工場が一つ建つだけなら、自治体が変えるのは道路、上下水道、住宅、交通の容量かもしれない。だが北海道千歳市が直面しているのは、それより大きな変化だ。Rapidus(ラピダス)の2ナノメートル世代ロジック半導体拠点IIM(イーム)を核に、関連企業、研究者、出張者、学生、データセンター、公共交通までが同時に動き始めている。2026年9月2日、千歳市とNTTドコモビジネス株式会社が締結した包括連携協定は、その変化を「AI Native City CHITOSE」という一つの都市構想にまとめようとする試みである。
「AIを使う市」ではなく「AIを前提に設計する市」
NTTドコモビジネスの公式定義は明確だ。「AI Native City CHITOSE」は、次世代半導体と次世代ICTインフラを核に、AI活用を前提としたまちづくりを進め、千歳を世界最先端の都市へ近づける構想である。協定は、単に市役所へ生成AIを導入する話ではない。
連携分野は四つに整理された。第一は、次世代半導体とAIを活用した産業振興。研究開発環境を整え、国内外の大学、研究機関、企業をつなぐ。第二はAI・データを使うまちづくりで、自動運転やフィジカルAI、市民サービスを想定する。第三は自然との共生で、AIやセンサーによる環境モニタリング、ゼロカーボン、ネイチャーポジティブを掲げる。第四は人材育成と地域活性化で、半導体・AI人材の育成と産官学の人材循環を目指す。
この四つを一つの都市計画として束ねるところが、従来型の「スマートシティ」と少し違う。技術実証を別々に置くのではなく、半導体を製造する産業そのものと、市民が使う交通・行政・環境データを同じ成長戦略に置く。成功すれば、工場誘致が都市OSの更新へつながる。
出発点は2023年、Rapidusが千歳を選んだことだった
Rapidusは2022年8月に設立され、2023年2月に次世代半導体の研究製造拠点を千歳市へ置く方針を決めた。IIM-1は千歳市美々の工業団地「千歳美々ワールド」に立地し、2023年9月に着工。2024年12月には日本初の量産対応EUV露光装置ASML「NXE:3800E」の搬入が始まり、2025年4月にパイロットラインが稼働した。
2025年7月には、2nmノードのGAA(Gate-All-Around)トランジスタで電気特性を確認したとRapidusが発表した。2026年4月にはIIM-1隣接の解析センターと、セイコーエプソン千歳事業所内の後工程研究開発拠点Rapidus Chiplet Solutions(RCS)を開所。会社は2027年の量産開始を目標に掲げている。
これはまだ量産成功を意味しない。先端ロジックの商用量産には歩留まり、信頼性、顧客設計の適合、量産設備、資金調達などが必要で、Rapidus自身も2027年へ向けた課題を認めている。それでも、IIMは「予定地」から実機が動く研究製造拠点へ進んだ。都市側も、工場ができるかどうかを待つ段階から、工場が生む人流と産業集積を受け止める段階へ移った。
人口10万人の街に、7,800人分の新しい圧力
千歳市の将来ビジョンが示す数字は、都市政策にとって重い。市は、Rapidus、装置メーカー、その他サプライチェーン企業の従業員と家族の転入などにより、約7,800人の人口増加効果があると推計する。人口のピーク時には約102,000人規模、概要版のグラフでは102,246人を見込む。
さらに、IIM建設工事関係者、装置メーカー、研究関係者などの一時滞在者が恒常的におおむね2,000人以上存在する局面を想定し、2040年までの累計で1,423億円の消費増加効果を見込む。2025年の将来ビジョン策定過程では、国内の半導体関連企業4,000社へのアンケートや、主要企業・団体126先への延べ200回以上のヒアリングも実施した。
これは歓迎すべき成長であると同時に、住宅、家賃、通勤、保育、医療、学校、多言語対応、道路、上下水道へ圧力をかける。半導体クラスターが成功しても、住民が渋滞や住宅不足だけを感じるなら都市政策としては失敗になり得る。「AI Native City」が試されるのは、最新技術の数ではなく、この成長圧力を暮らしやすさへ転換できるかどうかだ。
千歳はもともと「空港と工業」の都市だった
千歳はゼロから産業都市になるわけではない。市内には11の工業団地があり、自動車、電機、食品、飲料、物流、研究施設など多様な業種が立地する。市は2026年度の市政方針で「280社を超える企業」が工業団地に立地すると説明している。
最大の地理的資産は新千歳空港だ。2025年度の乗降客数は国内線約2,149万人、国際線約453万人、合計約2,602万人と市が報告し、2年連続で過去最高を更新した。半導体装置や技術者が世界を行き来する産業にとって、国際空港に近いことは単なる観光上の利点ではない。
一方、市は新千歳空港と自衛隊の存在とともに発展してきた歴史を持ち、支笏湖、農業、豊富な水、工業団地が同居する。巨大な半導体クラスターが生まれることで、この既存の都市構造へ高付加価値の研究製造機能が重なる。AI Native Cityは、その「次の層」をどう設計するかという話でもある。
NTTは2024年から「HOKKAIDO IOWN CAMPUS」を準備していた
今回の協定は突然出てきたものではない。NTTコミュニケーションズは2023年12月に「北海道次世代産業振興・まちづくりPT」を発足し、2024年7月に千歳市へ拠点を開設。8月には「HOKKAIDO IOWN CAMPUS」を発表した。なお、NTTコミュニケーションズは2025年7月1日に社名をNTTドコモビジネスへ変更している。
HOKKAIDO IOWN CAMPUSは、①半導体産業クラスタ、②IOWN産業クラスタ、③学術機関クラスタの三つを束ねる。半導体企業の設計・開発・製造を支える情報基盤、IOWNを使う新しい産業用途、自動運転や除雪、CO2可視化、そして大学を含む人材育成を同じ北海道内で回す構想だ。
つまり、9月2日の協定は「NTTが市役所のITを受注する」程度の話ではない。NTT側は通信、データセンター、AI基盤、自治体DX、自動運転、地域人材という複数の事業を、Rapidus周辺の産業集積と接続しようとしている。
IOWNは何を変えるのか
IOWNは「Innovative Optical and Wireless Network」の略で、NTTが進める光技術中心の次世代情報通信基盤構想である。代表的な構成要素の一つがAPN(All-Photonics Network)で、通信区間を光のまま扱うことで大容量、低遅延、低消費電力を目指す。
半導体産業との相性は分かりやすい。回路設計、マスク補正、シミュレーション、AI、製造データ解析は巨大な計算能力を必要とする。NTTドコモビジネスは2026年4月、Rapidusへ液冷方式の「Green Nexcenter」を提供すると発表した。高発熱のHPCサーバーを冷却し、設計・検証・製造プロセスの計算を安定化し、TAT(Turn Around Time)の短縮へつなげる狙いだ。
同時にNTTドコモビジネスは、AI時代のICT基盤を「AIOWN」として展開している。AI-Centric ICTプラットフォームを中核に、計算資源、ネットワーク、運用をAI需要に合わせて最適化する発想である。AI Native City CHITOSEは、都市側から見ればAI利用の話だが、裏側では「AIを動かす計算と通信のインフラをどう配置するか」という産業インフラの話でもある。
自動運転は、すでに雪道で試されている
未来都市の構想で最も目に見える実証は自動運転バスだ。2026年1月、NTTドコモビジネスを代表機関とするコンソーシアムは千歳市、公立千歳科学技術大学などと、豪雪・寒冷地での大型バス自動運転試験を実施した。
運行区間には、新千歳空港―千歳駅の循環に加え、新千歳空港―Rapidus前の循環があり、途中に公立千歳科学技術大学前を置いた。つまり、空港、大学、半導体工場という「新しい千歳」の主要点を実際の交通実証でつないだ。
車両は自動運転レベル2であり、完全無人のレベル4ではない。試験ではIOWN APN、高度WiGig、5G/LTE、5Gワイド、docomo MECを組み合わせ、道路灯や信号機、車載LiDARなどから得る積雪・路面情報を処理し、除雪状況に応じて走行経路へ反映する仕組みを検証した。NTTドコモビジネスは将来的なレベル4社会実装を目指すとしている。
この区別は重要だ。「AI Native City」が自動運転を実現したのではなく、千歳はすでに技術検証を重ねており、その成果を都市全体の戦略へ位置付け直したのである。
自然を「守る対象」から「測るインフラ」へ
千歳の将来ビジョンが掲げる三つの都市コンセプトは、「新たな発想が創出されるまち」「自然と人が共存するまち」「テクノロジーにより暮らしが向上するまち」である。AI Native Cityは三つ目だけではなく、二つ目にも関わる。
9月2日の協定は、AIやセンサーによる自然環境の可視化・モニタリング、ゼロカーボンシティ、ネイチャーポジティブを明記した。半導体工場は大量の水、電力、薬品、物流を必要とする。千歳は支笏湖や千歳川など豊かな水環境を持つ一方、その自然条件自体がRapidusの立地価値の一部でもある。
環境センサーを増やせば自動的に自然と共生できるわけではない。重要なのは、何を測り、誰がデータを管理し、基準を超えたとき誰が行動するかである。水質、生物多様性、エネルギー消費、交通量、CO2排出などを都市データとして扱うなら、公開範囲と責任の設計も同時に必要になる。
人材は工場の外で育てなければならない
先端半導体の産業集積は、装置メーカーだけでは完成しない。設計、材料、分析、物流、IT、施設管理、研究、教育まで人材が必要になる。千歳市の将来ビジョンは、公立千歳科学技術大学の機能拡充や産官学連携を重視する。大学はRapidus進出を契機に半導体関連の技術研究・人材育成を目的とするシリコンリサーチセンターを設置している。
HOKKAIDO IOWN CAMPUSも、学術機関クラスタを独立した柱に置いた。都市側から見ると、大学は単なる人材供給源ではなく、企業と市民の間に研究成果を流す中継点になる。国内外の研究者が千歳へ来て、企業と共同研究を行い、学生が就職し、一部がスタートアップをつくる。その循環が起きなければ、工場はあってもクラスターにはならない。
「AI Native City CHITOSE」を構成する四つの層
| 層 | すでに動いているもの | 今後の構想 |
|---|---|---|
| 半導体・研究 | IIMパイロットライン、2nm GAA試作、解析センター、RCS | 2027年量産、共同研究基盤、関連企業・ファブレス集積 |
| 通信・計算 | IOWN APN実証、Rapidus向け液冷データセンター | AIOWN、産業横断データ連携、光コンピューティング活用 |
| 都市・交通 | 雪道を含むレベル2自動運転バス実証 | 自動運転の社会実装、AI・ロボットを使う市民サービス |
| 自然・人材 | 千歳市将来ビジョン、公立千歳科学技術大学との連携 | 環境モニタリング、ネイチャーポジティブ、半導体・AI人材循環 |
都市データが増えるほど、ガバナンスも必要になる
AI Native Cityが現実化すれば、道路の積雪、公共交通、環境センサー、行政手続き、研究設備、産業データなど、異なる所有者のデータを連携する場面が増える。9月2日の発表も、将来的に「産業横断型データ連携基盤」の整備を検討するとしている。
ここには技術より難しい問題がある。市民データを企業がどこまで扱うのか。産業データと行政データをどう分離するのか。AIの判断に誤りがあった場合、誰が説明責任を持つのか。サイバー攻撃で交通や行政サービスが止まらない設計になっているか。今回の協定はこうした制度の詳細を示していない。
「AIネイティブ」という言葉が都市の信頼を得るためには、便利さだけでなく、データ最小化、セキュリティー、監査、透明性、非デジタル手段の確保まで含めた統治モデルが必要になる。
Rapidusが成功しなければ、都市戦略も組み替えが必要になる
千歳の将来像はRapidusの成功を強く前提にしている。市の将来ビジョンにあるIIM-2以降の稼働時期や産業集積の一部は、市自身が「現時点の想定でありRapidusからの情報ではない」と注記している。2030年代まで続く工場増設や関連企業集積は予測であり、確定した投資計画ではない。
Rapidusが2027年に量産を立ち上げ、顧客を獲得し、歩留まりを高められれば、千歳には装置、材料、設計、物流、研究開発がさらに集まる可能性がある。逆に量産の遅延や顧客獲得の停滞があれば、人口・消費・土地需要の予測も変わる。都市計画は、一企業のスケジュールに依存しすぎない柔軟性を持つ必要がある。
その意味で、NTTとの協定が交通、環境、人材、市民サービスまで対象にしたことは重要だ。半導体工場が中心にあっても、構築する通信・データ・人材基盤が他の産業や市民にも使えるなら、投資の価値はRapidus一社を超える。
成功を測る物差しは、チップの線幅だけではない
2nmはわかりやすい数字だ。しかし都市の成功に「2nm」のような単一指標はない。人口が増えても住宅費が急騰すれば暮らしやすさは落ちる。自動運転が走っても既存のバス路線が細れば不便になる。AIサービスが増えても高齢者や外国人が使えなければ格差は広がる。工場が増えても自然環境への負荷が見えなければ、市民の信頼は続かない。
千歳市自身の将来ビジョンは、最終的に「新たな発想」「自然との共存」「テクノロジーによる暮らしの向上」の三つを並べている。AI Native City CHITOSEが意味を持つのは、この三つを同時に前へ進められる場合だ。
千歳は空港の街として世界とつながり、工業団地の街として企業を受け入れ、今は最先端半導体の街へ変わろうとしている。次の段階は、工場の周囲に技術を足すことではない。工場の成長速度に合わせて、交通、自然、人材、行政を再設計できるかである。
「AIネイティブ都市」という名前は未来的だ。だが、本当の試験は極めて日常的になる。朝のバスが来るか。住宅が足りるか。水と自然が守られるか。子どもが地元で先端技術を学べるか。新しい企業の利益が市内へ循環するか。そこで結果が出て初めて、千歳はAIを「使う」街から、AIと半導体を都市の能力へ変えた街になる。
資料・出典
- NTTドコモビジネス「NTTドコモビジネスと千歳市、次世代半導体産業振興およびまちづくりに関する包括連携協定を締結」 — 2026年9月2日。『AI Native City CHITOSE』の定義、4分野の連携事項、今後の展開を確認。
- 千歳市「千歳市将来ビジョン」 — 2025年2月策定。半導体産業集積を踏まえた人口、消費、都市機能、自然共生、技術活用の方向性。
- 千歳市「千歳市将来ビジョン 概要版」 — 人口約7,800人増、ピーク約10万2,000人、2040年まで累計1,423億円の消費効果などの市推計。
- Rapidus「半導体開発製造拠点 IIM(イーム)」 — IIMの正式名称、所在地、2023年起工、2025年4月パイロットライン稼働、2027年量産開始予定、EUV設備を確認。
- Rapidus「会社概要・沿革」 — 2025年7月の2nm GAAトランジスタ動作確認、2026年の解析センター・RCS開所など。
- Rapidus「政府と民間から総額約2,676億円の資金調達」 — 2026年2月の政府・民間資金調達と2027年量産移行の資本面。
- NTTドコモビジネス「HOKKAIDO IOWN CAMPUS」 — 半導体産業クラスタ、IOWN産業クラスタ、学術機関クラスタという事業コンセプト。
- NTTドコモビジネス「豪雪・寒冷地における自動運転バスの安定走行モデル実証を千歳市で開始」 — 新千歳空港、千歳駅、公立千歳科学技術大学、Rapidus付近を結ぶレベル2実証とIOWN APN、MEC、積雪データの活用。
- NTTドコモビジネス「最先端半導体企業Rapidusへ液冷データセンターを提供」 — RapidusのHPC向けGreen Nexcenter、液冷、TAT短縮支援を確認。
- NTTドコモビジネス「AIネイティブインフラ『AIOWN』の展開」 — AI-Centric ICTプラットフォーム、AI時代のインフラ最適化、IOWN光コンピューティングの位置づけ。
- 千歳市「令和8年度市政執行方針」 — 新千歳空港、自衛隊、工業団地、支笏湖、Rapidusを含む千歳市の産業・都市構造と新工業団地整備。
- 千歳市「令和8年6月市長行政報告」 — 新千歳空港の2025年度乗降客数約2,602万人など、都市の交通・国際結節機能を確認。
- 千歳市「千歳市工業団地」 — 市内11工業団地と多様な産業立地の背景。
本稿は2026年9月3日午前2時24分(日本時間)までに確認できた公開資料を照合した。日本語の会社名、事業名、専門用語は千歳市、NTTドコモビジネス、Rapidusの一次資料を優先して確認した。「AI Native City CHITOSE」は9月2日の包括連携協定で両者が実現を目指す構想として扱い、市全域で既に実装済みとは記述していない。自動運転バスは2026年1月時点の実証がレベル2であり、レベル4は将来目標として区別した。千歳市の人口約7,800人増、ピーク約10.2万人、消費効果1,423億円は将来ビジョンに基づく市の推計であり、確定値ではない。IIM-2以降の一部時期は市の想定で、Rapidusの公式計画ではない。
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