チタンを加えても孔食がゼロにはならない。原因の一つは、金属の内側にできる微小な硫化物だった。
「さびない鋼」の小さな弱点
ステンレス鋼の表面は、目に見えないほど薄い保護膜によって守られている。それでも塩分を含んだ水に接すると、ある一点から小さな穴が深く進むことがある。孔食(こうしょく)と呼ばれる局部腐食だ。東北大学の研究チームが2026年10月23日に公表した成果は、耐食性を高めるために加えたチタンがあるにもかかわらず、なぜ孔食が始まるのかを微小領域の電気化学計測で追ったものだ。調査対象は主にクロム約16%を含むフェライト系ステンレス鋼。あらゆる金属製品のさびの原因を一度に解明した、という話ではない。
10月22日の論文、23日の発表
研究は学術誌『npj Materials Degradation』に10月22日付でオンライン掲載され、東北大学が翌23日午後2時に日本語で公表した。論文の著者は東北大学大学院工学研究科の高嘉淇(こう・かき)大学院生、西本昌史助教、武藤泉教授。論文は査読を経たオープンアクセス研究だが、公開ページには初期公開版で今後編集が加わる可能性が記されている。研究結果と、現場で使う鋼材の寿命保証や新製品の販売開始とは切り分けて読む必要がある。
なぜステンレスは普通の鉄より腐食しにくいのか
ステンレス鋼の耐食性を支えるのはクロムを含む極薄の不働態皮膜である。空気や水に触れると生じるクロムに富む酸化物の膜が、鉄の溶解を抑える。ただし「不働態」は永久に破れない盾という意味ではない。塩化物イオン、局所的な化学変化、すき間などの影響で保護機能が失われる場合がある。表面の広い範囲で赤さびが広がる現象とは違い、孔食は狭い入口から金属内部へ進み得るため、外観だけでは影響が分かりにくい。
1913年のシェフィールドから、微細構造の研究へ
ステンレス鋼の誕生を1913年の英国シェフィールドでハリー・ブレアリーが作ったクロム鋼に求める説明はよく知られている。ただし、その前から欧州各地で鉄とクロムの組成や耐食性の研究が進んでおり、一人だけの発明物語では語れない。20世紀を通して材料研究は「クロムを増やす」から、ニッケル、モリブデン、窒素などの合金設計、さらに製造工程で生じる微小介在物の制御へと広がった。今回の発見も、この長い改良の連続線上に位置付けられる。
チタンはなぜ添加されるのか
鋼の内部には硫黄とマンガンなどが結び付いた硫化物系介在物が残ることがある。代表例の硫化マンガン(MnS)は比較的溶けやすく、孔食の起点になり得る。チタン添加は、こうした硫化物の構成を変えることで耐孔食性を高める方法の一つだ。だがチタンを加えれば介在物が一種類になるわけではない。マンガンとチタンをともに含む硫化物(Mn,Ti)S、二硫化チタン(TiS₂)、窒化チタン(TiN)など、異なる性質を持つ微粒子が関わる。研究の核心は、その違いを個別に測ることだった。
目に見えない粒を「大きく作る」発想
実用鋼中の介在物は数マイクロメートル程度と小さく、一個だけの電気化学特性を測るのは難しい。そこで研究者は430系ステンレス鋼の粉末にMnSまたはTiS₂を加え、放電プラズマ焼結で介在物を大きくしたモデル試験片を製作した。複雑な実用材料をそのまま観察するだけでなく、成分と形を意図的に変えた試料で原因を切り分けたのである。モデルの結果を実際のチタン添加Fe–16Cr鋼に照らすという二段構えが、今回の実験の説得力を支える。
四種類で異なった溶けやすさ
0.1モル毎リットルの硫酸ナトリウム水溶液を用いた微小分極測定では、MnSの溶解電位はおおむね0.2~0.7ボルト、(Mn,Ti)Sは0.5~1.0ボルト、TiS₂は1.0~1.8ボルトだった。TiNは調べた上限の1.8ボルトまで溶解しなかった。電位は測定条件と参照電極の取り方に依存し、家庭で使う電圧値と単純比較するものではない。重要なのは順位である。チタンを含む粒子の中にも、相対的に溶け始めやすい種類が残っていた。
塩化物の中で、穴が始まった地点
次に0.1モル毎リットルの塩化ナトリウム水溶液で孔食を調べると、モデル試験片ではMnS添加で約0.37ボルト、TiS₂添加で約0.61ボルトに発生の兆候が現れた。実際のFe–16Cr鋼の平均孔食電位は0.38ボルト、チタンを0.17%加えた試料では0.51ボルトだった。チタン添加による改善が観測された一方、孔食が消えたわけではない。電位の差はこの試験条件における比較結果であり、耐用年数の延長幅を意味しない。
決め手は腐食痕に残ったマンガンと硫黄
電子顕微鏡や元素分析では、チタン添加鋼の微量な(Mn,Ti)S介在物を試験前に明瞭に捉えることは難しかった。そこで研究者は定電流分極によって数マイクロメートルの孔食を生じさせ、起点の元素分布を調べた。通常のFe–16Cr鋼ではMnSが残る一方、チタン添加鋼の孔食起点にはマンガンと硫黄が検出された。モデル試料の溶解挙動と現物の痕跡を合わせ、(Mn,Ti)Sが孔食開始に関わると結論づけた。元素の検出だけですべての粒子構造が直接見えた、と書くのは正確でない。
暮らしと産業のどこにつながるか
ステンレス鋼は家電、輸送機器、食品関連設備、建築部材などで使われる。海に近い施設や塩分を含む液体を扱う装置では局部腐食への配慮が大切だ。ただし、研究で用いた430系のフェライト系ステンレス鋼の結果を、そのまま304系や316系のオーステナイト系、医療用器具の全製品へ当てはめることはできない。材料の加工、溶接、温度、表面仕上げ、使用環境によって性能は変わる。今回の知見はまず、鋼の内部にできる硫化物をどう設計するかという製造上の指針である。
研究チームが次に調べるもの
東北大学によると、研究者はチタンとともに添加されることのあるカルシウムの影響を次の検討課題に挙げている。硫化物系介在物の組成をさらに制御できれば、腐食の開始地点を減らせる可能性がある。しかし新しい製鋼法の工業規模での検証、製造コスト、加工性、長期曝露試験について今回の論文は確定的な結論を示していない。材料の改良には、顕微鏡下の現象から実環境の長期性能へと証拠を積み上げる作業が続く。
「さびない」を疑うことから強い素材へ
金属材料の強さは、完璧だと信じることでなく、どこに破れ目が生まれるのかを見極めることで増していく。東北大が見つめたのは、鋼材全体からすれば取るに足らないほど小さな粒だった。だが、孔食はそこから始まる場合がある。チタン添加鋼の保護機能を説明するには、チタンという元素名だけでなく、マンガンと硫黄が結び付く微小領域まで理解しなければならない。日常の「ステンレスはさびない」という言葉の裏側で、材料科学は今もその例外を一つずつ解き明かしている。
出典・確認資料
原著論文、東北大学日本語発表、業界団体の技術解説を照合。工業規模の新製品、寿命延長、他の鋼種への適用は実証されたと扱わない。研究者への独自取材は実施していない。
