728,5882025年国勢調査人口
722,4752026年9月1日推計人口
−4.99%2020~2025年の人口変化
295,7662025年国勢調査の世帯数

人は減り、世帯は増える。福井の数字は、暮らしの変化を映している。

海に面し、山に守られた二つの国

福井県をひとことで説明するなら、「小さな県」では足りない。日本海に沿って越前と若狭という異なる歴史を背負い、山々の間に城下町と門前町、港町、職人の町が息づいてきた。北へ向かえば東尋坊の岩壁と越前海岸、内陸には九頭竜川流域の平野と山村があり、南西へ進めば敦賀、三方五湖、小浜、若狭湾へと風景が移り変わる。県民の暮らしも一様ではない。

1881年に現在の県域が成立してから145年。県は今日、17市町で構成され、県都の福井市と鯖江・越前などの製造業集積、坂井・あわらの農業と観光、勝山・大野の山間地域、敦賀の交通・港湾拠点、若狭沿岸の漁村や小都市が、それぞれ違う課題と強みを持つ。行政区分として一つになっても、嶺北・嶺南の呼び分けに表れる地域の多様性は消えない。

県の歴史と人口を考えることは、過去の栄光を数える作業ではない。いま住む人々が生活を続けられる条件を問うことだ。学校に通う子供、家業を継ぐ人、移住してきた家族、高齢者、県外で働く出身者――その一人ひとりが福井の未来をつくっている。

数字が示す、人口と世帯の逆方向

2026年9月29日に県が公表した2025年国勢調査の人口等基本集計によると、2025年10月1日の福井県の総人口は72万8,588人。2020年の76万6,863人から3万8,275人、4.99%減った。県によれば2000年をピークに、国勢調査人口は5回続けて減少している。

同じ五年間に世帯数は29万1,662から29万5,766へ、4,104世帯(1.41%)増えた。一般世帯の1世帯当たり人員は2.57人から2.40人に下がった。人口減少と世帯数増加は矛盾しない。小規模な世帯が増えると、住む人の総数が減っても、生活の単位としての世帯は増えうる。住宅、介護、交通、地域行事を考える際に、この違いは重要になる。

最新の月次推計では、2026年9月1日の人口は72万2,475人、世帯数は29万7,932。前月比で人口273人減、世帯205増だった。自然増減は378人減、社会増減は105人増。転入超過が出生数と死亡数の差を補い切れなかった。なお2025年国勢調査と2026年推計は基準日が異なる。後者は国勢調査を基礎に届出による変動を加減した値であり、各数字を同一調査の結果として扱ってはいけない。

項目数値・比較
2020年国勢調査人口766,863人
2025年国勢調査人口728,588人
人口差−38,275人(−4.99%)
2020年世帯数291,662世帯
2025年世帯数295,766世帯(+4,104世帯)
一般世帯の平均人員2.57人 → 2.40人
2026年9月推計人口722,475人(前月比−273人)
2026年9月推計世帯数297,932世帯(前月比+205世帯)

古代の越前・若狭と海の道

律令国家のもとで越前国と若狭国は別の地域として位置づけられた。若狭は都に海産物を届けた「御食国(みけつくに)」の伝統を持ち、海と京を結ぶ道が人と物資、信仰を運んだ。鯖街道と呼ばれる街道群の記憶は、現在の小浜の食文化にもつながっている。

越前側では山野の資源と交通路を背景に、紙、刃物、漆器、焼き物などの製造文化が育った。生産技術は突然近代工場に置き換わったわけではない。素材を選び、加工し、売り、次代へ伝える仕組みが地域の経済に積み重ねられてきた。今日の眼鏡や繊維産業を見るときも、この長いものづくりの歴史は手がかりになる。

1244年に道元が開いた永平寺は、越前の山中を禅の修行の拠点に変えた。寺院、港、工房はそれぞれ異なるネットワークを持ったが、外の世界から切り離されていたわけではない。福井の歴史は、内向きの土地の歴史ではなく、外部との往来を通じて形づくられた歴史でもある。

戦国都市・一乗谷から城下町へ

戦国期には朝倉氏が一乗谷に本拠を置き、武家屋敷、寺院、商家、庭園を備えた城下町が形成された。1573年、織田信長の軍勢に敗れた朝倉氏の支配が終わり、町は破壊された。発掘で現れた町割りと生活道具は、教科書の年表だけでは見えない住民の暮らしを今に伝える。

近世になると福井藩の城下町が発展し、徳川家とつながる松平家が藩政を担った。若狭の小浜藩なども独自の歩みを続けた。幕末の福井藩主、松平春嶽(まつだいら・しゅんがく)と藩士・橋本左内(はしもと・さない)は、幕府の改革や対外関係をめぐる政治史に名を残す。

ただし福井県の歴史を武将と政治家だけで語ることはできない。町人、農民、職人、漁業者、女性、宗教者らが、生活と交易を通して地域を支えた。歴史を読むときの視点も、支配者の系譜から普通の人々の記録へと広げたい。

1881年、現在の県は一度では生まれなかった

明治の廃藩置県によって、旧藩の領域がそのまま現在の福井県になったわけではない。1871年の制度変更後、足羽県、敦賀県などの再編があり、北部が石川県、南部が滋賀県に編入された時期もあった。1881年2月7日、両地域を合わせた現在の福井県が成立する。

県の「ふるさとの日」が2月7日なのはこのためだ。県内で歴史的な一体感が自明でなかったことを物語る事実でもある。嶺北と嶺南では商圏、鉄道のつながり、文化、言葉に違いがあり、現代の医療・教育・交通の仕組みを考える際にも無視できない。

現在の県庁所在地・福井市だけを中心に据えると、若狭や奥越の声が薄くなる。県全体を語るためには、それぞれの地域が何を大切にし、何を必要としているかを聞き分ける必要がある。

焼け跡と震災から再び立ち上がった都市

1945年の空襲で福井市は大きな被害を受けた。戦後の復興途上にあった1948年6月28日、福井平野をマグニチュード7.1の地震が襲う。地震調査研究推進本部と福井地方気象台が掲げる被害は、死者3,728人、負傷者2万1,750人、家屋全壊3万5,382棟。数値の大きさは、失われた個々の生活の総和でもある。

復興は道路や建物を造り直すだけでは済まなかった。職場を取り戻し、学校を再開し、住宅を確保し、地域の結びつきを再構築する仕事が続いた。福井市が「不死鳥(フェニックス)」を復興の象徴としてきた背景には、こうした重なり合う災厄の記憶がある。

災害の記録は過去の一章ではない。活断層や豪雪、豪雨への備え、暮らしのインフラをどう維持するかという今日の政策に直結している。福井の強さを語るなら、被害を抽象的な「試練」に美化せず、命の損失と復興に要した努力を忘れてはならない。

製造業、港、農地――同じ県でも異なる経済

福井のものづくりは全国的に知られる。鯖江の眼鏡、越前の和紙や刃物、産業用へと用途を広げた繊維は、それぞれ異なる技術の蓄積を持つ。一方で、福井平野の稲作、若狭の水産業、敦賀港をめぐる交通、沿岸のエネルギー産業も地域経済の一部だ。

若い世代が地域に残るかどうかは、求人の数だけで決まらない。仕事の選択肢、賃金、職場での成長可能性、住まい、保育、学校、通勤の負担、家族との関係が重なる。製造業が強い県であっても、都市部との所得差や専門職の求人不足などは個別に検証する必要がある。

企業が新しい設備や海外市場に挑む際、地域の教育機関や技能継承が支えとなる。人口減少は単純に生産力の低下を意味するものではないが、担い手が減る分野で誰が技術と事業を引き継ぐのかは避けて通れない問いである。

人口移動を「出て行く人」だけで語らない

2026年8月の1か月間、福井県は社会増105人を記録した。一方、自然減は378人だった。社会増の中には県外からの移動や外国人を含むが、月次の一時点だけで人口流出が止まったと結論づけることはできない。

外国人住民や県外からの移住者も、地域社会の担い手だ。越前市などではブラジルにルーツを持つ人々を含む多文化の暮らしが定着し、学校、自治会、医療、通訳、企業の受け入れ体制が重要になっている。人口対策を労働力の確保だけで語れば、子供の教育や地域参加という暮らしの課題が抜け落ちる。

一方で、県外に暮らす福井出身者とのつながりも重要だ。帰郷、二地域居住、遠隔勤務、事業承継――人が地域と関わる形は一つではない。政策を評価するには、移住件数以上に定着や生活の質を見続ける必要がある。

新幹線が近づけた距離、残された距離

北陸新幹線は2024年3月16日、金沢―敦賀間が開業した。福井、越前たけふ、敦賀などへの都市間移動が変わり、県外からの観光や商談を促す条件になった。しかし列車が速くなっても、駅から離れた山間部や海沿いの集落の交通が自動的に便利になるわけではない。

公共交通、地域医療、学校の統廃合、除雪、買い物の手段は人口の薄い地域ほど切実だ。新幹線で訪れる人が増えるなら、その利益が沿線の店舗だけでなく周辺の町にも届くかを確かめたい。

鉄道の開業効果を測る際には、乗客や観光客の増加と、居住人口や地域所得の長期的変化を分けて考える必要がある。便利になったことは重要な成果だが、便利さが直ちに定住を保証するものではない。

福井が自分の未来を描くために

人口が減った県を、ただ衰退の物語に押し込むことはできない。美しい海岸、山間の集落、寺院、工房、研究施設、地元の学校、多様な家庭。これらは観光パンフレットの項目ではなく、人が仕事と人生を築いてきた場所だ。

2025年国勢調査が示したのは、人口減少が続くという厳しい現実と、世帯の形が変わり続けているという社会の変化だった。これから必要なのは「人口を何人に戻すか」という数字だけでなく、どの地域にどの機能を残し、誰が意思決定に参加できるかを問うことだ。

福井の歴史は変化への適応の歴史でもある。越前と若狭が一つの県になるまでにも時間がかかった。産業は姿を変え、町は災害から立ち直り、人の行き来も変わった。次の変化を、県民の生活にとってより良いものにできるか。答えを決めるのは、これからの福井に暮らす人々である。

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出典・参考資料

  1. 福井県・2025年国勢調査人口等基本集計(2026年9月29日)
  2. 福井県・2026年9月1日推計人口(2026年10月9日更新)
  3. 福井県・2025年人口統計年報
  4. 国土交通省福井河川国道事務所・福井置県の歴史
  5. 福井県・ふるさとの日と県成立
  6. 地震調査研究推進本部・福井県の地震活動
  7. 福井地方気象台・県内の地震災害
  8. 福井県・北陸新幹線金沢~敦賀間開業
  9. JRTT・北陸新幹線金沢~敦賀間
  10. 福井県・人口統計年次推移と市町村別統計