魚は、同じ方向へ泳いでいない。右の幅では、まだ小さいアユが流れに逆らって上る。左の幅では、成長したアユが紅葉の下を下流へ向かう。円山応挙(まるやま・おうきょ、1733~1795)が1785年に描いた二幅対は、魚の姿を二つに分けただけではない。春から夏、そして秋へ、アユの一生そのものを二つの掛幅に分けている。

メトロポリタン美術館の現行英語題はFish in Summer and Autumn。同館の参考表記には「円山応挙筆 春秋遊魚図」とある。ここには少し面白いずれがある。日本語の「春秋」は春と秋だが、英語題は夏と秋。実際、Metの作品解説では右幅に「ピンクの春のツツジ」と若いアユを認め、その魚が上流へ向かうと説明する。つまり右幅は春の遡上を入り口に、夏へ成長していく時間まで含んでいる。

作品情報の重要な区別: The Metの日本語参考表記は「春秋遊魚図」、現行英語題はFish in Summer and Autumn。本稿では日本語記事の作品名を「春秋遊魚図」とし、英語題も併記する。右幅の季節を単純に「夏」と断定せず、Metの説明どおり春のツツジと若鮎の遡上から、夏の成長へ続く場面として読む。

Today’s Art Choice — 2026年9月5日

作品
円山応挙「春秋遊魚図」 / Fish in Summer and Autumn
作者
円山応挙(1733–1795)
年代
1785年(天明5年)
形式・技法
2幅対、絹本墨・金・彩色
画面寸法
右幅 104 × 37 cm/左幅 104 × 36.8 cm
所蔵
The Metropolitan Museum of Art, New York — 2015.300.198a, b
来歴
Mary Griggs Burke Collection, Gift of the Mary and Jackson Burke Foundation, 2015
画像
Public Domain / The Met Open Access, CC0
展示状況
現在は展示されていない
8尾右幅で上流へ向かう若いアユ。Metの作品解説による。
3尾左幅で下流へ戻る、成長したアユ。
1年アユは「年魚」。秋に産卵し、一生を終える。

右から左へ読むと、魚が歳をとる

The Metはこの二幅対を「右から左へ見る作品」と案内している。最初に現れる右幅では、苔むした岩と淡い花のそばを8尾の若いアユが泳ぐ。花は春のツツジ。魚は上流へ向かう。

次に左幅を見る。そこには赤く色づいたカエデがある。春と夏が過ぎ、3尾のアユは成長している。魚の方向も反転し、下流、そして海の方向へ戻る。

この「右から左」は、単なる展示上の順序ではない。時間の矢印になる。若い魚から成魚へ。春の花から紅葉へ。上流への移動から下流への移動へ。

右幅
若いアユ8尾/春のツツジ/上流へ向かう/これから川で成長する時間
左幅
成長したアユ3尾/紅葉したカエデ/下流へ向かう/産卵へ向かう秋の時間
二幅を並べると、魚は場所を移動するだけではなく、歳をとる。

応挙が描いたのは、実際のアユの生活史に驚くほど近い

京都府の水産資料は、アユを「年魚」と呼ぶ。海で成長した稚アユは春、川へ遡上し、秋の産卵期まで短い一生を過ごす。川では岩に付く珪藻などの付着藻類を食べる。この餌に由来する独特の香りから「香魚」とも呼ばれる。

国土交通省の天然アユ解説は、その一年をさらに明確に整理している。秋、河川の中下流域で産卵。ふ化した仔魚は海へ下り、冬を海や河口で過ごす。水が温む春、再び川へ遡上。夏に川で成長し、秋になると下流側へ移動して産卵し、一生を終える。

つまり《春秋遊魚図》の二つの方向は、生態学的に意味がある。上る若鮎と、下る成魚。秋に川を下る成魚は一般に「落ち鮎」と呼ばれる。

もちろん、応挙が現代の魚類学の「生活史図解」を描こうとした証拠はない。Metも作品を科学図譜とは呼んでいない。だが、対象を実際に観察する応挙の制作態度を考えれば、この方向性と季節の組み合わせを単なる偶然として扱う必要もない。

「写生」は、写真のように写すことではない

円山応挙を語るとき、最も重要な言葉は写生である。しかし「リアルに描いた」「写真みたいに描いた」で済ませると、応挙の新しさが弱くなる。

京都国立博物館は、動植物を目の前で写し取る作業そのものは応挙以前にもあったと説明する。ただし、それは完成作の準備として使われることが多く、観察そのものが完成作品の考え方を支配するわけではなかった。18世紀半ば以降、応挙がその「写生」を完成作の中心へ押し出した。

東京国立博物館が所蔵する《写生帖》には、1770年代頃とみられる動植物の観察図が残る。同館は、応挙が自然観察を重視し、平明で親しみやすい写生的表現によって京都で人気を得たと説明する。当時の博物学的関心の高まりとも響き合っていた。

ここでの写生は、細部を一ミリ違わず複写することではない。「見たこと」を、絵の構造へ持ち込むことだ。魚の体つき、水の中での向き、季節による植物の変化。その観察を、日本画の装飾性と組み合わせる。

魚は正確だが、画面は「自然そのもの」ではない

応挙の写生を自然主義だけで説明できない理由は、二幅の画面を見れば分かる。魚は水中にいる。水の流れもある。岩や植物もある。それでも、私たちは特定の川を見ているわけではない。

水は薄い線と色面で整理され、植物は季節を告げるために必要なだけ配置される。右幅は春から夏へ向かう生命を、左幅は秋へ向かう生命を伝えるよう編集されている。

京都国立博物館所蔵の《双鹿図》解説は、応挙について「宗達・光琳以来の装飾性と緻密な写生が見事に融合」したと説明する。これは《春秋遊魚図》にも有効な見方だ。観察は装飾を排除しない。むしろ、正しく見た対象を、より明快な構図へ組み直す。

応挙は農家の子から、京都画壇の基準になった

京都国立博物館によると、応挙は1733年、丹波国穴太村、現在の京都府亀岡市にあたる地域の農家に生まれた。10代半ばで京都へ出て、狩野派の画家石田幽汀(いしだ・ゆうてい)に入門したと伝えられる。

若い時期には、中国絵画だけでなく、西洋式の遠近法にも触れた。MIHO MUSEUMの解説によれば、生活のため「眼鏡絵」の制作に関わり、中国版の眼鏡絵を模写・応用した。レンズを通して見るための絵は、奥行き表現や透視遠近法への関心を育てる一つの入口になった。

同時に、沈銓(しん・せん/沈南蘋)系の写生的な中国花鳥画、渡辺始興らの自然観察からも刺激を受けた。西洋画法をそのまま移植したのでも、中国画をそのまま真似たのでもない。複数の視覚技術を京都の絵画へ組み替えた。

2024年の京都国立博物館「生誕290年 円山応挙」は、応挙が西洋画法と古今の中国絵画を幅広く学び、写生を制作の基礎に置くことで「優美で平明な独自の様式」を作り上げたとまとめる。その影響は近代日本画の展開の礎にもなった。

「京中の絵が皆一手になった」

応挙がどれほど流行したかを伝える有名な同時代の反応がある。京都国立博物館は上田秋成の言葉として、応挙が現れたため「京中の絵が皆一手になった」という趣旨を紹介する。

そこには賞賛だけでなく、少し皮肉も含まれている。応挙風があまりに人気になり、京都中が写生へ傾いたという意味だからだ。

The Metも、応挙が京都でもっとも人気のある画家の一人となり、スタジオで千人近い弟子を教えたと「いわれる」と紹介する。千人という数字はそのまま実数として証明された名簿ではないが、巨大な影響力を示す伝承である。

門人には長沢芦雪らがいて、呉春も応挙へ接近した。京都国立博物館は、呉春が蕪村の死後に応挙の写生風へ近づき、後に四条派の祖となったと説明する。応挙の観察主義は、円山派だけで閉じず、円山四条派として19世紀、さらに近代へ長く続いた。

1785年は「魚だけを静かに描く」余裕のある成熟期だった

Metは左幅の下部に応挙の署名と1785年の年記があるとし、この年を彼の多作な画業の頂点と表現する。

同じ1785年、MIHO MUSEUM所蔵の《孔雀図》も制作されている。MIHOは、花鳥画こそ応挙の写生技法を最も観察しやすい分野かもしれないとし、孔雀を彼の得意題材として挙げる。

孔雀は華麗で、権威ある依頼にも向く題材だった。一方、《春秋遊魚図》の中心はアユだ。豪華な異国鳥ではなく、日本の川を一年で往復する小さな魚。その選択が応挙の観察の幅を示す。

対象が珍しいから描くのではない。身近な魚でも、見れば時間と生命がある。

右幅の8尾と左幅の3尾は、単なる「減少」ではない

8尾から3尾へ減っている。ここから「成長の途中で5尾が死んだ」と物語化したくなるが、その読みを裏付ける資料はない。Metも個体数の減少に寓意を与えていない。

重要なのは、二幅で魚の群れの性格が変わることだ。右幅は小さい魚が複数、上流へ向かう。左幅は大型化した魚が少数で下る。画面の密度も、季節の気配も違う。

生物の一生を描くとき、応挙は同じ魚を連続漫画のように追跡していない。若さの「群れ」と成熟の「帰路」を対比している。

アユは京都そのものにもつながる

応挙の活動地である京都にとって、アユは抽象的な季節魚ではない。京都府は現在も鴨川などでアユの遡上数を調査している。府の資料によると、アユは大阪湾から淀川水系を経て鴨川へ、往復約100キロの道のりを移動する。

京都府は、その長い旅を経て鴨川で産卵・育成する姿を「地域の自然の豊かさとつながりを象徴」するものと表現する。

1785年の応挙が、現代の鴨川遡上調査と同じ魚群を見ていたと証明することはできない。特定の川を《春秋遊魚図》の舞台と決める根拠もない。

それでも、応挙が京都で自然を観察し、京都周辺の人々がアユの遡上と季節を身近に知っていた世界を考えると、この魚は「日本らしい季節の記号」以上のものになる。実際に水系を移動する生命だった。

「春と秋」だけで、冬と海まで想像させる

二幅には冬が描かれていない。海も描かれていない。産卵も、卵も、ふ化した仔魚も見えない。

しかし、アユの生活史を知ると、描かれていない時間が画面の外に続く。左幅の成魚が下流へ向かえば、その先に秋の産卵場がある。ふ化した仔魚は海へ下り、冬を過ごし、翌春にまた川を上る。

二幅は「春→秋」で終わっているように見えて、実際には円環になる。左幅の先が、次の右幅の前史になる。

左の秋は終点ではない。次の春の入口である。

「一生」を描くのに、死を描く必要はなかった

アユは一年で一生を終える。だからこの作品を「生と死の寓意」と呼びたくなる。しかし応挙は死んだ魚を描いていない。秋の成魚も、生きて泳いでいる。

死を直接描かず、方向だけを変える。春の魚は上へ。秋の魚は下へ。その差を知る人には、産卵と死がその先にある。

これは日本美術でよく見られる「無常」をすぐ持ち出すより、具体的で強い。抽象的な人生訓ではなく、一種類の魚の実際の生態が、時間の有限性を見せるからだ。

Metの英語題「Summer and Autumn」と日本語参考題「春秋」

作品名のずれには、無理に一つの正解を作らない方がよい。Metの現行英語ページはFish in Summer and Autumn。同じページのReferences欄は「円山応挙筆 春秋遊魚図」。過去のBurke CollectionカタログではSweetfish in Summer and Autumnとされた例もある。

画面そのものも境界にいる。右幅の花は春のツツジだが、若鮎はその後の夏を川で成長する。左幅は紅葉で明確に秋を示す。だから英語題の「Summer」は、右幅の一点の季節表示というより、若鮎の上流生活の時間を広く捉えた題名と考える余地がある。

本稿では、日本語ではMetが参考表記する「春秋遊魚図」を使い、英語では現行コレクション名Fish in Summer and Autumnを使う。両者が完全に逐語一致しないこと自体を隠さない。

この二幅は、魚類図鑑でも季節画でもない

応挙の作品を「科学的に正確な魚」とだけ言えば、美術の部分が消える。「秋らしいアユ」とだけ言えば、観察の部分が消える。

応挙が作ったのは、その両方が必要な絵だ。魚の方向に説得力があり、植物の季節に説得力がある。その上で、二幅の位置関係を使って時間を構成する。

これは写生が最終目標ではなく、材料だったことを示す。よく見る。よく知る。その後で、必要なものだけを残す。

だから水面は説明しすぎず、背景も空ける。魚の動きが読める程度に川を与え、季節が分かる程度に花と紅葉を与える。自然観察とデザインが衝突していない。

1733年:丹波国穴太村(現・京都府亀岡市)に生まれる。

10代半ば:京都へ出て、石田幽汀に絵を学んだと伝えられる。

1760年代:中国絵画、西洋式遠近法、眼鏡絵などを吸収しながら、写生を基礎とする画風を確立。

1770年代:現在の東京国立博物館などに残る多数の写生図を制作。

1785年:《春秋遊魚図》を制作。Metは成熟期の代表的な年として位置付ける。

1795年:応挙死去。

2015年:Mary Griggs Burke CollectionからThe Metへ寄贈。

2017年:The MetがPublic Domain画像をOpen Access / CC0で公開する制度を全面展開。

2026年9月5日:Japan.co.jp「本日のアート」に選定。

Today’s Art Choice:秋を「紅葉」ではなく、川を下る魚で見る

9月初旬、日本の多くの地域ではまだ本格的な紅葉には早い。だから9月5日の「本日のアート」に《春秋遊魚図》を選ぶことには、少し先取りの感覚がある。

しかし、この作品の秋は、赤いカエデだけではない。魚が向きを変えることで始まる。

若いアユは春、海から川へ入る。夏を川で過ごし、秋になると下る。応挙はその一年を、説明文も暦も使わず、魚の大きさ、数、方向、花、紅葉で見せた。

写生とは「その魚を正しく描く」ことだけではなかった。魚がどの季節にどちらへ動くかまで含めて、自然を見ることだったのかもしれない。

二幅の間には、描かれていない夏がある。左幅の先には、描かれていない産卵と冬の海がある。そして、その海の先に、また次の春がある。

円山応挙が1785年に描いた11尾のアユは、静止しているのに、一年を泳ぎ続けている。

資料・出典

  1. The Metropolitan Museum of Art「Fish in Summer and Autumn」 — 作品名、1785年、8尾の若鮎と3尾の成魚、春のツツジ、秋のカエデ、泳ぐ方向、寸法、所蔵情報、Public Domainを確認。References欄に「円山応挙筆 春秋遊魚図」。
  2. The Metropolitan Museum of Art「Open Access」 — Public Domain作品画像をCreative Commons Zero(CC0)で公開していることを確認。
  3. 京都国立博物館「生誕290年 円山応挙」 — 円山応挙(まるやまおうきょ)の読み、生没年、穴太村、石田幽汀、西洋画法・中国絵画、写生を基礎にした画風、近代日本画への影響。
  4. 京都国立博物館「応挙と写生画」 — 18世紀京都における写生の意味、応挙の人気、上田秋成による同時代評、長沢芦雪への継承。
  5. 東京国立博物館「写生帖」 — 1770年代頃の写生図、自然観察と博物学的関心の高まり。
  6. MIHO MUSEUM「孔雀図(円山応挙筆)」 — 眼鏡絵、中国画、写生技法、円満院時代、1785年の成熟期作品について。
  7. 京都国立博物館 館蔵品データベース「双鹿図」 — 応挙の緻密な写生と装飾性の融合。
  8. 京都府「丹後の海の生き物 アユ」 — アユを年魚とすること、春の遡上、秋の産卵、付着藻類を食べる生態、香魚の呼称。
  9. 国土交通省近畿地方整備局「天然アユの一生」 — 秋の産卵、仔魚の海への流下、春の遡上、夏の成長、秋の下降という一年の生活史。
  10. 京都府「海と川の環境を守る取組」 — 大阪湾から鴨川まで約100kmを移動するアユ、鴨川での遡上調査。
  11. The Metropolitan Museum of Art「Mary Griggs Burke Collection」 — 2015年のBurke Collection寄贈の背景。

本稿は2026年9月4日午前7時45分(日本時間)までに確認できた公開資料を照合した。作者名「円山応挙(まるやまおうきょ)」、出生地、師名、写生に関する専門用語は京都国立博物館等の日本語一次・公的資料を優先して確認した。本作の日本語題「円山応挙筆 春秋遊魚図」は現在の所蔵館The Metropolitan Museum of ArtのReferences欄に基づく。日本の公的美術館データベースで本作品自体の作品名フリガナを確認できなかったため、本稿ではタイトルの読みを断定していない。Metの現行英語題は Fish in Summer and Autumn だが、日本語参考題は「春秋遊魚図」であり、右幅の花もMetが「spring azaleas」と説明している。この不一致を記事中で明示し、無理に同一化しなかった。また、作品がアユの生活史を意図的な科学図解として描いたという制作意図は確認できないため、生態との一致は作品解釈として区別した。

画像の権利: 原作品およびThe Metのデジタル画像はPublic Domain。The Metropolitan Museum of ArtはOpen Access画像をCC0で公開しており、商用・非商用を問わず許諾料なしで再利用できる。本稿ではThe Metの公開IIIF画像を表示している。作品:円山応挙「春秋遊魚図」/Fish in Summer and Autumn、1785年、The Metropolitan Museum of Art, 2015.300.198a, b。