クマが「山から下りてきた」という言い方だけでは、今の日本で起きていることを十分に説明できなくなっている。山と集落の境界そのものが変わったからだ。
人口減少で人の活動が薄くなり、耕作放棄地や使われない里山林が増え、柿や栗などの放任果樹が残る。河川や緑地は市街地までつながる。クマの側では分布域が広がり、人への警戒心が弱い個体が集落周辺で繁殖する地域もある。秋にブナやミズナラなどの実が凶作になれば、さらに人里へ動く。
2025年度は、その複数の要因が最悪の形で重なった。環境省の集計では、4〜11月の出没情報は4万7038件。4〜12月の人身被害は214件、被害者236人、死者13人。いずれも記録的な水準となった。
「山」と「人里」の境界が薄くなった
クマの市街地出没は突然始まった現象ではない。環境省は2004年の大量出没調査ですでに、里地里山の整備不足、放棄果樹、生ごみ、集落への侵入ルート、人材不足を対策課題として挙げていた。
さらに自然環境保全基礎調査では、中大型哺乳類の分布拡大の背景として、集落人口の減少・高齢化、それに伴う耕作放棄、集落活動域の縮小を指摘している。人間が草を刈り、畑を使い、山へ入り、薪や山菜を取り、農地を管理していた「人の圧力」が弱まると、山と集落の間にあった緩衝帯が動物にとって通りやすくなる。
2024年に整理されたクマ対策方針では、ツキノワグマについて、人口減少・高齢化、耕作放棄地、放任果樹、里山利用の減少などにより生活圏周辺が生息に適した環境へ変化したと明記した。
柿一本が「餌場」になる
クマ対策でAIより先に出てくる言葉が「誘引物管理」である。
放置された柿、栗、リンゴ、飼料、生ごみ、コンポスト。人にとっては小さな生活物でも、クマにとっては高カロリーの餌になる。山で餌が少ない年ほど、こうした資源の魅力が高まる。
一度人里で食べ物を得た個体が同じ場所へ戻る可能性もある。そのため国のロードマップは、出没時の捕獲だけでなく、放任果樹の除去、藪の刈払い、電気柵、誘引物管理を「生活圏への出没防止」の柱に置く。
クマ対策は「出たら撃つ」だけでは成立しない。出る前に、人里を餌場にしない仕事が必要になる。
2025年度、数字が一段跳ね上がった
環境省によると、2024年度のクマ出没情報は1万9350件だった。それが2025年度は4〜11月だけで4万7038件に増えた。
人身被害も2024年度の79件・82人・死者3人から、2025年度は214件・236人・死者13人へ増加した。2023年度も被害が多い年だったが、2025年度はそれを上回った。
クマの出没には年変動が大きい。特に秋の堅果類の豊凶は重要で、ブナやミズナラの実が少ない年は行動圏が広がる。ただし、餌不足だけで長期傾向を説明することもできない。集落側の環境変化と、クマ側の分布・個体群変化が重なっている。
「アーバンベア」という政策用語が生まれた
2026年7月17日、石原宏高環境大臣は環境省内に「市街地クマ出没対策チーム」を設置すると発表した。通称は「アーバンベア対策チーム」。自然環境局長をトップに、本省職員と地方環境局のクマ対策専門官ら20人で発足した。
大臣が示した柱は二つ。市街地への出没に備えた安全対策の強化と、クマ被害対策技術の導入促進だ。具体策として、自治体間で対応事例を共有し、ドローンによる監視・モニタリングを強化し、捕獲や監視の新技術、自動刈払い機、クマ撃退スプレーなどを試すとした。
これはクマ問題が「山間部の野生動物管理」だけでなく「市街地の危機管理」に移ったことを示す言葉でもある。
9月、国がドローン・センサー・ロボットの実証を公募
環境省は9月8日、「市街地等におけるクマ対策に係る技術導入実証事業」の公募を開始した。対象は企業、研究機関、自治体など。応募締め切りは10月7日。
想定技術にはドローン、監視カメラ、センサー、ロボット、アプリなどが並ぶ。用途も広い。出没個体の監視、パトロール、追跡、追い払い、不動化・捕獲、市民への警告、避難誘導。さらに、藪などの隠れ場所や移動経路を把握し、出没そのものを抑えることも含む。
技術導入の考え方は、「人が足りないから機械へ置き換える」だけではない。人が夜間に山際を見回る危険を減らし、クマが出る前の兆候を24時間監視し、限られた専門人材を本当に必要な場所へ送るための情報基盤を作ることにある。
AIカメラは、すでに地方の現場へ入り始めた
AI利用は構想段階だけではない。
岐阜県飛騨市では2026年6月、自治体職員向けの先端クマ対策研修会で、AIを使った追い払いシステム「AIBeS」を視察した。自動撮影カメラが対象をクマと判定すると、クマスプレーを自動噴射する仕組みだ。
北海道八雲町では9月、TOPPANとAI画像解析によるクマ検知・通報・対応状況の一元管理実証を開始した。狙いは早期発見だけでなく、職員への情報共有と対応業務の負荷軽減にある。
富山県氷見市でも以前からAI付きトレイルカメラを導入し、熱や動きを検知した画像をクラウドAIが判定し、クマと判断した場合に職員へ通知する仕組みを運用している。
AIの仕事は「クマかどうか」を早く絞ること
山際のカメラにはクマだけが映るわけではない。シカ、イノシシ、人、犬、風で動く草木。従来なら人が大量の写真を確認しなければならなかった。
画像認識AIの価値は、その選別を自動化することだ。クマの可能性が高い映像だけを即時通知すれば、自治体職員や警察、捕獲者が現場へ行くべきか早く判断できる。
ただし誤検知と見逃しの両方が問題になる。誤検知が多すぎれば警報が無視される。見逃せば安全システムとして意味を失う。夜間、雨、雪、枝葉、遠距離、小さな個体、複数動物など、野外環境は画像AIに厳しい。
そのためAIは「最終判断者」というより、監視網の一次選別として使う方が現実的だ。映像を人が確認し、現場情報と合わせて対応を決める設計が重要になる。
ドローンは「目」と「追跡者」になる
クマ出没後の最大の問題の一つは、「今どこにいるか分からない」ことだ。
目撃地点から山へ戻ったのか、河川敷を移動したのか、住宅地の藪に潜んだのか。人が徒歩で追えば危険がある。車からでは見えない。
ドローンなら上空から河川、農地、斜面、藪の縁を短時間で確認できる。熱赤外カメラを組み合わせれば、条件によっては夜間や植生の薄い場所で動物を探しやすくなる。
山形県では、環境省の指定管理鳥獣対策事例として春期管理捕獲にドローンを活用している。2026年の国の実証公募では、市街地での監視、追跡、追い払いまで対象に含めた。
それでもドローンが森を透視できるわけではない
技術には限界がある。葉が密な森林では上空カメラから動物が見えない。熱画像も夏の地表温度が高い時、樹冠や建物に遮られる時には万能ではない。
飛行には天候、風、電池、通信、飛行ルールの制約もある。住宅地で低空飛行すればプライバシーや騒音の問題も生じる。
ドローンは捕獲者を不要にする機械ではない。危険な捜索範囲を絞り、現場判断を支える道具である。
狩猟者は「減った」で終わらない
日本の狩猟免許所持者は長期的には大きく減った。1970年ごろには約53万人だったが、2000年代には20万人前後まで落ち込んだ。
ただし近年は少し事情が違う。環境省データでは2012年度以降は回復傾向もあり、2020年度は21.9万人。40代以下の若い免許所持者も増えている。
一方、免許構成は変わった。1970年には第一種銃猟免許が圧倒的だったが、2020年度にはわな猟が約54%を占める。60歳以上も大きな比率を占める。
クマが住宅地へ出た時に必要なのは「免許を持つ人の総数」だけではない。大型獣に対応できる射撃技術、安全管理、現場指揮、警察・自治体との連携ができる人材だ。地域差も大きい。
2025年、法律も変わった
従来、市街地での銃使用には厳しい制限があり、自治体が危険なクマへ迅速に対応する際の制度上の難しさが指摘されてきた。
2025年9月1日、改正鳥獣保護管理法に基づく「緊急銃猟制度」が施行された。人の日常生活圏にクマやイノシシが出没した際、安全確保などの条件を満たせば、市町村が委託した者による銃猟を可能にする制度である。
制度は「市街地なら自由に撃てる」というものではない。住民の避難、射線、バックストップ、現場指揮、実施者の技能など厳格な安全条件が必要になる。
技術導入と法制度改革は別々に見えるが、実際にはつながっている。AIカメラやドローンで位置を正確に把握できれば、避難範囲と対応地点を絞り、安全な緊急対応を組み立てやすくなる。
2024年、クマは「指定管理鳥獣」になった
もう一つの制度転換は2024年4月だった。四国の絶滅のおそれのある個体群を除き、ヒグマとツキノワグマが鳥獣保護管理法上の「指定管理鳥獣」に追加された。
これは「保護をやめる」という意味ではない。生息状況を調べ、都道府県などが科学的計画の下で捕獲・個体数管理を行い、国が財政支援できる枠組みに入れたということだ。
日本のクマ政策は、希少性を心配する地域と、個体数や生活圏出没を管理しなければならない地域を同時に扱う必要がある。四国個体群を指定から除いたのは、その地域差を象徴する。
2030年までに「すみ分け」をつくり直す
2026年3月27日に政府が決めたクマ被害対策ロードマップは、2030年度までを対策期間とし、「人とクマのすみ分け」を将来像として掲げた。
東北・関東・中部では、クマの自然増加率とされる14.5%を上回る、推定個体数の20%を暫定的な捕獲目標とした。石原環境相は、この目標を達成すれば2030年度の個体数を現在の約65%程度とする方向を示した。北海道も約70%程度を目指すとしている。
ただし、個体数推定自体に不確実性がある。都道府県ごとに調査方法や頻度が異なってきたため、国は自動撮影カメラ画像や毛の遺伝子解析などを使い、より統一的な方法で推定する方針だ。
つまりAIやカメラは、出没を知らせるだけでなく「何頭いるのか」を政策判断する基礎データにもなる。
クマ対策は4層で考える必要がある
| 段階 | 手段 | 技術が担えること |
|---|---|---|
| 出没させない | 放任果樹除去、藪刈り、電気柵、ゴミ管理 | 土地利用・移動経路の把握、自動草刈り |
| 早く見つける | 巡回、住民通報 | AIカメラ、センサー、アプリ、24時間監視 |
| 位置を追う | 警察・自治体・捕獲者の捜索 | ドローン、熱画像、位置情報共有 |
| 安全に対応する | 追い払い、捕獲、緊急銃猟 | 避難通知、現場映像、指揮支援、遠隔監視 |
農村の縮小が、クマの問題をさらに農村へ返す
野生鳥獣被害には悪循環がある。農林水産省は、農作物被害の金額だけでなく、営農意欲の低下、耕作放棄、離農の増加まで含めて深刻な影響だとしている。
クマやシカ、イノシシが畑を荒らす。農家が耕作をやめる。藪化した土地が動物の隠れ場所や移動経路になる。さらに出没しやすくなる。
人口減少地域では、人がいなくなることで自然へ戻るというより、「管理されない人里」が増える。その空間は原生自然ではない。果樹、農地跡、用水路、道路、空き家が残り、野生動物にとって餌と隠れ場所が混在する新しい環境になる。
クマを全部「危険個体」と見なさないことも必要
被害が増えると、すべてのクマを同じ危険度で扱いたくなる。しかし保護管理では、山中にいる個体と、集落へ繰り返し侵入し人への警戒を失った個体を分ける必要がある。
監視データが増えれば、同じ個体がどこを通り、何度人里へ来たかを把握できる可能性が高まる。カメラ画像、DNA、位置情報を組み合わせれば、出没頻度や行動パターンをより客観的に評価できる。
それは捕獲を増やすためだけではない。不必要な捕獲を減らし、本当に高リスクな個体と場所へ資源を集中するためでもある。
AIが政策の責任を引き受けることはできない
AIがクマを検知しても、その後「追い払うのか」「捕獲するのか」「住民を避難させるのか」を決めるのは人間だ。
画像認識には誤りがある。個体数推定には幅がある。クマの行動も予測通りではない。技術が増えるほど、誰がアラートを確認し、誰が指揮し、誰が住民へ伝え、誰が最終判断をするかという運用ルールが重要になる。
センサーを設置して終わりではない。夜中に通知が来た時、自治体、警察、捕獲者、消防、学校がどう動くか。その体制まで設計して初めて「対策」になる。
2004年: 北陸を中心に大量出没。環境省が里山整備、誘引物管理、人材育成を課題として整理。
2000年代〜: 人口減少・高齢化、耕作放棄、里山利用低下と大型哺乳類の分布拡大が政策課題に。
2023年度: ツキノワグマ人身被害が当時の過去最多水準。
2024年4月: 四国個体群を除くクマ類を指定管理鳥獣に追加。
2025年9月: 緊急銃猟制度施行。
2025年度: 出没、人身被害、被害者、死者が過去最多。
2026年3月: 政府が2030年度までのクマ被害対策ロードマップを決定。
2026年7月: 環境省がアーバンベア対策チーム設置。
2026年9月: ドローン、カメラ、センサー、ロボット等の技術導入実証を全国公募。
「山へ返す」のではなく、境界を作り直す
クマの出没が報じられるたび、「山へ返せばいい」という言葉が出る。だが日本の農山村では、その「山」と「人里」の境界が以前ほど明確ではない。
人が暮らしていた家が空き、畑が藪になり、果樹だけが残り、川沿いの緑地が市街地まで続く。クマにとって、そこは突然現れた町ではなく、利用できる環境の連続になり得る。
だからこれからのクマ対策は、個体を見つけて追う技術だけでは足りない。土地を管理し、誘引物を減らし、人の活動域を明確にし、高リスク個体を科学的に管理し、緊急時に専門家が安全に動ける仕組みを作る必要がある。
AIとドローンは、その境界を自動で作ってくれるわけではない。
しかし、人が少なくなった地域で、どこにクマがいて、どこから来て、どの場所が危険なのかを見続ける「目」にはなれる。人口減少時代の野生動物管理で最も不足しているものの一つが、その目なのである。
主な出典と取材メモ
- 環境省「クマに関する各種情報・取組」 — 2025年度の出没・人身被害、2026年ロードマップ、緊急銃猟、最新対策の公式集約ページ。
- 環境省「令和8年度市街地等におけるクマ対策に係る技術導入実証事業」 — ドローン、監視カメラ、センサー、ロボット、アプリなどを使う市街地クマ対策の2026年度実証公募。
- 環境省「クマ被害対策ロードマップ」 — 2030年度までの緊急対応、生活圏への出没防止、個体数管理、人材確保、誘引物管理などの政府方針。
- 石原宏高環境大臣記者会見(2026年7月17日) — 『市街地クマ出没対策チーム(アーバンベア対策チーム)』設置、ドローン等の監視強化、技術導入促進を発表。
- 環境省「令和8年版 環境白書」 — 2025年度にクマ出没件数、人身事故件数、被害者数、死者数が過去最多となったこと、指定管理鳥獣・緊急銃猟等の政策背景。
- 環境省「令和7年度のクマの出没や被害状況について」 — 2025年度速報として出没47,038件、人身被害214件、被害者236人、死者13人を整理。
- 環境省「クマ類による被害防止に向けた対策方針」 — 人口減少・高齢化、耕作放棄地、放任果樹、里山利用低下、河川・緑地などを出没要因として整理。
- 環境省「第6回自然環境保全基礎調査 哺乳類分布調査」 — 集落人口減少・高齢化、耕作放棄、活動域縮小が中大型哺乳類の分布拡大につながるとする長期的背景。
- 環境省「年代別狩猟免許所持者数」 — 狩猟免許所持者が1970年代の約53万人規模から大きく減少し、その後一部回復している長期推移。
- 環境省「緊急銃猟制度」 — 2025年9月1日施行。生活圏にクマ・イノシシが出没した際、市町村が安全確保の条件下で銃猟を委託できる制度。
- 環境省 指定管理鳥獣対策事例集(2026年度) — 岩手の出没情報アプリ、山形のドローン活用、秋田の電気柵など自治体の具体策。
- 飛騨市(2026年7月)「ツキノワグマ対策の先端技術研修会」 — AI判定でクマと認識した場合にスプレーを自動噴射するAIBeS実証の自治体公式記録。
- 北海道八雲町(2026年9月18日) — AI画像解析によるクマ検知・通報・対応状況の一元管理実証を開始。
- 農林水産省「鳥獣被害対策コーナー」 — 野生鳥獣被害が営農意欲低下、耕作放棄・離農増加につながるという農村側の政策背景。
本稿は2026年9月30日までに公開された資料を基に作成した。2026年度の人身被害・出没数は年度途中のため確定しておらず、本稿の比較の中心には確定度の高い2025年度の環境省集計を用いた。AIやドローンの有効性は実証地域・環境条件に左右され、全国一律の性能は確立していない。クマ個体数の推定値にも地域・手法による不確実性があり、2030年捕獲目標は政府ロードマップ上の政策目標として記述した。
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