カビの細胞内で、分子は必ずしも一列に並んで次の反応を待っているわけではない。東北大学大学院薬学研究科の浅井禎吾(あさい・ていご)教授、尾﨑太郎(おざき・たろう)准教授、古村翔(ふるむら・しょう)氏らの研究グループは、糸状菌がつくる希少なフラボノイド「クロロフラボニン」の全生合成経路を解明した。成果は2026年8月29日付で『Journal of the American Chemical Society(JACS)』にオンライン掲載され、東北大学が9月2日に日本語で発表した。

研究の核心は、経路が教科書的な“直線”ではなかったことだ。途中には二つの平衡状態があり、複数の化学種が行き来する。にもかかわらず、次の酵素が混合物の中から特定の一種だけを捕まえて反応させるため、最終的にはクロロフラボニンへ流れが収束する。化学的には揺らいでいるのに、生物学的には迷わない。研究チームは、その選択を担う脱水酵素CfvKの立体構造まで解き、どのアミノ酸残基が基質選択性を支えるかを突き止めた。

ここは読み違えない: クロロフラボニンは、結核菌や病原性真菌に対する活性から創薬のリード化合物として研究されている天然物であって、承認薬ではない。今回の成果も新薬の臨床効果を示したものではなく、化合物をどう生物が組み立てるかを解明し、その酵素群を物質生産へ利用できる可能性を示した基礎研究である。
2つクロロフラボニン生合成を特徴づける平衡状態。酵素が特定の化学種を選び流れを前へ進める。
5種終盤の中間体Dがヘミアセタール構造に由来してとる混合状態。CfvKはそのうちD-ivを選択する。
46種今回の知見を基に研究グループが実際に構築したフラボノイド群。天然にないタイプも含む。

フラボノイドは「植物の化学」だと思われてきた

フラボノイドは、花や果実の色、紫外線防御、病原体への応答などに関わる植物天然物の大きな一群である。基本骨格は二つの芳香環と中央の環からなるC6-C3-C6構造。アントシアニン、フラボノール、フラボン、イソフラボンなど、多様な化合物群へ枝分かれする。食品や医薬資源として知られる分子も多く、合成生物学では長年、酵母や大腸菌に植物酵素を入れてフラボノイドをつくらせる試みが続いてきた。

植物の入口はよく知られている。1983年にカルコン合成酵素(CHS)遺伝子が初めて同定されて以来、植物や藻類ではIII型ポリケタイド合成酵素に属するCHSがカルコン骨格をつくり、カルコン異性化酵素(CHI)などがそれをフラバノン、さらに多様なフラボノイドへ変えていくという枠組みが定着した。東北大学の2023年の発表が「天然物化学の教科書に載る」仕組みと表現したほど、標準的な経路である。

ところが例外があった。クロロフラボニンは、Aspergillus candidusなどの糸状菌から見つかったフラボン型天然物で、植物型フラボノイドには珍しい塩素原子と複数のメトキシ基をもつ。2026年のJACS論文は、クロロフラボニンとその類縁体を「非植物由来として知られる天然フラボノイド」の特異な例として位置づけている。見た目は植物の化学に似ているのに、その作り方は別だった。

1969年に構造が決まり、経路の謎は半世紀残った

クロロフラボニンの歴史は1960年代にさかのぼる。1969年、A. E. BirdとA. C. MarshallはAspergillus candidusの培養物から得られた新しい抗真菌性物質の構造を、3′-chloro-2′,5-dihydroxy-3,7,8-trimethoxyflavoneと決定した。翌1970年にはBeecham Research Laboratoriesの研究者らが発酵槽での生産条件を報告し、一部の野生株が4〜5日で1mL当たり25マイクログラムを生産したと記録している。

1970年代から80年代初頭には、放射性・安定同位体で炭素の由来を追う古典的な標識実験が行われた。1979年と1981年の研究は、クロロフラボニンが高等植物の一般的なフラボノイド経路とは異なり、C6C1の前駆体と複数のC2単位を組み合わせて骨格をつくる独特のルートを示唆した。だが当時はゲノム配列も、遺伝子クラスター解析も、現在のようなタンパク質構造予測もない。炭素がどこから来るかは追えても、「どの遺伝子が、どの酵素をつくり、どの順番で働くか」は長く空白のままだった。

この空白を埋めたのが、ゲノムマイニングと異種発現である。カビの染色体には天然物をつくる遺伝子がまとまって並ぶ「生合成遺伝子クラスター」が多く存在する。配列から酵素の候補を掘り出し、別の宿主へ導入して生成物を調べれば、昔は培養液の中でしか見えなかった反応を、一段ずつ遺伝子と対応づけられる。

2023年、「入口」は植物と違うとわかった

東北大学の浅井研究室は2023年、糸状菌のゲノムから新しいタイプのカルコン合成酵素を探索し、植物のIII型PKSとは構造の異なる非典型的なポリケタイド合成酵素を見いだした。クロロフラボニンの遺伝子クラスターでは、CfvAが安息香酸を出発点としてカルコン骨格を組み立て、近傍のCfvFがそのカルコンを立体選択的に(2S)-フラバノンへ環化することを示した。

この時点で大きな常識が崩れた。植物のCHSは比較的コンパクトなIII型PKSであるのに対し、糸状菌側のカルコン合成系は複数の触媒ドメインをもつ大きな酵素装置を使う。しかもCfvFは既知の植物型CHIとは異なるタイプで、東北大学は糸状菌でのCHIの初めての例と位置づけた。カビは植物と似たフラボノイド骨格へ到達するが、同じ“道具”を借りたわけではなかった。

研究チームはさらに、Aspergillus oryzae、すなわち麹菌を異種発現の宿主として使った。麹菌は酒、味噌、しょうゆなど日本の発酵文化を支えてきた微生物だが、研究室では天然物生合成遺伝子を受け入れる汎用ホストとしても重要である。2023年の研究では、麹菌内にフラボノイド前駆体をつくる人工経路を構築し、(2S)-ナリンゲニンの生産まで実証した。

2026年、遺伝子を全部入れて「最後まで」つないだ

今回、研究グループはクロロフラボニン生合成に関わる遺伝子群を麹菌で異種発現し、クロロフラボニンそのものを生産させた。そのうえで遺伝子の組み合わせを変え、各段階で何が蓄積するかを調べ、生合成酵素ごとの機能をin vivoin vitroで解析した。部分的な予想ではなく、入口から最終産物までの反応順序を一つの系として再構成したことが今回の前進である。

そこで現れたのが、単純な「A→B→C→D」という経路では説明できない二つの平衡だった。前段では、カルコン異性化酵素CfvFが本来の環化反応だけでなく、すでにフラバノンになった化合物の6-メトキシ体と8-メトキシ体を相互変換する第二の機能を持つことが判明した。東北大学の日本語発表は、結果として「メトキシ基の位置が入れ替わる」と説明している。

第一の平衡——位置が違う二つの分子を行き来させるCfvF

化合物AとBは、同じ骨格を持ちながらメトキシ基の位置が異なる。CfvFは両者を相互に変換し、あたかも化学平衡にある混合物のような状態をつくる。普通なら、複数の形が存在することは副産物の増加や収率低下につながりそうに見える。

しかし下流の酵素は、二つのうち化合物Aだけを選択して次へ送る。Aが消費されれば、CfvFによる相互変換でB側からAが補われる。結果として平衡はAをつくる方向へ引かれ、経路全体は目的物側へ進む。研究チームが描いたのは、酵素が混合物を避けるのではなく、混合物を作ったうえで一つだけを抜き取る生合成戦略である。

第二の平衡——5種の中からD-ivだけを選ぶCfvK

さらに奇妙なのは終盤だ。酸化酵素CfvIが化合物Cを酸化すると、生じた中間体Dは一種類の安定した分子として止まらず、ヘミアセタール構造に由来すると考えられる5種の化学種の混合物として存在する。ここでも反応は“ぼやける”。

だが脱水酵素CfvKは、その5種のうちD-ivだけを選択的に認識し、クロロフラボニンへ向かう反応を進める。研究グループはCfvKの結晶構造を、基質や生成物との複合体として解析し、部位特異的変異も組み合わせて、選択性を決めるアミノ酸残基を特定した。つまり「この酵素は選ぶ」という現象論だけでなく、「どこで、どう選ぶか」の構造基盤まで踏み込んだ。

クロロフラボニンの経路は、分子を一列に運ぶベルトコンベアではない。
揺れ動く混合物の中から、酵素が次の一形を選び続ける“分子の交通整理”である。

植物の標準経路と、クロロフラボニン経路の違い

項目植物の代表的なフラボノイド生合成クロロフラボニン生合成
カルコン形成III型ポリケタイド合成酵素CHS非典型的な糸状菌ポリケタイド合成酵素CfvA
初期環化植物型カルコン異性化酵素CHI新規タイプのCfvFが(2S)-フラバノンを形成
経路の特徴多くは段階的な修飾として理解される二つの平衡状態を内包し、下流酵素が特定化学種を選択
終盤の制御化合物ごとに多様CfvKが5種の中からD-ivを選択
生産への応用酵母・大腸菌などで植物酵素を利用する例が多い麹菌で糸状菌酵素群を再構成し、46種のフラボノイド創製へ

なぜ、生物はこんな「遠回り」を使うのか

研究者にとって興味深いのは、経路の複雑さそのものだ。生合成はしばしば「酵素が中間体を正確に受け渡す」という直線的な図で描かれる。しかし現実の細胞内では、化合物が自発的に別の形へ移ったり、一つの酵素が複数の反応を担ったり、複数の中間体が平衡で共存したりする。重要なのは、揺らぎをゼロにすることではなく、最終的な流れを制御できることなのかもしれない。

クロロフラボニン経路は、その好例になった。CfvFやCfvIが一見“余分な”分子種を生み出しても、CfvKなどの下流酵素が高い基質選択性を持つことで、全体としては目的化合物へ収束する。こうした制御原理を理解すれば、合成生物学で経路を組み替える際にも「副産物を出さない酵素」だけを探すのではなく、「混合物から欲しいものを引き抜く酵素」を設計部品として使える。

麹菌は「フラボノイド工場」になれるか

今回の研究は、経路解明だけで終わっていない。全経路を麹菌内に再構築したことで、クロロフラボニンを天然生産菌から抽出する以外の供給経路ができた。さらに酵素の組み合わせや基質を変えることで、研究グループは46種のフラボノイドを実際に調製し、その中には希少な天然型だけでなく、天然には存在しない構造も含まれると報告している。

これは「明日から工場生産できる」という意味ではない。研究発表は工業スケールの収率、培養コスト、精製コスト、長期安定性を示していない。46種という数字も、46種類がすべて高収率で商用製造できることを意味しない。重要なのは、化学合成で一から作る以外に、酵素を組み替えて分子多様性を生み出す合理的な設計枠組みができたことである。

糸状菌は天然物生産のための大きな酵素セットをもつ。麹菌はその遺伝子を受け入れる宿主として、日本の天然物化学で長く使われてきた。植物酵素を酵母や大腸菌へ入れる従来型のフラボノイド生産に対し、糸状菌自身の酵素群を糸状菌宿主で動かすプラットフォームは、異なる化学空間を開く可能性がある。

創薬で重要なのは「つくれること」と「効くこと」を分けること

クロロフラボニンへの関心が高い理由の一つは生物活性だ。東北大学は、結核菌や病原性真菌に対して優れた活性を示し、抗結核薬・抗真菌薬のリードとして期待されると説明している。2025年の独立した研究では、海洋由来のAspergillus candidus株からクロロフラボニンを再発見し、結核菌に対するMIC90を2.6マイクロモルと報告した。半合成した誘導体の一部は0.7〜1.0マイクロモルまで改善した。

ただし、試験管内で低濃度に効くことと、人で安全かつ有効な薬になることは別問題である。吸収、代謝、毒性、選択性、薬物動態、耐性、製剤化など、創薬には長い検証が必要だ。クロロフラボニンの生合成経路が解けた価値は、薬効が確定したからではなく、候補分子を十分な量と多様性で用意し、比較試験をできる可能性が高まったことにある。

世界保健機関(WHO)の2025年報告では、2024年に世界で約1,070万人が結核を発症し、約123万人が死亡したと推計されている。新しい抗菌骨格への需要がなくなったわけではない。その一方で、天然物の“有望”という言葉が臨床的成功を保証しないことも、創薬史が繰り返し示している。

半世紀の謎が、次の「分子をつくる道具」になった

1969年:Aspergillus candidus由来クロロフラボニンの化学構造を決定。

1970年:培養・発酵による生産条件を報告。

1973〜81年:同位体標識で炭素の由来を追い、植物とは異なる生合成ルートを提案。

2023年:東北大学が糸状菌型カルコン合成酵素CfvAとカルコン異性化酵素CfvFを解析し、麹菌フラボノイド生産基盤を構築。

2025年:別グループが抗結核活性を再評価し、クロロフラボニン誘導体を展開。

2026年:東北大学が全生合成経路、二つの平衡状態、CfvKの構造基盤を解明。46種のフラボノイド創製へ拡張。

天然物化学の歴史では、昔見つかった化合物が新しい分析技術によって再登場することがある。クロロフラボニンはその典型になった。1969年には「構造が変わった抗真菌物質」だった。1970年代には「植物と違う作られ方をするらしい分子」になった。2023年には遺伝子と酵素が見え、2026年には反応の揺らぎと選択性まで見えた。

次に問われるのは、経路をどこまで自在に設計できるかだ。CfvFの相互変換能やCfvKの選択性を改変すれば、平衡の別の出口を使えるのか。異なるメチル化酵素、ハロゲン化酵素、酸化酵素を組み合わせれば、これまで自然界になかった構造を安定して作れるのか。46種は終点ではなく、酵素を「部品」として読むための最初の実例に近い。

カビがフラボノイドを作るという事実だけでも意外だ。だが今回の研究がより深く示したのは、生物の化学が必ずしも一直線ではないことである。分子は行き来し、姿を変え、混ざる。その揺らぎの中で酵素が選択を重ねる。生命は、混乱をなくすのではなく、混乱の中から一つの化学を選び続けることで、複雑な天然物を作っている。

資料・出典

  1. 東北大学「カビがつくるフラボノイドの生合成経路を解明 ―多様なフラボノイドの微生物生産プラットフォームを構築―」 — 2026年9月2日。今回の研究概要、日本語の研究者名・肩書・専門用語を確認した一次資料。
  2. 東北大学プレスリリース本文(PDF) — CfvF、CfvI、CfvK、二つの平衡状態、46種のフラボノイド、用語定義を確認。
  3. Furumura et al., “The Biosynthesis of a Fungal Flavonoid, Chlorflavonin, Precisely Controlled by Two Types of Equilibrium States,” Journal of the American Chemical Society — 2026年8月29日。査読論文。
  4. 東北大学「糸状菌から新たなフラボノイド生合成システムを発見」 — 2023年2月27日。CfvA/CfvFと麹菌生産プラットフォームの先行研究。
  5. Furumura et al., “Identification and Functional Characterization of Fungal Chalcone Synthase and Chalcone Isomerase,” Journal of Natural Products — 2023年2月10日。
  6. Bird & Marshall, “Structure of chlorflavonin” — 1969年。クロロフラボニンの構造決定。
  7. Munden et al., “Production of Chlorflavonin, an Antifungal Metabolite of Aspergillus candidus” — 1970年。発酵生産の初期研究。
  8. Burns et al., “Biosynthesis of chlorflavonin in Aspergillus candidus: a novel fungal route to flavonoids” — 1979年。
  9. “Screening, Discovery, and Optimization of the Natural Antitubercular Chlorflavonin from a Marine-Derived Fungal Library” — 2025年。抗結核活性と誘導体のin vitro評価。
  10. WHO, Global Tuberculosis Report 2025 — 世界の結核負担の背景。

本稿は2026年9月4日未明(日本時間)までに確認できた公開資料を照合した。日本語の研究者名・読みは東北大学研究者紹介、東北大学薬学研究科資料、日本学術振興会資料を優先して確認し、浅井禎吾は「あさい・ていご」、尾﨑太郎は「おざき・たろう」、古村翔は「ふるむら・しょう」とした。クロロフラボニンは「承認薬」ではなく創薬リードであり、抗結核活性値はin vitro試験として記述した。46種のフラボノイド創製は研究室規模での生産実証であり、工業生産能力や商用収率を意味しない。

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