餌は消えたのではなく、届きにくくなった

海氷の上に並ぶアデリーペンギンは、一見すると同じ入口から同じ海へ飛び込んでいる。だが氷の下では、同じ狩りは二度と繰り返されない。最初の潜水で浅い場所にいたオキアミ群は、次の潜水では深く、あるいは割れ目から遠い場所へ移っているかもしれない。

国立極地研究所の渡邊日向特任研究員、高橋晃周教授、京都大学の高木淳一特任助教は、昭和基地に近い東南極の繁殖地で、子育て中のアデリーペンギンの採餌を調べた。論文は2026年7月15日、『Proceedings of the Royal Society B』に掲載された。

結果は、海鳥の繁殖地周辺で餌が減るという古典的な考えを少し変える。ペンギンは確かに潜るほど苦労した。しかし、オキアミの群れへたどり着けば、単位時間当たりの捕食回数は大きく低下しなかった。群れの質が薄くなったより、群れの位置が逃げるように変わったという説明と整合した。

23羽小型記録計で追跡した繁殖中のアデリーペンギン。
30回解析対象になった採餌旅行。
6,000回超記録された潜水の総数。
3つの指標捕食深度、割れ目からの距離、群れ内の捕食率。

厚い定着氷が、自然の実験場を作った

調査海域は厚い定着氷に覆われていた。定着氷とは、海岸や氷棚に固定された海氷である。ペンギンは繁殖地から氷上を歩き、限られた割れ目や開水面から海へ入る。狩りを終えれば、同じ入口へ戻らなければならない。氷の裏側を数十メートル泳いで折り返す、閉じた通勤路である。

この地形が、研究に重要な条件を与えた。入口が少ないため、多くの鳥の潜水が同じ狭い範囲へ集中する。親鳥は雛へ餌を持ち帰る「中心地採餌者」で、無制限に遠くへ行けない。繰り返される捕食圧が、同じオキアミ群の位置をどう変えるかを追いやすかった。

野外調査は第60次南極地域観測隊の支援で行われた。昭和基地は1957年に設置され、気象、地球物理、氷床、宇宙、海洋、生物を継続観測してきた。今回の「氷の下の狩り」は、70年近い日本の南極研究基盤の上に成り立つ。

GPSだけでは、氷の下を追えない

海面へ浮上できる海なら、GPSは位置を記録できる。しかし厚い海氷の下では衛星信号が届かない。研究チームはGPSに加え、地磁気、加速度、深度などを記録する多チャンネルのバイオロガーを鳥に装着した。方位と動き、潜水深度を組み合わせ、入口から始まり入口へ戻る三次元の航跡を再構成した。

加速度の特徴から、くちばしや頭を動かしてオキアミを捕えるイベントを抽出した。その判定は、鳥に装着したビデオ映像で確かめられた。つまり赤い点として描かれた「捕食」は、深度曲線の形だけから想像したものではない。映像でオキアミ捕食と対応を検証した行動信号である。

記録分かること限界
GPS氷上の移動、海への入口、採餌旅行の位置。海氷下では衛星信号を受けられない。
地磁気・深度氷下の向き、潜水の深さ、三次元経路。誤差を含む推定で、映像のような絶対位置ではない。
加速度体や頭の細かな動きから捕食イベントを検出。信号と実際の摂食を別の方法で検証する必要がある。
動物装着カメラオキアミ群と捕食動作を鳥の視点で確認。電池・記憶容量が限られ、全潜水を撮影できない。

深く、遠くへ――それでも群れは薄くならない

研究者は三つの変化を見た。第一は、オキアミを捕えた深さ。第二は、海氷の割れ目から捕食地点までの氷下距離。第三は、群れに到達した後、単位時間に何回捕食したかである。最後の指標は、遭遇した群れの密度や質を映す代理値として使われた。

同じ入口から潜水を繰り返す一連の採餌では、時間とともに捕食深度が増し、捕食地点も入口から遠ざかった。一方、群れ内の捕食率は大きく変わらなかった。繁殖地全体の空間比較でも、繁殖地に近い入口を使う鳥ほど深く遠くへ潜ったが、群れ内の捕食率に明確な距離勾配はなかった。

もしペンギンが周辺のオキアミを単純に食べ尽くしたなら、残った群れは薄くなり、遭遇後の捕食率も下がると予想される。実際の組み合わせは、密な群れが位置を変えた可能性を示す。オキアミは数を減らすだけでなく、捕食者から離れて「届きにくく」なったのかもしれない。

豊富さと利用しやすさは同じではない。海にオキアミがいても、深さ、氷からの距離、逃避行動が変われば、親鳥にとっての餌は減ったのと同じになる。

「アシュモールのハロー」を、行動で描き直す

繁殖中の海鳥は、巣や雛という中心へ何度も戻る。大きなコロニーの近くでは採餌圧が強くなり、餌が減る。1963年、鳥類学者N・P・アシュモールは熱帯海鳥の個体数を考える中で、繁殖地周辺の餌資源が制限要因になると提案した。のちに、コロニーを囲む餌の少ない帯は「アシュモールのハロー」と呼ばれた。

従来の図では、鳥が魚やオキアミを食べ、中心近くの個体数が減る。これが「数的な枯渇」だ。2026年の研究は、もう一つの輪を重ねた。捕食者が繰り返し現れることで、餌が深く、遠く、捕えにくい場所へ移る。「機能的な枯渇」である。

1987年には鵜のコロニー周辺で魚の密度が低いという直接的証拠が報告され、2021年にはアセンション島で海鳥コロニーを囲む海洋の資源痕跡が実証された。今回の進歩は、ハローが出来上がった後の分布を測るだけでなく、一羽の捕食者と一群の餌の短い攻防が、コロニー規模の勾配へ積み上がる過程を示したことにある。

オキアミは受け身の「餌」ではない

ナンキョクオキアミ Euphausia superba は小型の甲殻類で、巨大な群れを作る。ペンギン、鯨、アザラシ、魚、海鳥をつなぐ南大洋の主要な節点だ。植物プランクトンや海氷藻類を食べ、炭素を表層から深部へ運ぶ役割も持つ。

群れは防御でもあるが、捕食者には密集した食卓にもなる。オキアミは尾を急に曲げて後方へ跳ぶように逃げ、光、流れ、振動、化学物質に反応する。2025年の水槽実験では、アデリーペンギンの糞に由来する水中の化学的手掛かりだけで、オキアミが速く泳ぎ、急な方向転換を増やした。これは2026年の野外結果を直接証明する研究ではないが、オキアミが捕食リスクを感知して行動を変え得ることを示す独立した証拠である。

映像資料には、ペンギンの接近に対してオキアミが急速に泳ぎ方を変える様子も記録された。重要なのは、オキアミを海に漂う受動的な粒として扱わないことだ。群れは捕食者を見て、感じ、分裂し、位置を変える。捕食者の数だけでなく、餌の意思決定が食物網の地図を動かす。

1840年の発見から、氷下の三次元地図へ

アデリーペンギン Pygoscelis adeliae は、1840年、ジュール・デュモン・デュルヴィル率いるフランス南極探検隊の科学者によって記録された。デュルヴィルは南極のアデリーランドを妻アデールにちなみ命名し、ジャック・オンブロンとシャルル・ジャキノがペンギンにもその名を与えた。

体高は約70センチ、体重3〜6キロ。白い目の輪が特徴で、南極大陸の海岸一周に繁殖する。春から夏、露岩に小石の巣を作り、親は海へ通ってオキアミや魚を捕り、雛へ吐き戻して与える。海氷が残ると、海へ出るまで数十キロを歩くこともある。

19世紀の探検家が見たのは、氷上の姿と胃内容物だった。20世紀後半、時間深度記録計が潜水の深さと時間を明らかにし、衛星・GPSタグが移動を地図にした。現在の多センサー記録計は、氷の下の方位、体の動き、捕食の瞬間まで結ぶ。動物の背中に載る装置は、ペンギンを研究対象であると同時に、海を測る観測者にした。

1956年、日本が南極へ向かった

日本政府は国際地球観測年への参加を決め、1956年11月、第一次南極地域観測隊が「宗谷」で出発した。1957年1月29日、東オングル島に昭和基地を開設した。わずか四棟から始まった基地は、長期観測と内陸・沿岸調査の拠点へ発展した。

その歴史には、タロとジロ、南極点往復、やまと山脈の隕石、オゾンホール、深層氷床コアなどよく知られた成果がある。生物研究でも、1980年の第21次隊が本格的な水中調査を始め、海氷下の生態系やペンギンの行動を継続してきた。

今回の調査は第60次隊で行われた。過酷な場所で同じ繁殖地を繰り返し訪れ、装置を装着し、鳥が巣へ戻った後に回収するには、船、基地、獣医・倫理手続き、氷上安全、長年の現地知識が必要だ。6,000回の潜水データは小型センサーの成果であると同時に、国家的な長期観測インフラの成果でもある。

オキアミ研究と漁業管理の歴史

オキアミは長く「無尽蔵に近い餌」と想像された。商業漁業は1961〜62年にソ連の調査船が47トンを漁獲したことから始まり、1970年代前半には多国籍の漁業へ拡大した。鯨、アザラシ、魚の過剰利用を経験した南極では、オキアミを大量に取れば食物網全体へ影響するという懸念が強まった。

1980年に南極海洋生物資源保存条約が署名され、1982年に発効した。CCAMLRは一種の最大漁獲だけでなく、それを食べる動物と生態系を考える管理を掲げた。1989年に設けられた生態系モニタリング計画(CEMP)は、アデリーペンギンを指標種に含め、繁殖成功、体重、採餌時間などを追っている。

ここで2026年の研究が政策へ投げかける問いが見える。魚群探知機が一定量のオキアミを測っても、ペンギンが到達できる深さや距離にいなければ、繁殖中の親にとっての価値は違う。資源量だけでなく、捕食者にとっての「利用可能性」をどう測るかが、漁業と海洋保護区の設計に関わる。

海氷は障害物であり、食卓であり、避難所でもある

今回の定着氷は、ペンギンの入口を絞り、同じ場所への捕食圧を強めた可能性がある。だが海氷を単なる障害物とみなすこともできない。氷の裏側には海氷藻類が育ち、若いオキアミの餌になる。凹凸のある氷底は流れと捕食者を避ける空間を作る。海氷が割れればペンギンの入口は増える一方、オキアミの食物と避難所は変化する。

南極海氷は1979年以降の衛星記録で大きな年々変動を示してきたが、2022〜2025年の年間最小面積は4年連続で200万平方キロメートルを下回った。2023年は記録上の最低だった。これは南大洋生態系に重大な背景変化である。

しかし、今回の論文は気候変動の影響を検定した研究ではない。厚い定着氷のある一つの東南極コロニーで、捕食者と餌の行動を解析した。海氷減少が同じ「深く遠く」のパターンを強めるか弱めるかは、開口部、オキアミ分布、光、海流、季節で異なる。気候の物語へ直結させるには、異なる氷況と複数年の比較が必要だ。

この研究が示すこと、まだ示さないこと

証拠が支持することまだ直接は分からないこと
潜水を繰り返すほど、捕食地点は深く、入口から遠くなった。個々のオキアミがどの方向へ、どの速度で移動したか。
群れに到達後の捕食率は大きく変わらなかった。オキアミ群の実際の密度・総量。捕食率は代理指標である。
繁殖地近くでも、深く遠くへ潜る同じ空間勾配があった。他のコロニー、海氷条件、年、季節で同じ強さの効果が出るか。
行動パターンは機能的枯渇と整合した。追加潜水のエネルギー費、雛の成長、繁殖成功への実際の影響。

研究者自身が最も重要な限界を明記している。オキアミの動きはペンギンの行動から推定され、直接追跡されていない。次の段階は、動物装着センサーに、海氷下の音響観測、ソナー、自律型ロボット、環境DNAなどを組み合わせることだ。

また「深く潜る」ことが直ちに飢餓を意味するわけではない。アデリーペンギンは優れた潜水者で、今回も群れに到達すれば捕食を続けた。だが親鳥の時間と酸素は有限である。わずかな追加距離が何千回の潜水、何千羽の親へ積み重なれば、コロニー全体の採餌コストへ変わる可能性がある。その量は今後測る必要がある。

63年かけて、「食べられた量」から「逃げた距離」へ

節目現在への意味
1840フランス探検隊がアデリーペンギンを記録氷上の自然史観察から研究が始まる。
1956–1957第一次南極地域観測隊が出発、昭和基地開設日本の継続的な東南極観測の基盤。
1961–1962ナンキョクオキアミ商業漁業の初期漁獲食物網の要を人間が利用する時代へ。
1963アシュモールが繁殖地周辺の餌制限を提案コロニーを囲む資源の「ハロー」という発想。
1964以降動物装着型の深度記録計が海中行動を可視化観察不能だった潜水をデータ化。
1980–1982南極海洋生物資源保存条約の署名・発効オキアミだけでなく捕食者を含む生態系管理。
1987–2021海鳥コロニー周辺の数的な餌枯渇を実証アシュモールの仮説を観測で検証。
2025ペンギン由来の化学刺激でオキアミの逃避行動餌が捕食リスクを感知し行動を変える証拠。
20266,000回超の三次元潜水から機能的枯渇を提示個体の攻防をコロニー規模の資源地図へ接続。

海の豊かさは、量だけでは測れない

魚群探知機の画面にオキアミが映れば、餌は「ある」と判断しやすい。だがアデリーペンギンの背中から見る海は違う。親鳥には、呼吸を止めて到達できる深さ、入口へ戻れる距離、雛を待たせられる時間という制約がある。餌の存在量は、利用可能な餌の量ではない。

この視点は南極だけに限られない。魚が漁船の音から逃げる、動物プランクトンが光を避けて沈む、獲物が海洋熱波で深い層へ移る。捕食者の行動、海氷、漁業、気候が、同じ資源の「届きやすさ」を変える。生態系を管理するなら、何トンいるかと同時に、誰がいつ捕れるのかを問わなければならない。

6,000回の潜水が描いたのは、食べ尽くされた空白ではない。そこにいるのに、少し深く、少し遠いオキアミの群れである。そのわずかな移動が、一羽の追加努力になり、繁殖地を囲む機能的なハローへ積み上がる。捕食は死亡数だけでなく、逃げた距離によっても海の地図を書き換える。

出典・参考資料

編集注:見出しの「オキアミの逃避」は、ペンギンの潜水経路と捕食率から得た研究チームの解釈である。オキアミ個体の移動は直接追跡しておらず、論文もその点を限界として明記する。また本研究は、気候変動や漁業が今回の潜水変化を引き起こしたと検証したものではない。イラストは編集用の創作で、調査写真ではない。