博多駅に隣接するバスターミナルの会議室で、九州の中小企業経営者たちは一枚の紙に、少し変わった宣言を書くことになる。AIで何時間減らせそうか、ではない。その時間をどこへ持っていくのか――新規営業なのか、製品改善なのか、社員教育なのか、顧客への対応なのか。九州経済産業局の新しい支援事業は、これを「削減時間の出口の宣言」と呼ぶ。
この言葉は、AIをめぐる日本企業の弱点を正面から突いている。要約や文書作成が速くなっても、その時間が会議や転記に吸収されれば、経営成果は変わらない。便利な実験を売上や利益、仕事の再設計へつなぐには、空いた時間の使い道まで経営者が決めなければならない。
2026年7月28日に募集が始まった「Next Leap AX―経営変革×AI活用プログラム」は、その橋を架ける試みだ。対象は九州の中小企業の経営者、経営幹部などで、採択予定は20社程度、各社2人ほど。参加費は無料。9月15日、10月5日、10月29日の三回、博多バスターミナルで課題整理、活用案の具体化、実行計画づくりを進める。申込期限は8月31日だ。
「AIを知った」で終わらせない
地方のデジタル支援は、長く三つの形を取ってきた。セミナーで知る。補助金で買う。専門家に相談する。どれも必要だが、知識、道具、相談がばらばらなら、導入は単発で終わる。
Next Leap AXの設計は、その分断を一本の経営プロセスにまとめようとしている。第1回は、AIでできることと自社の課題を分けて考え、現在地を確認し、「削減時間の出口」を宣言する。第2回は経営者目線の事例とAI体験を通じ、具体的な活用案にする。第3回は実行テーマ、社内への広げ方、必要な人材像、人事制度、外部人材を受け入れる体制まで決める。
その後、事務局がフォロー面談を行い、希望企業にはAX専門人材の候補を紹介する。福岡県CXOバンクの登録者なども候補になり、紹介手数料はかからない。ただし、マッチング成立後の専門人材との契約は有償だ。公的支援が入口と設計を支え、継続実装には会社自身が投資判断をする構造になっている。
| 回 | 日時 | 経営課題 | 持ち帰るもの |
|---|---|---|---|
| 第1回 | 9月15日(火)16:00–18:00 | 自社課題とAIの可能性を混同しない | 現在地と削減時間の出口 |
| 第2回 | 10月5日(月)16:00–18:00 | 便利な体験を事業案へ変える | 具体的なAI活用案 |
| 第3回 | 10月29日(木)16:00–18:00 | 実行、人材、制度、社内展開を設計する | 実行計画と人材要件 |
| 終了後 | フォロー面談 | 社内だけで足りない能力を補う | 希望企業とAX専門人材の接続 |
九州の産業史は、技術導入だけの歴史ではない
九州で「外から来た技術を現場に合わせる」という話は新しくない。1901年、官営八幡製鐵所が操業を始めた。ドイツから導入した製鉄技術は、そのままでは日本の原料や生産条件に合わず、高炉、煙突、コークス工程を改良しながら量産へ到達した。設備を買ったことではなく、地域の原料、技能、管理に合わせて工程を作り直したことが産業化だった。
戦後、九州は鉄鋼、化学、自動車、半導体へ産業の層を広げた。「シリコンアイランド」と呼ばれる半導体集積は、巨大工場だけで成り立っていない。装置、部品、素材、保守、物流を担う多くの地域企業が、その下に厚い供給網をつくった。熊本への大規模な半導体投資が再び注目を集める今も、地域経済の実装力は中小企業に宿る。
ただし、AIは高炉や半導体工場と違う。導入費が小さく見え、社員一人でも始められる。その手軽さが長所であり、危険でもある。全社の目的と切り離されたまま、部署ごとにツールが増え、料金とリスクだけが積み上がるからだ。だから今回のプログラムは、ツールの前に経営課題を置く。
1901 官営八幡製鐵所が操業。輸入技術を地域条件に合わせて改良
1960年代以降 九州の産業基盤が鉄鋼・化学から自動車・半導体へ拡大
2005 福岡県西方沖地震。福岡の創ネットは後にクラウド重視を強める契機とした
2020 北九州市DX推進ラボが伴走型支援を開始
2022 マナビDX Questが始まり、地域企業とデジタル人材の協働へ
2026 Next Leap AXが「削減時間の出口」と経営成果を前面に置く
全国調査が示す「小さな会社の空白」
IPAの「DX動向2026」では、日本企業の58.0%がAIを導入または試験利用していた。しかし企業規模が小さくなるほど実装は遅れる。従業員100人以下では34.6%が「関心はあるが、まだ特に予定はない」と答えた。DXに取り組む割合も、従業員1,001人以上の98.7%に対し、100人以下は41.6%。データを全社または部門で利用する割合は、100人以下で38.6%だった。
これは「地方の経営者が保守的だから」と片づけられない。小さな会社では、経営者が営業、人事、資金繰り、取引先対応を兼ねる。専任IT部門も、データ責任者も、AIの法務リスクを確認する人もいない。実験に使える時間が少なく、失敗した投資を吸収する余力も小さい。
一方、小さい会社には、決定から実行までの距離が短いという利点がある。社長、現場、顧客が近ければ、一つの業務を端から端まで変えやすい。Next Leap AXが経営者と経営幹部を対象にし、各社2人程度の参加を想定するのは重要だ。経営者一人では現場に伝わらず、担当者一人では承認を変えられない。二人で参加することで、権限と実務を同じ会話に乗せられる。
福岡の小さな商社が先に見つけた答え
福岡市の創ネットは、工場の自動化機器を販売する中小企業だ。専任IT部門はなかった。それでも、今から十数年前、営業資料と顧客情報をExcelで受け渡す負担を減らすため、クラウド型営業支援システムを導入した。社長は社員の利用を定着させるため、入力したら焼肉をごちそうするというキャンペーンまで行った。
技術の選択以上に興味深いのは、目的である。2005年の福岡県西方沖地震で社内サーバーが棚から落ちた経験は、クラウドの価値を実感する契機になった。さらにデジタル化により、家族の都合で沖縄へ移った社員が退職せず、遠隔で働き続けられた。同社が語るDXの成果は単純な売上増ではなく、「人が辞めなくてもいい会社」になることだった。
これは「削減時間の出口」の先例でもある。効率化で浮いた時間や場所の制約を、人数削減だけに使うのではなく、人材定着、分析、新規顧客開拓、外販できるソフトへ振り向ける。AI時代の中小企業改革も、同じ問いから始まる。
北九州が積み上げた、四段階の伴走
Next Leap AXは突然生まれたわけではない。北九州市DX推進ラボは2020年から、「機運醸成」「準備」「実践」「事業変革」の四段階で支援してきた。展示やセミナーで関心を生み、経営層・管理者・現場向けの教育と相談を行い、補助金で実践を支え、成果を表彰して地域に広げる。2020年から2023年までに、相談窓口は300件以上に対応し、補助制度などで150件以上を後押しした。
同ラボが評価した好例の一つが、西原商事ホールディングスだ。廃棄物処理の事務と収集運搬を効率化する管理システムを開発し、全国の同業者へサービスとして展開した。内部の困りごとを解決した道具が、外部に売れる事業へ変わった。まさに業務効率化の「出口」が売上と業界改革に接続した例である。
ここに地域支援の進化が見える。第一段階は、紙をデジタルに置き換える。第二段階は、工程を速くする。第三段階は、そこで得たデータと仕組みを新しいサービスにする。Next Leap AXはAIを第三段階まで運べるかを試す。
外部人材は、魔法使いではない
専門人材とのマッチングは、この事業の現実的な部分だ。小規模企業がAI、データ、業務設計、セキュリティをすべて社内採用で賄うのは難しい。副業・兼業、プロジェクト型の外部人材なら、必要な期間と課題に絞って知見を借りられる。
しかし外部人材は、曖昧な会社に答えを持ち込む魔法使いではない。「AIで何かしたい」だけでは、提案はツール紹介になりやすい。どの顧客の、どの待ち時間を減らしたいのか。どの判断に、どのデータが必要か。失敗を誰が止めるか。経営者がそこまで言語化して初めて、必要な人材像が定まる。
第3回のワークショップに「人材要件定義」「人事制度」「受入れ体制」が入っているのはそのためだ。優秀な専門家を紹介しても、データへのアクセス権がない、担当社員の時間が確保されない、提案を決める人がいない、という状態では実装できない。
- 困りごと:誰が、どの場面で、何を待っているか。
- 基準値:現在の時間、件数、エラー、手戻り、粗利はいくつか。
- 対象データ:どこにあり、誰が責任を持ち、機密情報を含むか。
- 人の境界:AIが提案し、人が必ず判断する地点はどこか。
- 削減時間の出口:空いた時間を、営業、品質、教育、顧客対応のどこへ移すか。
- 90日後の判断:続ける、修正する、止める条件を先に決める。
成功を測る五つの物差し
| 物差し | 弱い測り方 | 経営改革としての測り方 |
|---|---|---|
| 時間 | AIが何分短縮したか | 工程全体の納期が何日縮んだか |
| 売上 | 作った文章や画像の数 | 見積回答速度、受注率、顧客単価が変わったか |
| 利益 | 利用料が安いか | 手戻り、廃棄、在庫、外注費まで含む粗利が改善したか |
| 人 | 受講者数、プロンプト数 | 残業、離職、教育時間、判断の質が変わったか |
| 顧客 | チャットボットを置いたか | 待ち時間、初回解決率、満足度が改善したか |
この五つを導入前に測らなければ、10月29日に立派な計画書ができても、翌春に成果を判断できない。AIは答えを生成するが、基準値は会社が用意しなければならない。
九州が試すのは、AIではなく経営者の覚悟だ
Next Leap AXの規模は20社程度である。九州全体を変えるには小さい。三回、合計六時間のワークショップで企業文化が変わるわけでもない。専門人材との契約には費用がかかり、現場のデータ整備、権限変更、社員の不安への対応は各社に残る。
それでも、このプログラムには評価すべき焦点がある。AI利用を「学び」や「試行」の数で終わらせず、削減時間、売上、利益、組織、人材要件まで経営者に結びつけていることだ。
八幡製鐵所の歴史が教えるのは、技術は届いた瞬間に産業になるのではない、ということだ。現場の条件に合わせ、工程を改め、人を育て、周囲の企業とつながり、初めて地域の力になる。生成AIも同じである。
8月31日の締め切りまでに応募する経営者が最初に決めるべきことは、どのAIを使うかではない。自分の会社で、もう続けなくてよい仕事は何か。そして、そこで取り戻した時間を、誰のために使うのか。その答えがなければ、実験は実験のまま終わる。答えがあれば、小さな会社の六時間が、経営の向きを変える始点になり得る。
- 九州経済産業局「Next Leap AX―経営変革×AI活用プログラム―参加企業募集」、2026年7月28日。
- 中小企業基盤整備機構 J-Net21「Next Leap AX」開催情報。日程、会場、費用の確認。
- IPA「DX動向2026」および本文PDF。企業規模別のAI・DX・データ利用。
- IPA 地域DX推進ラボ「北九州市DX推進ラボ」。四段階支援、相談件数、西原商事の事例。
- IPA DX SQUARE「創ネットの社員のためのDX」。
- IPA「マナビDX Quest 令和7年度受講生募集」。地域企業と人材の協働型学習の経緯。
- 北九州市「官営八幡製鐵所の歴史」、2025年8月。
- 内閣府「第2次AI基本計画」暫定英訳、2026年7月14日時点。
編集注: プログラムは募集・実施前であり、本稿は成果を予測または保証しない。「シリコンアイランド」の歴史的説明は九州の産業集積を示す文脈であり、Next Leap AXの対象業種を半導体に限定するものではない。為替レートは読者提供値のUTC時刻を日本時間へ換算した。
