1985年3月9日、中山競馬場6レース。イズミサンエイに騎乗した18歳の柴田善臣(しばた・よしとみ)は、14頭立て5着でJRA騎手としての第一歩を踏み出した。それから41年半。2026年9月18日付で、その騎手免許が正式に取り消される。[1]
JRAが公表した最終成績は、2万2311回(22,311回)騎乗、2341勝。平地2339勝、障害2勝。2026年は68回騎乗して3勝を挙げた。競馬メディアの集計では、JRA重賞96勝、そのうちGⅠ9勝。通算2341勝は引退発表時点で歴代6位だった。[1] [3] [4]
だが、数字だけではこの引退を説明し切れない。柴田は7月30日に60歳を迎えたものの、右肩の負傷で4月から実戦を離れていた。JRA所属騎手として60歳でレースに乗る姿は実現しなかった。9月16日の会見で本人は、もう少し続けたい気持ちはあったが、右肩だけでなく長年抱えてきた股関節などの痛みも重なり、再び長期のリハビリを選ぶリスクが大きいと判断したと説明した。[16] [17]
競馬学校1期生――「制度として育てる騎手」の最初の世代
柴田は青森県出身。JRA競馬学校の騎手課程が始まった1982年に1期生として入学し、1985年に卒業した。同期には、のちに調教師となる石橋守、岩戸孝樹、須貝尚介、武藤善則らがいる。[2]
現在では競馬学校から騎手になる流れは当たり前に見える。しかし、柴田の世代はその仕組みの最初だった。1980年代前半、日本の中央競馬は騎手養成を厩舎ごとの徒弟的な仕組みから、学校教育を軸にした制度へ移しつつあった。柴田のキャリアは、その新制度の歴史とほぼ同じ長さを持つ。
初勝利は1985年4月7日、中山3レース。初騎乗と同じイズミサンエイだった。1年目は12勝。1988年にはソウシンホウジュで中山牝馬ステークスを制し、重賞初勝利を挙げたと報じられている。[1] [3]
1993年、ヤマニンゼファーでGⅠ騎手になった
柴田のGⅠ初勝利は1993年5月16日、安田記念。ヤマニンゼファーを2番人気で勝利へ導いた。タイムは1分33秒5。イクノディクタスに1馬身4分の1差だった。[5]
同じ年の天皇賞(秋)では、再びヤマニンゼファーに騎乗。セキテイリュウオーとのハナ差の争いを1分58秒9で制した。マイルの安田記念と2000メートルの天皇賞(秋)を同じ年に勝つという、距離適性の広さを示す結果でもあった。[6]
柴田が9月16日の引退会見で「最強馬」を一頭だけ選ぶような言い方を避け、むしろホクトヘリオスが「レースの流れを教えてくれた」と振り返ったのは象徴的だ。ホクトヘリオスはGⅠ勝ち馬ではない。しかし柴田にとって、競馬の組み立てや流れを体で教えた馬として特別だった。[17]
第1回NHKマイルCを勝った騎手
1996年5月12日、東京競馬場で第1回NHKマイルカップが行われた。創設されたばかりの3歳マイルGⅠを勝ったのはタイキフォーチュン、騎手は柴田。4番人気で1分32秒6を記録した。[7]
「第1回」の勝者として歴史に名前が残るレースは多くない。NHKマイルカップはその後、日本の3歳マイル路線を代表するGⅠとして定着した。柴田のキャリアは、既存の伝統を走っただけでなく、新しく作られたGⅠの歴史の最初のページにも刻まれた。
1998年天皇賞(秋)――オフサイドトラップの日
1998年11月1日の天皇賞(秋)は、日本競馬史でも特に重い記憶を持つレースになった。
1番人気サイレンススズカがレース中に故障し、競走を中止。その中で勝利したのが8歳馬オフサイドトラップと柴田だった。勝ちタイム1分59秒3、2着ステイゴールドに1馬身4分の1差。[8]
この勝利を語るとき、レースの悲劇的背景と切り離すことはできない。同時に、公式結果として柴田にとって2度目の天皇賞(秋)制覇でもある。長いキャリアには、祝福だけでは整理できないレースも含まれる。
キングヘイローで「ようやく」のGⅠ
2000年高松宮記念では、キングヘイローを4番人気から勝利へ導いた。タイムは1分8秒6。ディヴァインライトとのクビ差だった。[9]
キングヘイローはクラシック路線から短距離まで幅広く挑戦しながら、GⅠでは届かない時期が続いた馬だった。高松宮記念での勝利は、馬にとっても待望のGⅠ初制覇。柴田にとっては、異なるタイプの馬を長いキャリアの中で勝たせてきた象徴的な一戦になった。
9つのGⅠは、21年にまたがる
柴田のJRA GⅠ勝利は、競馬メディアの整理では次の9レースになる。1993年のヤマニンゼファー2勝から2014年のジャスタウェイまで、最初と最後の間は21年ある。[3] [4]
| 年 | GⅠ | 馬 |
|---|---|---|
| 1993 | 安田記念 | ヤマニンゼファー |
| 1993 | 天皇賞(秋) | ヤマニンゼファー |
| 1996 | NHKマイルカップ | タイキフォーチュン |
| 1998 | 天皇賞(秋) | オフサイドトラップ |
| 2000 | 高松宮記念 | キングヘイロー |
| 2006 | 高松宮記念 | オレハマッテルゼ |
| 2010 | 宝塚記念 | ナカヤマフェスタ |
| 2012 | エリザベス女王杯 | レインボーダリア |
| 2014 | 安田記念 | ジャスタウェイ |
1990年代前半と2010年代半ばでは、調教方法も馬場管理も国際競走の位置付けも騎手を取り巻く環境も大きく違う。その両方でGⅠを勝ったことが、柴田の長さを数字以上に示している。
ジャスタウェイ――世界級の馬に代打で乗った2014年
現役最後のGⅠ勝利は2014年6月8日の安田記念。ジャスタウェイだった。直前のドバイデューティフリーを圧勝し、世界的評価を高めていた馬に騎乗し、不良馬場の東京1600メートルを1分36秒8で走破。グランプリボスをハナ差で退けた。[10]
JRAの回顧では、柴田は道中で何度もバランスを崩すほど厳しい馬場だったと振り返っている。それでも最後に勝ち切った。1993年のヤマニンゼファー以来、21年を隔てて安田記念2勝目を挙げた。[10]
「長く乗ったから晩年に数字を積み増した」だけではない。49歳を前にして世界トップクラスの評価を受けていた馬でGⅠを勝っている。
50代でも、記録は止まらなかった
2021年8月、55歳0か月10日でメイショウムラクモに騎乗してレパードステークスを制し、JRA重賞勝利の最年長記録を更新した。JRA自身が「JRAのあゆみ」に記録している。[11]
同年には農林水産省の第2回競馬功績者表彰を受賞。2022年春には黄綬褒章を受章し、JRA賞特別賞にも選ばれた。技能と勤続だけでなく、中央競馬への長期的な貢献自体が表彰対象になった。[11] [12] [13]
2024年にはJRA通算2万2000回騎乗へ到達。そして2026年1月31日、東京5レースの新馬戦でリッツパーティーを勝たせ、59歳6か月2日で自身のJRA最年長勝利記録を更新した。これが2341勝目であり、現役最後の勝利になった。[14] [4]
最後の騎乗は福島民報杯
現役最後の実戦は4月12日、福島競馬場の福島民報杯。ピースワンデュックに騎乗し、15頭立て14着だった。JRAの競走馬記録にもこの騎乗が残る。[15]
本人は引退会見で、その一つ前の騎乗から右肩に「変な感じ」があり、最後の騎乗で深刻な状態だと感じたと説明した。のちに右肩を負傷して長期休養へ入り、復帰へ向けリハビリを続けた。[16] [17]
過去には左肩の手術から復帰するまで9か月を要した経験もあった。今回は利き腕の右肩。さらに長年の股関節痛などもあり、本人は「もう少し続けたい」気持ちを残しながら、再び長い復帰過程へ入ることを選ばなかった。[16]
60歳にはなった。しかし「60歳の騎乗」はなかった
柴田は7月30日に60歳になった。現役JRA騎手として還暦を迎えたが、4月以降レースに乗れなかったため、「60歳でのJRA騎乗」という新しい記録は残らなかった。
これは小さな言葉の違いだが重要だ。「JRA初の60歳騎手」と「60歳でJRAのレースに騎乗した騎手」は同じではない。前者の意味では現役資格を保ったまま還暦を迎えた。後者は故障によって実現しなかった。[3] [4]
騎手クラブ会長から「相談役」へ
柴田は騎乗だけでなく、騎手社会の中でも長く役割を担った。報道各社によると、2005年から2010年まで日本騎手クラブ会長を務め、その後は相談役へ回った。[3]
引退後にJRAアドバイザーへ就く予定という発表は、その延長線上にある。9月16日の会見で柴田は、若い騎手は「今の流れ」は知っていても「昔の流れ」は知らないとして、古い経験をただ押しつけるのではなく、現在に合う形で助言したいという趣旨を語った。[16]
本人が語った言葉で印象的なのは、引退後も「本当は馬に乗りたい」という感覚を失っていないことだ。競馬場から消えるのではなく、立場を変えて残る。
昭和、平成、令和を同じ免許で走った
1985年は昭和60年。柴田の現役生活は昭和、平成、令和の三つの時代にまたがった。
その間、競馬学校が定着し、馬券は窓口からインターネットへ広がり、日本馬はドバイ、香港、フランス、米国のG1を日常的に目指すようになった。調教施設、馬場、映像、データ分析、騎手のトレーニング方法も変わった。
柴田自身も、その変化の外にいたわけではない。キャリアのピークは若手時代だけではなく、2000年代前半には関東リーディングを連続で獲得し、2004年には年間145勝。50代に入っても重賞を勝ち、59歳でJRA最年長勝利記録を更新した。[4]
- 1985年:競馬学校1期生としてデビュー。4月7日初勝利。
- 1993年:ヤマニンゼファーで安田記念、天皇賞(秋)。GⅠ初制覇から年間2勝。
- 1996年:タイキフォーチュンで第1回NHKマイルカップ優勝。
- 2004年:自己最多の年間145勝。
- 2011年:JRA通算2000勝。
- 2014年:ジャスタウェイで安田記念。現役最後のGⅠ勝利。
- 2021年:55歳でレパードSを勝ち、JRA重賞最年長勝利記録。
- 2022年:黄綬褒章、JRA賞特別賞。
- 2026年:59歳6か月2日で最年長勝利記録更新。9月18日免許取消。
「人に夢を与えられる職業」から、次の役割へ
引退会見で、柴田は騎手という職業について「人に夢を与えられる職業」だという趣旨で語った。また、自身の42年を振り返り、苦しい時期もあったが、それ以上に楽しい時間が多く、周囲への感謝が強いと話した。[18]
引退式は11月1日、東京競馬場で行われる予定だ。免許が終わる9月18日と、ファンの前で別れを告げる11月1日は別の日になる。[1]
そして、その後も競馬との関係は続く。JRAアドバイザーとして、美浦の調教スタンドで若い騎手や関係者と顔を合わせる予定だ。
41年半にわたって馬上から競馬を見てきた人が、今度は馬場の外から何を伝えるのか。
2341勝で終わるキャリアではある。だが、9月18日で競馬とのつながりまで終わるわけではない。
- JRA「柴田 善臣騎手の引退」2026年9月15日
- JRA競馬学校「卒業者名簿」—1985年卒・騎手課程1期生
- スポニチ競馬Web「柴田善臣騎手が現役引退」2026年9月15日
- netkeiba「JRA最年長60歳・柴田善臣騎手の引退までの歩み」2026年9月15日
- JRA「1993年 安田記念」—ヤマニンゼファー
- JRA「1993年 天皇賞(秋)」—ヤマニンゼファー
- JRA「1996年 第1回NHKマイルカップ」—タイキフォーチュン
- JRA「1998年 天皇賞(秋)」—オフサイドトラップ
- JRA「2000年 高松宮記念」—キングヘイロー
- JRA「2014年 安田記念」—ジャスタウェイ
- JRA「JRAのあゆみ」—2021年最年長重賞勝利、2022年黄綬褒章
- JRA「競馬関係者に対する農林水産大臣賞」—第2回競馬功績者表彰受賞者
- JRA「JRA賞 バックナンバー」—2022年度特別賞
- JRA「2026年1月31日 東京5R メイクデビュー東京」—リッツパーティー
- JRA競走馬情報「ピースワンデュック」—2026年4月12日福島民報杯
- 日刊スポーツ「柴田善臣騎手引退会見 一問一答」2026年9月16日
- 日刊スポーツ「柴田善臣騎手引退会見 ホクトヘリオスがレースの流れを教えてくれた」2026年9月16日
- 日刊スポーツ「柴田善臣騎手引退会見 ジョッキーとは『人に夢を与えられる職業』」2026年9月16日

