「プラスチックは電気を通さない」。学校でも工場でも、それは長く当然の前提だった。その常識をひっくり返し、高分子科学に新しい地平を開いた白川英樹(しらかわ・ひでき)筑波大学名誉教授が、2026年8月24日に亡くなった。筑波大学が9月3日に訃報を公表した。白川氏は8月20日に90歳を迎えたばかりだった。
筑波大学の公式発表は死因を記していない。一方、時事通信など国内報道は、横浜市内の病院で転移性肝腫瘍と原発不明がんのため亡くなったと伝えている。本稿では、死亡日と経歴は大学の一次資料を基礎とし、死因については報道機関が伝えた情報として区別する。
白川氏の名を世界に刻んだのは、単に「電気を通す新素材」を一つ作ったからではない。絶縁体と導体、化学と物理、基礎研究と応用研究の境界そのものを揺らしたことにある。2000年、スウェーデン王立科学アカデミーはアラン・J・ヒーガー、アラン・G・マクダイアミッド、白川氏の3人にノーベル化学賞を授与した。受賞理由は「導電性ポリマーの発見と開発」だった。
1967年、大岡山で「黒い粉」が膜になった
物語の出発点はノーベル賞より33年前、東京工業大学(現・東京科学大学)の大岡山キャンパスにある。白川氏は1961年に東京工業大学理工学部化学工学科を卒業し、1966年に同大学院理工学研究科博士課程を修了。工学博士となり、資源化学研究所の助手として池田朔次教授の研究グループでアセチレンの重合反応を研究した。
当時、ポリアセチレン自体は未知の物質ではなかった。しかし、普通に合成すると不溶・不融の黒い粉末になり、分子構造や固体物性を精密に測るための試料へ加工しにくかった。研究したくても「形にできない」ことが大きな壁だった。
白川氏は2000年のノーベル講演で、1967年に偶然の実験誤差からポリアセチレンを直接薄膜として作ることに成功したと振り返っている。再現実験を重ねると、チグラー・ナッタ触媒の濃度が通常のほぼ1000倍になっていたことが分かった。反応容器の表面で重合が急速に進み、粉ではなく膜が形成されたのである。
この話は「研究生が単位を読み違えた」という逸話として広く知られる。筑波大学の教育プログラムも、触媒濃度を1000倍にした誤りが発端だったと紹介している。ただし、科学史として重要なのは誰が間違えたかではない。白川氏自身がノーベル講演で強調したように、誤差を再現し、条件を切り分け、なぜ膜になったかを研究対象へ変えたことだ。
偶然を捨てず、再現できる現象へ変えた研究が発見を生んだ。
銀色に光っても、最初は「金属」ではなかった
薄膜化によって研究は一気に進んだ。白川氏は反応温度や条件を変え、銅色のシス型ポリアセチレンと銀色のトランス型ポリアセチレンを作り分けた。見た目は金属のようだった。しかし重要なのは、銀色だから電気をよく通したわけではないという点である。ノーベル委員会の技術資料によれば、未処理のトランス型ポリアセチレンの導電率は金属とは比べものにならないほど低かった。
転機は国際的な出会いから来た。1970年代半ば、ペンシルベニア大学の無機化学者アラン・G・マクダイアミッドは東京で白川氏の光沢あるポリアセチレン膜を知り、米国での共同研究へ招いた。白川氏は1976年、ペンシルベニア大学の博士研究員として渡米。物理学者アラン・J・ヒーガーも加わり、化学と物性物理が一つの試料を挟んで交わった。
マクダイアミッドはヨウ素による処理を提案し、ヒーガーの研究室で導電率が測定された。ノーベル委員会の詳細資料は、ヨウ素処理したトランス型ポリアセチレンで約3000 S/mが測定され、未ドープ状態に比べ7桁の増大だったと記す。1977年5月に受理された論文「Synthesis of electrically conducting organic polymers: Halogen derivatives of polyacetylene (CH)x」は、その後の巨大な研究分野の起点になった。
「ドーピング」がプラスチックの電子状態を変えた
なぜ電気を通すようになるのか。鍵は、炭素原子の間に単結合と二重結合が交互に並ぶ共役系と、「ドーピング」と呼ばれる化学操作にある。
一般のプラスチックでは電子は局所的な結合に強く束縛され、電流を担う電荷が自由に動きにくい。ポリアセチレンのような共役高分子では、π電子が高分子鎖に沿って広がる性質を持つ。そこへヨウ素などを反応させて電子を抜き取る、あるいは別の系では電子を与えると、鎖の中に移動可能な電荷担体が生まれる。分子構造と電子状態を化学反応で変え、電気的性質を何桁も動かせる——それが革命だった。
この発見は、伝統的な区分を崩した。金属は電気を通す。プラスチックは軽く、柔らかく、加工しやすいが絶縁体。白川氏らの仕事は、その二分法が自然法則ではなく、分子設計と電子状態によって越えられることを示した。
1977年の発見が変えたもの
| それまでの常識 | 白川氏らが示したこと | その後に広がった研究 |
|---|---|---|
| プラスチックは主に絶縁材料 | 共役高分子はドーピングで高い導電性を持ち得る | 導電性高分子、半導体高分子、合成金属 |
| 電子材料は硬い無機材料が中心 | 有機分子でも電子機能を設計できる | 有機EL、有機太陽電池、有機トランジスタ |
| 化学と固体物理は別々の問題 | 化学構造の操作で電子物性を大きく変えられる | 材料化学と物性物理の学際領域 |
| 偶然の異常結果は「失敗」 | 再現・検証すれば新しい現象の入口になり得る | セレンディピティーを生かす研究文化 |
2000年ノーベル化学賞——受賞したのは「一枚の膜」だけではない
スウェーデン王立科学アカデミーは2000年10月10日、ヒーガー、マクダイアミッド、白川氏の3人に化学賞を授与すると発表した。理由は「導電性ポリマーの発見と開発」。受賞対象は1967年の薄膜合成だけでも、1977年の一つの論文だけでもない。薄膜を作り、化学的ドーピングで導電性を劇的に高め、その物理を理解し、導電性高分子を化学と物理の大きな研究領域へ育てた一連の仕事だった。
白川氏は同じ2000年に文化勲章を受章し、文化功労者にも選ばれた。筑波大学を退官して名誉教授となった年でもある。東京科学大学によると、白川氏はその後も教育への関与を続け、旧東京工業大学で2016年に始まった学士課程1年生向け授業「科学技術の最前線」に継続して登壇した。
2026年6月9日には東京科学大学から栄誉教授の称号を授与された。大学が受賞を公表したのは6月19日。亡くなるわずか2カ月余り前の出来事だった。
スマートフォン、有機EL、電池——「白川氏が発明した」と言い切れない理由
訃報に触れる記事では、導電性高分子が携帯電話、タッチパネル、太陽電池、有機ELなどに結びついたと説明されることが多い。大筋では正しい。しかし、科学史としては一段丁寧に見る必要がある。
ポリアセチレンは化学的に不安定で加工も難しく、今日の電子機器を構成する主役材料としてそのまま大量に使われているわけではない。その後、ポリアニリン、ポリピロール、ポリチオフェン系、PEDOT系など、より扱いやすい導電性高分子が開発された。また、有機ELや有機太陽電池、有機トランジスタでは半導体性高分子や低分子有機半導体がそれぞれ独自に進化した。
それでも系譜は明確だ。ノーベル委員会は2000年の時点で、導電性・半導体性高分子から発光ダイオード、太陽電池、ディスプレー、分子エレクトロニクスへ応用が広がると位置づけた。文部科学省も科学技術白書で、導電性ポリマーが実用化へつながった事例を取り上げた。
白川氏の本当の遺産は「この製品のこの部品」という一点ではない。有機分子を電子材料として考えることを、例外から研究体系へ変えたことにある。
高山で育った少年から、世界の高分子科学へ
白川氏は1936年8月20日、東京に生まれた。筑波大学関連資料によれば、小学校から高校卒業までを岐阜県高山市で過ごした。戦中・戦後の飛騨で成長し、東京工業大学へ進んだ。
大学院での博士論文は「共重合体のブロック鎖に関する研究」。最初から「電気を通すプラスチック」を目指していたわけではない。高分子の反応機構を追う地道な研究から、偶然の薄膜が現れ、その異常を捨てずに十年近く追い続けた先に国際共同研究があった。
1979年に筑波大学物質工学系助教授となり、1982年に教授。2000年の退官まで20年以上、つくばで研究と教育を続けた。筑波大学の永田恭介学長は今回の訃報に際し、白川氏が優れた研究成果だけでなく、多くの後進を育てたことを悼んだ。
「プラスチックの成功」を手放しでは祝わなかった晩年
白川氏の晩年の言葉には、自らが切り開いた高分子科学への誇りと同時に、科学が社会へ広がった後の責任感があった。
筑波大学が2023年に開いた創基151年・開学50周年記念講演で、白川氏は化学の魅力を、物質が別の物質へ変わると性質まで大きく変わる点に見いだしてきたと語った。同時に、プラスチックの汎用性が大量消費を生み、環境や社会へ弊害をもたらした側面にも触れ、それを今後の学問が考えるべき課題として挙げた。
「電気を通すプラスチック」を発見した科学者が、最後までプラスチックを万能の成功物語として語らなかったことは重要だ。材料科学の仕事は、新しい性能を生み出した瞬間で終わらない。製造、使用、廃棄、資源循環まで含めて、その材料が社会へ何をもたらしたかを問い続ける必要がある。
1936年8月20日:東京に生まれる。少年期を岐阜県高山市で過ごす。
1961年:東京工業大学理工学部化学工学科卒業。
1966年:博士課程修了、工学博士。東京工業大学資源化学研究所助手。
1967年:高濃度触媒を使った実験からポリアセチレン薄膜合成に成功。
1976年:ペンシルベニア大学博士研究員。マクダイアミッド、ヒーガーとの共同研究へ。
1977年:ハロゲン・ドーピングした導電性ポリアセチレンを共同発表。
1979年:筑波大学物質工学系助教授。
1982年:筑波大学教授。
2000年:筑波大学退官・名誉教授。文化勲章、文化功労者。ノーベル化学賞。
2023年:筑波大学開学50周年記念講演で研究史と科学の課題を学生に語る。
2026年6月:東京科学大学栄誉教授。
2026年8月24日:逝去。90歳。
セレンディピティーより重要だった「準備された目」
白川氏の発見は、しばしばセレンディピティーの象徴として語られる。確かに、触媒濃度の誤りがなければ薄膜は生まれなかったかもしれない。東京でマクダイアミッドと出会わなければ、ペンシルベニア大学での共同研究も別の形になったかもしれない。
しかし「幸運だった」で終えると、この研究の本質を失う。黒い粉しか得られない反応を何年も研究していたから、膜の異常さに気づけた。実験条件を再現したから、触媒濃度の意味が分かった。銀色の見た目に満足せず、分子構造を調べたから試料としての価値が生まれた。そして別分野の研究者と組み、導電率を測ったから、見た目の金属から本当の「合成金属」へ進んだ。
文部科学省は2001年の科学技術白書で、白川氏の成果を、基礎的な発見の後に地道な研究を積み重ねて生まれた世界的成果の例として取り上げた。偶然に価値を与えるのは、偶然そのものではなく、研究者が持つ知識、疑問、粘り強さなのである。
銀色の膜が残した問い
2026年の材料科学は、白川氏が1970年代に見た世界よりはるかに広い。有機ELは大画面テレビやスマートフォンへ入り、柔らかなセンサー、ウェアラブル機器、印刷型電子回路、次世代太陽電池、蓄電材料など、有機電子材料は数え切れない方向へ枝分かれした。
一方で、プラスチック廃棄物、化石資源への依存、リサイクル困難性、電子機器の短寿命化という新しい課題も生まれた。白川氏自身が2023年に語ったように、材料の成功はその材料が社会へ広がった時点で新しい責任を伴う。
研究室で偶然できた一枚の膜から、半世紀を超える科学が始まった。白川英樹氏の功績を最も正確に言い表すなら、「電気を通すプラスチックを発明した人」だけでは足りない。何が導体で、何が絶縁体なのかという常識を、分子の設計によって書き換えられることを示した科学者だった。
その仕事は、銀色の膜より長く残る。
資料・出典
- 筑波大学「【訃報】ノーベル化学賞受賞者 白川 英樹 名誉教授」 — 2026年9月3日。逝去日、略歴、永田恭介学長コメントを確認した一次資料。
- 東京科学大学「栄誉教授 白川英樹先生のご逝去に寄せて」 — 2026年9月3日。旧東京工業大学での薄膜作製と教育活動を確認。
- 筑波大学「白川英樹」 — 学歴、受賞歴、薄膜合成、ケミカルドーピング、液晶中重合などの業績。
- Hideki Shirakawa, Nobel Lecture, “The Discovery of Polyacetylene Film: The Dawning of an Era of Conducting Polymers” — 2000年。1967年の薄膜合成と約1000倍の触媒濃度についての本人による記録。
- Royal Swedish Academy of Sciences, Nobel Prize in Chemistry 2000 press release — 受賞理由、導電性高分子の原理と応用。
- Nobel Committee, “Conductive polymers,” Advanced Information — ポリアセチレンの物性、ヨウ素ドーピング後の導電率、1977年論文の技術史。
- NobelPrize.org, 2000 Chemistry Laureates interview — 白川氏、マクダイアミッド、ヒーガーの共同研究成立に関する当事者証言。
- 筑波大学「白川 英樹 名誉教授による記念講演会」 — 2023年9月30日。研究人生とプラスチック大量消費への問題意識。
- 東京科学大学「白川英樹氏…に栄誉教授の称号を授与」 — 2026年6月19日。
- 文部科学省「平成13年版 科学技術白書」 — 白川氏の研究を基礎研究の積み重ねから生まれた世界的成果として紹介。
- 筑波大学GFEST「『ロウソクの科学』が教えてくれること」 — 東京生まれ、高山での学校生活などの略歴を確認。
- RSC Advances, “Conducting polymers: a comprehensive review on recent advances in synthesis, properties and applications” — ポリアニリン、ポリピロール、ポリチオフェンなど後続する代表的導電性高分子と応用分野の確認。
- 時事通信「白川英樹さん死去、90歳=導電性高分子でノーベル化学賞」 — 2026年9月3日。死因と死亡場所に関する報道。大学一次資料では死因は公表されていないため、報道情報として扱った。
本稿は2026年9月4日午前2時40分(日本時間)までに確認できた公開資料を照合した。白川英樹氏の氏名読み、役職、学歴、研究業績、受賞歴は筑波大学・東京科学大学の日本語一次資料を優先した。1967年の薄膜形成と「約1000倍」の触媒濃度は白川氏自身のノーベル講演を基礎に記述した。現在のスマートフォン、有機EL、電池等への影響は「導電性・半導体性高分子という研究分野を開いた」という系譜として扱い、ポリアセチレンそのものが各製品に直接使われているとは記述していない。死因は大学の訃報には記載がなく、時事通信などの報道に帰属させた。
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