海の豊かさは、数字一つでは測れない
愛媛県の海岸には、潮が引くと現れる小さな生き物の世界がある。岩場の隙間に暮らす甲殻類、藻場で育つ稚魚、干潟を利用する鳥たち。海を「眺めのよい景色」としてだけ見れば、これらの生き物の危機は気づかれにくい。県が2026年1月に公表した「愛媛県レッドリスト2025」は、そんな見落としを防ぐための記録だ。
一覧の合計は改訂前も改訂後も1,801。ところが、絶滅危惧Ⅰ類は639から643へ4増え、絶滅危惧Ⅱ類は426から423へ3減った。数字が横ばいでも、個々の種の状況は変化している。何が危機に瀕しているのかを読むには総数だけでなく、その内訳を見る必要がある。
2025年版が2026年に確定した理由
正式名称は「愛媛県レッドリスト2025」。野生動植物専門部会が2025年7月3日に改訂案を承認し、「えひめの生物多様性保全推進委員会」が2026年1月16日に決定した。県自然保護課が内容を発表したのは同月28日である。2026年10月の「新しいレッドリスト」と称するのではなく、2025年版の確定と公表という時系列を示すのが正確だ。
県の公開ページは公表資料の数値に誤記があり訂正したことも明記している。本稿のカテゴリー別集計は修正後の県資料に基づく。分類変更、追加、削除、学名変更を一律に「絶滅危惧種が増えた」と扱わない。
何が変わったのか――鳥類5種と海産動物1種
県の発表資料によれば、メボソムシクイ、エゾムシクイ、カヤクグリ、ビンズイの4種は絶滅危惧Ⅱ類から絶滅危惧Ⅰ類へ移された。県は2014年版の刊行時と比べて個体数や生息地が極めて著しく減ったと説明する。ヤマセミも準絶滅危惧から絶滅危惧Ⅱ類に変更された。
海産動物ではテナガツノヤドカリが新たに「情報不足(DD)」として追加された。これは絶滅が確定したという意味ではなく、適切な危険度を判断する情報が不足していることを示す。ノスリの一分類群はリストから削除され、鳥類23種には学名などの変更があった。評価項目の動きを混同してはいけない。
絶滅危惧Ⅰ類と「情報不足」は別の警告
絶滅危惧Ⅰ類は県内で絶滅する危険性が高いと評価された区分であり、Ⅱ類や準絶滅危惧とは意味が異なる。一方、情報不足は安全を示す認定でも、絶滅の証拠でもない。調査を重ねなければ危険度そのものが判定しづらい状態だ。
この違いは政策の優先順位に直結する。危機が明らかな種には保護を急ぎ、情報の乏しい種には分布調査や観察の継続が必要になる。レッドリストは個々の動物の「人気投票」ではなく、知識の不足も明るみに出す意思決定の資料だ。
2014年の本から、更新し続ける名簿へ
愛媛県は2014年に「愛媛県レッドデータブック」を改訂し、当時の掲載種を1,773と説明していた。分野別の生態や分布をまとめた資料は、県内で自然を守るための基盤となった。しかし書籍の情報を固定したままでは、分布の変化や分類学の進展に追いつけない。
県は2020、2022、2024、2025という改訂版の履歴を公表している。旧来の2014年版にある記述と新しい分類が食い違うときは、最新版の記述を優先する仕組みだ。長期比較では調査方法や分類の変更が見かけの増減に影響する可能性も考慮したい。
瀬戸内海を支える藻場と干潟
藻場は魚介類が身を隠し、産卵や成長をする場所となる。干潟は多様な底生生物を支え、水質浄化にも関わる。沿岸を大きく改変すると、海の表面からは見えない生き物の「生活の場所」が失われる。漁業や観光の基盤と生物多様性は、必ずしも別の話ではない。
環境省は長期的には瀬戸内海の藻場・干潟が大きく損なわれてきたと記録している。一方で2022~23年度の衛星画像と現地調査では、2015~17年度と比べた瀬戸内海全域の藻場面積は約9%、干潟は約8%増加したと報告した。過去の減少と近年の一部回復を区別しなければならない。
「瀬戸内海で増えた」だけでは愛媛を説明できない
環境省の直近の全域調査では、藻場16,963ヘクタール、干潟11,971ヘクタールという規模が示された。だが東側では藻場が概ね増え、西側では減少したという地域差がある。愛媛の海を理解するために全域平均だけを借用するのは危険だ。
水温上昇や藻類を食べる魚の影響などが報告されるものの、面積変動の原因を単一要因に断定できないことを環境省も認めている。さらに調査方法が異なる時代の数字を安易につなげれば、存在しない回復や悪化の物語を作ってしまう。
産業の海でもある愛媛の沿岸
松山、今治、西条、新居浜、四国中央には港湾と産業施設が連なる。造船、物流、化学、製紙、養殖、沿岸漁業といった営みは、海の近さがあって発展してきた。瀬戸内海の生態系保全を産業活動から切り離すことはできない。
企業に必要なのは保全を広告表現に用いることだけではない。取水や排水、護岸工事、港湾整備、調達といった日常の判断を、地域ごとの生息環境に照らして見直すことだ。個別企業の行為が今回の鳥類の分類変更を引き起こしたという根拠は確認されていない。
里海という考え方
人が手を入れる場所は自然ではない、と単純には言えない。漁業者や地域住民が利用しながら管理してきた沿岸を「里海」と捉える考え方は、自然環境と暮らしを対立だけで語らない。藻場造成や干潟再生には、現場で継続的に環境を調べる仕組みが欠かせない。
2022年施行の改正瀬戸内海環境保全特別措置法や政府の基本計画は、藻場・干潟の保全だけでなく再生・創出を政策課題として位置づけた。だが造成した面積だけで成功を判断せず、海草が定着するか、魚や底生生物が戻るかを追う必要がある。
気候変動を論じるときの慎重さ
高い海水温、極端な降雨、土砂の流入、海流の変化は沿岸の生物群集に影響し得る。これらは重要な研究課題であり、長年の観測が必要になる。ただし今回リストで区分が変わった鳥類5種のそれぞれについて、気候変動が唯一の原因だとする証拠は県の発表資料にはない。
特定の種に何が起きたのかを追うには、生息地の変化、調査努力、移動経路、採餌環境などを種ごとに検証しなければならない。「気候危機だから絶滅が進んだ」と一文で片づければ、県の詳しい分類作業をかえって見えなくする。
調査者と地域住民がつくる知識
野鳥の観察記録、海岸での定点調査、標本の再検討、地域の漁業者が気づく変化。保全に使える知識は研究機関だけでなく、地域の継続した観察からも生まれる。ただし目撃談は記録方法や位置情報を確かめ、専門家の評価につなぐ必要がある。
希少種の正確な生息地を不用意に公開することは採集や攪乱の危険にもつながる。県の公開資料と研究者の助言を踏まえ、何を公開し、何を伏せるかも責任ある報道と調査の一部になる。
次の10年に残す海
愛媛のレッドリストは1,801という単一の数字で終わる資料ではない。新たな海産動物の追加、鳥類の危険度の見直し、なお残る情報の空白が、それぞれ異なる行動を求める。沿岸の自然を守ることは、経済活動を一律に止めることとも、回復を楽観視することとも違う。
次に確かめるべきなのは、県内のどの場所で生息環境が変わり、どの施策が本当に生き物を支えたかということだ。瀬戸内海の美しさは遠くの島影だけでは決まらない。その足元で命がつながる条件を、どれだけ残せるかにかかっている。
出典・参考資料
- 愛媛県自然保護課「愛媛県レッドリストの改訂について」
- 愛媛県自然保護課「愛媛県レッドリストの改訂について」2026年1月28日発表資料
- 愛媛県「愛媛県レッドデータブック2014」
- 環境省「瀬戸内海における藻場・干潟分布状況調査の結果について」2024年7月9日
- 環境省「藻場・干潟の状況」
- 環境省「今後の里海づくりのあり方検討会」
- 環境省「令和4~5年度 瀬戸内海における藻場・干潟分布状況調査結果」
注:レッドリスト掲載数は愛媛県2026年1月28日付修正後資料。瀬戸内海面積は環境省の海域全体の調査値であり、愛媛県沿岸だけの数値ではありません。
