「秋田県。まだバレてない。」――観光地の広告としては、かなり変わった出発点だ。通常なら「知られている」「人気がある」「絶景がある」と胸を張るところを、秋田県は逆に「まだ知られていない」ことそのものを売りにした。2026年5月に始まった得旅キャンペーン「まだバレてない秋田県。」は、宿泊料金を最大1万2,000円割り引く制度と、県の認知度不足を笑いに変えるコピーを組み合わせた。結果として、6月の県内延べ宿泊者数は33万9,100人泊、前年同月比34.4%増となり、観光庁の宿泊旅行統計で全国最高の伸び率を記録した。[1][2]

県は5月15日から7月31日までの第1弾を、単なる値引き事業ではなく「まだ知られていない秋田」をニュースにする仕掛けとして設計した。5月7日にクーポン配布を始めると、高額帯を中心に予約が急増。県の6月16日付資料によると、最初のクーポンは配布開始からわずか4日で総額の70%超が利用され、1カ月を待たずにほぼ完売したため、追加配布を決めた。[3]

9月8日の県議会説明で、鈴木健太知事は第1弾について、「まだバレてない秋田県。」というキャッチコピーが共感を呼び、県内外からの誘客につながったと説明した。5月と6月の延べ宿泊者数は前年に比べ約25%増えたという。さらに県は、第1弾参加者の再訪意向が95%を超え、計画比約170%の利用実績だったとして、11月から翌年2月までを宿泊対象とする冬の第2弾へ踏み切った。[4][5]

339,100人泊2026年6月の秋田県延べ宿泊者数
+34.4%6月の前年同月比、全国最高の伸び率
4日で70%超第1弾クーポン総額の利用ペース
95%超第1弾参加者の再訪意向

「知られていない」を隠さず、主役にした

観光PRでは、不利な印象をなるべく見せないのが一般的だ。遠い、知らない、行ったことがない――こうした言葉は、広告では消されやすい。秋田県はそこを逆転させた。

5月11日の知事会見で、県は課題を率直に説明している。秋田には数多くの観光資源があるが、「なかなか知られていない」。そこで「まだバレてない秋田県。」というコピーを打ち出し、割引告知だけにせず、「こんなものがあるんだ」と驚かせるニュース性を持たせる考えだった。知事は、田沢湖のカヌーやSUP、トレッキングなどを挙げ、「秋田イコールアウトドア」というイメージがまだ弱いこと自体を発信材料にした。[6]

キャンペーンの公式資料には、「東京から飛行機で約60分、大阪から約90分なのに『遠そう』というイメージが先行している」とある。じゅんさい、乳頭温泉郷、玉川温泉、稲庭うどん、比内地鶏、日本酒、夏のアウトドア。つまり、問題は資源不足ではなく、旅行先として思い出してもらう「想起」の弱さだという自己分析である。[3]

「知名度が低い」を失敗として隠すのではなく、「まだ発見されていない」という希少価値へ翻訳した。秋田のコピーが面白いのは、その弱点の言い換えにある。

値引きだけではない――高額プランから埋まった意味

この施策を単純な宿泊割引とみると、重要な部分を見落とす。第1弾は1人1予約あたり最大1万2,000円の割引を用意したため、価格効果は当然大きい。ただ、県によると、最初に売れたのは高額帯の商品だった。単に「安いから一泊する」のではなく、温泉や食事、体験を組み合わせた単価の高い旅行商品が選ばれたことを、県は好材料とみている。[3]

秋田県の2026~29年総合計画も、観光客数だけではなく旅行消費単価や宿泊施設の高付加価値化を重視する。戦略は「人数を増やす」から、「秋田ならではの体験に価値を感じ、より長く滞在し、より多く消費してもらう」方向へ移っている。県はDMOや観光協会を中心に地域づくりを支え、ウェブやSNS、OTAを使った訴求を強化するとしている。[7]

第2弾では、この方向をさらに明確にした。2026年10月1日からクーポン配布を始め、宿泊対象期間は11月1日から2027年2月28日まで。宿泊だけの割引に加えて、体験、食事・地酒、特産品などをセットにした「アドオン・クーポン」を設け、最大1万2,000円まで割引く。県は、秋田犬「マサ」と雪山を歩く体験など、一般的なツアーでは得にくい商品を前面に出している。[5][8]

6月34.4%増は、コピーの勝利なのか

数字は目を引く。観光庁の2026年6月宿泊旅行統計で、秋田県の延べ宿泊者数は33万9,100人泊、前年同月比34.4%増。都道府県別では最も高い伸び率だった。県自身も、キャンペーンの効果があったとの見方を示している。[1][2]

ただし、この増加をキャッチコピーだけの成果と断定することはできない。宿泊統計はキャンペーンの因果効果を測る実験ではない。割引そのもの、旅行需要の回復、イベント、天候、団体旅行、訪日客、前年の比較条件など複数の要因が宿泊数に影響する。

より慎重に言えば、分かっているのは三つだ。第一に、キャンペーンのクーポン需要が県の想定を大きく上回った。第二に、その期間中の宿泊者数が大きく増えた。第三に、県は参加者の再訪意向が高かったと報告している。この三点は施策が旅行需要を刺激した可能性を強く示すが、「34.4%のうち何ポイントがコピーの効果か」までは公表資料から分離できない。

秋田の観光は、交通インフラとともに形を変えてきた

秋田の観光史を見ると、「遠い」というイメージは単なる広告上の思い込みだけではない。県の観光統計に掲載された沿革では、1966年に田沢湖線が開業し、1981年に新秋田空港が開港。1997年には秋田新幹線と秋田自動車道が全線開通し、首都圏との時間距離は大きく縮まった。[9]

秋田新幹線「こまち」は、田沢湖、角館、大曲、秋田を東京と直接結ぶ。角館駅から武家屋敷へは徒歩圏で、田沢湖駅からは乳頭温泉郷、玉川温泉、秋田駒ヶ岳などへバスでつながる。交通条件は数十年前より大きく改善した一方、「秋田は遠そう」という心理的距離は必ずしも同じ速度で縮んでこなかった。[10]

「まだバレてない秋田県。」は、そのずれを利用したコピーともいえる。交通はすでにある。観光資源もある。それでも旅行候補として頭に浮かばないなら、その「知らなさ」を笑いに変えて、まず注意を取るという発想だ。

白神山地、なまはげ、竿燈――本当に「何もない」のか

もちろん、秋田が観光資源に乏しいわけではない。青森県と秋田県にまたがる白神山地は1993年にユネスコ世界自然遺産に登録された。秋田県藤里町は登録区域の一部を含む。原生的なブナ林は、東アジアの冷温帯林として国際的な価値を持つ。[11]

男鹿半島の「男鹿のナマハゲ」は、2018年に「来訪神:仮面・仮装の神々」を構成する行事の一つとしてユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載された。大晦日、仮面と藁装束を身につけた来訪神が家々を訪れ、怠けを戒めながら新年の幸福をもたらす共同体の儀礼である。[12]

秋田竿燈まつり、角館の武家屋敷、田沢湖、乳頭温泉郷、大曲の花火、十和田八幡平、鳥海山、きりたんぽ、稲庭うどん、比内地鶏、秋田犬、日本酒。観光コンテンツを列挙すると、むしろ「まだバレてない」という表現は誇張に見えるほどだ。

だからコピーは「秋田には何もない」と言っているのではない。これだけあるのに、旅行者の選択肢として十分に想起されていない――そのギャップを自虐風に表現している。

「秋田美人」「秋田犬」から、自分たちの弱点を語るブランドへ

秋田の観光PRはこれまでも、その時代ごとに象徴を変えてきた。県の観光沿革には1992年からの「新・秋田八景キャンペーン」、1994年の北東北大型観光キャンペーン、1995年の「秋田花まるっキャンペーン」などが記録される。2017年にはJR東日本と組み、秋田犬をシンボルキャラクターに「さく、さく、あきた」を掲げた春の大型観光キャンペーンも実施した。[9][13]

2026年度には、県全体の新たな観光キャッチコピーとして「んだ。んだ。秋田。」も打ち出した。「んだ」は秋田方言で「そうだ」の意味を持つ。「まだバレてない秋田県。」はこの長期ブランドとは別に、宿泊需要を直接動かす得旅キャンペーンの訴求として機能している。[14]

違いは語り口だ。従来の観光広告が「魅力があります」と正面から宣言するのに対し、「まだバレてない」は旅行者を秘密の共有者にする。「有名になる前に行こう」という心理を刺激し、旅行者自身に発見者の役割を与える。

自虐PRには、失敗する境界線もある

弱みを笑いに変える手法は、どの地域にも使えるわけではない。自虐が強すぎれば、住民の誇りを傷つけたり、「本当に何もない」という印象を強化したりする可能性がある。行政自身が地域を軽く扱っていると受け止められる危険もある。

秋田のコピーが成立するのは、その後ろに具体的な魅力を提示しているからだ。「知られていない」で止まらず、田沢湖のアクティビティ、温泉、食、文化、雪、秋田犬などへ誘導する。笑いは入口であり、商品そのものではない。

さらに、割引依存にも注意が必要だ。宿泊費を大きく補助すれば予約は増えやすいが、補助終了後も同じ需要が残るとは限らない。だからこそ、95%超という再訪意向が重要になる。ただし再訪意向は実際の再訪率ではない。第2弾以降で、補助額を下げてもリピーターが増えるか、旅行消費単価が上がるかを追う必要がある。

「まだバレてない秋田県。」を評価する四つの数字
  • 宿泊者数:キャンペーン期間外も増加が続くか。
  • 再訪率:「再訪したい」ではなく、実際に再び泊まった人が何人いるか。
  • 旅行消費単価:割引分を除いて、地域に落ちる消費額が増えたか。
  • 地域分散:秋田市や有名温泉だけでなく、県内各地へ周遊が広がったか。

次の課題は「夏の成功」を冬へ持っていけるか

秋田観光の構造的な課題の一つが季節偏重である。県の2026~29年計画は、冬季とグリーンシーズンの需要喚起による通年観光を明記している。冬は雪景色、温泉、なまはげ、小正月行事など強い素材がある一方、寒さや交通への不安が旅行の障壁にもなる。[7]

第2弾はそこを試す。11月から2月の宿泊を対象に、「まだバレてない秋田県 冬」として、宿泊単体ではなく体験、食、地酒、特産品と組み合わせた商品を押し出す。夏に「実は近い」「実は遊べる」と伝えた県が、冬には「雪だからこそ行く理由」をどこまでつくれるかが焦点になる。[5]

観光は、広告だけで完成しない。航空便、鉄道、二次交通、宿泊施設の人手、外国語対応、雪道情報、決済、地域住民との調和まで、旅行体験全体が再訪を左右する。県の公式SNS運用方針も、観光スポット、イベント、グルメ情報を県内外へ継続的に発信し、「秋田ファン」の拡大を目的に掲げている。[15]

観光地の競争は、「有名さ」だけでは決まらない

日本の観光は、東京、京都、大阪、富士山など一部の有名地に需要が集中しやすい。一方、旅行者が混雑を避け、地域独自の食や文化、自然を求めるようになれば、「まだ知られていない」ことは弱点だけではなくなる。

秋田が狙っているのは、全国的な知名度で京都に勝つことではない。知名度が低いからこそ、「発見する旅行」を求める人に選ばれるポジションをつくることだ。白神山地や角館のような既存の名所だけでなく、じゅんさい摘み、SUP、雪山を秋田犬と歩く体験まで商品化するのは、その戦略に沿っている。

2026年夏の数字は、少なくとも旅行者が反応したことを示している。ただし、本当の成功は割引期間中の予約数では決まらない。数年後、秋田が「知られていないから面白い」場所から、「一度行った人がまた戻る」場所へ変わっているかで評価される。

「まだバレてない秋田県。」というコピーには、成功すれば自分で自分を終わらせる面白さがある。認知度が上がれば、もう「バレてない」とは言えなくなる。秋田県にとって次の課題は、その言葉が使えなくなるほど知られた後に、何を理由に選ばれ続けるかである。

出典

  1. 時事通信/The Japan Times:地方自治体、自虐的な観光PRで知名度不足を逆手に(2026年9月25日)
  2. 観光庁:宿泊旅行統計調査 2026年6月分(第2次速報、2026年8月31日公表)
  3. 秋田県観光戦略課:得旅キャンペーン「まだバレてない秋田県。」追加クーポン販売開始(2026年6月16日)
  4. 秋田県:令和8年第2回定例会9月議会 知事説明要旨(2026年9月8日)
  5. 秋田県観光戦略課:「まだバレてない秋田県 冬」10月1日販売開始(2026年9月14日)
  6. 秋田県:令和8年5月11日知事記者会見(「まだバレてない秋田県。」の狙い)
  7. 秋田県総合計画2026-2029:観光・交流
  8. 秋田県得旅キャンペーン 第2弾 公式サイト
  9. 秋田県観光統計:資料2 秋田県観光の沿革
  10. 秋田県:田沢湖・角館・大仙エリアの主なアクセス方法
  11. UNESCO World Heritage Centre:Shirakami-Sanchi(1993年登録)
  12. UNESCO:Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes(2018年登録、男鹿のナマハゲを含む)
  13. 秋田県:2017年春の大型観光キャンペーン「さく、さく、あきた」
  14. 秋田県観光戦略課:2026年観光施策一覧(「んだ。んだ。秋田。」等)
  15. 秋田県観光戦略課:公式SNS運用方針(2026年7月31日更新)