旅行の計画を立てるAIを、先生が作る
「どこへ行くか」「何を優先するか」という条件を与え、旅行の候補を組み立てる。10月27日、岐阜県大垣市の県立大垣北高校で、県内の高校教員約30人がそんなAIエージェントの作成を体験した。県教育委員会が企画した「探究AIエージェント体験会」である。県の開催案内には、午後1時から4時30分まで、概要講義、体験実習、アプリ実装、発表と意見交換が組まれた。11月4日付の岐阜新聞によれば、参加者は2~3人で指示を重ね、旅程を考える仕組みを作った。旅行の練習は、授業や校務で使えることの証明ではない。それでも、文章を出すだけの生成AIから、複数の作業を組み立てるAIへと、教育現場の関心が動いていることを示した。
生成AIとAIエージェントは何が違う
生成AIは、入力した質問や指示に応じて文章、図、要約などを出力する。AIエージェントは、目標に応じて必要な手順を分け、情報を調べ、結果を照合し、次の操作につなげるよう設計された仕組みを指す。ただし「自律的」という表現は万能を意味しない。どの外部サービスを利用し、どんなデータを参照し、確認なく何を実行できるかで危険性も変わる。旅行なら存在しない時刻や運賃を選ぶかもしれない。学校なら学習指導要領の読み違い、架空の出典、児童生徒の個人情報の取り扱いが問題になる。今回の体験会は技術の仕組みを学ぶ場であり、特定製品の精度評価や学校での本番稼働を報告したものではない。
授業の前に、教員自身が試す理由
県の実施計画には、AIエージェントの概要・活用事例の講義、学びの体験、AIを使ったアプリの実装、制作物の共有という順序が記されている。先に教員が試すことには意味がある。何が便利で、どの段階で誤るのかを知らずに生徒へ利用を勧めるのは難しいからだ。岐阜新聞は、講師をIT教育事業のライフイズテックの社員らが務めたと伝えた。参加者は、プロンプトの書き方によって応答が変わることを確かめ、生活を助けるアプリの案も検討した。報道には、岐阜工業高校の電気工学科教員が、ものづくりの学びにAIを生かしたいと語ったことも記されている。ただし一日の研修をもって参加校の授業改革が実現したとはいえない。
1894年創立の学校が、2026年の改革拠点に
会場となった大垣北高校の歩みは明治時代にさかのぼる。学校の公式沿革によれば、1894年に岐阜県尋常中学校大垣分校として開校。1948年に旧制中学校と高等女学校の流れが統合され、1949年に現在の「岐阜県立大垣北高等学校」が発足した。1961年には中川町の現在地に移った。2024年には創立130周年を迎えた。県の高校改革と向き合う場所に、歴史の長い普通科高校が選ばれた点は興味深い。岐阜新聞によれば、同校は2026年6月、国のN-E.X.T.ハイスクール構想に関する改革先導拠点校に採択された。伝統校だから変わらないのではなく、学びの方法を問い直す拠点として位置付けられている。
2040年の高校をどう描くか
文部科学省は2026年2月、2040年を見据えた高校教育改革の基本方針「N-E.X.T.(ネクスト)ハイスクール構想」を公表した。理数系や学際的な学び、地域産業との連携、多様な学習ニーズへの対応などが柱となる。岐阜県も、2026年度中に「岐阜県高校教育改革実行計画」を策定する方針で、同年9月には産業界や教育関係者による推進会議を開いた。AIエージェント体験会はこうした検討の一環だ。もっとも、計画づくりと教室での実装は別の段階にある。学校間の設備格差、教員研修の時間、費用負担、評価方法をどう設計するかが問われる。端末を配れば改革になるわけでも、AIを使えば探究学習が深まるわけでもない。
文科省指針は「人間中心」を掲げる
国の初等中等教育向け生成AIガイドラインは、2023年7月の暫定版を経て、2024年12月26日にVer.2.0へ改訂された。基本姿勢は「人間中心の生成AIの利活用」と、AIの存在を前提にした情報活用能力の育成である。授業準備や校務については、教員が適切さを判断できる範囲での活用を有用とする一方、生徒の利用は発達段階と情報リテラシーを踏まえて慎重に考えるよう求める。研修でAIがもっともらしい旅行計画を作れたとしても、現実の交通事情を調べ直す必要がある。教材案が出せても、内容と出典を教員が確かめなくてはならない。意思決定の責任をAIに移すことはできない。
学校に導入するなら、何を入力してよいか
教育の現場で最初に決めるべきなのは、AIに何をさせるかだけでなく、何を渡さないかだ。公開できる教材の構成案と、氏名や成績、家庭環境、健康状態を含む生徒の記録では、必要な保護の水準がまったく違う。外部サービスに入力した情報の保存・再利用条件、アクセス権限、管理者による記録、誤出力への対応も検討が要る。AIエージェントが外部ツールを操作する場合、単なる文章生成以上に権限管理が重要になる。予定表の提案と、実際の保護者連絡の送信を同じ扱いにはできない。文科省の資料も、利用場面に応じてリスクを見極めることを求めている。
教師の時間を取り戻すという期待
AI活用の背景には、教員の長時間勤務がある。文部科学省の2022年度教員勤務実態調査では、前回2016年度より在校等時間が減った一方で、長時間勤務がなお課題とされた。教材の下書き、行事の段取り、問い合わせ文面の検討などを助ける技術には期待が集まる。ただし、AIの出力をすべて点検する時間が増えれば、仕事は軽くならない。精度の低い回答や複雑な操作は、むしろ教員の負担になり得る。実際に導入するなら、作業にかかる時間、修正率、誤り、費用を導入前後で比べる必要がある。今回の約30人の体験会について、勤務時間の削減を実証した数字は公表されていない。
「探究」を助けるのか、答えを先回りするのか
AIエージェントが情報を集め、比較して提案できるなら、生徒の探究学習を後押しできる可能性はある。地域の交通、産業、文化について問いを立て、複数の資料を比べる学びは、その一例だ。一方、問いの設定から調査、結論まで全部AIが完成させれば、学ぶ側が考える機会を奪うおそれもある。必要なのは「AIが解いた課題」と「生徒自身が理解した課題」を分けて評価する方法だろう。教員がAIの得意・不得意を知り、出典の確認や反証の仕方を教えることには意義がある。今回の旅行計画づくりは、そうした議論を始める入り口だが、学習効果の測定結果を示すものではない。
研修の次に確かめるべきこと
今後の焦点は、県の高校改革実行計画にAIをどう位置付けるか、研修がどの学校へ広がるか、教員と生徒の使用条件をどう整えるかにある。大垣北高校で作られた試作品の継続利用、利用サービス名、個人情報の扱い、校務の時間短縮効果について、確認できる公表資料は見当たらない。だからこそ、研修の成功を一足飛びに「AIが先生の仕事を代行する時代」と描いてはならない。1894年に始まった学校で、2026年の教員たちが体験したのは、便利な道具そのもの以上に、道具を問い直す力だったのかもしれない。学びを動かす最後の判断を誰が担うか。その問いは教室に残る。
出典と取材方法
県の事前案内と学校沿革、文部科学省の指針・政策文書を一次資料として確認し、体験会当日の内容は岐阜新聞の報道に基づいた。
