サッカー選手の「成長」は、何を測れば見えるのか。走行距離が増えた。スプリント回数が伸びた。最高速度が上がった。それだけでは、相手を一歩で外す加速、守備で身体を止める減速、ボールと相手を見ながら切り返す方向転換の質までは説明しにくい。
アシックスとヴィッセル神戸は9月15日、サッカー選手のパフォーマンス向上を目的とした共同研究を始めたと発表した。最初の対象は「U-21 ヴィッセル神戸」。アシックススポーツ工学研究所で計測を開始し、単発のテストではなく、継続的な測定によって選手の変化を追う。ヴィッセル神戸側は、トレーニングの質向上と成長過程の数値化・可視化、アカデミーを含む次世代選手育成への還元を目指すとしている。[1][2]
発表の言葉には期待が並ぶ。しかし、ここで最初に分けておきたいのは、データを取ることとデータによって選手が良くなることは同じではない、という点だ。測定は変化を見つける道具になる。原因を証明するには、その変化がトレーニング、成長、疲労、けがからの回復、測定誤差、靴、ポジション、試合機会のどれによるものかを慎重に切り分ける必要がある。
共同研究はU-21ヴィッセル神戸の選手を対象に、継続的な動作計測・解析を行う。加速、減速、方向転換など競技上重要な動作と、選手の成長を捉える指標を探る。一方、対象人数、具体的なセンサー、計測頻度、評価項目、研究期間、統計解析、データ所有・公開方針は9月15日の発表では示されていない。したがって、現段階は「研究開始」であって、効果を示す結果発表ではない。[1][2]
なぜ「走った距離」だけでは足りないのか
サッカーの体力データは、長い間、総走行距離、高速走行距離、スプリント回数などで語られてきた。分かりやすく、試合や練習の負荷を全体像として比較しやすい。しかし実際のプレーでは、一定速度で長く走り続けるより、止まり、出て、向きを変え、また止まる動作が連続する。
アシックスとヴィッセル神戸が発表で繰り返し挙げたのが「加速・減速・方向転換」だ。ヴィッセル神戸は、従来注目されてきた走行距離やスプリント回数に加え、より深層的な動作解析を行うとしている。[2]
この着眼点には研究上の裏付けがある。42研究をまとめたシステマティックレビューでは、サッカーの加速・減速要求は練習メニュー、ポジション、週内の時期などによって変わり、小人数ゲームではランニング中心のメニューより加減速負荷が高くなる傾向が報告された。[10] 同じ「10キロ走った」選手でも、その10キロをどう作ったかで身体への要求は変わる。
ただし、「細かく測れば真実に近づく」とも限らない。加速度は速度差を時間で割るため、位置情報のわずかな揺れやフィルター処理の違いに敏感だ。データが細かくなるほど、測定手法の統一が重要になる。
サッカーデータの難しさは、数字が簡単に「違う数字」になること
加速・減速データを扱った276研究のスコーピングレビューでは、60%の研究がデータをどのように導出し、どのような手順でクリーニングしたかを十分に示していなかった。閾値や処理方法の不統一は、研究間比較を難しくする。[11]
GPS機器そのものにも注意が必要だ。2013年の検証研究では、同一ブランドでも機種や個体によって高加速・高減速回数に大きな差が生じ、ソフトウェア更新でも結果が変化した。研究者は、加速・減速指標を比較する際に慎重さが必要だと結論づけた。[12]
さらに2026年のプロサッカー高強度移動研究のレビューでも、GPSの絶対閾値が主流で、個人化や戦術・ポジション文脈との統合はまだ限定的だと整理された。トレーニングが試合要求、とくに非先発選手の要求を十分再現できていない例もあった。[13]
①同じ選手を同じ条件で繰り返すこと。②機器・閾値・データ処理をできるだけ固定すること。③「加速が増えた」を、ポジション、練習内容、試合出場、成長段階と一緒に読むこと。数字単体より、比較可能な仕組みの方が重要になる。
継続計測の強みは「平均との差」より「本人の変化」を見られること
今回の研究で最も重要な言葉は「継続的」かもしれない。U-21世代では、筋力、体格、動き方、出場機会、役割が短期間に変わる。一度だけ研究所で測って「この選手は方向転換が速い」と評価しても、その結果が半年後まで続く保証はない。
同じ選手を繰り返し測れば、「チーム平均との差」だけでなく「本人の過去との差」を追える。トップ速度が変わらなくても、同じ速度へ到達する時間が短くなるかもしれない。減速後の次の一歩が速くなるかもしれない。左右の切り返し差が縮まるかもしれない。
竹村周平スポーツ工学研究所長は、U-21世代を継続的に計測・解析できること自体に大きな価値があると説明している。[1] その価値は、「将来のスターを数値で予言する」ことではない。選手の変化を、コーチの記憶や印象だけでなく、同じ尺度で時間軸に置けることにある。
研究対象がU-21なのは偶然ではない
2026/27シーズンに始まったU-21 Jリーグは、日本サッカーが長く抱えてきた「18歳以降の試合機会」の問題に対応する新制度だ。Jリーグは19~21歳を、プロ選手としての可能性を高めるうえで重要な時期と位置付け、「年間を通じて90分出場できる機会」「試合→休息→トレーニング→試合のサイクル」「観客のいる真剣勝負」を確保する目的を掲げた。[4][6]
ヴィッセル神戸もWESTの5クラブの一つとして参加している。クラブのU-21ページは、この大会を「若き才能の挑戦の舞台」と説明する。[5] 8月23日の初戦ではV・ファーレン長崎に4-0で勝ち、いぶきの森球技場で272人が観戦した。[15]
研究にとって、このリーグは都合のよい現場になる可能性がある。試合が継続し、練習と休息のサイクルがあり、選手は「研究のためだけの動作」ではなく実戦へ向けて成長する。ただし、リーグ開幕と研究開始が近いからこそ、試合経験の増加そのものが身体・技術の変化を生む。研究はトレーニング介入と自然な成長を区別しなければならない。
ヴィッセル神戸が欲しいのは「測定値」より育成の指針
クラブの発表は、研究成果をU-21だけに閉じず、アカデミー所属選手を含む次世代育成へ役立てたいとしている。千布勇気代表取締役社長は、より精緻で一人ひとりに寄り添った「成長の指針」を提供し、神戸から世界で活躍する選手を生む育成モデルへつなげたいと説明した。[2]
ヴィッセル神戸のパートナー向け公式データによれば、2026年5月末までにアカデミーからプロ選手107人を輩出したとしている。これはクラブ自身の集計であり、研究成果とは無関係だが、クラブが育成を事業と競技の両方で重視してきた背景を示す。[14]
実際に使える指標は、コーチが行動を変えられる指標でなければならない。「この選手の方向転換指数は82」と表示されても、メニューをどう変えるか分からなければ価値は小さい。「左へ切り返す前の減速が遅い」「疲労時に一歩目が落ちる」「同じ練習負荷でも回復に個人差がある」といった形に翻訳できて初めて、トレーニング設計へ戻せる。
データはコーチを置き換えるのではなく、問いを増やす
サッカーは、陸上競技の100メートルのように、数値が競技結果そのものになる種目ではない。最高速度が速い選手が常に良いフォワードとは限らない。切り返しが速くても、ボールを失えば意味がない。走行負荷が少なく見える選手が、ポジショニングで無駄な走りを減らしている場合もある。
だから動作データの役割は「この選手は良い/悪い」を決めることより、コーチに新しい問いを返すことだ。なぜこの選手は同じ練習で減速負荷が高いのか。なぜ試合の終盤だけ左右差が広がるのか。技術の問題か、筋力か、疲労か、役割か。そこから映像、本人の感覚、医学・フィジカル情報、試合文脈を重ねる。
データがサッカーを説明するのではない。良いデータは、コーチと選手がより良い質問を作るための材料になる。
アシックスには、神戸で「動きを製品にする」前史がある
この共同研究は、アシックスが突然サッカーの動作解析へ入った話ではない。アシックススポーツ工学研究所は、シューズとアパレルの研究部門を統合して1985年に設立され、1990年に神戸市西区の研究施設が完成した。現在は「Human Centric Science」を掲げ、人の運動動作を分析しながら素材・構造設計へ結び付けている。[3]
ヴィッセル神戸との接点にも前例がある。アシックスは契約選手だったアンドレス・イニエスタのプレーを研究所で詳細分析し、本人の意見を取り入れた専用スパイクを開発した。イニエスタモデルは2019年に初登場し、2021年の「ULTREZZA 2 AI」では多方向のステップ、ターン、ダッシュを支えるソール構造などを打ち出した。[7]
あれは、一人の世界的選手の動きを製品へ落とし込む共同開発だった。今回の研究は性格が違う。多数の若手を長期に追い、成長のばらつきそのものをデータにする可能性がある。スターの完成された動作をモデル化するのではなく、選手が完成していく途中を測る。
2025年のTDK研究は「研究所の外」へ動作計測を広げようとしていた
アシックスの近年の研究開発は、ラボ内だけに閉じない方向へ動いている。2025年9月にはTDKと、練習時の動作を可視化する次世代センシングデバイスの共同研究を開始した。足首などに装着するプロトタイプでリアルタイムの動作データを可視化し、研究所外でも高度な分析を可能にすることを目指した。最初の対象は陸上競技で、2027年以降の実用化を視野に入れている。[8]
2025年には米国、2026年には欧州にもスポーツ工学研究拠点を設け、HumanFabとの提携などグローバルな研究体制も拡大している。[3][9]
ヴィッセルとの新研究がTDKのデバイスを使用すると公式発表が述べているわけではない。ここは分けておく必要がある。ただ、アシックス全体として「選手の動きを継続的に測り、現場と製品開発をつなぐ」方向を強めていることは読み取れる。
研究成果はスパイク開発にも戻る
アシックス側は、今回の研究で得られた知見をサッカー用スパイクをはじめとする製品開発にも活用すると明記した。[1] ここには研究の二つの出口がある。一つは、ヴィッセル神戸の育成とトレーニング。もう一つは、アシックスの商品設計だ。
例えば、方向転換時にどの部位へ負荷が集中するのか、選手によって蹴り出し方がどう違うのか、成長に伴い動きがどう変わるのかが分かれば、アウトソールの剛性、スタッド配置、屈曲位置、アッパーの支持性などを検討する材料になり得る。これは一般論としての設計可能性であり、今回の研究で特定の構造が既に決まったという意味ではない。
製品開発へ使う研究だからこそ、学術研究として評価する際には透明性が重要になる。測定方法、解析手順、欠測データの扱い、個人差の定義、成果の公開範囲が示されれば、外部研究者や他クラブも知見の一般性を検討しやすくなる。
若手選手のデータには、プライバシーと競技機密もある
継続的な身体データは、単なるタイム記録ではない。動作の左右差、疲労による変化、回復の速度などは、選手のコンディションを推測できる競技情報にもなる。U-21には高校年代から参加できる選手もいるため、年齢によっては未成年が研究対象になる可能性もある。U-21リーグ自体は2種・3種所属選手の所定条件での出場も認めている。[5]
9月15日の発表は、同意取得、匿名化、保存期間、クラブと企業のデータ権限、第三者提供、研究成果の学術公開について説明していない。これは不備だと断定する話ではなく、プレスリリースに詳細がないという意味だ。実際の研究では倫理審査や契約、同意手続きが別途存在する可能性がある。
選手育成へデータを使うほど、「誰のためのデータか」という問いは重要になる。本人が自分の変化を理解できるのか。移籍時にどう扱われるのか。製品開発に使う場合、どの程度匿名化されるのか。成果が出た時だけでなく、長期研究の最初に設計しておくべき領域だ。
「良い数字」と「良いサッカー」の間をどうつなぐか
最終的に、この共同研究の成否はグラフの美しさでは決まらない。ある指標が改善した時、その選手が試合でより早く相手へ寄せられたのか。1対1で抜かれにくくなったのか。ボールを受ける前の身体の向きが良くなったのか。90分の終盤でもプレー品質を保てたのか。
そしてサッカーでは、個人の身体能力向上がチームの勝利へ直線的につながるわけでもない。戦術、仲間、相手、試合展開が入る。だから研究の価値は、「データで勝敗を予測すること」より、選手とコーチが改善できる小さな要素を再現性高く見つけることにある。
U-21 Jリーグが始まった同じ夏に、ヴィッセル神戸とアシックスが継続計測を始めたのは象徴的だ。リーグは若手へ試合の時間を与える。研究は、その時間の中で何が変わったかを見る尺度を作ろうとする。
数年後、この研究が本当に意味を持ったかを判断する材料は、プレスリリースの「パフォーマンス向上」という言葉ではない。どんな指標が有効だったのか。コーチングはどう変わったのか。選手本人は何を理解できたのか。研究成果は再現できたのか。スパイクは何を変えたのか。そこまで追えた時、トレーニングデータは初めて「数字」から「育成」に変わる。
出典・参考資料
- アシックス:アシックスとヴィッセル神戸、サッカー選手のパフォーマンス向上に向けた共同研究を開始(2026年9月15日)
- ヴィッセル神戸:〖アシックス丨ヴィッセル神戸〗パフォーマンス向上のための共同研究開始のお知らせ(2026年9月15日)
- アシックス:アシックススポーツ工学研究所―沿革・研究体制
- Jリーグ:「U-21 Jリーグ」創設を決定(2025年5月27日)
- ヴィッセル神戸:U-21 Jリーグ―創設背景・レギュレーション
- Jリーグ英語版:U-21 J.League launch and development rationale
- アシックス:アンドレス イニエスタ選手と共同開発したサッカースパイク「ULTREZZA 2 AI」(2021年)
- アシックス:TDKと練習時の動作を可視化するセンシングデバイス共同研究(2025年9月3日)
- アシックス:欧州スポーツ工学研究拠点とHumanFab提携(2026年6月16日)
- PubMed:サッカートレーニングにおける加速・減速要求のシステマティックレビュー
- PubMed:チームスポーツの加速・減速データ算出・クリーニング手法に関するスコーピングレビュー
- PubMed:GPSによるサッカーの加速計測―機器・ソフト差への注意
- PubMed:プロサッカーの高強度移動計測に関する2026年スコーピングレビュー
- ヴィッセル神戸:パートナーデータ―アカデミーから輩出したプロ選手107名(2026年5月末)
- Jリーグ:U-21ヴィッセル神戸、U-21リーグ初戦でV・ファーレン長崎に4-0(2026年8月23日)
資料確認:2026年9月16日(日本時間)。共同研究の目的、対象、継続計測、製品開発への活用方針はアシックスとヴィッセル神戸の9月15日一次発表を優先した。研究発表時点で対象人数、具体的センサー、測定頻度、主要評価項目、研究期間、統計計画、データ所有・同意・公開方針は公表されていないため推測していない。加速・減速計測の科学的限界は査読済みレビューおよびGPS検証研究を参照した。TDKとの2025年研究を今回の研究で使用しているとは公式発表が述べていないため、別プロジェクトとして記述した。分析は特記のない限りJapan.co.jpによる。
