一つではうまく育たない酵母が、隣に別の酵母がいると育つ。その違いを生むのは、細胞の外へ出た小さな分子だった。理化学研究所、東京大学、広島大学などの研究グループは、分裂酵母が放出するグルタチオン(GSH)が、特定の遺伝子を失った酵母の生育を支えると発表した。栄養を補う働きに加え、細胞の形を保つ仕組みとの関わりも見えてきた。[1]

成果は日本時間9月14日、科学誌『mSystems』オンライン版に掲載された。研究を担ったのは、理研環境資源科学研究センター創薬シーズ開拓基盤ユニットの吉田稔(よしだ・みのる)ユニットリーダー、吉住僚太朗(よしずみ・りょうたろう)大学院生リサーチ・アソシエイト、広島大学の西村慎一(にしむら・しんいち)教授らだ。[1][3]

微生物の「助け合い」と聞くと、異なる菌が役割を分担する発酵の風景を思い浮かべるかもしれない。ただ、今回の中心は、同じ分裂酵母の野生株と遺伝子破壊株を比べた実験である。自然界の多様な微生物が相互に利益を交換していることを、丸ごと実証したものではない。この範囲を押さえると、実験の面白さがかえって鮮明になる。

育つ力は、遺伝子だけでは決まらない

遺伝子の働きを調べるには、その遺伝子を取り除いた細胞と、比較の基準になる細胞を、同じ条件で育てる方法がある。欠けた機能のために育ちにくくなるなら、その遺伝子が何を担っているかを探る手掛かりになる。

ただし、その「育ちにくさ」は、細胞の中だけで決まるとは限らない。自分ではつくれない物質が周囲にあれば、取り込んで使える可能性がある。逆に、必要な物質があっても、取り込む機能が働かなければ利用できない。培地の成分や隣にいる細胞も、実験結果の一部をつくっている。

研究チームは3,420種類の遺伝子破壊株を調べ、野生株の近くで生育が回復する37株を見つけた。さらに水溶性の培養上清成分に応答する11株を調べたところ、GSHだけを加えても8株の生育が回復したという。37株すべてがGSHで回復したわけではない。[2]

この数字は、同じように「育つようになった」場合でも、原因は一つとは限らないことを示す。近くに野生株がいる条件と、特定の物質だけを加える条件を比較することで、何が働いたのかを絞り込める。

栄養を運ぶ分子に、別の働き

GSHはグルタミン酸、システイン、グリシンからなる物質で、細胞内での抗酸化作用などが知られる。今回、生育が回復した8株のうち7株は、GSHを分解してアミノ酸源として利用していた。一方、細胞極性に関わるhob3遺伝子を失った株では、栄養補給だけでは説明できなかった。取り込みを阻むと回復しなくなり、分解を抑えると効果が強まったと研究機関は説明している。[1]

ここが研究の分岐点だ。栄養として使うなら、分子を分解して材料を取り出すことが重要になる。ところが、分解を妨げることが有利に働く場合、単に材料が足りなかったという説明では収まらない。同じ分子でも、受け取る細胞が何に困っているかによって、役割が変わる可能性がある。

細胞極性とは、細胞内の構造や物質が一定の方向に偏って配置される性質をいう。分裂酵母が細長い形を保ち、先端へ向かって成長するための基盤だ。「形が整う」という表現は見た目だけの話ではなく、どこへ成長するかという細胞の組織化に関わっている。[2]

ただし、GSHがどの分子に働き、どの経路を通って形づくりを助けるのかは、なお調べる必要がある。栄養源とは違う役割を示す証拠と、その役割を担う仕組みの完全な解明は、分けて読むべきだ。

生育回復の証拠を読み分ける(Japan.co.jpによる整理)
実験の段階意味区別したいこと
野生株の近くで回復周囲の細胞がいる条件で生育が変わる原因をGSH一つに決められない
GSH単独の添加で回復その条件でGSHが生育を支えられる全ての株や環境での効果ではない
取り込み・分解の操作細胞内での扱いと効果の関係を調べる形づくりの全経路が解けたわけではない

2012年の観察から、2016年の情報伝達物質へ

今回の研究には、十年以上前からの流れがある。理研の2016年の発表は、2012年の論文を先行研究として挙げ、単独では育たない分裂酵母の変異株が、別の株の近くで育つ「適応生育」という現象を紹介している。細胞の外に、働きを変える何かがあるのではないか。その問いが出発点だった。[4]

2016年2月19日付の『Scientific Reports』論文では、研究チームは窒素源シグナリング因子(NSF)と名付けた脂肪酸由来の物質を同定した。酵母が利用しやすい窒素源を優先すると、別のアミノ酸を取り込む働きが抑えられる。その制御を変えることで、栄養を自前で合成できない株の生育が回復するという仕組みだった。[5]

この歴史は、微生物の周りにある物質を、単なる餌として数えるだけでは不十分だと教えてくれる。材料を供給する物質と、材料を使えるよう細胞の働きを変える物質は、結果として同じ生育回復をもたらし得る。今回のGSH研究は、その問いを細胞の形や成長方向にまで広げている。

また、2016年の論文は、分裂酵母の変異株で見られた適応生育が、出芽酵母を隣に置いた条件では起きなかったと報告する。これは過去のNSF研究の条件で得られた結果であり、今回のGSHの作用範囲をそのまま決めるものではない。酵母という一つの呼び名の下にも、異なる性質を持つ生物がいる。[5]

「助け合い」を、実験で確かめられる言葉にする

今回の結果から言えるのは、ある細胞が外へ出した物質によって、別の細胞の生育が支えられるということだ。受け手に利益があることと、放出する側にも利益があることは同じではない。双方に利益がある相利共生を主張するなら、それぞれの増殖や生存への影響を調べる必要がある。

また、細胞外で物質を見つけたことだけから、細胞が周囲を助けるために積極的に送り出していると断定することもできない。「放出」という観察上の表現と、その仕組みや進化上の理由を区別したい。善意や意思を持つ生き物として描くより、何がどこへ移り、誰に利用されたかを追う方が、微生物の関係は具体的に見えてくる。

Japan.co.jpの分析として重要なのは、遺伝子の欠損による不利が、周囲の条件で変わるという点である。単独培養では大きく見える弱点が、集団内では別の姿を示すかもしれない。逆に、支える相手や物質が失われれば、その弱点が表面化するかもしれない。集団を理解するには、構成する微生物の一覧に加え、物質の受け渡しを見る必要がある。

発酵へつなげるには、何を測るか

発酵への応用を考えるとき、最初の問いは「GSHを入れればよいか」ではなく、「どの株の、どの不足や異常を補えるか」になる。栄養を補えばよいのか、取り込みが問題なのか、細胞内の別の機能が関わるのか。その違いによって、調べる条件も変わる。

実用上は、細胞が増えることと、欲しい製品が多くできることも別だ。生育が改善しても、生成物の量、組成、品質が同時に改善するとは限らない。培養条件を変えても効果が続くか、目的外の微生物にも有利にならないか、実際の工程で測定する必要がある。これらは今回実証された成果ではなく、応用を評価するための課題である。

人の健康に関する読み替えも避けたい。分裂酵母の生育回復は、グルタチオンの摂取が人の腸内環境を改善することを証明しない。対象、投与経路、量、評価する結果が異なるためだ。今回の面白さは、既知の物質にも、細胞の外で見直すと別の役割が見つかることにある。

培養皿の上で起きた小さな変化は、微生物を見る視点を広げる。一つの細胞が何を持っているかだけでなく、隣から何を受け取れるか。酵母の生育を支える分子をたどる研究は、目に見えない集団の成り立ちを、確かめられる一つ一つの関係へとほどいていく。