3,332解析した人のゲノム
142研究対象とした乏突起膠腫の例
ascairnショートリードから型を推定
2026.10.14日本での研究発表

染色体の「読めなかった場所」に、既存データで迫る

一人ひとりのゲノムを調べる技術が発達しても、長いあいだ比較が難しかった場所がある。染色体の中央付近に位置し、細胞分裂のたびに染色体を正しく分配するための足場となる「セントロメア」だ。日本の研究者を中心とする国際共同研究チームは、すでに世界中で蓄積されたゲノム解析データを使い、この領域の個人差を大規模に調べる方法を開発した。

国立がん研究センター、京都大学、名古屋大学などは10月14日、解析ソフトウェア「ascairn(エーエスケルン)」を用いて世界各地の3332人のデータを調べ、セントロメアの構造的なタイプと集団間の多様性を明らかにしたと発表した。成果は米国東部時間13日、日本時間14日に科学誌『Cell』で公開された。

なぜ「染色体の中央」は難所なのか

ヒトの染色体は、細胞が分裂するときに複製された遺伝情報を二つの娘細胞へ受け渡す。セントロメアは、その分配装置が結合する領域の形成に関わる。ここで分配に異常が起きれば、染色体の本数や構造に変化が生じ得る。

ところが、この領域にはよく似た塩基配列が何度も繰り返す「反復配列」が大量に存在する。短く切ったDNA断片を大量に読み、参照配列に並べ直す従来の方法では、似通った断片がもとのどこにあったか特定しにくい。地図で言えば、同じ模様の街区が延々と続き、番地の分からない写真だけを見て場所を決めるようなものだ。

解決の鍵は「珍しい短い配列」

研究チームが着目したのは、反復配列のなかにも、特定の系統に特徴的な短い塩基の並びが存在することだ。専門的には「rare k-mer(希少なk-mer)」と呼ぶ。k-merは長さkの短い配列断片を意味し、ascairnはその現れ方を手掛かりにセントロメアの「ハプログループ」を推定する。

研究では、精度の高いセントロメア配列を基に参照パネルを用意し、通常のショートリード全ゲノム解析(WGS)データから各染色体の型を推定する仕組みを構築した。長い反復領域の完全な配列を一人ずつ組み立て直す手法とは異なる。既存データを読み直せる点が重要だ。

3332人で見えた多様性

世界各地の3332人のゲノムを解析すると、セントロメアには複数の型が存在し、その分布に個人差だけでなく地域や集団に応じた特徴が見つかった。これは人間を固定的な集団に分類する判定法ではなく、染色体の複雑な領域にも進化や集団史の痕跡が残されていることを示す研究結果である。

同じ「ヒトの参照ゲノム」でも、実際の人々が持つ染色体の配列や構造は一様ではない。従来の大規模研究が十分に扱えなかった個人差を統計的に比較するための入り口が開かれた。

脳腫瘍との関連は何を示したのか

研究グループは、脳腫瘍の一種「乏突起膠腫(ぼうとっきこうしゅ)」にも注目した。この腫瘍では、染色体1番の短腕と19番の長腕が同時に失われる「1p/19q共欠失」が診断上重要な特徴として知られる。論文では、この共欠失を伴う142例の全ゲノムデータを解析し、染色体の切断位置とセントロメアの型の関係を調べた。

解析からは、セントロメアの構造的な違いが、こうした染色体再編成の起こりやすさと関連する可能性が示された。ただし、関連性は直ちに因果関係を意味しない。特定のセントロメア型が個人の発症を予測できる、あるいは新しい治療法が見つかったと結論づける段階ではない。

2003年に完成したはずのゲノムに、なぜ未解明領域が残ったのか

ヒトゲノム計画は1990年に始まり、2003年に大きな到達点を迎えた。しかし当時得られた配列は、技術的に読み取りやすい領域を中心とするもので、複雑な反復領域などに空白が残された。米国国立ヒトゲノム研究所によると、2003年の配列はゲノム全体の約92%をカバーしていた。

2022年には国際共同研究のTelomere-to-Telomere(T2T)コンソーシアムが、欠落のないヒトゲノム配列を公表した。そこではセントロメアを含む難所の解析が飛躍的に進んだ。ただし、一つの高品質な参照配列が完成することと、世界中の数千人・数万人の個人差を安価に比較できることは別の課題である。今回の成果は、後者の壁を下げる。

「長く読む」だけでは解決しない規模の問題

ロングリード解析は長いDNA分子を読み取るため、反復構造の解明に強い。一方、必要な試料や解析費用、計算資源の面で、過去にショートリードで解析された膨大な検体をすべて同じ方式で読み直すことは容易でない。

ascairnの意義は、既存のショートリードWGSから取り出せる情報を増やした点にある。未解決の生物学的問いが「新しい採血や再シーケンス」なしに研究できる場合がある。とはいえ、推定されたハプログループは完全な塩基配列そのものではない。特殊な構造の確認には、ロングリードなど別の手法との照合が引き続き重要になる。

誰が研究を進めたのか

論文の責任著者は、国立がん研究センター研究所の白石友一・ゲノム解析基盤開発分野長。京都大学からは医学研究科の小川誠司教授、越智陽太郎助教、高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)の辻村太郎特定准教授、iPS細胞研究所の山本拓也教授らが参加した。名古屋大学からは脳神経外科学の齋藤竜太教授らが加わり、海外研究機関とも連携した。

今回の成果を「京都大学だけが発見した」と記すのは正確ではない。がん研究、ゲノム情報科学、染色体生物学の専門家が共同で取り組んだ研究であり、研究機関を横断する体制そのものが、この難題の性質を物語る。

臨床応用への距離とデータの倫理

実際の医療で使うには、異なる集団や解析環境での再現性、推定精度の限界、病気との因果関係、診断上の有用性をさらに検証しなければならない。セントロメアのタイプが人種や個人の能力を決めるという話では決してない。

世界各地のゲノム情報を再解析する研究では、同意取得の範囲、データ利用権限、プライバシー保護、公平な研究参加が不可欠になる。今回の技術が広がるほど、科学的な可能性とともにデータ管理の責任も大きくなる。

ゲノムを「読む」から、「比較して理解する」へ

大きなニュースは、DNAの文字を初めて見つけたことではない。長く調べにくかった領域について、世界に蓄積されたデータを別の問いで読み直せるようになったことだ。新たな測定装置の競争だけでなく、既存の情報に眠る構造を見つける計算手法が、生命科学を前へ進める。

今後、より多様な集団と多数の患者を対象に検証できれば、セントロメアの進化、染色体の不安定性、がんに伴う再編成の理解が深まる可能性がある。発見は治療の完成ではない。それでも「見えなかった場所を比較できる」という一歩には、十分な重みがある。

出典・参考資料

  1. 京都大学・研究成果発表(2026年10月14日)
  2. 国立がん研究センター・共同発表(2026年10月14日)
  3. Cell 原著論文・Shiraishi ら(2026年10月13日)
  4. 米国国立ヒトゲノム研究所・ヒトゲノム計画の解説
  5. 米国国立ヒトゲノム研究所・T2T計画
  6. Nature Methods・完全ゲノムの方法論と課題(2022年)

2026年10月14日の公式発表と原著論文を基に執筆。新たな臨床検査、発症予測法または治療法の確立を意味しません。