我が国の北極政策」で北極域研究船建造検討を明記。
2021年: 北極域研究船の建造開始。
2024年: 船名を「みらいⅡ」に決定。
2025年3月: 「みらいⅡ」命名・進水。12月、旧「みらい」退役。
2026年12月18日: 「みらいⅡ」引渡予定。
2027年: 慣熟航海を経て、初期の北極海観測運用へ。
新しい船が埋めるのは「データの空白」
北極域では衛星観測が不可欠だ。しかし衛星から見えるのは表面情報の一部であり、雲、極夜、氷の下、海洋内部、生物、溶存物質までは船上・海中観測が必要になる。
海氷があること自体が、これまで観測を難しくしてきた。その結果、気候モデルの改善に必要な時空間データが足りない場所が残る。
「みらいⅡ」の意味は、地図の白い場所へ旗を立てることではない。気候変動が最も速く進む海域の一つで、測れなかった季節、測れなかった水深、測れなかった氷の下を、継続的なデータに変えることにある。
就航後に注目したいポイント
- オホーツク海での砕氷航行試験が設計性能どおり進むか。
- 2027年以降の北極観測航海の具体的な海域と季節。
- COMAIなど海氷下観測機器の実用化。
- 外国研究機関との共同乗船、公募課題、データ公開の仕組み。
- PC4船としての安全運航経験が日本の極海技術へどう蓄積されるか。
- 旧「みらい」から続く長期観測系列を、新船データとどう接続するか。
28年分の「みらい」を、氷の向こうへ
旧「みらい」は、もともと研究船として生まれた船ですらなかった。それでも改造後28年間、海と大気を測り続け、日本の海洋研究を支えた。
「みらいⅡ」は最初から北極観測を主要目的として設計された。名前は似ていても、使命は一段深い。海氷の後退を遠くから追うだけでなく、氷のある場所へ入り、その下、その上、その周囲で何が起きているのかを測る。
12月18日の引き渡しは完成ではない。そこから船員、研究者、観測装置が一つのシステムとして動くための訓練が始まる。
そして北へ向かう時、日本の北極研究は長年の「氷縁の観測」から「氷海の観測」へ進むことになる。旧「みらい」が残した28年の時間軸に、これまで欠けていた海氷域のデータが加わり始める。
主な出典と取材メモ
- JAMSTEC(2026年9月29日)北極域研究船「みらいⅡ」の引渡日の決定及び行動予定について — 引渡日、慣熟航海3回、ポーラークラス4、海上試験、今後の運用方針を確認する最新一次資料。
- JAMSTEC 北極域研究船「みらいⅡ」概要 — 全長128m、幅23m、13,000総トン、砕氷能力、発電・推進方式、乗員97名、船籍港むつなどの公式主要目。
- JAMSTEC 北極域研究船プロジェクト — 研究目的、大気・海氷・海洋、生態系、古環境、海氷下観測機器など6分野と国際研究プラットフォーム構想。
- 国立極地研究所・JAMSTEC「みらいⅡ 第1期北極海観測中期計画」 — 2027〜2029年度を第1期とする北極海観測計画、国際連携、人材育成、観測課題の方向性。
- JAMSTEC「海洋地球研究船『みらい』1997-2025」 — 旧『みらい』の28年間、23回の北極航海、約230万kmの航走、8,100人超の乗船実績、主要な観測成果。
- JAMSTEC「みらい」の軌跡 — 前身が原子力船『むつ』であったこと、1995年の原子炉撤去・船体改造、1997年の研究船就航の歴史。
- JAMSTEC(2024年2月22日)北極域研究船の船名決定について — 7,075件の一般公募から『みらいⅡ』を決定し、英語名をArctic Research Vessel (ARV) Mirai IIとした一次資料。
- 文部科学省 北極域研究加速プロジェクト ArCS II — 北極温暖化、海氷減少、全球気候、経済活動、国際ルール形成と日本の研究政策の背景。
- JAMSTEC むつ研究所 — むつ市・関根浜を拠点に新船の観測研究支援を行う母港体制。
- JAMSTEC 第2回北極海観測国際ワークショップ — 2027年以降の観測テーマ、国際共同研究、2027〜2029年の航海計画検討の内容。
本稿は2026年9月30日までの公開資料に基づく。12月18日の引渡し、3回の慣熟航海、2027年以降の北極観測計画はいずれも今後の建造・試験・運航条件により変更される可能性がある。初の北極観測航海の最終日程・航路、COMAIの実運用開始時期、国際共同乗船課題の採択内容は記事作成時点で確定していない。
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