86km/hの飛行で、何が実証されたのか

7月13日午前8時ごろ、山口きらら博記念公園内の試験場から、白い機体が12基のローター音を重ねて上昇した。SkyDriveのSD-05は操縦士も乗客も乗せず、自動制御と地上からの遠隔操縦で2kmを6分20秒飛行。最高速度86km/h、最高高度30mに達した。午前11時5分ごろの2回目は1.9kmを5分42秒、最高54km/h、高度25mだった。

現場には山口県知事、県議会副議長、量産パートナーであるスズキの鈴木俊宏社長が立ち会った。機体だけでなく、自動車で到着した将来の利用者をバーティポートへ案内し、搭乗へつなぐ流れも再現した。つまり試験の主題は「飛べるか」から「旅行商品として一連の体験を作れるか」へ少し広がった。

ただし、見出しを現実より先へ飛ばしてはいけない。公式発表は「瀬戸内海の遊覧飛行を模擬した」と述べる。これは認証済みの旅客サービスでも、有人の島間飛行でもない。86km/hも機体が6月の高速試験で記録した100km/hを下回る。今回の価値は記録更新ではなく、将来の運航環境に近い場所で、機体と地上動線を一緒に確認したことにある。

2.0km第1飛行の距離。飛行時間は6分20秒。
86km/h第1飛行の最高速度。最高高度は30m。
12基SD-05を浮上・推進・制御する独立したモーターとローター。
2028年SkyDriveが現在掲げる商用化目標。

「空飛ぶクルマ」だが、道路は走らない

日本で「空飛ぶクルマ」と呼ばれる機体の多くは、映画のように道路から翼を出す自動車ではない。航空法上の航空機であり、英語ではeVTOL――electric vertical takeoff and landing、電動垂直離着陸機――と呼ぶ方が正確だ。滑走路なしで上昇し、電気モーターで短距離を飛ぶ。

SD-05は長さ約11.5m、幅11.3m、高さ3m。操縦士1人と乗客2人の3席で、最大離陸重量は1,400kg。公表される最大巡航速度は100km/h、航続距離は15〜40kmである。固定翼で滑空する長距離型ではなく、12ローターのマルチコプターとして小ささと運用の単純さを狙う。町中の短い移動や遊覧に適する可能性がある一方、ローターだけで揚力を作り続けるため、航続距離と電力効率には厳しい制約がある。

仕組み長所難しさ
電動モーター燃焼を伴わず、機械的に単純。応答が速い。電池は液体燃料より重量当たりエネルギーが小さい。
垂直離着陸長い滑走路が不要。浮上時の消費電力、下降気流、騒音、着陸場安全が課題。
12ローター分散推進と冗長性を設計しやすい。故障の組合せ、振動、制御ソフトを認証で証明する必要。
小型3席狭い場所と低需要路線へ入りやすい。操縦士が1席を使う初期段階は、一便の売上が限られる。
電気で飛ぶことと、安く飛べることは同じではない。滑走路を消しても、電池、整備、操縦士、着陸場、気象判断、保険は消えない。

ガレージの夢から航空機メーカーへ

物語は会社設立より前に始まる。2014年、自動車・航空・製造分野の有志がCARTIVATORとして試作を始めた。SkyDriveは2018年7月に法人化。2019年には日本初とする有人eVTOL試験に成功し、2020年8月には一人乗り実験機SD-03の公開有人飛行を行った。小さな機体が限られた試験区域で数分浮上した映像は、「日本発の空飛ぶクルマ」を抽象的な未来から実物へ変えた。

2021年10月、国土交通省は同社の型式証明申請を受理した。2023年にはSD-05を2席から3席へ大型化。2024年3月、スズキグループの静岡県磐田工場で製造子会社Sky Worksが試験機の生産を始めた。想定能力は年最大100機。自動車量産の軽量化、品質、部品供給の知恵を航空へ移す試みである。

2025年の大阪・関西万博では機体を一般の目の前で飛ばし、同年のJCAB認証作業ではSD-05に適用する「G-1」認証基準が発行された。万博で旅客輸送を始めるという当初の勢いある目標は実現しなかったが、デモ飛行は社会受容性と実機データを残した。2026年6月には100km/hへ到達し、同月までの20か月で300回の飛行を無事故で完了したと会社は発表する。7月の山口飛行は、その連続線上にある。

節目
2014CARTIVATORの有志が空飛ぶクルマの試作を開始。
2018SkyDrive設立。政府も「空の移動革命」官民協議会を設置。
2019–20有人試験、SD-03公開飛行。
2021日本初として型式証明申請が受理。
2024スズキ工場でSD-05試験機の生産開始。FAAも申請を受理。
2025大阪・関西万博で公開飛行。JCABが認証基準を設定。
2026100km/h、累計300飛行、山口で遊覧運航を模擬。
2028現在の商用化目標。認証取得と運航体制が前提。

なぜ瀬戸内海なのか

瀬戸内海は本州、四国、九州に囲まれ、700を超す島々、穏やかな海、港、橋、世界遺産、現代美術で知られる。1934年には一帯が日本最初の国立公園の一つに指定された。海上に島が連なる景観は、短い空中遊覧の価値を説明しやすい。

同時に、島の交通は美しいだけではない。船便は生活を支えるが、時刻、乗換え、天候、需要密度に制約される。eVTOLがフェリーを置き換えるのではなく、医療、災害、観光の高付加価値移動を補うなら、短い航続距離でも意味がある。最初の市場が毎朝の通勤ではなく遊覧になるのは合理的だ。景色そのものが料金を生み、決まったルートを反復し、利用者は時間短縮だけでなく体験へ支払うからである。

しかし景勝地ほど静けさも商品である。多数の小型ローターが作る音は、デシベルだけでなく音色、頻度、飛行回数、時間帯で受け止められる。海鳥、住民、寺社、漁業、既存航空との調整もいる。「電動だから静か」という宣伝文句では足りず、実際の飛行経路ごとの測定と地域合意が必要だ。

最大の関門は速さではなく型式証明

試験機が飛ぶ許可と、一般客を毎日運ぶ型式証明は別世界である。型式証明では、設計、構造強度、飛行特性、ソフトウェア、電池、落雷、火災、操縦性、製造品質、整備方法まで、安全基準への適合を証拠で示す。故障しないと願うのではなく、一つが故障したとき何が起きるか、複数故障の確率はどれほどか、安全に着陸できるかを分析し、地上・飛行試験で裏づける。

電池の熱暴走は特に重大だ。電池を大きくすれば航続距離は伸びるが、重量も増え、浮かせるためにさらに電力がいる。急速充電は運航回数を増やす一方、温度管理と寿命へ負担をかける。航空会社が必要とするのはカタログ上の最大距離ではなく、予備電力、向かい風、経年劣化、暑さ・寒さを織り込んだ実用航続距離である。

SkyDriveはJCABとFAAの認証を進める。米FAAはpowered-liftを約80年ぶりの新しい航空機カテゴリーとして運航・操縦士規則を整備し、欧州EASAもVTOL専用の安全目標を作った。新機体の競争は企業同士だけでなく、世界の規制当局が未知の設計をどう共通言語へ変えるかという作業でもある。

機体だけでは交通にならない

利用者が購入するのは機体ではなく、予約から到着までの信頼できる移動だ。バーティポートには着陸面、障害物管理、充電、消防、避難、旅客待合、保安、気象観測がいる。管制・空域には飛行計画、通信、緊急経路がいる。運航会社には航空運送事業の能力、操縦士、整備士、運航管理、訓練、保険がいる。

そのためSkyDriveは2026年7月、HondaJetやBellヘリコプターを運航するJapan Biz Aviationと協議を始めた。同社公表の注文関連総数427機の多くを占める鉄道会社などは、航空運送事業者ではない。機体メーカーが顧客へ鍵を渡すだけでは飛ばせない。

大阪では万博用に整備された大阪港バーティポートを商用化する官民コンソーシアムが発足し、府内146カ所の緊急用ヘリパッド活用も調べる。2035年ごろに大阪湾周辺100機という関西の構想もある。東京では2028年度以降の候補地選定へ向けた調査が進む。万博の「未来展示」が、着陸場、制度、人材という地味な遺産を残せるかが問われている。

2028年までに見るべき数字

指標教えてくれること
型式証明の試験進捗デモから認証製品へ移れたか。
実用航続距離と予備電力風、温度、電池劣化込みで運航できる路線。
騒音値と飛行回数地域が日常的に受け入れられるか。
充電・折返し時間一機が一日に何便売上を作れるか。
運航中止率風、雨、視程の中で交通として信頼できるか。
一席一便当たり総費用観光商品から日常交通へ広がれるか。
事故・重大インシデント最重要。300回は出発点で、商用航空は桁違いの実績を求める。

空を道路にする前に

SD-05の山口飛行は、SFが現実になった瞬間でも、明日から空中タクシーが走る証明でもない。むしろ面白いのは、その中間にあることだ。日本の自動車部品、軽量化、電動化、航空認証、鉄道網、観光、地方政策を一つの新産業へ接続しようとしている。

成功すれば、瀬戸内の島を眺める数分の遊覧から、離島医療、災害輸送、都市間の短距離移動へ用途が広がるかもしれない。失敗するとすれば、機体が飛べないからとは限らない。認証が長引く、座席が少なく高い、天候で欠航する、騒音が嫌われる、着陸場が作れない――交通はこうした全体の弱い輪で止まる。

ライト兄弟の1903年の飛行も、航空会社ではなかった。飛行機を社会基盤にしたのは、その後のエンジン、材料、空港、無線、気象、管制、整備、規則、そして人々の信頼である。SkyDriveが挑む「空の移動革命」も同じだ。86km/hより重要なのは、2028年のある朝、予約した人が安全に乗り、予定どおり戻り、翌日もまた飛ぶこと。それができたとき、空飛ぶクルマは初めて「クルマ」のような存在になる。

出典・参考資料