1症例乳児期発症の中枢性甲状腺機能低下症
生後5か月以降FT4が低下、TSHは十分上昇せず
DIO3+TRAF314番染色体の同じ欠失領域
10月24日/11月5日論文公開/岐阜大学発表
取材方法:岐阜大学の発表、査読誌『Thyroid』の論文抄録、日本小児内分泌学会の解説・ガイドラインに基づく文書取材。研究者・患者への独自取材は実施していない。1症例であり、機序と診断手順の一般化には限界がある。この記事は個別の医療助言ではない。

異変が現れたのは、生まれてから数か月後だった

生まれたときの甲状腺検査では、再検査を要する数値が出ていなかった。それでも、生後5か月ごろから血液中の遊離サイロキシン(FT4)が徐々に低下した。通常ならホルモン不足を補おうとする甲状腺刺激ホルモン(TSH)の上昇が、十分に起きなかった。岐阜大学などの研究チームが解析した乳児の経過は、発達に欠かせないホルモンの調節が、出生時の一度の検査だけでは捉え切れない場合があることを示している。

研究チームは父親由来の染色体の一部が失われ、そこに甲状腺ホルモンの作用を弱めるDIO3遺伝子が含まれていることを突き止めた。発症は「中枢性甲状腺機能低下症」と呼ばれる。論文は米国甲状腺学会の学術誌『Thyroid』に10月24日付でオンライン掲載され、岐阜大学が11月5日に発表した。基礎研究で知られていた仕組みとヒトの病態を結び付ける、新たな症例報告だ。

首の甲状腺ではなく、脳からの指令に着目する

甲状腺は首の前側にある小さな臓器だが、そこから分泌される甲状腺ホルモンは代謝、脳の発達、骨の成長などに重要な役割を果たす。視床下部と下垂体が司令塔として働き、必要に応じて甲状腺にホルモンをつくるよう促す。この調節を「視床下部―下垂体―甲状腺系」という。

甲状腺自体が十分に働かない原発性の機能低下症では、脳からの指令に相当するTSHが高くなることが多い。一方、中枢性甲状腺機能低下症では脳側からの働きかけが不十分なため、FT4が低下してもTSHが期待通りには上がらない。両者を同じ検査の読み方で扱うと、重要な異常を見落としかねない。日本小児内分泌学会も、先天性甲状腺機能低下症には複数の原因があり、まれに新生児マススクリーニングで発見できない例があると説明している。

DIO3――ホルモンを「消す」酵素の設計図

DIO3は、3型ヨードチロニン脱ヨード酵素(D3)をつくる遺伝子である。D3は強く働くT3を不活性化し、T4を作用の弱いリバースT3へ変える。ホルモンを新しくつくるのではなく、働きを弱めることで全身の濃度と作用を調節する。胎児期から出生後早期には過剰な甲状腺ホルモンの作用を抑える役割がとりわけ重要だとされる。

直感的には、その「ブレーキ」がなくなれば甲状腺ホルモンは増え続けるように思える。だがマウスのDio3欠損研究では、出生後早期に過剰なホルモン作用が起きたのち、逆に中枢性甲状腺機能低下症を示すことが報告されてきた。初期の過剰な刺激が発達過程の調節機構に影響する、という仮説だ。今回のヒト症例はその仮説に整合するが、乳児期の初期段階で同じ過剰作用が実際に生じたことまでは証明していない。

「父親由来」であることに意味がある

遺伝子は通常、父母それぞれから1組ずつ受け継ぐ。ところが一部の遺伝子は、受け継いだ親によって発現の程度が異なる。「ゲノムインプリンティング」と呼ばれる仕組みである。DIO3については、ヒト新生児の皮膚で父親由来の遺伝子が優先して発現することが既に示されている。

今回の乳児では、染色体マイクロアレイ解析によって14番染色体の14q32.31〜14q32.33領域の欠失が明らかになった。論文によれば、父親が持つ4番染色体短腕と14番染色体長腕の均衡型転座に由来する。研究者は、父親由来のDIO3の喪失が甲状腺機能の低下に重要だったと解釈している。ただし、組織ごとの発現差やほかの遺伝子の関与を考えれば、単一症例からすべての因果経路が解明されたわけではない。

遺伝子の「ブレーキ」を失えば、必ずホルモン過剰になる――そう単純には言えない。

同時に失われたTRAF3と、別の検査の手掛かり

14番染色体の欠失領域には、免疫の信号伝達に関係するTRAF3遺伝子も含まれていた。論文によれば、この乳児では出生直後にT細胞の減少が認められた。研究チームは、その所見をTRAF3の片方が失われた「TRAF3ハプロ不全症」と整合するものと考えている。

日本語の研究発表は、新生児期のTREC検査が免疫異常を見つける手掛かりとなり得ること、聴力にも影響が及ぶ可能性があることを指摘する。ただし、甲状腺、免疫、聴覚を組み合わせた新しい症候群が既に確立したわけではない。聴覚症状の機序や頻度を、今回の1例だけから一般化することもできない。関連する遺伝子が近接しているため、染色体の一部を失うと複数の機能に影響が及び得るという点が重要だ。

日本の新生児検査が築いてきた成果と、残る空白

日本では新生児マススクリーニングによって、症状が明らかになる前に先天性甲状腺機能低下症を発見し、治療を始める体制が整えられてきた。検査の中心となるTSHは、原発性の甲状腺機能低下症を捉えるうえで有用である。日本小児内分泌学会の一般向け解説によると、地域によってはFT4を同時に測定する場合もある。

しかし、出生時の値が基準内でも、その後に異常が現れる病態は別の課題を突き付ける。今回の症例では、新生児期のTSHとFT4が再検査の基準を満たさず、生後5か月以降にFT4が低下した。だからといって全国一律の検査方法を直ちに変更すべきだと結論づけるのは早い。どのような児に、いつ、どの検査を追加することが利益につながるのか、今後の症例蓄積と専門家の評価が必要になる。

研究史は「ホルモンの量」から「作用する時期」へ

甲状腺機能低下症の早期発見が小児医療を変えてきた背景には、成長期に必要なホルモンを適切な時期に補うという考え方がある。近年の基礎研究はさらに、胎児期や乳児期にホルモンが「多い」「少ない」だけではなく、どの組織に、いつ、どれほど作用するのかが重要だと示してきた。

DIO3はその時間的な調節を理解するための有力な手掛かりとなる。マウスの研究で予測された経路を、実際のヒトの遺伝子欠失と臨床経過に照らして考えられるようになった点が、今回の研究の独自性である。それでも、マウスとヒトの発達段階や遺伝子発現は完全には一致しない。細胞・組織レベルで何が起きたかを特定する研究が次の課題だ。

岐阜、広島の小児医療と遺伝診療がつながった

研究は岐阜大学大学院医学系研究科小児科学の堀友博併任講師、大西秀典教授らを中心に、岐阜県総合医療センターの新生児内科・遺伝子診療科、広島大学大学院医系科学研究科小児科学が協力して進めた。論文の筆頭著者はTomohiro Hori、責任著者欄にはHidenori Ohnishiらの名前が記されている。岐阜大学の公表資料はAMEDなどによる研究支援も明示している。

免疫の異常に気付く新生児医療、ホルモンの推移を捉える小児内分泌診療、染色体欠失を読み解く遺伝医療。それぞれの専門領域を重ねたからこそ、一見別々の症状を関連付けることができた。今回の重要性は単一遺伝子だけにあるのではない。専門科の境界にまたがる稀少な小児の病態を、複数の施設が共有して解析したことにもある。

1例から見えたこと、まだ言えないこと

研究の結論は慎重に読む必要がある。論文は父親由来DIO3欠失が遅れて現れる中枢性甲状腺機能低下症と関連する「初のヒトでの証拠」を示すが、単一症例の報告であり、病気の頻度、症状の個人差、最適な検査間隔を決める資料ではない。TRAF3も同時に欠失しているため、長期的な病態を一つの遺伝子だけで説明できるとは限らない。

また、研究は「遺伝子を修復する新しい治療」を示したものではない。甲状腺ホルモン不足に対しては、既存の小児内分泌診療に基づく適切な評価と治療が基本となる。特定の家族がこの論文を理由に独自に検査や投薬を変更すべきでもない。医学的判断は診療を担当する専門家と相談する必要がある。

出生時の一枚の結果では終わらない

一つの検査結果は、その瞬間の身体の状態を示す。しかし、発達途中のホルモン系は変わり続ける。今回の報告が問い掛けるのは、出生時の数値だけではなく、その後の時間をどう診るかという問題である。免疫や遺伝の異常が分かった乳児に対し、甲状腺機能も継続して確認する必要があるか。その判断に、遺伝子の働きに関する知識をどこまで役立てられるか。

岐阜から発表されたのは大規模試験の結論ではなく、将来の診療と研究の方向を照らす臨床上の手掛かりだ。「ブレーキ」を失うことが後のホルモン不足にどうつながるのか。確かな答えは、次の症例、次の実験、そして慎重な追跡の積み重ねから見えてくる。

出典・研究上の限界

公表一次資料と原著論文の抄録に基づき、実際の患者所見と動物実験から推測される機序を区別した。論文全文へのアクセス条件により詳細な検査値の独自再検討は行っていない。

  1. 岐阜大学・2026年11月5日発表 / Gifu University release
  2. 研究論文・Thyroid / Original journal article
  3. 米国国立医学図書館 PubMed / Indexed abstract
  4. 岐阜大学・岐阜県総合医療センター詳細資料 / Full Japanese research release
  5. 日本小児内分泌学会・先天性甲状腺機能低下症 / Pediatric Endocrine Society
  6. 日本小児内分泌学会・診療ガイドライン / Clinical guidelines