AIはデータが多いほど賢くなる――。その常識が、事業の立ち上げ時には弱点になる。新しい店舗、新商品、新サービス、新設したデジタル広告。まさに予測が必要な最初の日ほど、学習に使える「過去」がないからだ。

NTTドコモは9月28日、こうした「コールドスタート問題」に対応する新しいAI技術「Dual-view Adaptive Retrieval augmented Tweedie model(DART[ダート]手法)」を確立したと発表した。過去データが極端に少ない対象でも、偏りの大きいデータを扱いやすいTweedie(ツイーディ)分布と、似た条件を持つ「近傍事例」を組み合わせて予測する。研究論文は、推薦システム分野の国際会議「ACM RecSys 2026」に採録された。[1]

ドコモが最初の実証先として挙げるのは、屋外デジタル広告(DOOH)だ。たとえば都心の主要駅に新しいデジタルサイネージを設置した日、通常ならその場所で広告が何回見られるかを判断する履歴がほとんどない。DARTは、同じ地域の別の場所や、似た属性を持つ既存の事例から共通パターンを探し、初期段階の予測を補う。ドコモは2026年度中、国内外のDOOH事業で実証し、グローバルでの活用を目指すとしている。[1]

「データがないと予測できない」というAIの矛盾

推薦システムは、利用者が過去に何を見たか、買ったか、クリックしたかといった履歴から次の行動を推測する。十分な履歴がある成熟サービスでは強力だが、新しい利用者や新商品には履歴そのものがない。これがコールドスタート問題である。

ドコモは自社の技術ジャーナルでも以前からこの問題を扱ってきた。2023年のレコメンド技術解説では、利用者の行動履歴が蓄積される前だけでなく、新しいコンテンツが追加された直後にも「誰がクリックしたか」という情報がなく、推薦が難しくなると説明している。その際には作品のタイトルやジャンルなどのメタ情報を使い、履歴のないコンテンツにもスコアを付ける仕組みを開発していた。[2]

DARTは同じ難問を、より一般的な「予測」の問題へ広げる。対象となる店や広告枠そのものに履歴がなくても、周囲にある似たケースを探し、その情報を利用する。

AIの弱点は、未来を予測することではなく、「初めて」を予測することにある。DARTが狙うのは、履歴が育つまで待たなければならなかった時間を短くすることだ。

第一の工夫――「平均の周りに集まる」と仮定しない

DARTの一つ目の柱はTweedie分布である。ドコモは、従来のAI学習で広く使われるガウス分布について、データが平均の周辺に左右対称に集まる状況を表現しやすい一方、現実の事業データにはそれに合わないものが多いと説明する。[1]

広告の反応や人流は典型だ。多くの時間帯では値が小さい、あるいはゼロに近いのに、イベントや通勤時間には突然大きく跳ねることがある。SNSの反応も、ほとんど反応のない投稿が大量に並ぶ一方、ごく一部が大きく伸びる。

Tweedie分布は、ゼロが多く、ゼロを超える値には大きなばらつきがあるようなデータを一つの枠組みで表現できる確率分布族として知られる。統計学では、平均と分散の関係をべき乗で表す指数分散モデルの一群で、パラメーターによって正規分布、ポアソン分布、ガンマ分布などにつながる。特に1<p<2の領域では、ゼロの確率を持ちながら正の連続値も扱える複合ポアソン・ガンマ型になる。[3]

保険金額や降水量など「ゼロの日が多いが、発生すると量が大きく変わる」問題で利用されてきた統計モデルを、ドコモは推薦・予測AIの学習ルールに組み込んだ。

第二の工夫――自分の過去がなければ「似た他者」から借りる

DARTのもう一つの柱は「近傍検索拡張手法」だ。新しい店舗に履歴がないなら、同じ地域の既存店舗を見る。新商品なら、似たジャンルの商品を見る。場所、時間、属性など複数の特徴から「近い」事例を自動的に探し、その情報を予測へ反映する。[1]

これは人間の経営判断にも似ている。新店の売上を予想するとき、店長は「この店の去年」を見ることはできない。代わりに、駅の乗降客数、周辺店舗、曜日、時間帯、商圏、似た業態の実績を参考にする。DARTは、その比較対象探しを機械学習の中へ組み込む。

「Dual-view」という名前は、リリースで詳細な数式説明までは示されていないが、ドコモが公表した構成では、偏った目的変数を扱うTweedieベースの学習と、複数の属性から近傍事例を拾う検索拡張を組み合わせることが中心となる。

なぜDOOHなのか――ドコモはすでに広告の「見られ方」をデータ化している

DARTの最初の用途としてDOOHが選ばれたのは偶然ではない。ドコモは位置情報や人流データを用いた広告事業をすでに国内外へ広げている。

2026年4月、ドコモはベトナムのDATVIETVACグループとの合弁会社「Vie BOARD CORPORATION」がホーチミン市でデジタルサイネージ網を運営すると発表した。これはドコモにとって初の海外DOOH事業で、海外GPSデータを使い、広告を見る可能性のある人数や性別、年代、興味関心などを推定する「DOCOMO Data Science」を提供する。[4]

つまりDARTは、まったく新しい事業に突然持ち込まれるAIではない。ドコモがすでに持つ人流・広告計測の事業基盤に、「履歴が少ない初期段階でも推定する」という機能を追加する位置付けになる。

新しいサイネージを設置した初日にインプレッションを推定できれば、広告枠の価格を決め、販売を始めるまでの待ち時間を短縮できる。これはAIの精度競争だけでなく、設備投資から売上発生までの時間を縮める経営技術でもある。

「高精度」という言葉は、実証前に慎重に読む必要がある

一方で、今回の発表には重要な留保がある。ドコモはDARTを「高精度」と説明し、論文がACM RecSys 2026に採録されたとしているが、公表されたニュースリリースには、比較対象となった既存モデル、使用データセット、誤差率、改善率などの具体的なベンチマーク値は記載されていない。[1]

したがって現段階で、「従来AIより何%優れる」といった評価を独自に付けることはできない。実運用での有効性についても、ドコモ自身が2026年度中に国内外のDOOH事業で実証する予定としている。研究会議への採録は学術的な審査を通過したことを示すが、商用環境での収益性や汎用性まで証明するものではない。

この区別はAI記事では特に重要だ。モデルの新規性、実験データ上の性能、現場での性能、事業価値は、それぞれ別の段階で検証される。

推薦システム研究は20年目へ

論文が採録されたACM Conference on Recommender Systems(RecSys)は、2007年に始まり、2026年で20回目を迎える。今年は第1回と同じ米国ミネソタ州で開催され、メインセッションは9月29日から10月1日まで。学術研究者だけでなく、ECやデジタルサービスの企業技術者が集まり、推薦、説明可能性、公平性、生成AI、対話型推薦、評価手法などを扱う。[5]

20年前の推薦システムは「この商品を買った人は、これも買った」という協調フィルタリングの改善が中心だった。現在は、ユーザーと商品だけでなく、場所、時間、会話、画像、音声、複数サービスの文脈まで統合しながら予測する方向へ広がっている。

それでもコールドスタート問題は消えていない。むしろAIを新規事業へ導入する企業が増えるほど、「十分なデータが集まるまでAIが役に立たない」という矛盾は経営上の問題として大きくなる。

ドコモにとって、データ活用は通信の外側へ広がってきた

NTTドコモは1992年7月に営業を開始し、1999年に「iモード」を開始した。携帯電話を音声端末から情報サービスの入口へ変え、2001年にはFOMAで3Gサービスを開始、2010年にはLTE「Xi」を導入した。[6]

会社の現在の事業区分は、コンシューマ通信だけではない。動画・音楽などを含むスマートライフ、マーケティングソリューション、法人通信などへ広がっている。2026年3月末時点でドコモ単体の従業員は9,876人、グループは53,780人。[7]

通信会社がAI研究をする意味も、この変化の中にある。ネットワークを提供するだけなら、AIは通信品質を最適化する道具でよい。しかし広告、コンテンツ、決済、法人ソリューションまで扱う会社では、需要予測や推薦そのものがサービスになる。

「少ないデータで学ぶ」はAI実装の次の競争軸

生成AIの時代には、大規模データと大規模計算資源が注目されがちだ。しかし企業の現場では、むしろ「十分なデータがない」案件が多い。新製品、地方の新店舗、低頻度の故障、新しい顧客層、海外進出直後のサービス。どれも学習データが少ない。

そこで重要になるのが、少量データ学習、転移学習、近傍検索、基盤モデル、合成データなど、既存の知識を別の対象へ移す技術だ。NTTの技術ジャーナルも2026年、製造業の画像認識AIについて、Few-Shot学習やZero-Shot学習が学習データ収集負担を減らす重要な潮流になっていると整理している。[8]

DARTはその広い流れの中で、特に「ゼロが多く偏った数値データ」と「似た事例からの知識移転」を組み合わせたアプローチだ。

次に見るべきは、論文より実証現場

2026年度末までに予定されるDOOH実証では、少なくとも三つの点が焦点になる。

第一に、本当に履歴が少ない設置初期でどの程度の誤差に収まるか。第二に、都市や国が変わっても似た事例を正しく選べるか。第三に、データが蓄積した後も通常のモデルと比べて競争力を維持できるかだ。

さらに、広告や推薦では精度だけでなく、プライバシー、データ利用の透明性、偏りの管理も欠かせない。近傍事例を使うほど、「何を似ていると判断したか」が結果へ強く影響する。

AIが十分な履歴を持つまで待たず、初日から仕事を始められるなら、新規事業のスピードは変わる。ただし、その価値は研究室の精度だけでは決まらない。

本当に難しいのは、データがない場所で予測を始めること。そして、その予測が間違ったときに、すぐ学び直せる仕組みを作ることだ。