実験で得たデータを、次の発見に使える形に整える。解析の手順を記録し、別の研究室でも動くプログラムにする。AIの出力が研究対象の性質を捉えているのか、データの偏りを拾っているのかを見極める。科学と情報技術の両方に通じた人材が力を発揮するのは、こうした判断の積み重ねの場面だ。
理化学研究所は9月2日、新制度「理研リサーチエンジニア・フェロー」の募集を始めた。研究経験と数理・計算・ITの知識を持つ人材に、研究現場でデータやAIを活用する経験を積んでもらう。情報統合本部が、セキュリティーを含む技能の習得を支援する計画だ。9月4日の発表では、育成した人材が大学や企業などでも活躍することを目標に掲げている。[1]
初回となる2027年度の採用予定は5人程度。規模は小さいが、研究室を横断して働く専門職の育て方を考えるうえで、注目すべき試みである。名称はフェローでも、学生向けの奨学金ではなく、理研が雇用する任期付きの職だ。[2]
研究課題を理解し、技術で前に進める
理研の制度説明は、リサーチエンジニアを研究の補助にとどまらない存在として位置付けている。研究内容を理解し、計算やデータ処理の方法を考え、研究者とともに課題の解決に当たる。原則として複数の研究室で経験を積む点が、この制度の柱となる。[4]
この役割を具体的に考えてみる。ある解析で期待した傾向が出ても、測定装置の違いや処理条件が結果を左右しているかもしれない。数値だけを見れば見逃す問題も、実験の背景を知っていれば確かめるべき箇所が見えてくる。反対に、研究上の問いが明確でも、データの形式や計算手順が整っていなければ検証を繰り返しにくい。研究経験と技術力を結び付ける意味は、両側の事情を理解して作業を設計できることにある。
もちろん、全員があらゆる研究分野や技術を最初から習得するという話ではない。受入研究室の一覧では、分野ごとに異なる業務と技能が示されている。そこで挙げられた技能も、すべてを備えていることが一律に求められるわけではない。応募者と研究室が、何を一緒に進められるかを具体的に相談する制度になっている。[5]
データの整備から量子計算まで
受入先の一つ、研究DX基盤開発チームが掲げるのは、研究データの収集、管理、共有、解析や、その自動化に関わる仕事だ。電子実験ノートやデータ管理などの技術を、異なる研究分野の現場につなぐ。生命医科学大容量データ技術研究チームでは、AIや機械学習に用いるデータの整備、標準化、品質などが業務に含まれる。量子計算機システムデザイン研究チームは、誤り耐性量子計算に関するソフトウェアなどを対象に挙げている。[5]
この幅広さから分かるのは、AIの利用を一つのアプリの操作に置き換えることはできないという点だ。生物の測定結果を扱う場合と、量子計算機の仕組みをソフトウェアで表現する場合とでは、誤りの意味も、確かめ方も違う。これらは受入業務の例であり、採用者全員がすべての分野を担当するという予定ではない。
大型計算機とともに、人の仕事も変わる
1917年に設立された理研は、物理、化学、生命科学から計算科学までを扱う研究機関となった。2021年3月9日には、スーパーコンピュータ「富岳」の共用が始まった。分野の広さと計算基盤の充実は、新制度を考える背景になる。ただし、フェローに「富岳」の利用枠が自動的に与えられるといった制度ではない。[6][7]
研究を支えるソフトウェアの専門職をどう位置付けるかは、海外でも以前から議論されてきた。英国のSociety of Research Software Engineeringが記す歴史によると、2012年の研究者向けワークショップで、研究用ソフトウェアを開発する人々の役割やキャリアが議題になった。その活動は、2019年の同団体の設立につながった。[8]
英国で発展したResearch Software Engineerと、今回の理研のリサーチエンジニアは、対象となる業務が完全に一致するわけではない。理研の制度にはデータの管理や実験との接続も含まれる。それでも、研究に必要な技術を専門性として育て、その担い手に職業としての見通しを与えるという問題意識には共通点がある。これは制度の比較から導かれるJapan.co.jpの見方であり、理研が英国の仕組みをそのまま導入したという意味ではない。
「公開したデータ」を「使えるデータ」に
もう一つの背景は、データを長く使えるようにする考え方の広がりだ。2016年に発表されたFAIR原則は、データなどを見つけられ、アクセスでき、組み合わせて扱え、再利用できるようにする指針を示した。人だけでなく、機械がデータを発見し利用することも重視する。公開ファイルの数を増やすだけでは、この条件は満たせない。[9]
理研も2026年2月20日、所内で公開する約70のデータベースの情報を集めた「理研データポータル」を公開した。分野をまたいだキーワード検索ができる。約70件の新しいデータセットを作成したという発表でも、元のデータを一つに統合したという発表でもない。分散していた情報への入口を整えた取り組みだ。[10]
入口の整備と、解析に使える状態を保つことは、つながっているが別の仕事である。測定条件、単位、処理の履歴、利用条件が分からなければ、データを見つけても適切に比較できない。こうした情報を整える仕事は、AIが研究の中で使われるほど、その結果を検証する土台にもなる。
応募で押さえるべき日程と条件
募集要項による主な条件は次の通り。応募前に受入候補の研究室と連絡を取り、受入れと業務内容を確認する必要がある。提出書類や推薦書は日本語または英語で受け付ける。推薦者2人からの提出も必要なため、登録だけで応募が完了するわけではない。[2][3]
| 登録締切 | 2026年10月23日 17:00 |
|---|---|
| 応募書類・推薦書締切 | 2026年10月30日 14:00 |
| 着任可能期間 | 2027年4月1日〜2028年1月1日 |
| 博士号 | 原則2016年1月1日以降に取得。着任時までの取得見込みも対象。研究中断などに関する例外あり。 |
| 雇用期間 | 単年度契約。評価などにより更新し、採用日から最長3年。 |
| 給与 | 採用時の年俸の月額と裁量労働手当の合計が月55万円以上。手取り額ではない。 |
この表は要約であり、必要な技能、提出方法、例外や更新条件は、リンク先の最新の募集要項で確認する必要がある。[2][3]
Japan.co.jpの視点:育成の先に残るもの
複数の研究室を経験する仕組みは、ある現場で身に付けた方法を別の分野で問い直す機会になり得る。一方、異動のたびに知識が途切れないよう、コードや手順を引き継ぐ時間も必要になる。制度の成果を考える際には、論文だけでなく、他の研究者が使い続けられるソフトウェアやデータ、再現可能な作業手順にも目を向けたい。これは本誌の評価上の提案であり、理研が公表した具体的な評価基準を示すものではない。
雇用の先行きも重要だ。理研は任期後の所内でのキャリアパスについて検討すると説明している。恒久的な職を約束したものではなく、初回募集の段階で育成の実績を評価することもできない。[4]
新制度が試すのは、研究と技術を行き来できる人を、研究室の外にも通用する専門職として育てられるかどうかである。採用人数だけでは、その答えは出ない。フェローが去った後にも使われる仕組みと、本人が次の仕事に持ち出せる経験が残るか。その両方が、これから追うべき成果となる。
- 理化学研究所:理研リサーチエンジニア・フェローの募集開始(2026年9月4日)
- 理化学研究所:2027年度募集要項(日本語)
- 理化学研究所:2027年度募集要項(英語)
- 理化学研究所:理研リサーチエンジニア・フェロー制度
- 理化学研究所:2027年度受入研究室一覧(PDF)
- 理化学研究所:理研について(沿革・研究分野)
- 理化学研究所:スーパーコンピュータ「富岳」共用開始(2021年3月9日)
- Society of Research Software Engineering:活動の歴史
- Wilkinsonほか:FAIR原則(Scientific Data、2016年)
- 理化学研究所:理研データポータル公開(2026年2月20日)
