1901年11月、フランクフルトの精神病院に51歳のアウグステ・データーが入院した。夫への疑い、幻覚、言葉の混乱、記憶の崩れ。担当したアロイス・アルツハイマーは、彼女を単に「精神の病」と「脳の病」のどちらかへ押し込めなかった。1906年の死後、顕微鏡で見た脳には、のちにアミロイド斑と神経原線維変化と呼ばれる異常があった。
近代の認知症研究は、最初から妄想や幻覚を伴う一人の女性の物語だった。それでも、その後の医療は長く、思考や知覚の異変を扱う精神医学と、神経細胞の変性を扱う神経学を別の建物のように発展させた。患者の症状は、その境界を気にしない。
2026年8月3日、『Molecular Psychiatry』に掲載された日本の研究は、その壁に小さな窓を開けた。量子科学技術研究開発機構(QST)、京都大学、慶應義塾大学、東京科学大学などのチームは、40歳以降に初めて幻覚や妄想などの精神症を発症した37人と、年齢をそろえた認知機能に問題のない対照47人を、アミロイドPETとタウPETで比較した。
患者のタウ陽性率は対照の約4.4倍。数字だけなら一つの答えに見える。しかし研究が描き出したのは、単一の病気ではなく、三つにほぼ等分された異質な集団だった。13人はアミロイド陽性の「アルツハイマー病型」、12人はアミロイド陰性だがタウ陽性の「非アルツハイマー病型」、残る12人はどちらも陰性だった。
研究者は何を、どう見たのか
患者は2017年7月から2023年10月に登録された。13人は40~60歳で発症し、24人は60歳を超えてから発症していた。診断は統合失調症、統合失調感情症、妄想症、急性一過性精神症、精神病性うつ病を含む。発症時に認知障害や神経疾患があった人、40歳以前に精神疾患があった人、重い頭部外傷や物質乱用のある人などは除外された。
少なくとも2人の精神科専門医と1人の神経内科専門医が評価した点は丁寧である。一方で、複数の診断を「40歳以降に初発した精神症」という症候群で束ねたことは、研究の強みであると同時に限界でもある。現実の診療に近い広がりを捉えられるが、どの診断にどの病理が対応したかを37人で確定することはできない。
| 問い | 方法 | 分かること/分からないこと |
|---|---|---|
| アミロイドβはあるか | 11C-PiB PET | アルツハイマー病に関連するアミロイド蓄積を推定。症状の原因や将来の発症を単独では確定しない。 |
| タウ病理はあるか | 18F-florzolotau PET | 多様なタウ集積を生体脳で可視化。非アルツハイマー病型では病理との照合が今後も必要。 |
| 精神症状との関係は | 臨床評価・認知検査とPET信号を相関 | 関連を探せるが、一時点の相関から因果関係は決められない。 |
アミロイド陽性の患者13人のうち12人はタウも陽性で、13人全員が60歳を過ぎてから精神症を発症していた。これは、非常に遅い時期の発症にアルツハイマー病の前臨床・前駆段階が含まれる可能性を強める。しかし、アミロイド陰性24人の半数にもタウ信号があった。しかも集積は一様でなく、頭頂葉、後頭葉、前頭部、中心前回、脳幹など、人によって異なっていた。
タウは「アルツハイマーの印」だけではない
タウは本来、神経細胞の中で微小管を安定させ、物質輸送を支えるタンパク質である。異常にリン酸化され、折り畳み方が崩れると、細胞内にたまり、神経原線維変化などを作る。アルツハイマー病が最も有名だが、タウが関与する病気はそれだけではない。
タウには主に3リピート型と4リピート型があり、その組み合わせや形、脳内分布によって、進行性核上性麻痺、皮質基底核変性症、ピック病、嗜銀顆粒病など、異なる「タウオパチー」が生じる。今回用いられたflorzolotauは、アルツハイマー型だけでなく、こうした非アルツハイマー型の多様なタウ病理を捉えることを目指して開発された第二世代のPET薬剤だ。
だからこそ、アミロイド陰性・タウ陽性の12人は興味深い。同時に最も慎重に読むべき集団でもある。色のついたPET画像は病理標本そのものではない。薬剤が特定の分子構造へ結合したことを間接的に測り、正常な結合や標的外結合の影響も受けうる。どのタウオパチーだったかを確定するには、長期追跡、他のバイオマーカー、最終的には病理との対応が要る。
「見る」までの半世紀
1901~1906年:アウグステ・データーの症状と死後脳をアルツハイマーが記録。精神症状と神経病理が同じ症例で結ばれる。
1943年:オイゲン・ブロイラーが、遅い年齢で発症する統合失調症様症例の一群に言及する。
1975年:微小管形成を助けるタンパク質としてタウが報告される。のちに神経原線維変化の主要成分と判明。
2000年:国際合意が40~60歳発症を「遅発性統合失調症」、60歳超を「超遅発性統合失調症様精神症」と整理。
2013年:日本の研究チームが、タウ病理を生きた人の脳で可視化するPET技術を報告。
2026年:florzolotauを用い、中高年発症の精神症で多様なタウ集積を比較する本研究が発表。
タウが発見された1975年から、患者の脳内でそれを地図として見るまでには数十年を要した。PETでは、標的分子へ結合する放射性薬剤をごく少量投与し、陽電子の消滅で生じる信号を検出する。これは脳の形を写すMRIとは違い、分子の存在を推定する「化学のカメラ」である。
QSTの系譜にある研究者たちは2013年、PBB3というタウPET薬剤で生体脳のタウを可視化した。その後、信号の明瞭さや幅広いタウ病理への結合を改善したflorzolotau(別名18F-PM-PBB3、18F-APN-1607)が開発された。今回の研究は、新しいカメラを精神科の古い問いへ向けたのである。
なぜ「40歳以降」が重要なのか
統合失調症の典型的な発症は青年期から若年成人期にある。40歳を過ぎて初めて強い妄想や幻覚が現れたとき、医師は一次性の精神疾患だけでなく、薬剤、副腎皮質ホルモン、感覚障害、てんかん、自己免疫疾患、感染、内分泌・代謝異常、脳血管障害、腫瘍、神経変性などを広く考える。
2000年の国際コンセンサスは、40~60歳発症を遅発性統合失調症、60歳超を超遅発性統合失調症様精神症と呼ぶことを提案した。遅い発症では、被害妄想や「壁や仕切りを越えて人や力が侵入する」と感じる分割妄想が目立ち、若年発症より陰性症状やまとまりのない思考が少ない傾向が報告されてきた。
疫学研究では、非常に遅く発症した精神症の後に認知症リスクが高まることが示され、死後脳研究では嗜銀顆粒病、レビー小体病、皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺など多様な病理が報告された。だが死後脳は結末しか見せない。今回のPETは、認知症と診断されていない生存中の参加者に、その可能性を示す分子信号を捉えた点に価値がある。
相関したもの、しなかったもの
群全体では、患者の頭頂葉タウ信号が対照より高かった。アミロイド陰性例に限ると、頭頂葉と後頭葉の信号が高かった。アミロイド陽性の患者では、頭頂葉のタウが多いほど、計画、注意の切り替え、抑制などを測る前頭葉機能検査(FAB)の得点が低かった。相関係数は−0.58、p値は0.04だった。
一方、最も重要な「なかった結果」もある。PET信号の強さと、幻覚・妄想など精神症状の有無や病歴との間に、明確な有意関連は示されなかった。参加患者には視覚性幻覚がなく、レビー小体型認知症に典型的な像をそのまま調べた研究でもない。タウは集団差を説明する候補になったが、個々の幻覚や妄想を直接説明する目盛りにはならなかった。
これは失敗ではない。脳の病理、神経回路、認知機能、生活上のストレス、感覚障害、薬剤、社会環境が重なって症状が生じるなら、単一の分子量と症状の強さが一直線に並ばないのは自然である。研究の価値は、症状名の下に隠れた生物学的異質性を示したことにある。
この研究がまだ言えないこと
- 横断研究:一時点のPETなので、タウが精神症より先に生じたか、精神症を引き起こしたか、認知症へ進むかは分からない。
- 小規模・専門施設:37人という規模と紹介経路は、地域全体や他国の患者にそのまま一般化できない。
- 診断の混在:複数の精神疾患を含み、診断別の確かな率を出せない。
- 画像は病理診断ではない:特に非アルツハイマー型の信号は、病理との対応と標的外結合の検証が必要。
- 陰性群も大きい:患者の約3分の1はアミロイドもタウも陰性で、別のタンパク質、血管、免疫、代謝、一次性精神疾患などを考える必要がある。
対照群にも7人のタウ陽性者がいた。加齢に伴う病理や臨床症状のない変化がありうるため、「陽性=病気」とはならない。また、PET検査には放射線被ばく、費用、アクセス、結果をどう伝えるかという問題がある。研究結果だけを根拠に、幻覚や妄想のあるすべての人をタウPETへ送ることは支持されない。
診療を変えるとすれば、その前に
将来、長期追跡で「どの画像パターンが、どの認知症や運動症状へ、どの速度で進むか」が再現されれば、遅発性精神症を症状だけでなく病態で層別化できるかもしれない。アルツハイマー病型ならアミロイド・タウを念頭に置き、別のタウオパチーなら異なる試験や治療開発へつなげる。どちらも陰性なら、別の原因探索を深める。
そのためには、多施設・大規模・多様な集団での追試、数年単位の認知・運動・生活機能の追跡、血液や髄液バイオマーカー、MRI、αシヌクレインなど他の病理との比較、そして画像と剖検病理の照合が要る。薬物療法がPETパターンや症状にどう影響するかも明らかにしなければならない。
臨床では、画像より先に丁寧な問診、身体・神経診察、薬剤確認、認知評価、必要な血液検査や構造画像がある。急に始まった混乱、発熱、意識の揺れ、片麻痺、けいれん、自傷他害の危険、生活を保てない状態は、研究用PETを考える前に緊急評価の対象となる。
境界ではなく、連続体を見る
アウグステ・データーの物語から125年。彼女の脳に何があったかを知るには死を待たなければならなかった。いま研究者は、生きている脳の分子を色の地図として見ることができる。技術の飛躍は大きいが、画像が人の物語を読み切るわけではない。
今回の37人は、一つの病名の小型版ではなかった。アルツハイマー病に似た組み合わせ、別のタウ病理を思わせる信号、そして二つのPETでは説明できない群に分かれた。精神医学と神経学の境界が消えたのではない。その境界が、思っていたより透けて見えるようになった。
次の決定的な証拠は、同じ人々を時間の中で追うことから生まれる。誰が安定し、誰に認知や運動の変化が現れ、どの分子地図がその未来を正しく予測するのか。それが分かるまで、この研究は診断の終点ではなく、より精密で、より謙虚な問いの出発点である。
取材メモ・主な出典
研究結果の数値は原著論文を優先し、研究機関の発表は背景と日本語用語の確認に用いた。因果関係や臨床応用については、原著の研究設計を踏まえてJapan.co.jpが限定的に評価した。
- Kubota et al., “High prevalence of tau pathologies in late-onset psychosis: A PET study,” Molecular Psychiatry (2026)
- QST・京都大学・慶應義塾大学・東京科学大学 共同発表(2026年8月3日)
- Howard et al., International consensus on late-onset schizophrenia terminology (2000)
- Clinical Approaches to Late-Onset Psychosis (2022)
- The history of Alzheimer’s disease and Auguste Deter
- JST:生体脳でタウを画像化するPET技術(2013)
- Tagai et al., high-contrast imaging of Alzheimer’s and non-Alzheimer’s tauopathies, Neuron
